わずか5坪の直方体の空間には、壁の三面に並んだ本棚と真ん中に設置された平積み用のテーブル、それから小さな会計スペースのみが設置され、本屋というよりは、誰かの部屋に遊びに来たかのような錯覚を覚える。

ここは、2019年4月末、大阪、本町にできた小さな本屋「toi books」。コンセプトは本屋を“考えるため/問うため”に作られた本屋だ。

駅から歩いて約5分。問屋が立ち並ぶ船場センタービルを横目に見ながら通りに一本入る。問屋と飲食店が軒を連ねる中、「本屋」とくっきり描かれた立て看板を目印に入ったビルの一室を店舗としている。

オープンしたばかりのこの本屋について、Twitterで検索してみるとすでに店を訪れた人々の投稿が並び、「toi books」を盛り上げたい、という熱気を感じる。また、6月に入ってからはほぼ毎週イベントの予定が入っているなど、読者だけでなく作家からの後押しも大きい。

小さくてシンプルな空間から受ける印象に反し、圧倒的な存在感で人々の応援を集める「toi books」。その背景にはどんな思いや工夫があるのだろうか?

思いがけずできた“暇”が人生を変えた

磯上さん「アセンス閉店後も、閉店作業などで11月いっぱいまでは働いていたんですけど、12月から失職している状態で。でも、その時点では、自分が本屋をやる、起業する、なんてことは全く想像していませんでした」

この本屋を作り上げ、切り盛りするのが、磯上竜也さん(以下、磯上さん)だ。磯上さんは、昨年9月に閉店した心斎橋の本屋「心斎橋アセンス」の元書店員だった。

「自分が起業するなんて想像できない」。そう思っていた磯上さんの運命を変えたのは、勤め先の閉店という予想外の出来事によってぽっかりできた“暇”だった。

休みの間に、本屋をまわり、イベントに登壇したり、そこで働く書店員たちと交流深めたりしたことが、改めて“本を売る”ということについて考えるきっかけになったという。

磯上さん「一度離れて戻ってみて、本を売ることの楽しさを改めて実感しました。そのタイミングで、『百書店大賞』という賞の開催を知りました」

「百書店大賞」は各書店が大賞となる書籍を一冊選ぶ、という賞だ。参加資格は、「複数種類の本を売っている」本屋であること。なお、屋号や業務形態は問わない、というユニークなもの。

しかし、当時失職状態だった磯上さんは、参加したいと思いつつも、この資格を満たしていなかった。そこで、「参加したいけれど、本屋じゃない」とTwitterでつぶやいたところ、主催者から「屋号と今後も本屋に関わる気持ちがあるなら、本屋だと思うので」と声をかけられたそう。

磯上さん「実際に店をやるかどうかは置いておいて、百書店大賞に応募するために、まず考えてみよう、と思って出てきたのが、本屋を“考えるため/問うため”の本屋というコンセプトと『toi books』という屋号だったんです」

そして、屋号を作った矢先に、磯上さんにとって決定的な出来事が起こる。それが、心斎橋にあったスタンダードブックストアや、地元にあった天牛堺書店など彼にとって親しみの深い本屋の相次ぐ閉店だった。

磯上さん「自分にとって馴染み深い場所がなくなったことは、自分にとってかなり衝撃的で悲しい出来事でした。

でも、同時に、書店業界を面白くするために自分はどんなことができるんだろうと考えるようになって。屋号もあるし、お店が開けばおもしろくなるなとシンプルに思いはじめました」

突然の起業を後押しした応援の力

ここまで話を伺うと、「toi books」の構想から開店まで、迷いなく突き進んでいったのではないかと感じるが、磯上さん自身は不安など感じなかったのだろうか?不思議に思い、この疑問を率直に彼にぶつけてみた。

磯上さん「実際に店を開くか考えた時に、自分一人の力でなんとかするのはたぶん難しいだろうと思いました。

でも、休んでいる期間にアセンスのときにお世話になったお客さんや作家さんが声をかけてくれたり、他の書店員の方と話したりする中で、応援してくれる人がいるんじゃないか、と感じられたことが大きかったですね」

磯上さんの決意の後押しとなった人々の「応援の声」の一つにSNSの反響があったそう。実際に、「toi books」オープンのツイートには1200件以上のリツイートと3500件以上のいいねがついた。

アセンス時代からSNSの運用を行なってきた磯上さんは、読書好きの心に響く投稿をするべく試行錯誤を重ねてきたそう。

磯上さん「なんでもかんでも露出をするために、SNSを利用すればいいっていうわけではないことは経験上わかっていました。体も一つですし、いろんなことをやればそれだけ大変になる。だからこそ、それぞれのSNSの特徴を見極める、ということは意識しています。

例えば、ツイッターでは、小説や文芸の分野が反応いいな、とか。他にも投稿する時間帯や、投稿の間隔はかなり意識しています」

さらに、noteを磯上さん自身の思考整理の場として活用したことも良い効果を生み出した。

磯上さん「noteでは自分自身の思いを視覚化し、客観的に見えるように情報を整理して書くことを意識しました。

そうした中で、この店がどういうことをやっていきたいのか、が読者の方にも見えやすくなったのかもしれません。また、記事があることで、本を買うたくさんの手段の中から、選ぶ動機になるのかなと」

“ミニマム”な店舗の中のこだわりの本棚

店舗を開くことは決めたものの、出版不況が叫ばれ、ネット通販や電子書籍が台頭する今、「本屋を運営する」ことの厳しさを身をもって理解していた磯上さんが生み出した構想が、「“最小限”の本屋」だった。

磯上さん「自分がお店をするのならば、長く続けるためにも、自分自身の負担やプレッシャー、そしてリスクが少ない状態でやりたいと思っていました。そこで見つけたのがこの物件だったんです。
5坪という小さいサイズなら、経営が苦しくなっても、ダブルワークしながら続けていけるな、と」

開店当初から副業も視野に入れて、DIYで店舗を作る、という発想は、物件以外にも、店のあらゆる部分に反映されている。

磯上さん「ロゴや看板のデザインなどは全て自作です。HPはWIXの無料版を使っています。また、今後通販をはじめることも検討しているのですが、それもBASEを使う予定です。
販売する本についても、新しい本を仕入れるだけでなく、自分の家にある本も持ち込んで、古本として売り出しています」

物理的にはかなりミニマムな「toi books」だが、本屋を“考えるため/問うため”の本屋というコンセプトを具体化するために、棚一つにまでこだわりが詰まっている。

壁一面のボックス状の本棚の一つ一つのボックスにはキーワードが添えられている

磯上さん「この小さな空間の中では、当然、置ける作品の量も限られています。じゃあなんでこの店に来るんだろう?というのを考えて、本棚を作っています。

このキーワードを設定したボックス状の小さな棚は、本が大好きなわけではないけれど、本を読んでみたい人や人に連れられてきたけど、本に興味ない人、みたいに、能動的に本を選ばなそうな人を想定して作りました。

普通の本屋の棚の幅は、70~90㎝くらいあるんですけど、この棚はだいたい、40㎝くらい。まずはキーワードに興味を持ってもらえるように、本よりもキーワードを前に押し出してます。興味のあるキーワードを見つけて、その中で少ない選択肢を提示して、と段階を踏むことで本を選びやすくなるんじゃないかと思ったんです」

「本に興味がない人」を意識し、間口を広げた棚がある一方、作家たちをはじめ、コアな読書好きを満足させる展示にも抜かりはない。それが、「チェーン店ならば絶対にやらない」個人経営ならではの棚作りだ。

磯上さん「基本的には棚の流れを、売れる形ではなくて内容にそって提示しています。平積み台も、売れている本で固めるのではなく、売りたい本や関連書籍で並べたり。チェーンだったら怒られるようなことをやっているんです。ただ、いい本は売れて欲しいので、内容を加味しつつ、その中で最大限売れるような並びにすることは意識しています」

適切に本の流れを作るため、磯上さん自身も努力を怠らない。

磯上さん「書店員だった頃は、1日1冊読む、くらいのペースで本を読んでいました。店を開けてからは、忙しくてかなり読む量が減っているんですけど。
ただ、仕入れの段階である程度本の内容は把握して、聞かれたら答えられる、という状態は作っていますね」

しおりには、オススメの本の紹介文がぎっしり詰まっていて、いい本を売りたい、という磯上さんの気概が伝わってくる。

コンセプトや本棚へのこだわり、SNSの活用など、書店員時代に得た知見を活かしてきたこれまでを振り返ったところで、磯上さんは自分が本屋をやる意味、を追求し続けるべく、今後の目標を語ってくれた。

磯上さん「書店員時代からいい本が評価されない、という経験を何度もしてきたので、まずは、自分がいいと思ったものや今読まれてほしいと思った本が真っ当に売れる本屋にしたいですね。あとは、それを実行しつつ、人が一人生きていけるような状態を保っていく。これが当面の目標ですね」

取材中、終始笑顔で楽しそうに対応してくれた磯上さんの姿を見て、磯上さん自身が語ることのなかった「toi books」の人気の秘密を一つ知った気がした。

いい本を適切に読み手に届けるため、細くても、長く続けることを選んだ磯上さん。最小限だという小さな書店の中に込められた最大限の心遣いはSNSを通じても色あせることはないのだろう。

取材後、せっかくなので、磯上さんにオススメの本、を選んでもらった。

選書してもらった『ランバーロール 02』は2016年に創刊された漫画と文学のリトルプレス。漫画家の安永知澄、森泉岳土、おくやまゆかが中心メンバーとなり、0号から数えて今作が3号目となる。

「toi books」で大きく平積みされているこの本は、しかし、Amazonや大きな書店の平積み台ばかり眺めていた私にとっては初めて出会う存在で、その「普段なら絶対手に取らない本」に対する好奇心と、「磯上さんのお墨付き」という安心感で表紙もろくに見ず購入を決めた。

帰りの電車でパラパラと開いてみると、「穴」で芥川賞を受賞した小山田浩子や、少し前の飲み会で友達に教えてもらった元アイドル(4月に引退したばかり)の姫乃たまの名前があって、「見ず知らずの人だと思って話していたら思わぬ共通の知人がいた」ような気持ちになって、親近感がグッと増した。

収録されている作品はどれも少しずつ切なくて、巻頭作の「夏の光(安永知澄)」では思わず泣いてしまって驚いた。

出会わなかったはずの作品の出会いと、それに付随する思いがけない驚きは、きっとAmazonでは得られなかっただろうな、そう思うとなんだか達成感にも似た気持ちが湧き上がった。

この感じが、癖になるのかもしれない。