ニュースのコンテクストを伝え、理解を手助けしたい
「NewsChain」は、ニュースの文脈や背景情報を伝えるテキストブロックを作成し、記事に埋め込めるジャーナリスト向けのツールだ。
具体的な例を見てみよう。次の動画はオランダの新聞社「Algemeen Dagblad」の記事。NewsChainで作成した2つのテキストブロックを使って、文末に解説を加えている。
記事のメイントピックは、イギリス領北アイルランドとアイルランドの国境問題についてだ。本文で、EUとイギリスの動きやルッテ首相の反応を紹介し、テキストブロックで国境管理案や前提となるイギリスの離脱交渉について詳細を補足している。
Jolien氏「ジャーナリストの私でさえ、知らないトピックの記事を読むとき、2段落目くらいで集中が削がれたり、『ちょっとわからないな』と読み直したりします。きっと同じような経験をしている人は多いでしょう。
もちろん、わからないなりに何度も読み、理解しようとする行為も大切です。ただ、その手前で諦めてしまう人も、一定数いるのではないかと思うんです。
NewsChainは、そうした人たちがニュース記事を読む『体験』を改善し、今世の中で何が起きているのかを理解する手助けをしたい。あらゆる読者にとって、ニュースをよりアクセシブルなものにしたいんです」
「ニュースを読む体験を改善したい」とJolien氏が語る通り、NewsChainはテキストブロックを埋め込むだけのツールではない。利用するジャーナリストは、各テキストブロックの開封数や、開封して閉じるまでの時間を把握し、「読者がどのような情報を知りたがっているのかを理解できる」という。
さらに、作成したテキストブロックは、NewsChainを導入したウェブサイト内なら他の記事にも再利用できる。既存の情報を活用し「より精確な記事を、より効率的に作成する」のをサポートしている。
一見、シンプルな仕組みのNewsChainだが、ニュースを「読む」体験と「書く」体験の両方にアプローチするプロダクトなのだ。
記事を読み進めたくなる体験をつくるには?
Jolien氏は、もともと起業やプロダクト作りに強い関心があったわけではない。NewsChainを開発した背景には、いちジャーナリストとして抱えていた課題意識があった。
Jolien氏「NewsChainを立ち上げる前、フリーランスのジャーナリストとして、地方紙の調査報道チームに携わっていました。そこで、時間と労力を費やして長文の記事を書いても、なかなか読者に読まれない、届かない悔しさを感じていたんです。
一方、The NewYork TimesやThe Guardignを読んでいると、記事のなかでビジュアルやテキストブロックを使って、読者が読み進めたくなるような体験をつくっている。『私たちもこういう実験をすべきでは?』と思っていました。
その気持ちを共有していて、よく一緒にディスカッションしていたのが、のちに共同創業者となるPepijn Nagtzaamです」
そんな折、Jolien氏はジャーナリズム振興基金(SVDJ)のアクセラレータープログラムを目にする。ジャーナリズム領域の事業アイディアを形にするプログラムと知り、軽い気持ちでPepijn氏を誘った。「その日の晩、ビールを飲みながらプロダクトの案をコースターに書きました」と振り返る。
参考記事:ジャーナリズムを“時代遅れ”にしない。若きメディアの実験を支えるオランダの公的機関
二人が参加したプログラムの期間は3ヶ月。プロダクトの試作品と、利用してくれる顧客を見つけるのがゴールだ。SVDJのメンターの支援を受けながら「ビールのコースターに書いたアイディア」を磨き込んでいった。
Jolien氏「当時は『リーンスタートアップ』といった、起業やプロダクト開発の基本すら知りませんでした。それまで、ずっと取材をして、記事を書く仕事をしていましたから。
ゼロから新しい概念や手法を学ぶのは新鮮で楽しく、同時にものすごく大変でした」
メディア業界は古き良き新聞に恋したまま
なかでも苦労したのが顧客を探すプロセスだったという。フリーランスジャーナリストとして関係のあるメディアに片っ端から声をかけるが、意思決定を担う人は「保守的な人が多い」現実も突きつけられた。
Jolien氏「メディア業界のなかには、古き良き新聞に恋したままで、イノベーションを受け入れる土気がない人も多いのだと、改めて感じました。
手放しで責める気はありません。目の前に報じるべきニュースが無限にあるなか、読む「体験」を変えよう、新しいツールを導入しようといった取り組みは、どうしても優先度が低くなってしまうでしょう。彼らにとって、私たちのプロダクトは『あったら良いもの』だけれど、決して『なければ困るもの』ではないんです」
しかし、現場のジャーナリストの反応は違った。NewsChainに興味を持ち、積極的に使ってくれる人がいたという。
Jolien氏「同じように、読者の「読む」体験に課題を感じている人、読者の知りたがっていることを深く理解したい人たちが、NewsChainに価値を感じてくれた。
彼らは、NewsChainを『なければ困るものではないけれど、あったら“本当に”良いものだ』と言ってくれた。その言葉は、プロダクトを育てていくうえで大きな希望になりました」
2018年に正式にリリースしてから、NewsChainはオランダの日刊紙Algemeen Dagbladや、Eindhovens Dagbladなど、メジャーな新聞社とも契約を結んでいる。今後は「テキストブロックのレコメンド機能やデータダッシュボード画面などを開発していきたい」と展望を語ってくれた。
“誰もが叫んでいる”状況で必要な情報を届けるには?
「今世の中で何が起きているのか」を理解する手助けをするためなら、記事を書くだけではなく、自らツールも開発する。Jolien氏の柔軟な姿勢は、情報が溢れる時代において、ジャーナリストが果たし得る役割の広がりを示しているように思う。
それは、新型コロナウィルス感染症がオランダでも拡大し始めた2020年3月、彼女の起こしたアクションからも感じられる。
彼女はNewsChainのメンバーと協力し、新型コロナウィルス感染症にまつわる情報を記事内に埋め込めるテキストブロックを無償で公開したのだ。
テキストブロックは二種類ある。一つは「今オランダでどのような対策が取られているのか」や「両親や友達と会っても良いのか」、「COVID-19は空気感染するのか」などのトピックごとに、オランダ国立公衆衛生環境研究所の回答が書かれたブロックだ。
もう一つは、地方ジャーナリスト向けのデータプラットフォームを運用する『LocalFocus』の分析を載せたブロックだ。「なぜ北ブラバントやフローニンゲンは感染者が多いのか」や「なぜ男性は重症化するのか?」といったトピックの回答がまとめられている。
テキストブロックを公開した当時を、Jolien氏は「誰もが叫んでいるような状況でした」と振り返る。
Jolien氏「インターネットには、コロナウィルスにまつわる誤情報や偽情報、センセーショナルで感情を煽る情報で溢れていました。
ただでさえ、欧州のなかでも国や地域によってルールが細かく違って、何をして良いのか、何がダメなのか把握するのは難しい状況でした。
どれだけニュース記事を読んでも、『要するに、今自分たちに何ができるのか、どう行動すれば良いのか』といった、人々がもっとも知りたがっているであろう情報にはたどりつけない。
そんな状況のなかで『読者にとってニュースをアクセシブルなものにする』を掲げるNewsChainに何ができるのか。考えた末に思いついたのがテキストブロックでした」
公開後、テキストブロックはNewsChainの導入企業を始め、複数のメディアで利用され、Jolien氏のもとにもポジティブなメッセージが届いた。その反響は彼女に「NewsChainをやり続ける意義」を再確認させた。
Jolien氏「社会をより良い場所にするには、人々が『今世の中で何が起きているか』を信頼に足る情報や知識から理解し、意思決定を下していく必要があります。
誰もが叫んでいるような状況のなかで、社会で起きている事象を、文脈や背景も含めて理解するのは、より困難になっている。だからこそ、可能な限りNewsChainをやり続けたい。そう考えているんです」
社会をより良い場所にするには、人々が『今世の中で何が起きているか』を信頼に足る情報から理解し、意思決定を下していく必要がある——。ごくごく当たり前のことだが、当たり前ゆえに、その責任と自由を忘れてしまいそうになる。
「誰もが叫んでいるような」状況でも、より良い意思決定を下すために。どのように自分自身を“informed(情報を持った、知識のある)”な状態に近づけていけるのか。そのためにメディアやジャーナリストはどうあるべきだと信じるのか。この社会をつくる一人として、考え続けていきたいと思う。