軍事的世界観のツールを活用しながら、冒険的世界観へ

セッションはまず、安斎氏・山下氏がそれぞれ自社での取り組みを紹介しながら、論点が挙げられていった。

安斎氏は、MIMIGURIのコンサルティングにおける特徴として、効率や生産性向上に向けたいわゆる前時代的なマネジメントではなく、人の創造性・主体性・コラボレーションを重視している点を挙げる。このセッション全体を通底する重要なキーワードとなったのが、「『軍事的世界観』から『冒険的世界観』への変遷」だ。

もともと学習論など、経営学以外の領域を専門としていた安斎氏は、「経営学の知見を見たときに、戦争的なワード・思想・価値観を前提にしていることに違和感を感じた」と振り返る。ここで定義したのが、戦争における戦略・戦術や軍隊のマネジメント手法を下敷きとした組織のあり方、つまり「軍事的世界観」だ。一方、会社中心の生き方が問い直された現代では、会社・個人の双方が働く理由や生み出す価値にフォーカスする「冒険的世界観」へのシフトが進むと安斎氏は指摘する。

一方、ヨコク研究所を擁するコクヨは2025年で創業120周年を迎える歴史を持つ。山下氏は「様々に事業を展開してきたが、次の時代にどの方向に進むべきかにとても悩んでいる状況」と明かし、未来の社会で同社が担うべき価値を体現すべく「be Unique」と企業理念を刷新したことも紹介した。同社では一人ひとりの個性や能力を重視し、クリエイティビティを引き出し合う「自律協働社会」を目指し、パーパスも「ワクワクする未来のワークとライフをヨコクする。」と打ち出している。

ヨコク研究所はこうした背景をもとに、「声に出してみることから未来が始まる。もっと個人が光り輝ける状態を作るために、まず社会に対してヨコク(予告)してみる」(山下氏)ことを理念とする。これに向け、同研究所では世界各国ですでに起こっている新しい社会的実践についてリサーチし、「自律協働社会」の解像度を高めながら、社内外のファンと共に社会変容を刺激している。

MIMIGURIの安斎氏

二人の導入を踏まえ、中川氏は「そもそも、働くことや会社組織というものが無かった時代もある。まずは時代による変遷を紐解きながら議論をしていきたい」と問いかけた。安斎氏は「歴史をたどってみると、会社は元々すごく冒険的だった」と指摘。東インド会社を例に、リスクを冒して新たなフィールドを開拓し、資源や価値を見つけていくというアントレプレナーシップが元来会社組織には備わっていたという。

安斎氏「冒険的だったものが、大量生産の時代になったことで、いかに生産や組織の管理をするかというマネジメント要素が強まっていきました。そこに、同時代的に発展してきた戦争の考え方がアナロジーに結びついて、夢のある営みだったはずが、従業員の道具化が進んでいったと言えます」

中川氏はその裏で、「軍事的世界観」の持つポジティブな要素にも注目する。たとえば、現代でも10人以下の小グループがマネージャーの目が届く適切な単位とされることが多いが、これは戦争における小隊の考え方と類似している。こうしたマネジメントのあり方として、命の取り合いを前提に考え抜かれた戦争における組織論は、一定程度信頼ができるのではないかという視点だ。OS=経営方針をアップデートしながら、必要に応じて過去のアプリケーション=マネジメントのノウハウを活用していくべきという視点が会場に共有された。

氏神的性質から出発した、日本的会社の概念が持っていた「良さ」

そもそも「会社」という言葉のイメージは日本独特のものだとも言える。山下氏は、多くの場合「社会人=会社人」として認識されることを例に、会社で働くということが当たり前であるという日本特有の意識について考える。

山下氏によれば、明治以前は「社」という漢字が氏神のニュアンスを持っていて、「社会」と「会社」は氏神を守る地域の集まりを指すものとしてほぼ同義に存在していたという。

山下氏「明治以降の西洋化の流れの中で、『ソサイエティ』の訳として『会社』『社会』を使用するようになり、最終的に『社会』が訳として定着してからも、『会社とは、土着的でウェットな、家族的なもの』のイメージが現在まで残っていると考えられます」

ヨコク研究所の山下氏

それでも、個人の価値観はコロナ禍での強力なリフレクションを経て、大きく転換している。キャリアにおいて自己実現の優先度が高まることは、副業や兼業、フリーランスなど多様な働き方を後押しすることになり、人材の流動化につながる。こうした中で、会社はどのように変化していくべきなのだろうか。

冒険的世界観がはらむ矛盾について、安斎氏は「従業員が一つの会社に長く在籍しなくなることで、より道具的に人を扱う力が増すのではないか」と危機感を示す。伊丹紀之氏の著作「中二階の原理」を引用し、もともと日本的企業はトップダウンでもボトムアップでもなく、終身雇用の暗黙の約束の中で経営者と従業員の距離が近く、人を重んじる性質があったのではないかとの問いも会場に投げられた。

安斎氏は「MIMIGURIにおいても、あえて終身雇用する場合に近いマネジメントを採用しようとしている」とも明かし、従業員側はそれぞれの価値観を重視して流動的に動くが、組織側はあくまでも定年まで働けるようなウェットな風土づくりを進めることで、組織も冒険的になるのでないかと仮説を立てる。

山下氏は、欧米と日本の価値観の違いの例として、ある調査結果を紹介した。人生をテーマにベン図を書いた際、欧米ではまず人生という円の中に他のいくつかの要素と共に仕事を書く一方で、日本では人生と仕事がほとんど同じ大きさの円のように重なることが多いというのだ。

山下氏「日本では伝統的に働くこと自体が目的化していると言えます。欧米的なウェルビーイングは個人の状態を考えるが、アジア的な幸せは共同体の幸せが優先される。会社と人生が一体となっている時代はある意味それで良かったが、コロナ禍で会社を物理的に離れることで起こったリフレクションを経て『私の人生って本当にこれで良かったんだっけ』と考えざるを得ない状況になりました。自分の人生を自分でどう構築していくのかという問いが喉元に突きつけられている状況は、欧米においては自己決定の喜びにつながるが、日本では、焦りやしんどさが顕著に表れ始めているのではないでしょうか。

何でも選べる、何でもできるということは、『できないと言えない』ことでもある。哲学者ビョンチョル・ハンの言ういわゆる「疲労社会」という状況です。自分の可能性をどこまでも追求させる社会では、個人がバーンアウト(燃え尽き)してしまい、自分を蝕み続けてしまうことになりかねません。どこでどう歯止めをかけるのがちょうどいいのか、解決が求められています」

あらゆる人が直面するアイデンティティの悩み

「ブラック企業では疲弊してしまうし、ホワイト企業では成長機会を失っているような焦りも生まれる」(中川氏)。選択肢が多様に存在する社会が望ましいとはいえ、無限大の可能性の中から自分で生き方を選択すること自体が過酷で、バーンアウトにつながりかねない。

また、若い頃はプレーヤーとして自己実現ができていても、年次を重ねる中でマネージャーの役割にシフトしたり、家庭を持ったことでプライオリティが変動したりするという、中年期のアイデンティティ・クライシスも顕在化しつつある。

あらゆる人がアイデンティティの矛盾に悩まされる時代と言えるこの状況の落とし所は、一体どこにあるのだろうか。

PARaDEの中川氏

セッションの中で挙げられたヒントは、自分と向き合って能動的にリフレクションするためのケアの時間の重要性だ。安斎氏は「転職する理由が言語化できないままに転職活動を行う」ケースや、「変わりたいから転職するのに、ビジョンが不明確であるため前職で得意だったことをPRせざるを得ない」ケースを紹介。「強制的にリフレクション・自己内省する時間が確保できれば、進みたい方向性をキャリアとして実現できるようになるのではないか」と示唆した。

山下氏はキャンセルカルチャーを例に、個人に一貫性を求める社会の力学がキャリアにおいても働いていることに注目する。欧米では個人が持つ職能を活かして、組織が変わっても役割は変化しない「横のメンバーシップ」が主流だが、日本では、大学で学んだことと関係ない職種に就いたり、会社内で様々な仕事を経験したりする「縦のメンバーシップ」が存在する。山下氏はこれを、日本社会や企業の良さとして捉えようとする。

キャリアに一貫性がなくとも、自分の存在自体を許容できる場として会社を利用できる。むしろ、そうした人材の「中途半端なアイデンティティ」こそが、価値観の違う従業員同士をつなぎ、部門を横断したイノベーションを生み出せる可能性すら見いだせる。そうした自分自身の強みを認識するためにも、やはり自己内省の時間を十分に確保することは不可欠と言えるだろう。

働く場所もルールも、自分の内的動機に合わせてハックする

働く場所の歴史的変遷についても議論は広がった。山下氏は「近代的な働く場の起源はテイラリスト・オフィス」として、産業革命時、大量生産に伴う大量の伝票処理作業のために一箇所に人を集め、情報処理を高速で回すために生まれたのがオフィスの始まりだと紹介する。

効率を高めるために、従業員を後ろから監視・監督する設計が生まれたり、ストップウォッチで工場労働者の作業時間を計測したりするなどの仕組みも生まれるなどの「奴隷制的なマネジメント」が生まれたが、戦後のヨーロッパを中心に、次第に職場の豊かさや人間的な場作りが重視されるようになった。

そしてインターネットの発達によって働く場がオフィスに限定されなくなった上で、現在では、ワークとライフの境界線も曖昧になり、従業員側が自分でコントロールすることを求められる時代になった。つまり、場所の観点からしても「自分がどう働きたいのか」を自分でデザインする必要に迫られているというのだ。コロナ後の米国大手IT企業ではオフィス回帰を求める動きもあるが、従業員側が反発して制度設計を提案するなど、働き手主体の傾向が強まっている。

ここまでの議論を踏まえてセッション終盤のキーとなったのは、「内的動機と外的価値の整合によって自己実現が生まれる」との考え方だった。組織のあり方も、働く場所のあり方も、時代とともにルールが変わり続けている。安斎氏は「働くルールは、軍事的世界観で言えば成約になるが、冒険的世界観においてはカルチャーを共創していく指針になる」とルールの表裏一体性を指摘する。

従業員側が「ルールをハック」することもできる。人事のアサインにおいて、アンオフィシャルな場であっても自分の希望を伝え続けていれば、組織の決定を左右することもあるし、会社から提示された目標内容を、自分が取り組みたい内容に紐づける方向に自ら働きかけることもできる。従業員側が適切にルールをハックすれば、内的動機の実現が、外的にも価値であるように整合させられることが示唆された。

このセッションの中だけで、これからの時代の働き方のデザインに結論は出ないし、働き手が持つアイデンティティの悩みが解決できるわけではない。ただ、組織側も個人側も共通するはずの「幸せ」の形を両者がすり合わせ、歩み寄る対話プロセスこそが重要だろう。

互いに柔軟性を持ち、自分なりのライフスタンスをデザインできる自由度を持った組織が当たり前になるために、一人ひとりが希望を持って考え続けるきっかけとなったセッションだった。