ジャーナリズムの革新を促すための公的機関

Stimuleringsfonds voor de Journalistiek」は、オランダ政府の教育文化科学省から出資を受け、ジャーナリズムにおけるイノベーションを促進する取り組みを行っている。2018年の出資額は500万ユーロ(およそ6億円)だった。

メディアスタートアップやジャーナリストへの金銭的支援、調査報道プログラムの運営、メディアやジャーナリズムにまつわるリサーチなど、取り組みの内容は多岐にわたる。

2010年代前半からは、彼らの支援を受け、若きファウンダー率いるメディアスタートアップが次々に登場した。“速報ではないニュース”を掲げる新興メディア「De Correspondent」や、メディアのコンテンツを記事単位で購入できる課金型プラットフォーム「Blendle」などは、国外でも知られるようになった。

参考記事:“速報ではないニュース”を始めよう。オランダの新興メディアが世界進出に向けたファンディングを始動


(Blendleの創業者Alexander Klöpping氏のツイート「創業初期に彼らのサポートがなければ今のBlendleは存在しない」)

既存メディアの危機と共に訪れた役割の変化

そもそも、政府がメディアやジャーナリズムを支援しているのはなぜなのか。Zanten氏にたずねると「民主主義の基本だからだ」という答えが返ってきた。まるで、筆者が疑問を抱いたこと自体を不思議に思っているような口調で、こう続ける。

Zanten氏「民主主義において、人々が社会について考える必要があり、そのためには良質な情報を提供するジャーナリズムが不可欠です。オランダを含め、ヨーロッパではそれを政府が支援するのは当たり前だと考えられています。

もちろん、いかに思想的な干渉をせず支援するかは難しい問題です。メディア企業への税金控除など、やり方は国によって異なります。オランダの場合は、我々のような独立した公的機関を立ち上げ、支援を行なっているのです」

ジャーナリズム振興基金は、主に新聞や雑誌を発行する企業を救うため、1974年に設立された。当時、オランダではテレビ広告が成長し、新聞や雑誌の広告収入が減少、経営難に陥る企業が増えていたという。当時は「Stichting Bedrijfsfonds voor de Pers(プレス事業基金財団)」という名で活動していた。

その後しばらく、ジャーナリズム振興基金の活動は経営難に陥った新聞や雑誌への金銭的支援や、政府への政策提言が中心だった。

プレス事業基金財団の設立を知らせる書類

プレス事業基金財団の設立を知らせる書類(Stimuleringsfonds

転機を迎えたのは2000年代後半。当時、新聞や雑誌、テレビに代わる情報源としてインターネットが普及し、新聞や雑誌は購読者を失い、広告収入が減少していた。

Zanten氏「オランダの新聞社の売上高は2000年の18億ユーロを頂点に下降線を辿っています。特にリーマンショック以降、新聞や雑誌は軒並み不況に陥りました。当時、私は地方紙のディレクターで、本格的に紙の新聞や雑誌の終わりが始まったと感じたのを覚えています」

新聞や雑誌など、それまで質の高いジャーナリズムを届けていた媒体が苦境に陥るなか、ジャーナリズム振興基金は新たなジャーナリズムの担い手への支援を拡充していく。

Zanten氏「国内外のジャーナリストや学生によるアイディアやプロジェクトに対し、補助金を交付するプログラムを政府に提案したんです。

イノベーション支援プログラムは2010年から本格始動し、DeCorrespondentやBlendleだけでなく、ロッテルダムのローカルメディア『Vers Beton』 など、幅広いプロジェクトの成長を支えてきました」

移転したばかりだというオフィスには「データジャーナリズム」を描いたイラストが飾られていた

移転したばかりだというオフィスには「データジャーナリズム」を描いたイラストが飾られていた

「お金を渡して終わり」ではジャーナリズムは救えない

しかし、助成金を受けてからも継続的に活動できるプロジェクトは一握りだった。Zanten氏は2011年にディレクターに就任すると、持続的に活動できるプロジェクトをいかに育てるかを模索していく。

Zanten氏「1年後に訪れると資金は尽き、活動が止まっているケースも少なくありませんでした。せっかく素晴らしいアイディアも事業として継続できなければ意味がない。メディアやジャーナリズムにおける実験を支えるには、金銭的支援だけでは不十分であり、どのようにアイディアを形にするか、ナレッジの支援を行なっていく必要があると考えました」

そこで、ジャーナリズム振興基金は7ヶ月間をかけて事業アイディアを形にするアクセラレータープログラム「SVDJ Accelerator」を始動した。同プログラムでは、毎週もしくは隔週でミーティングを行い、課題の分析やソリューションの設計、事業のスケール戦略の策定などをメンターや講師と共に進める。

プロジェクトの選出基準は「政治や社会に対する思考形成を手助けするか」そして「既存のジャーナリズムと異なるイノベーティブな取り組みであるか」の2つ。昨年参加した23のプロジェクトは、ファクトチェックの自動化ツール「Saltmines」や、若者向けに政治をテーマにしたビデオブログを配信するInstagramメディア「Walkways」、気になるニュースの続報を届けるプラットフォーム「Follow the Issue」など幅広い課題を扱う。

Zanten氏「チームはミーティングごとに必要な資金を申請します。参加者たちは、投資家から資金調達を行うスタートアップのように、何の目的でお金が必要なのかを明確にし、その結果を厳しく振り返ります。プログラムは2018年からスタートしたため成果は未知数ですが、昨年参加した23チームのうち、半数以上はプログラム前に掲げた目標を達成しています」

金銭的な支援からナレッジの支援へ。支援内容の変化に合わせ、2014年には基金の名称を「ジャーナリズム振興基金」へと変更した。近年はフェイクニュースの問題に対処すべく、調査報道に取り組むメディアやジャーナリストを支援するプログラムを拡充している。2019年度は合計280万ユーロの補助金を用意している。

公的機関が新たな実験を後押しする意義

Zanten氏は2010年の方向転換後の成果を誇る一方、メディアをめぐる課題は山積みだと語る。

Zanten氏「オランダの新聞、特にローカル紙の経営状況は苦しい状態が続いています。ジャーナリズムの担い手が十分にいない地域もあります。

現状、オランダは他国に比べてメディアへの信頼が厚いと言われていますが、少しずつメディアの報道を一切信じない人たちも出てきています。決して安心できる状況ではありません」

こうした課題を解決するために、Zanten氏は既存のメディア企業ではなく、しがらみのない新たなプレイヤーが不可欠だと考えている。

Zanten氏「これまでのやり方は通用しない。けれど、新聞社など、既存のメディア企業の多くは、目の前のビジネスを維持していくことに精一杯で、変化に消極的です。

だからこそ、DeCorrespondentやBlendleのように、しがらみに囚われない試みを支える必要がある。新たな担い手の起こす変化が、既存のメディア企業にも届きメディアやジャーナリズムのあり方が変化していく。そうしたサイクルを起こすのが私たちの役割です」

こうした支援を公的機関が行う背景には、オランダではメディアに積極的に投資したいプレイヤーが少ないという事情もあるようだ。

Zanten氏「メディアは儲かるビジネスではありませんから、オランダでメディア企業に投資したがる投資家も少ない。『De Volkskrant』や『De Telegraaf』を始めとする主要新聞ですら、ほとんどがベルギーのメディア企業に買収されています。

だからこそ、僕たちのような公的機関が担える役割は大きいと思っています。私たちの使命は、利益を確保することでも、既存の業界を守ることでもない。民主主義を機能させるために、人々が必要な知識を得て、思考するための手段を育てることだからです」

民主主義が機能するための情報流通をいかに支えていくか。オランダではジャーナリズム振興機関のような公的機関が新たな担い手を後押しし、これまでにないメディアやジャーナリズムのあり方を模索しているようだった。

一方、近年米国では、大手オンライン広告サイト「Craigslist」の創設者Craig Newmarkなどのフィランソロピスト、GoogleやFacebookといった大手テック企業がジャーナリズムへの支援を行なっている。

参考記事:「虚報」を打破するジャーナリズムは誰が支えるのか?──GoogleやFacebookが取り組むメディア支援

方法は違えど共通するのは、新聞社などのメディア企業だけでジャーナリズムを支える仕組みから脱しようとしている点だ。

日本は欧米諸国に比べ、まだまだ新聞の発行数も影響力も高いと言われている。しかし、今後もその状態が続くとは考えづらい。

先日には、スマートニュース株式会社のシンクタンク「スマートニュースメディア研究所」が、地方紙・地方局の記者の海外取材を支援するプログラムを発表するなど、メディア企業が新たな担い手をサポートする取り組みが登場している。

また、朝日新聞社はThe Breakthrough Company GOと連携し、社会課題解決型の新聞広告を発信するサービスを始動した。潤沢な予算を持つ企業広告が、新たなジャーナリズムの実験場になっていくのかもしれない

Zanten氏の言う「しがらみに囚われない試み」は日本にとっても不可欠だ。公的機関や投資家、企業など、社会の幅広いプレイヤーを巻き込み、質の高いジャーナリズムを支える仕組みを模索していく必要があるだろう。