多様性がなければ、私たちは絶滅してしまうーー「複雑系科学」の視座で探る、世界と私の持続可能性

『ブラジルの1匹の蝶の羽ばたきはテキサスで竜巻を引き起こすか?』

1972年、気象学者のエドワード・ローレンツが行なった講演は、カオス理論が広く一般にも知られる契機となった。理系とは縁遠い方でも、「バタフライエフェクト」という言葉なら、聞き覚えがあるだろうか。蝶の羽ばたきのような小さな変化が、後々に思いもよらない大きな何かに繋がり得る――詩的な寓意は風に乗って世に広がり、さまざまな物語作品のモチーフに編み込まれてきた。

世界とは複雑で、想定外なことばかり起こる舞台だ。近代の資本主義社会は、カオス理論が示したような予測不可能性をリスクとして捉え、よりシンプルに、より合理的な経済成長を追求してきた。経済的な豊かさが成功であり、ひいては幸福であることを疑わなかった。しかし、その価値観は破綻しつつある。効率化の過程で黙殺されてきた複雑なものたちが、複雑な世界そのものが、悲鳴を上げている。

複雑な事象を、複雑なまま受け止め直すことが、サステナブルな世界を形成していく上で重要なのではないか――この問いの行方を見定めようと、思想探索サロン「Ecological Memes(エコロジカルミーム)」は、“複雑系科学”を専門とするビンガムトン大学教授・佐山弘樹氏を迎えたトークイベントを開催した。本記事は、その模様をお伝えするレポートである。

複雑系科学とは、カオス理論から地続きで脈々と発展してきた、複雑さに真正面から向き合う科学体系だ。風が吹けば桶屋が儲かるような、人と自然と宇宙と、生物と無生物とが秩序なく関係し合う世界を、最先端のネットワークサイエンスが解析していった先には、果たしてどんな景色が広がっているのか。その視座から、混沌とした今を生きる私たちは、何を学び得られるだろうか。

「多様性がなければ、私たちは絶滅してしまう」
「私たちは世界を変えられないし、世界は私たちを変えられない」
「個々が好き勝手に生きることが、世界にとっての最適解」

これらは複雑系科学から見えてくるメッセージの、ほんの触りでしかない。ここから続くテキストを、詳らかに理解する必要はない。ふわっとしたままでもいいから、どうか一度そのままの形で、抱き止めてみてほしい。途中で閉じても構わない。気が向いた時、ふっと何かの知らせを得た時にまた訪れ、そうやって幾度となく立ち戻るような場所として、この記事を捉えてもらえたら本望だ。

複雑系の世界を体現するため、話題の紆余曲折をそのままに、運動的な内容となっている。マイルストーンとして、以下にインデックスをつけた。効率的に興味のある部分だけ摘まむか、インタラクションがもたらす文脈の連鎖に身を任すかは、読者の判断に委ねよう。