ロッテルダムの非営利のローカルメディア「versbeton」

「自立心溢れる若者たちの借金問題」

「公園組合はどのように街の景色を変えていくのか?」

「ダイバーシティを恐れる白人住民」

versbetonはロッテルダムの政治や社会、都市開発など、幅広いテーマを扱う。短いニュースやコラムもあれば、長文の調査報道記事もある。フォーマットも多岐に渡るようだ。

ユニークなアイキャッチ画像も目を引く。いずれもversbetonに属するイラストレーターが手がけている。ライターや編集者だけでなく、イラストレーターのプロフィールページも用意されていた。

記事のほかにゲーム形式のコンテンツもある。「Bouwen is Macht」は都市開発にまつわる調査報道記事とともに公開されたシミュレーションゲームだ。プレイヤーは過去25年間のロッテルダムを舞台に都市開発を疑似体験できる。

「ハードシンキングするロッテルダム市民のために」という硬派なミッションとポップなイラストやゲーム。独特なバランスのローカルメディアはどのような意図で生まれ、支持を集めてきたのだろう。

取材依頼を送ると翌日には返信が届いた。

「ちゃんと答えられるよう準備したいから、事前に質問を送ってくれたら嬉しいです」

この真摯さもversbetonが読者に支持を得ている理由の一つなのかもしれない。そんなことを考えながら、ロッテルダム駅からおよそ徒歩5分。彼女たちのオフィスへ向かった。

この街はメディアがない。友人の一言が始まりだった

出迎えてくれたのはファウンダー兼編集長のEeva Liukkuさんと、パブリッシャーのHilde Westerinkさん。Eevaさんはversbetonを始めたきっかけを教えてくれた。

Eevaさん「ちょうど私が大学を卒業した2011年頃、ロッテルダムに引っ越してきたドイツ人の友人に、『この街について知るためのメディアがなくて困る』と言われたんです。ドイツでは街の情報や課題を取り上げたブログが沢山あったのに、と。

そう言われて、たしかにロッテルダムは街に根づいたメディアが少ないと気づきました。ジャーナリストの教育機関は一切なく、拠点を置くメディア企業も多くはありません。ロッテルダムで活動するジャーナリストの数は限られています。もっとも広く読まれている“ローカル”メディアは大手新聞の地方版です」

大手新聞の地方版を含め、街の情報を伝えるメディアはいくつか存在する。けれど、Eevaさんは友人に勧める気にはなれなかった。既存のローカルメディアにおけるニュースの伝え方に違和感を抱いていたからだ。

Eevaさん「大手新聞の地方版含め、既存のローカルメディアでは『何が起きたのか』を説明するだけで、その出来事について、これまでどのような議論がなされたのか、市民は何を考えるべきなのかは示されません。

また、ロッテルダムは保守層の影響力が大きい街なので、政治や社会課題にまつわるコラムなども保守的な視点から書かれたものが多かった。もっと別の視点を提供するメディアが必要だと感じていました」

読者に考えるステップと多様な視点を届ける

この街にはニュースの背景を共有し、多様な視点を提供するメディアが足りない。だったら、自分たちでつくってしまえば良いのではないか。Eevaさんはメディアの構想を膨らませながら仲間を集めていく。

Eevaさん「ちょうど2010年のユーロ危機の影響で、多くの大学生がフルタイムの仕事に就けずにいました。大学の哲学科を卒業したばかりの私も、時間を持て余す若者の一人。ドイツ人の友人がちょうどウェブサイトを制作できる人だったので、メディアを立ち上げてみようと考えたんです。

幸い、周りにはアートやジャーナリズムにまつわる学科を卒業し、時間と才能のある友人たちが沢山いました。彼らに構想を話すと、『面白そう』とボランティアで参加してくれたんです。報酬は払えなかったけれど、彼らにとっては自由に記事やイラストを発表できる、ポートフォリオとして活用してもらえたらと考えていました」

versbetonはローカルメディア、そして若いアーティストやジャーナリストのポートフォリオとしてスタートした。自由な表現の場を手に入れた彼女たちは、あくまで一人の市民として考えたいトピックを取り上げていく。読者のニーズは「あまり考えていなかった」と二人は顔を見合わせて笑った。

Eevaさん「初期に関わってくれたメンバーは、私を含めて、全員がロッテルダムに暮らしていました。彼らが一人の市民として抱いた課題意識に沿って記事をつくれば、必ず読者にも役立つはずだと考えたんです。

また、関わるメンバーはメディアやジャーナリストの知見や経験が豊富なわけではありませんでした。だからこそ個人が情熱を持って追いかけられるトピックを選ぶべきだと思っていました」

扱うトピックは個人の意思を重んじるが、ニュースの伝え方には譲れないポイントがいくつかある。

Eevaさん「読者が考えるためのステップを用意するよう心がけてきました。以前、調査報道記事に合わせてゲームをリリースしたように、ニュースを読み、思考するための準備を後押ししたい。2万字の記事は読めなくても、ゲームならやってみたいと思うはずですから。

ほかにも、2016年に住宅関連の政策についての市民投票が行われたとき、投票がなぜ行われているのか、その結果は誰にどのように影響するのか。その政策にかかるコストはいくらで誰が負担するのかなど、一つひとつQ&A方式で噛み砕いて説明しました。記事はおよそ50,000人以上の読者に届き、『こういう情報を求めていた』と市民から大きな反響を得られました」

市民投票にまつわる記事。12個の質問について解説されている

もう一つは、他のメディアが報じていない視点を提供すること。編集会議でも各々が関心のあるテーマを共有した上で『どのようなストーリーが伝えられていないか』を話し合い、一つの出来事を多角的に捉えようとする。

Hildeさん「例えば、2011年以降、なぜロッテルダムが観光地として人気を集めたのか、それに対し、住民が何を感じているのかを伝えた『Help we zijn populair(助けて!私たちは人気者だ)』という特集があります。

特集では、単にロッテルダムを賞賛したり、地元経済へのポジティブな影響を取り上げるだけでなく、あえて批判的な市民の声も取り上げました。それによって街の向かうべき方向について思考を促せたらと考えたんです」

“ハードシンキング”に込めた街のアイデンティティ

考えるステップと多様な視点を届け、ハードシンキングするロッテルダム市民を増やす。設立当初から掲げる「ハードシンキング」という言葉には「真剣に考える」以外の意味も織り込まれている。

Eevaさん「ロッテルダムはハードワーキングな労働者の町として知られています。ホワイトカラーよりもブルーカラー、知識人よりも労働者である自分たちに誇りを持っている。

また、街の中心は第二次世界大戦で大きな被害を受け、戦後に再開発が進みました。ロッテルダムは、ユニークな現代建築の建物が立ち並ぶ、硬いコンクリートの都市としても知られているんです。

硬いコンクリートの街で暮らすハードワーキングな市民。長年かけて培われたロッテルダムのアイデンティティをミッションに込めています」

メディア名の「versbeton」は直訳すると「生コンクリート」だ。ミッションや一見奇妙なメディア名にも、ロッテルダム市民の街への誇りや愛着が反映されている。

ただ、彼女らはそれらを讃えたいわけではない。より良い街にするためにハードワーキングだけでは不十分だと考えるからだ。

Eevaさん「ロッテルダムには、思考したり議論したりを好まない文化が根付いているんです。アムステルダムのような“インテリ”が集う街ではなく、労働者の集う街なのだ、と。

2000年代前半、この街からイスラム教を『遅れた宗教』と批判し、移民の規制を叫ぶ政治家ピム・フォルタインが台頭しました。その要因のひとつに、インテリを嫌い、保守的なロッテルダム市民のアイデンティティが関連しているように思うんです。

ロッテルダムは移民の多い、国際色あふれる街です。その二面性もこの街を特別にしている。こんな複雑な街に暮らす私たちが、より良い街をつくるためにハードに思考し、議論しなくて良いわけがない。

ハードワーキングだけでなく、ハードシンキングもロッテルダム市民のアイデンティティに加えていきたい。そんな願いをミッションに込めています」

より広く“市民”に届くムーブメントを起こすために

彼女らの試みは着実に実を結びつつある。メディアへのアクセス数は順調に増え、読者のポジティブな声も届いている。

数年前からはメディア運営と並行し、ロッテルダムにまつわるリサーチ協力やアートプログラムの広報活動支援など、クライアントワークも行う。携わる人にも一定の報酬を支払えるようになった。

事業開発を担うHildeさんは「正規職員を雇えるようにしたい」と意気込む。彼女のもとで昨年からは月額6ユーロの寄付会員制度も始めた。

Hildeさん「これまでクライアントワークのフィーと公的機関の補助金、バナーや求人広告でメディアの運営費を賄ってきました。しかしクライアントワークにリソースが割かれ、メディアを運営するリソースが足りないなど、課題も山積みでした。寄付会員制度は、メディアの運営に集中するための選択です。

お金を払った寄付会員のみが記事を閲覧できる『ペイウォール』ではなく、訪れた人全員が無料で読めるようにしています。ロッテルダム市民全員のためのメディアでありたいからです。寄付会員を集めるの皆さんには『私たちは市民の連帯になってください』と伝えています。

すでに600人の寄付が集まっていて、来年までに2000人のサポーターを目指しています。並行して、調査報道の補助金にも申請する予定です」

少しずつメディアをサステナブルに運営できる状態が見えつつある。けれど、ハードシンキングをロッテルダムに根付かせるまでの道のりはまだ遠い。Eevaさんはversbetonの思想が、年齢や人種の壁を超えて広がる未来を見つめている。

Eevaさん「versbetonは私たちと同年代かつ、ニュースに関心のある層から一定の支持を受けています。しかし、10代の若者やお年寄りにはまだまだ届いていない。人種的にも今は白人に偏っているという自覚もあります。

真に“ハードに思考する市民”を増やしたいなら、ニュースについて考えるのが好きな特定のエリートだけに支持されているだけでは意味がない。年齢や人種問わず、誰もがより良い意見を形成するための土壌をつくりたいと考えています。

そのために、記事やゲームだけでなく、ビデオ、動画など、多様な表現に挑戦したいですし、作り手の年齢や人種の多様性も広げていきたい。まだ形にすべきアイディアは沢山あります」

壁にはversbetonに関わりのあるアーティスト作品が飾られている

オフィスが位置するKruiskade通りの地図。おすすめの場所が丸で囲まれていた

ハードシンキングするロッテルダム市民を増やす。彼女らの掲げる一見壮大なプランは、いち市民として街を良くしたいという意思から始まっていた。

街に愛着を持ちながらも、決して思考を止めず、より良く生まれ変わる道を探る。versbetonの態度から連想されるのは、東京理科大学の伊藤香織さんが「シビックプライド」を定義した文章だ。

日本語の「郷土愛」といった言葉と似ていますが、単に地域に対する愛着を示すだけではないところが違います。「シビック(市民の/都市の)」には権利と義務を持って活動する主体としての市民性という意味がある。自分自身が関わって地域を良くしていこうとする、ある種の当事者意識に基づく自負心、それがシビックプライドということです。

市民に情報を届けるだけでなく、シビックプライドを育み、街のアイデンティティを変容させていく。versbetonのあり方はローカルジャーナリズムが担い得る新たな役割を示している。