ビジネスモデル、人材育成、リーチの拡大。新興メディアがぶつかる壁

事件を速報的に発信するだけでなく、背景や構造を丁寧に伝える。問題ではなく解決策を報じる。広告課金モデルではなく有料課金モデルで運営する——。

数年前から、欧米の新興メディアが日本でも紹介されるようになった。筆者もその成功例としてオランダの『De Correspondent』に関心を持った一人だ。

だが、オランダで取材をしてみると、そうしたメディアの難しさに言及する声も聞く。例えば、丁寧に事件の背景や解決策を報じるジャーナリズムに関心を持つ人は限られ、偏っていると彼らは言う。ロッテルダムのローカルメディア『VersVeton』も「元々ニュースに関心のある層からは一定の支持を受けているが、もっと読者層を広げていく必要がある」と話していた

また、経済的にサステナブルな事業の構築、そのための担い手を育てることも大きな課題だ。メディア領域のスタートアップを支援するオランダの公的機関『ジャーナリズム振興基金』も「1年後に訪れると資金は尽き、活動が止まっているケースも少なくなかった」ことから、担い手のスキル開発プログラムを始動したと語っていた

「何が起きているのか」や「なぜ起きているのか」を掘り下げて伝える良質なジャーナリズムは社会にとって必要だ。しかし、それらを持続的に行い、より広く届けていくためには、乗り越えるべき壁がいくつも立ちはだかっている。

それらの壁に、「ジャーナリストとストーリーテラーのコレクティブ」として向き合うのが『Are We Europe』だ。

国や地域、職域を、“越境するジャーナリズム”

『Are We Europe』は、2016年にアムステルダム大学の学生によって立ち上げられたメディアだ。「Border-Breaking Journalism(越境するジャーナリズム)」を掲げ、ヨーロッパに共通するテーマや課題を扱う。有料購読会員向けに、四半期に一度、紙の雑誌とオンラインメディアを発行している。

テーマは「スポーツ」や「植民地主義」「環境問題」など多岐に渡る。いずれも事象や事件それ自体より、ヨーロッパを生きる人間にフォーカスしたストーリーが語られる。

Are We Europeが過去に発行した雑誌

(img:Are We Europe

例えば、「植民地主義」を取り上げた特集では、イギリス育ちのインドネシア人の女性が、母国語のインドネシア語よりも、英語を「上流な、優れた言語」と捉えていた自分への戸惑いを語ったストーリーや、ヨーロッパの旧宗主国出身の人とアフリカの旧植民地出身の人が、過去と現在のつながり、未来について手紙を交わす記事などが掲載されている。

「Border-Breaking Journalism」なのは、コンテンツだけではない。ヨーロッパ各国に800人以上ジャーナリストやクリエイターのネットワークを築き、ストーリーを編み上げている。

「その土地に住む人、あるいは育った人とコラボレーションしながら記事をつくれば、今よりもずっと興味深いストーリーが生まれるはず」と語るのは、ファウンダーで現編集長のKyrill Hartog氏だ。

Hartog「新聞では、その地域に関わりのなかった記者が、一人で派遣され、周辺の国々の出来事を報じることが多い。いわゆる『パラシュートジャーナリズム』と呼ばれる手法です。

もちろん、その手法から優れた報道が生まれてきたことは間違いない。でも、現地の人間にとっては一面だけを切り取られているように感じる瞬間もある気がします。自分自身、国際的な報道機関がヨーロッパについて取り上げるとき、トピックが『Brexit』や『移民問題』『ギリシャの財政危機』などに偏っているのではと疑問を持っていました。

その土地に住む人、あるいは育った人とコラボレーションしながらストーリーを編んでいったなら、きっと『Brexit』以外のヨーロッパを届けられると思ったんです」

ファウンダーで現編集長のKyrill Hartog氏

Are We Europeは、国や地域だけでなく、職域も越えたチームで、一つのストーリーを制作する。

例えば、ヨーロッパの主要な報道において扱われることの少ない地域に光を当てる特集『Edges of Europe(ヨーロッパの辺境)』では、モルドバ出身のジャーナリストやフォトグラファー、フィルムメイカー、ウェブデザイナーと協力し、民主主義のために戦う若きアクティビストのストーリーを伝えた。

「Edges of Europe」特集ページのスクリーンショット

「Edges of Europe」特集ページのスクリーンショット

国や地域、職域を越えたコラボレーションによって、多様な視点を取り入れ、事象や事件を報じる。Are We Europeの越境するジャーナリズムは、私たちの思い込みやステレオタイプを揺さぶってくれる。また、『Edges of Europe(ヨーロッパの辺境)』の例などは、メジャーな報道で扱われる議題が、特定の地域の特定の課題に偏っていないか、見逃されている地域や人間がいないかを、問う機会をくれるように思う。

個人が人間らしく、創造性を発揮できるチームへ

事象や事件を多面的に捉え、ヨーロッパを生きる人間に向き合う。越境するジャーナリズムを実践するために、Hartog氏は自らの組織のなかでも「人間」を大切にしたいと語る。

メディアの運営や編集を担うコアチームでは、毎朝「スタンダップ」と呼ばれるミーティングを開いている。メンバーは、仕事の優先順位や相談、その日の感情を共有する。また、2週間に一度は直近の業務を振り返るミーティングを開き、そこでは互いの達成を祝う「Win Session」を設けている。

Hartog「先週の進捗や調子がどうか、今向き合っている課題やチャレンジは何か。そして今どんな感情を抱いているのか。率直に共有し合うようにしています。

ジャーナリズムにおいて、結局は人間が一番大切だと思う。一人ひとりのエネルギーが十分に満たされていないと、良いストーリーを紡ぐことはできません。そのためにはお互いの状態を安心してオープンにできる環境が必要です」

(img:Are We Europe

役割や役職と紐づく個人だけでなく、感情や心身の状態も含めた個人と向き合う。人間の全体性を重んじるチームカルチャーが、彼らの創造的なジャーナリズムの土台を成している。

さらに、一人ひとりのメンバーがより一層力を発揮できるよう、積極的に権限を委譲し、チャレンジを促してきた。それは「とても難しいことだった」と振り返る。

Hartog「当初は自分が創業者だから、どうしても編集や戦略について、手を動かしたくなってしまっていたんです。

でも、それでは個人が力を発揮する機会を奪ってしまう。昨年からは戦略部分はもう一人の創設者に任せ、僕は編集長として全体の方向性をみる役割に専念することにしました」

前述の「植民地主義」特集では、Hartog氏以外のメンバーが、初めてメインエディターを務めたのだという。

Hartog「チームには、植民地主義について自分よりも知見のあるメンバーがいました。そのメンバーは、紙の雑誌を編集した経験はなかったけれど、企画から編集まで責任を持って取り組んでもらいました。

当然、全てがうまくいったわけではないけれど、周囲の力を借りながら、素晴らしい一冊を完成させました。失敗を上回る学びを得て、成長してくれたと感じます。

その結果もあってか、植民地主義特集はAre We Europeにとって最も売れた一冊になったんです。『あぁ、もう自分はあまり手を動かさないほうがいいんだな』という成功体験になったよ(笑)」

個人が安心して自分らしくいられる土台と、飛躍のためのチャレンジを用意する。一人の「人間」の発達に寄り添うチームづくりは、事業的な成果にもつながっているようだ。

Are We Europeの「植民地特集」

(img:Are We Europe

コレクティブな変化を起こすためのネットワークを

チームは、2021年末までに有料会員5000人突破を短期的な目標に掲げている。より中長期的な展望をたずねると、個のメディアとしての成長ではなく、他のメディアやジャーナリストとの連携について語ってくれた。

Hartog「メディアやジャーナリストが協働し、プロジェクトに取り組むのを手助けするようなプラットフォームを構築できないか。今、検討を進めているところです。

例えば、個人のジャーナリストが、メディアに向けてピッチをしたり、国や地域を越えて記事を形にしていったり。私たちが、Are We Europeで実践してきたようなストーリーテリングを、より広く実践できないかと思っています」

構想のきっかけとなったのは、2020年に参加した『Summer of Solidarity』と呼ばれるイニシアチブだったという。ヨーロッパの複数メディアが協働し、コロナ禍の夏を生きる人々のストーリーを発表するという内容だ。

発起人であり、英国の大手メディアThe GuardianのエディターNatalie Nougayrède氏は、ヨーロッパにおいてメディアやジャーナリスト間の連携を深め、対話やアイデアの交換を促したいという思いを抱えていた。それにHartog氏も強く共感したのだ。

Summer of Solidarityのウェブサイトのスクリーンショット

(ブルックリンの『Coda Story』やドイツの調査報道ネットワーク『Correctiv』、ポーランドの『Liberalna』などが参加した)

Hartog「メディアやジャーナリズムにまつわるカンファレンスに足を運ぶと、ヨーロッパのなかで、同じ課題にぶつかっているメディアが沢山存在しているのだと気づかされます。

例えば、Are We Europeは間違いなく美しいメディアだと自負しています。けれど、数千字を超える記事が並ぶ、紙の雑誌を読みたい読者層は、どうしても限界がある。こうした課題を抱えている新興メディアは少なくありません。

けれど、今はヨーロッパ各国のメディアが分断している状態。伝統的なメディアは尚更です。自分たちのメディアを守ろうと必死になっている」

それぞれのメディアが自分たちを守る壁。それらは新しいジャーナリズムを形にするうえで邪魔になっているのではないかとHartog氏は考えている。

Hartog「どのメディアも『何かが足りないけれど、どうすれば良いかわからない』状態です。だから、メディアの枠を越えた連携に意味があるのではないかと思います。

メディアの世界に限らず、ヨーロッパの美しさは多様であること、そして問題なのは互いに分断していることです。

共通のアジェンダを持つ個が集まり、連携し、行動する。それが新しいジャーナリズムを創造し続けるためにも、より多くの読者に届けるためにも不可欠です。そうしたコレクティブな変化をファシリテートするのが、Are We Europeの役割だと捉えています」

異なるメディアがネットワークを形成し、共通の課題を解決する。まさに「一人のヒーローではなく、共通の課題をもつ個の集まり」によって、インパクトを最大化する。彼らの描く青写真は、冒頭で述べたような、新興メディアの壁を超える方法が存在することを教えてくれる。

一方で、実際にネットワークを形成し、共に読者層の拡大や担い手の育成、経済的な成長などに取り組むとして、どのように課題を設定し、各々の役割を定義し、評価するのか。そのための関係構築やコミュニケーションをどうファシリテートするのかなど、コレクティブで取り組むからこその課題もあるはずだ。

それらをどう乗り越えていけるのか。Are We Europeの実践を追いながら、共に考えていきたいと思っている。