暮らしの場で「はたらく」とはどういうことか

最初は登壇者のそれぞれが、どのように暮らしの場における「はたらく」を実践しているのかが語られた。

「職歴の前半では少し”いそぐ”ところに、後半では“ゆっくり”としたところに軸足を置いた道のりだった」と自己紹介したのは、クルミドコーヒー/胡桃堂喫茶店 店主の影山 知明氏だ。

クルミドコーヒー/胡桃堂喫茶店 店主の影山 知明氏

1973年に西国分寺に生まれた影山氏は、大学卒業後はMcKinsey & Companyを経て、ベンチャーキャピタルの創業に参画。そして2008年、西国分寺の生家の地に多世代型シェアハウスの「マージュ西国分寺」を創設し、同建物一階に「クルミドコーヒー」をオープンする。2012年にはクルミド出版を立ち上げ、同レーベルからは2018年、自身の著書『続・ゆっくり、いそげ』も発刊している。

影山氏「お店をやっていれば、お客さんが増えていき、仲間のお店もできる。そうして地域のご縁が広がって、土地に根ざしていくんです。その結果として、地域通貨『ぶんじ』の発行や、畑仕事や掃除、ごはんづくりなどを共にする家賃3万円のまちの寮『ぶんじ寮』の創設などにつながっていきました」

ただ、影山氏は「あえて名前をつけるなら一つの“まち”や“コミュニティ”という言い方になるのかもしれないが、“コミュニティ”という言葉遣いがあまり好きではない」とも付け加えた。

影山氏「言語体系や習慣、文化をコミュニティに『合わせなければならない』となると、不自由だなと思っています。

特に国分寺はかつてヒッピーが多く暮らしていた土地でもある。ですから、国分寺には『自分が自由でいたいなら、他の人が自由でいることを尊重しないといけない』という共通言語があるような気がしています。その中で何かが起こったり、起こらなかったりする。

そうした文脈も踏まえると、国分寺を一つの集合体として語ることはできないと思うんです。一人ひとりが好き勝手にのびのびできる環境を、大切にしたいと考えています」

日本仕事百貨 代表 / 株式会社シゴトヒト 代表取締役のナカムラケンタ氏

続いて自己紹介するのは、日本仕事百貨 代表 / 株式会社シゴトヒト 代表取締役のナカムラケンタ氏。

同氏は2008年8月、「生きるように働く人の仕事探し」をコンセプトに「日本仕事百貨」を立ち上げた。2013年7月には東京・虎ノ門に「リトルトーキョー」をオープンし、現在は東京・清澄白河に移転。現在、同スペースの3階「あのひと」では、昼・夜に一日店長が入れ替わりでコーヒーやお酒を提供している。

リトルトーキョーに関わる人たちの間では、「それぞれがどんな仕事や暮らしをしているのか、なんとなくわかるような人間関係ができている」という。

ナカムラ氏「リトルトーキョーではさまざまな興味関心を持った方々が混ざり合っており、ときには衝突が起きることもあります。でも、それがおもしろいんです。そうしていつも顔を合わせている人たちなので、小さな地方都市のように、お互いのことをよく知っている繋がりが生まれています」

このナカムラ氏の紹介に対して、「今回のセッションは『ポスト資本主義の仕事論』という大きなテーマですが、もっと身近な、例えば散歩で会う人との関係性が良好だと幸せですよね」と応答したのは、モデレーターを務める、PARADE株式会社 取締役 / 有限会社BACH 代表・ブックディレクターの幅 允孝氏だ。

幅氏は「時間の流れの遅い場所をつくりたい」という想いのもと、2023年京都に私設図書室 兼 喫茶「鈍考 donkou/喫茶 芳」を設立。京都の住宅街に建設した「鈍考」に対して、住民は当初は不信感を抱いていたが、実際に店に招いて丁寧に説明していくと、反応が変化していったという。幅氏は関係が変化したことを実感したあるエピソードを共有した。

幅氏「毎年夏になると子どもたちが地蔵への飾りつけなどを行う地蔵盆があり、子どもたちには文具やお菓子が返礼品として贈られていました。しかし、住民の皆さんへの説明を契機に、『本を返礼品にしたい』と選書のご相談をいただいたんです。その本に関して児童公園でブックトークまで行ったら、周りで散歩する人たちの声が優しくなったような感覚があります」

会社や職業に休日はあっても、「生き方」に休日はない。

地域に暮らす人々と関わりながらはたらく両氏は、「はたらくこと」と「生きること」をどのように捉えているのだろうか。幅氏は「『休み』の定義はお任せしますが、休みは月に何日ありますか?」と尋ねた。

ナカムラ氏は「休みと仕事が明確に分かれているわけではなく、常に自分の時間という感覚」だという。

ナカムラ氏「会社は土日休みですが、僕個人としては休みの日でも仕事のことは考えているので、『休み』ではないような気がしています。ただ、それはやらされているのではなく、やりたくてやっているので、ポジティブに捉えています。土日は誰からも連絡がこなくて、集中してやりたいことができるという意味では、『休み』なのかもしれませんが(笑)」

影山氏はナカムラ氏の発言に大きく頷き「職業には休日があるが、生き方に『休み』はない」と語る。「僕が肩書きにしている『カフェ店主』は、職業かと言われるとあんまりピンとこなくて、『生き方』というニュアンスが含まれています」と影山氏。

そこで幅氏は、影山氏の著書『ゆっくり、いそげ ~カフェからはじめる人を手段化しない経済~』(大和書房, 2015)よりあるストーリーを引きながら、「働いている/休んでいる」を完全に分けることの問題について語った。

幅氏「クルミドコーヒーには、自由に食べることができるくるみが、サービスとしてテーブルに置いてありますよね。お客さんは『消費者』として支払いに対するなるべく多くのリターンを求めて、くるみをたくさん食べてしまうのではないか……と思いきや、実はそうではないんです。クルミドコーヒーのお客さんは、『その場を成している一人として、自分は何を与えられるのか』という“受贈者”的な人格を持っているように感じました。

『与えるもの/与えられるもの』や『はたらいているとき/休んでいるとき』とはっきり立場が分けられたら、休んでいる時は『消費者』として貪欲になろうと思ってしまう。その結果としてカスタマーハラスメントのようなものが生まれているのではないか……といったことまで影山さんの本で書かれており、今回の話題にも通ずるように思います」

影山氏「人びとの多くは、ほとんどの時間を、社会的に定義された肩書きや役割のもとで生きているのだと思います。だから多くは店に来るときも、『お客さん』という仮面をかぶって入ってきてしまう。だからこそ、お客さんとの出会いの中で、私とあなた——つまり、一人の人間同士として出会えるようにできるかどうかが大事だと思うんです。

仕事を『社会的なシステムの中にある肩書き』だとすると、休みは『肩書きから外れることができる日』とも捉えられますが、僕もケンタさんも、そもそも社会的なシステムの中には埋め込まれている感覚があまりない。だから逆に、毎日が『休み』だという言い方にもなるのかもしれません」

「避難所」ではなく、次の一歩を見つけるための「根城」を

「生きる」と「はたらく」が混ざり合うナカムラ氏と影山氏。両氏のような「生きるようにはたらく」は、いかにして実現されるのか。

ナカムラ氏は「チャレンジして、自分にとって収まりの良い場所を探していくことが重要」だと語る。同氏はさまざまな分野で活動する人がカフェやバーの一日店長を務める「あのひと」を例にあげた。日常とは異なる接点が生まれることで、新しい役割を見つけることを促している感覚があるという。

ナカムラ氏「一日店長を務めた人がまた後日、お客さんとして遊びに来ることも多いです。次第に他のお客さんと知り合いになり、場所との距離が埋まっていく。そうして『お店/お客さん』の関係性が混ざりあった場所に身を置くことで、自分の居場所になっていきます」

重ねて影山氏は「カフェが『根城』のような存在になれば、次に向けての一歩が見つかりやすくなる」と語る。

影山氏「カフェは自分の時間を取り戻すための『避難所』だと言われることがあります。カフェでゆっくりすることで、元気になって帰宅するというわけです。ただ『避難所』というニュアンスに表れているように、自分の時間を刻みはじめても、翌日には組織の時間を生きる自分に戻ってしまいます。

しかしカフェが『根城』のようになれば、一時的な避難ではなくなる。その場で密度の高い時間を過ごし、いろいろな話をすることで、次に向けた一歩が見つかる……そんな場所になるのではないでしょうか」

両氏の話を聞き、幅氏は「時間の流れを選べることが重要になりそうですね」と加えた。

PARaDE株式会社 取締役 / 有限会社BACH 代表・ブックディレクターの幅 允孝氏

幅氏「鈍考を見ていただければわかるのですが、いわゆる“田舎暮らし”を目指しているわけではないんです。スピードの速い東京での仕事を続けていて溺れてしまいそうになったとき、少し時間の流れの遅い場所に行って、ゆっくり本を読む。そして、エネルギーが充電されたら、また走ってみてもいい。そのように身を置きたい時間の流れを選べる状態を確保しておくことが大事なのかなと、お二人の話を聞いていて思いました」

業務の標準化はしない。仕事に「魂を込める」ために

ここまで個人が豊かに「はたらく」ための道筋について議論してきたが、そんな個人が健やかに「はたらく」状態を実現するために、会社はどうあるべきなのだろうか。話題は、二人が経営者として大切にしていることへと及んでいった。

この点に関して、「フェアでフラットな第三者の存在」が重要だというナカムラ氏。例えば、働き方研究家の西村 佳哲氏に会社のファシリテーションをしてもらっていることで、社内のコミュニケーションが改善され、結果として業績アップにもつながっていったことがあるという。

ナカムラ氏「経営者と従業員って、親子のような関係になりやすいです。言葉足らずだったり、甘えが生まれたり、真意が届きにくい場面がある。そこにフェアな第三者が入ることで、従業員も安心してコミュニケーションできるようになるから、いろいろな意見が出てくるんです。

ただ、ここで言う第三者は、経営者の代弁をするような人では意味がありません。とにかくフェアにコミュニケーションできる人にお願いする必要があると思います」

一方、影山氏は「魂を込められる仕事を見つけることが大事だ」と語る。ある時、クリスマスシーズンだけビーフシチューを出していたクルミドコーヒーで、ビーフシチューをつくっていたスタッフが退社することになったという。その際、丁寧にレシピを残してくれていたものの、「その人がいなければ、同じものをつくることはできない」と提供をやめる決断をしたという。

影山氏「レシピ通りにつくれば、味そのものは近いものが再現できるだろうとは思いました。でも、人の心に届けるには、つくり手の存在が感じられることが大事だと思うんです。魂がこもっているから、感動してもらえる。魂が込められていないビーフシチューのメニューを残し続けるよりも、今いる一人ひとりが魂を込めてできる仕事を見つけていくことの方が、お客さんに喜んでもらえると思いました。

経営においては慣性が働くので、これまでの業務の延長線上に未来を考えてしまいがちです。そのため、多くの場合では仕事が固定化され、標準化が進み、そこに人を当てはめて業務フローをつくることになる。しかしそうではなく、その都度その時にいる人に目を向けて、一人ひとりが魂を込めることができる方法、メニュー、業務を考えていくことが大事だと思います」

「生きている情動が感じられない」未来に、「はたらく」はどう変わるか

トークの終盤では、急速に変化し続ける社会の中で、これから「はたらきかた」や企業はいかに変容していくのかについて語られた。

まずナカムラ氏は「助け合うことができる“拠り所”となっていくのではないか」と語った。

ナカムラ氏「社会変化のスピードが速まる中で、はたらく人が疲弊している実感があります。だからこそ、困ったときに支え合うことができる会社やチーム、コミュニティ、ご近所さん……そうした拠り所が大切だと思うんです。

拠り所となる組織にするためには、メンバーがオープンに一緒に考える機会が必要だと思います。大きな組織であっても、各チームに裁量を渡して、チームのみんなで考えるようになるといい。そんな組織が求められていくように思います」

続いて影山氏は、これから社会が迎えるであろう2つのステージを提示した。1つ目は「ブラックステージ」だ。

影山氏「自らがやりたくて選んだ仕事も、気がつくと人員が減らされ、同じ業務量をより少ない人員でこなすよう求められる。そんな仕事を楽しめないブラックな環境でも、多くの人は残らざるを得ない。理由はシンプルに言ってしまえば『お金』です」

解決策があるとすれば「お金に頼るのを半分にすればいい」と影山氏。そして、使うお金を減らすための処方箋として①「あるものを使う」②「社会関係資本を取り戻す」③「自分たちでつくる」の3つを挙げた。

そして2つ目、ブラックステージの次の未来は「透明」であり、そうした社会が到来することへの懸念と展望を述べて、影山はセッションを締めくくった。

影山氏「はたらく環境が改善され、ストレスのない職場が増える。待遇にも恵まれて満たされた気持ちになる一方で、一人ひとりは代替可能な存在となる——つまり、個人の存在が透明になるということです。決められた仕事をご機嫌よくこなしてくれる人がいてくれれば成り立つ、そんな社会構造になるのではないでしょうか。

そういった『透明』な社会では、恵まれているような気はするけれど、生きている情動は感じづらくなる。だからこそ、欲望や情動、怒りといった感情がいっそう大事になってくるのだと思います」