複雑な「地域の課題」を、単純化しないで考える必要性
Think Local Academyは、信州大学が内閣府の助成を受けて進める「アグリ・トランスフォーメーション(農X)を実現する信州農X実践フィールド」事業のひとつとして立ち上げられた企画だ。
DX、CXといった“変革”を象徴するトレンドになぞらえた「農X」という新たな造語。ここに込められているのは「大学の研究成果を、もっと有益な形で社会実装していきたい」という切実な願いだと、宮原氏は語る。
宮原大地氏(以下、宮原):
信州大学が拠点としている長野県にとって、農業は重要産業です。そして、多くの地方都市の例に漏れず、耕作放棄地や担い手不足などの課題を抱えています。その解決にあたって、大学が持つ先端知、先端技術をもっと効果的に活用できるはずだ……という思いが、ずっとあったんですね。
本学は主に材料研究の分野を中心として、世界的にもフロンティアを先導していけるような施設・人員を多く有しています。これらのリソースを、信州の豊かな資源、そこに住まう人々の営みと繋げることで、地域課題を根本から問い直し、農林業に新たな明るい変革=“農X”をもたらしていきたい――そんな意気込みをもって、農X実践フィールドの事業は走り出しました。
農林業という広く深い分野での課題解決を目指すには、特定の分野だけに捉われないさまざまな知恵が必要です。農Xの実現のために、領域横断的な生きた学びを得ながら、広大な信州全体をフィールドに「問い」の発掘と課題解決を実践する場を作ろうと起案されたのが、このThink Local Academyなんです。
Think Local Academyは「問いの立て方」を学ぶことに重きが置かれている。宮原氏が語ったように、すでにさまざまな“解決すべき地域課題”が顕在化している中で、なぜあらためて課題設定の手法にフォーカスするのか。その意図について、講座の設計・コーディネートを担当したやまとわの奥田氏は、次のように説明してくれた。
奥田悠史氏(以下、奥田):
いま議論されている問題が“地域課題”として提唱され始めたのはずっと前で、すでにいろんなアプローチが試されています。けれども、いまだに抜本的な解決には至っていないケースがほとんどです。
どうしてなんだろう……それはきっと「問いの立て方が表面的だから」ではないかな、と。見えているもの、見えやすいことだけで課題を設定するから、解決策も場当たり的になってしまいがちだと感じます。
だからこそ、本気で地域の課題解決に向き合うなら、もっと深く目の前の現実、地域社会に潜って「そもそもなぜ課題が発生しているの?」「その背景の奥のほうに、解きほぐすべき絡まりがあるんじゃないか?」「そもそも、どんな未来に近づけると嬉しいんだっけ?」と思考を巡らせ、“既存の問い”を問い直すところから始めるべきだと思うんですよね。
問い方を学び、既存の問いを問い直す――このアイデアを奥田氏から初めて聞いたとき、宮原氏は「それこそ本講座の目指すべき方向性だ」と深く共感したそうだ。
宮原:
たとえば、担い手不足の課題に対して「ドローンを活用して人手不足を補う」アプローチをするのは、たしかに目の前の問題は解決するし、間違ってはいません。けれども「本当に解消したかった課題ってそれでいいんだっけ?」「そう対処したことで、望む未来には近づけているの?」とあらためて問うてみると、多くの場合がNOだと思います。
「担い手不足」や「耕作放棄地」などと、言葉にしたらシンプルに言い切れてしまうものでも、その背景にはたくさんの地域の課題が複雑に絡み合っているものです。現実に浮かび上がってきている問いを、無理やり単純化せず、複雑なまま受け止めて解きほぐす胆力こそが農Xには必要なんだと、奥田さんと対話をしながら痛感しました。Think Local Academyは、そんな力を座学と実践を交えて、しっかりと養える講座になっていると自負しています。
目指すは「社会のツボ押し職人」の養成
複雑なものを複雑なまま受け止めること。それと共に、奥田氏は本講座のプロデュースにあたって大切にした姿勢として「全体の循環を捉えること」を挙げた。
奥田:
自然界の循環は本当に複雑で、それなのに「誰も我慢をしていない」ようにできているんですよ。それぞれが懸命に生きようと活動し、その結果が次の良好な循環を生み出すドライバになっていて。すごいシステムだなと思うし、「こんなに複雑でもそれが可能なんだ」って希望をもらえるんですよね。
地域課題を考える上でも、局所的な現象にフォーカスせずに「ここにも大きな循環があるんだ」という前提で捉えるのが肝心で。いろんなものの相互作用のバランスを整えられたら、人と自然との関係、人と人との関係の中にも、正しい循環がきっと生まれるはずなんです。
全体の循環を捉え、アプローチすべき問いを立てる場所を見極める。そのプロセスを、同氏は「ツボ押し」になぞらえて表現した。
奥田:
たとえば、手足には「胃腸が悪い時に効くツボ」「肩こりに効くツボ」とかってあるじゃないですか。複雑な課題と向き合うとき、この“ツボ”の考え方って、ものすごく有効だと思っていて。一見、元の問題とは全然離れているように見えても、複雑に繋がっている要素を見極めてツボを押すことで、全体がよくなる……ということは現実でも結構あるんですよ。
この「ツボを押す」という感覚は、やまとわの活動でとても大事にしていることなんです。既存の問題すべてを個別に解決していこうとすると、それこそ膨大な時間と費用が必要になる。小さな会社、小さな個人で社会にアプローチしようとするなら、ツボ押し職人のように「ここをどうにかすれば、循環が整って、全体がよくなる」というツボを探すのが、すごく効果的なんです。
複雑な繋がり、ネットワークの中に、全体の流れを整えるカギとなり得る“ツボ”がある。これは何も奇抜な比喩ではなく、学術的にも是とされている捉え方[1]だ。この「ツボ押し職人」という表現を、宮原氏も気に入っているようだ。
宮原:
「おなかが痛くなった時に痛み止めを飲む」というのはいわゆる対処療法で、一時的に楽にはなるものの、根本の痛みの原因には何もタッチできていないんですよね。そんな場当たり的な対応の限界を超えて作用するのが“ツボ押し”であって、今まさに地域に求められているアプローチなのだと感じます。
それでいうと、大学の研究者というのは、さまざまな「ツボを押す技術」を持っている存在でもあります。この力を生かすために、研究室から出て社会と関わりながら「自分の持っている技術が一番効くツボを、新たに探し出す技術」こそが、研究室に不足しがちな要素ではないかな、と。
本講座がそれを補っていくことで、研究者たちは多様な研究の生かし方ができるようになって、現状を打破するようなイノベーティブな発想や事業が、きっと増えてくるはず。私はこの講座を「従来の大学の研究の在り方を、一段上に押し上げる挑戦」のようにも捉えています。
新しい問いと希望を探しに、フラスコの外に飛び出して
Think Local Academyは「ローカルデザイン思考」「ローカルデザイン実践」「興味を見つけるワークシショップ」という3つの座学の場と、およそ1カ月に及ぶ「リサーチとフィールドワーク」で構成される。これらのカリキュラムを通して「地域のリアルな課題感を、社会の言葉ではなく、自分の言葉で捉え、表現する力を身につけてほしい」と、奥田氏は願う。
奥田:
今だけを見るのではなく、「過去なぜそうなってきたのか」から現実を捉える。そして、「未来ではどうなっていてほしいのか」という自らの意思、願望に照らし合わせながら、望む社会をデザインする技術を学んでいけるよう、講座を設計しています。
地域の課題解決って、楽しいことばかりではなくて。どちらかと言えば、苦労の連続です。それを乗り越えるには、自分の熱量が本当に大事になってくるんですよね。それは、借り物の言葉だけで考えていては、湧いてこないものです。
自分がワクワクするポイントはどこなのか、地域の人たちの声を聞いた上で、それを自分の中で反芻させて、自らの心の声を聞くこと。どのツボへのアプローチなら、どんな未来を目指すなら、心を燃やせるのか。深く潜って考えて、見つかった自分の心からの声をまた周りに伝えて、関わる人みんなで一緒にワクワクできるポイントを探していく……短い期間ですが、そんなプロセスを体に染み込ませる学びの場にしていきたいですね。
みんなでワクワクできるポイント――言葉にすると底抜けに平易だが、これこそが地域の課題解決で疎かにしてはいけない点だと、両氏はそれぞれに実感の伴った言葉で強調した。
宮原:
どんなにすごい技術を持っていても、その土地で実際に暮らしている人々の思いを疎かにしていたら、地域の課題解決なんて絶対にできないんですよね。シンプルに、関わる人たち全員が「それいいね!やっていこう!」と気持ちを一つにできるかどうか。そのためのすり合わせを、時間をかけてできているかどうかは、本当に大事な視点だと思います。
奥田:
特に産学官の連携などでは、ひとりでも義務感を感じていたり、我慢をしていたりすると、本当に話が前に進まないですよね(笑)。逆に、目指すべきビジョンにみんなが共感していたら、面白いように話が進んでいくことが多くて。関係者の思いがひとつに集約できるような問いが、この講座から生まれてくれたらうれしいですね。
宮原:
そうですよね。最終発表の場で筋のよい問いが出てきたら、実際に予算をつけてプロジェクト化する可能性も視野に入れています。また、講座の中で養った力が、今後の研究や仕事に生かせるかもしれないし、起業の原動力に繋がるかもしれません。そうしたよい兆しをそのまま温められるように、講座が終わった後も、関わった人たちのコミュニティは何かしらの形で残していきたいなとも思っています。
みんなのモヤモヤから、みんなのワクワクを発掘する。仲間と共に
最後に、どんな人たちにこの講座に参加してもらいたいか、両氏の思いの丈を語ってもらった。
奥田:
言葉に成り切らない違和感や不安を抱えている人たちに来てもらいたいなと。そういうモヤモヤって、この講座で大事にしたい“複雑さ”に対して真摯でいるからこそ生まれるものだと思うんです。
現実は複雑すぎて、ときには自分の無力さに途方に暮れてしまうこともあります。しかしながら、複雑に関係し合って循環しているからこそ、小さな自分にも担える役割が、発揮できる力があるんです。そんな気づきを提供し、エンパワメントできる場にしていきたいです。
宮原:
奥田さんの言葉と少し重なるかもしれませんが、自分の今の、そしてこれからの立ち位置に悩んでいて、「このままでいいのか?」とは思っているんだけど、それを語る仲間が周りにいない……そんな人たちに届いてくれたら嬉しいです。
そのモヤモヤに対して、Think Local Academyの中で立てるべき問いや答えが見つかるかは、正直わかりません。それは、そう簡単に見つかるものではないと思っています。
ただ、同じような思いを抱えた人たちがここに集まってきて、新しい繋がりと循環が生まれることで、きっと何かが、いい方向に変わるきっかけになるはず。それは、まだ開講されていない今の段階でも、確信を持って言えることだと感じています。
ふたりの声は明るく、なんだか耳に心地よい。複雑さと向き合うことを、その大変さも引き受けた上で、全力で心から楽しもうとしているのが伝わってくるからだろうか。聞いているだけで、自ずとその輪に加わりたくなる。
複雑さに触れ、自分の言葉で世界を掴むこと。全体の循環を感じ、その中で自分だからこそハマれる問いを探すこと。見つかるまで一緒にとことん悩む仲間と出会うこと――この講座で得られるもの自体も、きっとここで語られた言葉以上に、もっと複雑で、だからこそ豊かなものになるはずだ。
Think Local Academy 開催日程 / カリキュラム
DAY1 : 9月23日(土)13:00- 17:00
『「地域の社会課題」を紐解く』
ファシリテーター : 奥田 悠史
ローカルデザイン思考 講師 : 小田 裕和
DAY2 : 11 月3 日(金祝) 9:30- 18:00
『自分起点で社会課題に向き合う』(2つの講座を実施)
ローカルデザイン実践
講師 : 下苧坪 之典
興味を見つけるワークショップ
講師 : 植山 智恵
Research : DAY2終了からDAY3前日まで
『問いを見つけるフィールドワーク』
リサーチとフィールドワークの実践
(期間中、信州大学教授、講師、チューターがプロジェクトサポートに入ります)
- DAY3 : 最終発表 12 月9 日(土)13:00- 17:00
『深層的問いとフレームワークの発表』
講師 / 総評 : 奥田 悠史、小田 裕和、植山 智恵
Think Local Academy募集要項
▼定員
20名前後
※応募が定員を超えた場合は応募理由にて選考し、決定通知日にお知らせいたします
▼対象者
大学生、大学院生、社会人
※信州大学の在学生、卒業生以外の方もご応募いただけます
▼応募の要件
・プログラムのすべての講義に対面で出席が可能なこと。
・各回で提示される課題に積極的に取り組めること。
▼実施場所
信州大学伊那キャンパス
Inadani seeds
他伊那市周辺
▼受講料
学生・大学院生:無料
社会人:10,400円(税込)
※交通費、食費自己負担
※フィールドワークのため保険加入推奨、初回講座時に案内があります
▼申し込み締め切り
9月10日(日)
▼受講者選考決定通知日
9月13日(水)
Think Local Academy講座の申し込み方法
Think Local Academyの申し込みは、下記のフォームより受け付けております。
https://docs.google.com/forms/d/e/1FAIpQLSdSMG8HqXXi4Qfh87csEYvO6sQ3VQ1IoPxbVO5VlnLgt84lXQ/viewform
講座についてのお問い合わせは、下記の連絡先にお願い致します。
信州大学農X推進室:agri-x-academy@shinshu-u.ac.jp
[1]複雑系科学の分野では、記事内で“ツボ”と表現されていたものを「コントローラビティ」と呼んでおり、生物の神経ネットワークや組織のコレクティブラーニングなどの研究における、重要なテーマのひとつにもなっている。興味がある方は、ぜひ下記の記事をご参照あれ。