それぞれのローカルに息づく知恵を交換し、「Nature- Centered Design」で価値を生む

株式会社ROOTS 共同代表の曽緋蘭(ツェン・フェイラン)氏

株式会社ROOTS 共同代表の曽緋蘭(ツェン・フェイラン)氏

ROOTSは、京都京北を舞台に「Cross the Border, Connect with ROOTS(里山の知恵を、世界につなげる)」というビジョンを掲げて活動している。

同社では、里山に息づく自然と共生していくための伝統や技術、地域産業、暮らしの知恵を「Local Wisdom」と考え、それらの知恵を持つ茅葺き職人や、大工といった地域の職人たちを「Local Wisdom Meister」と呼ぶ。

事業としては、海外の学生がLocal Wisdomを学ぶスタディーツアーの企画や、世界中のエキスパートを巻き込んでサステナブルな事業を里山から共創するインキュベーションプログラムなどを展開している。

フェイラン氏(以下、フェイラン)「里山は、日本では当たり前の存在ですが、世界的にはものすごく珍しい。世界を見ると、人が暮らしやすいように開拓された人工的な場所と、自然環境を保全するネイチャートラストのような場所は明確に分けられている。でも里山は、生産と暮らしがないまぜになった、自然と共存する生態系なんですよね」

気候変動や生物多様性の減少など、私たち人間の発展が地球環境を圧迫し続けている今日において、日本で育まれた里山文化は自然と共生する知恵に溢れている。そういった里山の価値を国内外の人たちにわかりやすく翻訳し、その知恵を五感で体感してもらうための体験のデザインにフェイラン氏は取り組んでいるという。こうした活動は、どのように始まり、育まれてきたのだろうか。大阪の西成で生まれたフェイラン氏は、10代でカナダに語学留学した背景をこう語る。

フェイラン「私は在日台湾人3世です。永住権は持っているものの、選挙権はないし、一度出国すれば入国許可証がないと再入国できなかった。国に守られているという感覚が持てませんでした。

若い頃から『そもそも自分は何者なのか』という、アイデンティティクライシスに陥ってきたからこそ、“私が安心して育ち、暮らせる場所ってどこだろう?”という問いをずっと携えて生きてきました。10代でカナダに渡ったのも、世界中どこでも生きていける力を身につけたかったからでした」

フェイラン氏は英語を学んだ後、サンフランシスコにて社会課題解決型のインダストリアルデザインを学び、インテリアデザイン会社でブランディングを手掛けた。アメリカでは、デザインに従事しただけでなく、現地のカルチャーにどっぷり触れながら、なにを伝統とし、なにを継いでいくのかに向き合ってデザインすることの大切さも学んだという。

2005年に帰国してからは、京都のオムロンヘルスケアにて数々のヘルスケア商品を手掛け、利用する人間を設計の中心に据える「Human-Centered Design」の実践に取り組んだ。

京都の地でデザインに従事しながら、偶然出会ったのが京北にある築250年の茅葺き屋根の古民家だった。フェイラン氏は思い切ってその古民家を購入。これが人生の転機となった。

フェイラン「古民家に一目惚れして購入し、暮らし始めました。ただ、購入とともに京北エリアの茅刈りコミュニティにも自動的に参加することになりました(笑)。購入後に知ったのですが、茅葺き屋根は数十年に一度、葺き替え作業が必要で、毎年200束の茅を作っては、乾燥させて、屋根裏に溜めておく必要があったんです。

それで地域の方々が代々続けてきた茅を刈る作業を始めるのですが、その作業をしているとカヤネズミに出会います。とてもかわいい見た目のカヤネズミは、かつてはとてもたくさん生息していたそうですが、いまでは準絶滅危惧種になってしまっています」

人が手を入れた良質な茅場にしか生息しない、準絶滅危惧種のカヤネズミ

人が手を入れた良質な茅場にしか生息しない、準絶滅危惧種のカヤネズミ

フェイラン「古民家に暮らし始めたことで、生活サイクルのなかに自然との共生が当たり前のように組み込まれていきました。ある時、ハッと気付いたんです。これって人間が中心ではなく、自然を中心にした『Nature-Centered Design』なんだなって。

茅葺き屋根だけでなく、里山全体で合理的なランドスケープデザインが行われていて、長い時間軸で捉えた大きなサイクルのなかにいる。生物多様性や生活の知恵など、いろいろなものを次の時代に継いでいる形なんだと気づきました」

Nature-Centered Designでは、人はサイクルのなかの矢印でしかない。人が自然の中で矢印の働きをすることで、自然と人の調和的な文化が育まれる

Nature-Centered Designでは、人はサイクルのなかの矢印でしかない。人が自然の中で矢印の働きをすることで、自然と人の調和的な文化が育まれる

個人の空間とコモンズがゆるやかにつながるエコシステム

個人の空間とコモンズがゆるやかにつながるエコシステム

偶然と直感による出会いから、京北という「居場所」を見つけたフェイラン氏は、どのように地域の中で活動を広げていったのだろうか。

フェイラン「いまでも私たちの活動は地元の方からは“ようわからへん”と言われます。それでも、いい意味で空気を読まない、“エイリアン”的な立ち位置も大事だと考えています。地域の内と外をつなぐ立場として、里山にある価値を翻訳して伝えたり、さまざまなエキスパートを結びつけながら新たな価値創出に取り組んだりしてきました。

例えば、あるとき裏山でシカが死んでいたんです。そこから京北でシカによる獣害という問題があることを知り、その解決のために京北のジビエをおいしく食べて山にエールを送る、『ジビエール』という企画を毎年開催しました。問題に真面目に向き合うのではなく、参加者のみなさんと楽しく課題を学び合うほうが、あたたかいコミュニティになると感じました」

こうした活動を実践していくなかで、企業での仕事とのエネルギーの流れ方が違うと感じたという。ビジネスとは違う世界で自分と向き合ったフェイラン氏は、自分の役割は「この指とまれ」と、人が集まるきっかけをつくることなのではないか、と考えたそうだ。

里山には小さくなにかを始めるために活用できるリソースが無数にあった。そのリソースを使ってなにかのアウトプットをつくり、そのアウトプットに共感して新たに仲間が集まる。小さく始めた活動は、そうやって少しずつ育っていく。

ROOTS創業後は、働きかける対象を世界へと広げ、数々の海外大学やプロフェッショナルと共同プログラムを企画。京北と世界の交流は、地域の誇りの再生につながり、さまざまな影響を地域にもたらしているようだ。

新たな継承の形

フェイラン「香港理工大学の学生を招いて、毎年1週間の地域貢献型の教育研修を実施しています。それをきっかけに学生の一部は地域のファンになって、京北にある組み木の職人氏に直談判してツアーの2週間後に再び京北を訪れました。2ヶ月間にわたって組み木職人のもとでインターンする学生もいたんです。

京北は年々人口が減り続けていて、地域の未来に期待を持てなくなっている人も多い。そんな中で、海外の優秀な学生たちがわざわざ京北にやってきて京北の伝統文化を学んだり、『京北大好き!』とポジティブな感想を伝えたりしてくれることで、住民も『京北も捨てたもんじゃない』と誇りを取り戻すことにつながっています」

世界中の「Local Wisdom Meister」を京北に招き、それぞれのローカルに息づく知恵を学び合う相互交流の場も作っている。

フェイラン「イタリアでサステナブル建築を実践する建築集団がやってきて日本の土壁技術を紹介した際は、土壁が藁を混ぜて納豆菌を発酵させて塗っていく様子を見た彼らから“日本の家ってファーメーテーションハウス(発酵する家)なんだね”というコメントをもらいました。そういう声を聞くと“日本の古民家ってすごく健康的な素材で作られているんだな”と新たな価値に気付かされます。

また、フランスのブルターニュ地方でサステナブルな漁業に取り組んでいる方々と交流した際には、“日本の活け締め技術がすごいからライセンスプログラムにして世界に発信してほしい”と提案されたこともあります。

和食が世界的に人気になる中で、新鮮な魚を提供できるシェフの需要の高まりと同時に、活け締めの技術に対する需要も高まっているようです。このように海外のLocal Wisdom Meisterとの交流を通じて、日本国内だけでは見えてこない新たなニーズや新たなビジネスの種を発見することにつながっています」

第2回で参加者たちは、地域をフィールドワークして感じることの大切さを学んだ。これは、別の視点と出会うことでどんな発見が生まれるかの実験であり、フェイラン氏の話にもつながる。背景にある文化の差異が大きいほうが発見は起こりやすいだろうが、国内同士の出会いでも十分に可能性はあるはずだ。

TLAのプログラムを通じて、自分らしい問いとはなにかを模索する参加者にとって、自身の根源的なアイデンティティと向き合う中で、問いを立て、事業につなげていっているフェイラン氏の話は深く響いたことだろう。

フェイラン「私自身は自分のアイデンティティとはなにかをずっと考える中で、偶然京北に出会い、ここに根ざしながら国境を超えて世界とつながる働き方をしています。皆さんは、伊那というフィールドにどんな可能性を感じていますか?」

フェイラン氏の講演後は、「伊那のポテンシャルや課題をみて、興味が駆り立てられたものは?」というお題でワークショップを実施した。ファシリテーターは但馬氏が務め、参加者たちは前回のフィールドワークを思い出しながら、各グループで対話が行われた。

伊那のポテンシャルや課題をみて、興味が駆り立てられたものは?

「正しさ」ではなく「楽しさ」を。自分の思いとつながり、仲間とともに事業を広げていくために

ワークショップに続いて、但馬氏の講演に。同氏は「故郷である地球を救うためにビジネスを営む」というパーパスを掲げアパレルビジネスなどを展開するパタゴニアでダイレクトマーケティングに長年従事。19年間同社に勤務した後、ファンマーケティングや組織開発を通じて愛される企業ブランドの構築を支援するfascinateを、2019年に創業している。

同社のクライアントには、自然酒というカテゴリで根強いファンがいる寺田本家、長野県諏訪エリアで古材から新しいカルチャー創出を目指すReBuilding Center JAPANや、Webメディアの『greenz.jp』を運営するNPO法人グリーンズなど、経済性と社会性の両立を目指すような先進的な企業や法人が多い。

自身の仕事を「焚き火のようなもの」と語る但馬氏。焚き火が大きくなるには。焚べられる薪と、風が必要だ。但馬氏は、クライアントの社内メンバーの表情や関係性を見ながら、風通しを良くするにはなにができるかを考え、働きかけているという。

fascinate株式会社 代表取締役社長の但馬武氏

fascinate株式会社 代表取締役社長の但馬武氏

但馬氏のこれまでの歩みは順風満帆とはいえず、山あり谷ありだったという。そんな自身の道のりを振り返り、自身の趣味であるトレイルランを引き合いに出しながら、「走っていて、遠くが見えると安心する。人生もそうあってほしいけれど、なかなかそうはいかない。そんな自分のこれまでを共有できたらと思います」と語る。

但馬氏(以下、但馬)僕は日本人の父とポルトガル人の母が国際結婚して生まれた子どもで、いわゆるハーフとして福島で育ちました。そういう境遇もあって、日本では『外人』と呼ばれることもあり、疎外感を感じてきました。 

マイノリティとして生きてきた感覚があり、それが自分の人生を難しくさせてきたように思います。いま思い返してみると、マイノリティとして育ってきたからこそ、どうしたら日本社会で認められるかをずっと考えていて、そこから社会に貢献できる自分でなければいけない、とい うような気持ちがあったのだと思います

但馬氏は、大学卒業後に一度企業に勤めるものの、しばらくして退職し両親が経営する福島県の猪苗代にあるコテージに。3ヶ月後に東京に戻ることになりちょうどパタゴニアを着ていたこともあり「パ タゴニアで働いて、アウトドアスポーツしながら暮らそう」と考えた同氏は、パタゴニアの求人に応募して働き始めた。当時は、環境問題のことなどほとんど知らなかったそうだ。 

そのビジネスモデルに共感し入社後は仕事にのめり込んでいたという。同時に、同社が力強く展開している環境活動にも傾倒。日本支社での展開をすすめていったそう。但馬氏 は「ビジネスによって社会問題が起こるのならば、解決できるのはもまたビジネスではないかと考えて仕事に取り組んでいた」と当時を振り返る。 

しかし、この信念が揺らぐ転機が訪れる。2011311日、宮城県牡鹿半島の東南東沖を震源とする大地震と、それに伴う津波が起こった。地震の影響を受けた福島第一原子力発電所では、メルトダウンが発生。但馬氏の地元は大きな影響を受けた。 

但馬「ふるさとにも感じている猪苗代が被害を受けたことも辛かったけれど、この一件で日本のエネルギー政策が見直されるのならと思っていました。ですが、実際にはそれでも見直されるには至らなかった。これまでの取り組みへの無力感を抱きましたね。正しさだけじゃ、人は変えられないことを痛感してしまったんです」 

但馬氏の活動は少しずつ変化していく。欲しい未来を創りたい仲間が集う「home」というコミュニティの活動を始めたり個人事業主としてコンサルティングを始めることをスタート。その後、当時の伴走先であった会社への転職にもつながった。こうした活動を経て、外発的な動機よりも内発的動機を大切にし、「自分がやりたいこと」を表現していくことに強く関心があることを自覚するにいたったという。

但馬氏は「正しさで人を変えられる」と考えていたが、そうではなく「楽しさは人を巻き込むことができる」と考えるようになったと語る。

但馬氏は2019年に愛される企業への移行を支援するfascinate株式会社を創業し、現在15社ほど伴走している。その際、大切にしているのが「ビジネスの力を信じること」と、そして「その変化を加速するためにファンの力を借りること」だという。 

但馬「欧米では民主主義が浸透していることもあり、市民レベルでの社会変革が多く見受けられます。それに対して日本においてはそのような変化変革はなかなか見受けられることはなく、そもそも寄付文化も少ない傾向が強いです。そのためにビジネスを通じた変革こそが効果できてあり、ゆるやかにでも本質的な取り組みを地道に実践することが大切でそれを『穏やかな革命』とよんでいます」

穏やかな革命を起こすためには、常に本質的で刺激のある事業を展開していく必要があり、働く人々の創造性「クリエイティビティ」を発揮することが重要だと但馬氏は語る。 

しかし自社が取り組むことには限界がある。だからこそ、「自社と同じ志を持つファンの力を借りながらその渦を大きくしていくことが重要」だと但馬氏は語る。その事例として、寺田本家を挙げた。 

但馬「寺田本家は、無農薬栽培された酒米と手作業にこだわった自然酒で人気になった酒 蔵です。先代の代表が腸の病気になったことをきっかけに、当時主流であった機械的に大量生産型のモデルから昔からの行われている全てが手作業の丁寧な日本酒づくりへの移行をおこないます、つまり、酔うための日本酒から、人と人がつながり合う、人を生かす日本酒に転換しました。 

お米を無農薬米にしたことにもあり製造コストは大きく跳ね上がりましたが、その製法やコンセプト、なによりその味が顧客にも伝わって、いまでは多くのファンがいます。僕のような熱狂的なファンが大勢おり、勝手に寺田本家のお酒をアピールしてくれるので、口コミ効果は絶大です。

毎年千葉県神崎町で寺田本家を中心に開催される『お蔵フェスタ』は、人口約6,000人ほどの町に約6万人の参加者が集まりますが、その運営の多くはボランティアスタッフです。自社だけではその景色をつくることはできず、ほしい未来を実現していくためにファンとともに歩んでいるブランドだと実感します」

質疑応答の時間で事業立ち上げにおけるうまくいかないパターンについて質問が投げかけられ、但馬氏はその事業の情熱がどこからきているのかがポイントだと説明した。

但馬「自分がその事業を推進するときに、自分が有名になりたいとかお金持ちになりたいとか、自分の欲を満たすような事業展開はどこかで周囲のひととの距離がでてしまうように感じます。

しかしながら自分がワクワクして自分が表現したい取り組みを実施している事業ではその取組を進めるプロジェクトオーナーだけではなく、そこにいる人々も共感しジブンゴトとして一緒に取り組んでいく動きが多く見受けられます。

後者のほうがうまくいくなあとおもうのですが、たとえそのような気持ちで事業を始めてもうまく行かないことが発生したり恐れを強く感じたりすると、前者のように振る舞ってしまうことがあります。そのために大事な点は、恐れを感じつつも主導権を明け渡すことなく、自分の純粋な気持ちに向き合い事業のハンドルを預け続けることです」

但馬氏の講演後、「あなたがいま社会に表現しようと思っている取り組みはどのようなものでしょうか?」というテーマで二度目のワークショップを実施。テーブルに模造紙を広げ、グループごとに「社会に表現しようと思っている取り組み」を書き出していった。

 

「いま、なにを社会に表現しようとしているか?」を交換し、チームとなって問いに向き合う

ゲストの講演を聴き、「伊那のポテンシャルや課題をみて、興味が駆り立てられたものは?」と「あなたがいま社会に表現しようと思っている取り組みはどのようなものでしょうか?」という2つのテーマでグループワークを行って、参加者たちは、これまでのプログラムを通じてなにを感じ、なにを表現したいと考えているかに向き合った。

そのなかで、一人ひとりが自分自身に向き合う時間を設け、改めて向き合いたい問いや自分の思いを個人がじっくりと考える時間を過ごした。考えたことを紙に書き出し、お互いに話さずに、見せ合っていく。「話す」という行為が介在しないことで、互いにじっくりと相手の問いや思いに向き合えている様子だった。

改めて問いや思いに向き合ったあとは、これまでの活動から割り振られたチームに分かれ、最終発表に向けてどんな問いを深め、アイデアとしてまとめるかについての対話の時間となった。

これまでの3回の講座を経て、「ローカル」をテーマに、チームでどんな探求をするのか、最終発表までの1か月をどう過ごすのか、進めるにあたっての心配事はないか、といったことをチームで話していった。

グループワークを経て、それぞれチームとしてのテーマを設定。どのようなテーマが設定されたのか、順番に見ていってみよう。

1つ目のチームは、「地域活性化とは何か?」というそもそもを捉え直すテーマを設定した。

「Think Local Academyに参加して、改めて地域活性化とは何かを考えたいと思うようになりました。例えば、人はなぜある地域を好きになるのか?を考えた時に、その土地の食材を食べることでその土地自体への愛着が湧くという仮説が浮かんできました。第二の脳である腸を通じてその地域が好きになっていく可能性を考えたり、多角的に地域活性化を考察していきたいです」

2つ目のチームが設定したのは、市田柿をつくるプロセスを価値にできないか?というテーマだ。

「私たちのチームでは、伊那谷の郷土食である市田柿を残したい、という思いから企画を考えました。市田柿をただ売るのは差別化が難しいので、市田柿をつくるプロセスを価値にしていけないかを考えてみたいです。具体的には、市田柿を作っている営み、その風景そのものを商品化する方法を考えていきたい。メンバーのなかに経営者がいるので、顧問先へのお歳暮として伊那谷の風景とともに市田柿を送る、といったアイデアを考えていきたいです」

3つ目のチームは、「新しい農地のあり方ってなんだろう?」というテーマを設定した。

「私たちの間では、新しい農地のあり方ってなんだろう?という問いが出ています。農地って作物を育てるための場だけでなく、人が自然と関わりを持つ場でもあるのではないかと。人が自然に触れたいと思う、その根源的な欲求に向き合いながら、会社でもなく、学校でもなく、家庭でもない第3、第4の場所としての農地の活用方法を考えてみたいです」

4つ目のチームが設定したのは、「田舎だからこそできる体験は?」というテーマだ。

「私たちのチームでは、都市ではなく田舎だからこそできる体験の可能性を考えていきたいと思っています。例えば、稲刈り作業のように遊びと仕事が混じり合っているような田舎らしい体験を通じて、『野生』や『子ども心』を取り戻す体験プログラムについて考えていきたいです」

そして、最後のチームからは、「森と人をつなぐためには?」というテーマが共有された。

「森と人をつなぐためには?という問いが浮かんでいます。人と森がつながるだけでなく、人と人同士がつながり合う機会も減っていると感じるので、まずは人と森、人と人がつながるようなイベントを実際にやってみようということになりました!メンバーのなかに、高校生や大学生がいるので、学生も巻き込みながら、みんなで森に入ってみて、アクティビティを体験したり、焚き火を囲んで語り合ったりするうイベントを企画したいです」

参加者は次回に向けて、それぞれの問いを深めていく。最後にTLAのプロデューサーの奥田悠史氏から、参加者へのねぎらいの言葉とともに、次回に向けたエールが投げかけられた。

奥田氏「みなさん、ありがとうございました。これから1か月間は、身体を使いながら、そして、Whereの問いも大切にしながら、楽しんで問いに向き合ってみてほしいと思います」

最終回となる第4回、再び参加者たちが伊那谷に集うとき、それぞれの問いはどのように深化していっているだろうか。参加者からのプレゼンテーションを心待ちにしたい。