「買わない」という選択から見える価値観

冒頭トピックに上がったのは「買わなかったもの」の話だ。

文筆家 塩谷舞氏

塩谷氏「今は、買わない選択をすることが多いんです。以前は、自分が落ち込んでいるときに『なにかご褒美があれば気分がよくなるのではないか』と期待をして、その高揚感のために、ものを探していました。

でも20代の終わり頃に、ものを買うことによって埋められる気持ちは、あくまでも一過性のものだな、と思ったんです。一過性だから買い続けなきゃいけないし、結果として家にはものが溢れて、一つひとつの扱いは雑になってしまっている。そんな経験から、今は新しいものはできる限り“買わない”という選択をするようになりました」

事前打ち合わせを経てこの話から始めたかったという塩谷氏の発言を受けて、司会の佐々木氏が「買い物には行かないのでしょうか」と質問。すると塩谷氏は、首を横に振ってこう答える。

塩谷氏「いや、もちろん買い物には行きます。でも、『せっかく◯◯まで来たんだからなにか買って帰ろう』みたいな気持ちがまったくなくなった。郊外出身者あるあるかもしれませんが、街まで出ること自体が珍しい生活をしていると、手ぶらで帰るのはもったいない気がしちゃっていたんですけどね。でも最近は、都会に出ても手ぶらで帰るとなると、『今日は欲望に飲み込まれなかったぞ!』と快感すら感じてしまう(笑)」

龍崎氏も「悩んだ上で買わないものも多い」と重ねた。最近も、愛用してきた名刺入れを買い換えようとお店に行き、ものを見て、色も決めた末に、買わない選択をしたという。

株式会社水星代表取締役CEO / ホテルプロデューサー龍崎翔子氏

龍崎氏「このイベントにお声がけいただいた際に、『最近何を買っただろうか』とクレジットカードの明細を確認したのですが、何も買っていないということに気がつきました。もちろん、『欲しい』という気持ちを抱くことはありますが、悩んだ末買わない選択をした回数も多いんです。

その理由を考えた時、自分がものを『欲しい』と感じるのは、例えば、身近な人や著名な方が持っているのを見たり知ったりしたときで、何らかの憧れや『持ってないと恥ずかしい』といった感情に起因してると気がついたんです。

つまり私が抱いていた『欲しい』という感情は、自分の『虚栄心』を満たす行為でしかないののかもしれないな、と。であれば、無理に買う必要はなくて、愛着を持って使っているものがあれば、それを大事に使い続けたらいいと考えるようになりました」

ものを通して得られる経験やインスピレーションに投資する

では、そんな両者が「買う」選択をするのは、一体どんなときなのか。龍崎氏が、最近買ったものを例にあげながら、自身の基準を教えてくれた。

龍崎氏「私は大きく三つ基準があると考えています。新しい経験になるか、インスピレーションにつながるか、人との関係構築につながるか、の3点。

一つ目の『新しい経験になるか』という観点は、ものというよりか、“こと”を買っているイメージに近いかもしれません。

最近、茶道を始めたんです。入門するにあたって、扇子や懐紙、帛紗、稽古着を購入した他、束脩(入門料)や月謝などの費用や、茶会に参加する際の和装一式など、茶道を続けるための費用はけして安くはありません。ですが、お稽古を通じて、日本の伝統文化のあり方や、精神世界に肉薄し、新しい世界が見えるのではないかと期待し、思い切って入門しました」

続けて、最近買った「アイロンビーズ」の写真を共有しつつ、二つ目の基準「インスピレーション」について言及する。

龍崎氏「二つ目は、自分のインスピレーションになるものかどうか。特に、自分のアウトプットの幅を広げるようなアイテムは手元に置いておきたいと思うことが多いです。

例えば、美しい夕焼けを見たときや、好きな音楽を聞いたときに、そこで生まれた感情を何らかの形で表現してみたくなったとする。その際に、アイロンビーズでピクセルアートを制作することが一つの表現手段になりうるなと考えました。所有することで、『いつかこういう表現ができるかもしれない』と考えることができますし、何らかのインスピレーションを得た時に、これを使ってアウトプットしてみようという発想が生まれるように感じています。

他にも絵の具や刺繍セットなども持っており、普段は全く使わないのですが、自分の表現の幅を広げる可能性にお金を払っているのだと思っています」

最後に、三つ目の基準「人の関係構築につながるもの」について話す際、とあるセレクトショップで購入したという「香水」の写真を共有した。

龍崎氏「この香水は、金沢の有名なセレクトショップでオーナーさんにおすすめしていただき購入したものです。実は、お店に向かう道中でオーナーさんとお話をしている際、『なぜそちらのお店では貴重な品をこれだけ扱えるのか』と質問をしたところ、『信頼しているバイヤーさんにすすめてもらったものを全て買うことで信頼関係を作り、よりいい品を回してもらえるようにしている』と教えていただき、感銘を受けました。

その視点をいただけたことへの感謝として、その日そのオーナーさんがおすすめしていただいたものを全部購入しました。もちろん、価値ある商品であることが前提ではありますが、『ものを買うこと』を感謝や敬意を表現する手段とすることも多いです」

龍崎氏は、経験や可能性、信頼など形のないものに投資をする。それは「未来への投資」とも言えるかもしれない。すぐにメリットを享受できないものでも、きっと未来の自分にとって意味があると期待して、ものを買っているようにも感じられた。

ものを買う基準、憧れの世界や街並みを再現するかどうか

龍崎氏の基準を受けて、塩谷氏は自らの基準を振り返りながら「信頼関係では買うことは少ないかもしれない」と話を続けた。

塩谷氏「私は基本的に人付き合いでものを買わないようにしていますね。職業柄、これまでは仕事でいろんな場所に呼ばれたり、取材で行ったりするたびに買っていたんですが、きりがなくて。むしろ、そういうものが家にたまってしまうと、自分の感性もちょっとずつ鈍っていくような感覚もあり、やめることにしました」

ただ、信頼関係で買うものを選ぶことに対して共感する部分もあるという。塩谷氏は最近買ったものの写真を振り返りながら、買う基準の一つとして「理想の世界を作ってくれる」と形容する。

塩谷氏「私は、昔から街並みを見るのが好きで。子供の頃に家族で行った城崎温泉や、小学校の修学旅行で訪れた倉敷の美観地区など、統一感のある街並みを見た時には、『なんで私はこの街並みが当たり前にあった時代に生まれてこれなかったんやろう』と、悲壮感にも包まれてしまうというか……。でも、実際に過去に戻ることはむずかしいですよね。

もちろん美しい街並みを作ることが理想ですが、それはなかなか時間がかかるので、今はその欲を家の中で消化しています。『家のなかであれば、理想の街並みを少しでも再現できるかもしれない』と思って」

街並みを家の中に作るとはどういうことだろう。塩谷氏は最近買った「土器」の写真を共有しながら、思い描く世界観を共有してくれた。

塩谷氏「この土器は古墳時代の土師器というもので、大阪のippo plusというギャラリーで開かれていた『風土の工芸と古民具』という展覧会にて購入したものです。ちょうどこの展覧会を訪れる前々日、愛知県にある愛知県陶磁美術館(現在は休館中)に訪れていたんですね。そこには日本の縄文土器からはじまり現代まで、そして古今東西のあらゆるやきものが展示されているのですが、そんな中でも弥生時代や古墳時代の、素朴な土器に惹かれたんです。

ただ、ガラスケースの向こうで展示されているのを見ると、どうしても器たちが日常的に使われていた景色をこの目で見たいな、という欲が湧いてしまう。その翌日、たまたまギャラリーでこの土師器が売られていて、これだったら日常に取り入れられるぞ、と大喜びで買って帰りました。

水を入れても漏れないし、今はときどき花を活けたり、手にとったりして愛用しています。ほかの道具と並べるとしっくり馴染んで、家の中の小さな街並みがまた少し理想に近づいたような気もします」

「生まれ変わったら、あんな世界に住んでみたかった」。そうは思っても、現実的に不可能なことが多い。ただそこで諦めるのではなく、塩谷氏は憧れの景観や自分の理想の街を“家”という空間を通して表現しようとしている。

考えすぎずに、まずは買うことも楽しむ

佐々木氏は、ここまでの話を踏まえ「あなたにとってものを買うとはどういうことか」と言葉を投げかけた。龍崎氏は、「自分の好き嫌いをより明確に理解できる行為」と話す。

龍崎氏「ものを買うか、買わないかを決断する時は、自分が持っている基準で判断をしていくはずです、それが無意識であっても。自分の基準を確認すると同時に自分は何が好きで、何が嫌いか深く理解していく行為だと感じました。

ものを見て、直感的に『これは刺さった/刺さらなかった』を繰り返すことで、共通点を見出せます。最初は無意識でも基準を言語化することで、自分に必要かどうかの判断が早くなるのだと思います」

塩谷氏もこれまでの話を踏まえて、最後に自身のものを買う行為のスタンスについて話し、イベントを締めくくった。

塩谷氏「色々と大きなことを話してきたかもしれないですが、結局のところ生活必需品以外の買い物は『道楽』だと思っています。

『その会社の商品が自分の考え方とあっているのか』と考えることも大切ですし、買い物は投票という言葉にも共感しています。ただ一方で、買い物を通してまったく思想の異なる人や組織と付き合うきっかけが出来ることもある。共に暮らす家族と、消費に対する価値観が合わない時もありますよね。

強く思想を持つことは、何かを排除することでもあります。だから色々と心の中では拘りを持ちつつも、究極的には買い物は、楽しむもの。それくらいの感覚でいたいと思っています」