人も文化も大事な資産。だから研究所を立ち上げた
みなさんもご存知の通り、楽天グループ(以下、楽天)はデジタルに特化し、Eコマースの楽天市場、楽天カード、楽天モバイルなど多岐にわたる分野で70以上のサービスを展開している。
スピーディーにさまざまなサービスをグロースさせていく同社を、日高氏は「パフォーマンスドリブンな会社」と表現する。成果主義では、定量的に評価をくだしていく。楽天は、なぜ数値的な評価がしづらい、人材、組織、企業文化の醸成に取り組む楽天ピープル&カルチャー研究所を立ち上げたのだろうか。
日高氏「ピープルもカルチャーも楽天にとって重要なアセットだからです。楽天のコアアセットであるテクノロジーを調査・研究する『楽天技術研究所 (Rakuten Institute of Technology)』という機関も存在するんですよね。テクノロジーと同じく、楽天の成長に寄与し、最重要課題でもある人や組織に関しても、研究する必要があるのではないかと考え、研究所を設立しました」
研究所が、本腰を入れてウェルビーイングに取り組むことになったきっかけは「パンデミックだった」という。
日高氏「ウェルビーイングへの取り組みは、実は4年前の2018年から開始しています。研究所のアジェンダの一つとして、最初は“気になっている”状態でした。当時はウェルビーイングがなんなのか、知見がない状態だったので、まず学ぶことにしました。アメリカで世論調査・コンサルティングを行う『ギャラップ』からディレクターを招き、有識者会議を開いたり、石川善樹氏にナレッジを共有していただいたりしました。
外部メンバーも含め研究チームを組成していたものの、企業がウェルビーイングに取り組んでいる事例がなく、なにをするのが正解なのか分からない状態だったので、いずれ本腰を入れましょうと優先順位を下げていたんです。そこで起こったのが『パンデミック』です。人々の心身の健康や働き方に、急激な変化の圧力がかけられ、ウェルビーイングが脅かされている状態だった。そこで私たちは、急いでチームを再招集しました」
ガイドラインを制作し、全企業・全個人がウェルビーイングを問い直すきっかけに
パンデミック下でまず研究所が取り組んだのは、グローバル企業におけるウェルビーイングに関する先行施策の調査だった。ギャラップのディレクターがP&Gやユニリーバなどとの情報交換会で得たデータを共有してくれたそうだ。この情報を日本語に訳し、得た示唆を分類、整理。ニューノーマル時代の持続可能なチームの在り方としてまとめ、「コレクティブ・ウェルビーイングガイドライン」として発表。他企業や個人が閲覧できるようにした。
日高氏は本ガイドラインを活用し、企業や働く個人がウェルビーイングを考えるムーブメントを作りたかったと語る。
日高氏「コレクティブ・ウェルビーイングとは『ある目的のもとに、ありたい姿を持つ多様な個人がつながりあった持続可能なチームの状態』です。
働き方や働く場所を一人ひとりが選択できるようになった一方で、会議時間がテトリス状態になってしまったり、チーム間での雑談が減ったりと職場環境の課題が散見されるようになりました。
このガイドラインが企業や働く個人がコレクティブ・ウェルビーイングを今一度考え直すきっかけになればいいなと考えています。ガイドラインは楽天のHP内のLPで無料公開されています。また、ガイドラインの内容を他企業や個人が日々の仕事の中で実現できるように、簡易ツールも制作しました」
ガイドラインのなかでは、持続可能なチームづくりの指針として、3つの要素「仲間」、「時間」「空間」が掲げられている。これらは「三間(さんま)」と呼ばれているそうだ。また三間それぞれに「余白」を設けることも重視している。「三間+余白」は、企業と働く個人それぞれの観点で分けてまとめられている。まず、企業やマネジメントが取り組むべき『三間+余白』についてだ。
日高氏「まず一つ目の“間”である『仲間』では、『仲間をつないでいくこと』を方針に掲げています。自社の目的や存在意義の発信や多様な価値観を持つメンバーとの交流をつくり、組織やチームをつなぐ必要があります。
二つ目の“間”である『時間』では、『時間を区切ること』を意識するような方針を作成。曖昧になりがちな退勤時間や休憩時間を、きちんと区切るような節目の演出やメンバー同士働くリズムが異なることへの理解を説いています。
三つ目の“間”である『空間』では、『空間を整える』とし、オンラインとオフラインでの仕事環境の整備や人が安全に繋がれるオープンスペースの提供が重要としています。
そしてそれぞれの『余白』として、『仲間との雑談の推奨』『計画的休憩の推奨』『場所や協業ツールの選択肢の提供』を列挙しています」
次に、個人が取り組むべき『三間+余白』。企業やマネジメント版とは違い、一人ひとりの思考を促進し、セルフマネジメントしやすいように質問形式で『三間+余白』を明記されている。
日高氏「一つ目の“間”である『仲間』では、『人としてつながる』にはどうしたらいいかを問いかけるようにしました。最適なチームのあり方を考えたり、仕事への関わり方や会議を見直したりすることを促します。
二つ目の“間”である『時間』では、『時間を操る』ためになにをすべきか考えられるように、働くリズムやルーチンに関する質問を記載しています。
三つ目の“間”である『空間』では、『仕事場を演出する』ように意識を向けられるような質問を。能力を最大限に発揮するための環境やツールはなんなのか自問していただきます。
『余白』を確保するために、仲間が大切にしている価値観への理解や内省する時間のスケジューリング、リラックスできる空間の準備ができているかを確認します」
ガイドラインを作成したものの、「ウェルビーイングへの取り組みに正解はない」と日高氏は述べる。あくまでも、ガイドラインは指針だそうだ。自社や自分にとってなにが心地よく、生産性が上がり、クリエイティビティが高まるのかを自問し続けることが大切だという。
問い続ける際のヒントとして「三間+余白」を活用することで、チーム間でのディスカッションや個人の内省活動が促進され、他者と自分への理解、感度をより深められるのではないかと日高氏は期待を寄せる。
「三間+余白」を日常的に意識させるツールをつくる
楽天では、この「三間+余白」をもとに、二つのアイスブレイクツールを開発。一つ目は、自分自身のエピソードをチームでシェアできる「Raku Chat」。二つ目は、アドベントカレンダーに着想を得た「さんまカレンダー」だ。
日高氏はまず「Raku Chat」について説明する。
日高氏「このツールは、創業24年目の創業記念日に合わせて、社内で内製したWebサイトです。
ボタンを押すごとに、「楽天と自分自身」に焦点を当てた簡単なお題が提示されます。メンバーは表示されたお題を順番に回答。気になった回答には、進行役がさらに質問を重ね、自然な流れで雑談へと導いていきます。これが余白づくりへとつながっていくわけです。
このツールはもともと楽天社員専用のものでしたが、他企業の方にも利用いただけるようにツールを開発しました。サイコロの出た目で質問が決まる『さんまサイコロ』もWebサイトで配布しています」
次に、「三間+余白」に関する問いをカレンダーにしたという「さんまカレンダー」について日高氏が説明する。
日高氏「出張帰りに子どもたちへのお土産として購入したアドベントカレンダーに制作のヒントを得て、偶発的なコミュニケーションが生まれる仕掛けとしてつくったのが『さんまカレンダー』です。
日毎に『三間+余白』に関する問いかけを割り振り、バーチャル背景として映し出せば、スムーズに話題を展開できるのではないかと考えました」
イベントでは、日高氏が『さんまカレンダー』を使ったデモンストレーションを披露。イベント開催日の7/22の質問「自分の心を落ち着けることができる場所は、どこですか?」を参加者に問いかける。すると、回答者は抵抗なく、自分の考えをシェア。それに対し、日高氏が質問を重ね、雑談へと発展していった。
「さんまサイコロ」も「さんまカレンダー」もコレクティブ・ウェルビーイングガイドラインのLPで無料配布されているようなので、気になる方はぜひ活用してみていただきたい。
ウェルビーイング向上を阻む、二つの課題
コレクティブ・ウェルビーイングガイドラインを発表してから、研究所宛に、50社以上の大中小企業からウェルビーイングに関しての問い合わせがくるようになったそうだ。
研究所とウェルビーイングについて意見交換をしたい企業も多く、実際に対話の場をセッティングしたこともあった。議論のなかで、日高氏はウェルビーイングへの取り組みを阻害する、企業が抱えている課題を二つ発見したという。
一つ目の課題が、「正解を求めてしまうこと」だ。
日高氏「組織全体でウェルビーイングに取り組み、成功した事例がまだないため、自社の経営を巻き込んで、施策を考えるのが難しいという声を聞きます。
しかし巻き込むべきなのは経営ではなく、従業員一人ひとりであると私は考えます。外部に成功事例を求めてもない。だから、各企業で最適解を見つけていく必要があります。従業員との対話を通じて、そこにいる人たちがなにが好きなのか、なにを大切にして働いているのかを向き合うことでしか、最適解は見つからないと思っています」
二つ目が、「ウェルビーイングは“生ぬるいもの”という先入観」だ。
日高氏「成果を出すために集っている組織体において、ウェルビーイングのコンセプトから、“生ぬるい”、“さぼっているんじゃないか”という印象を与えるようです。ウェルビーイングに取り組むことが、成果を出し勝ち続ける組織のあり方と相反し、利益創出の足を引っ張るのではないかという意見もありました。
このような声を聞くたびに、『働く人の生産性とウェルビーイングには相関があることを証明できる』とお伝えしています。ギャラップによる研究でも明らかになっていますし、私たちも社内アンケートを実施し、分析した調査結果があります」
日高氏は、ウェルビーイングの捉え方に誤認が多いという。ウェルビーイングは、必ずしもリラックスしている状態だけではないそうだ。成長のために目標にコミットしていたり、仕事に徹底的に集中していたりする状態もウェルビーイング。なかには、ハードワークが自分にとってのウェルビーイングであると表現する人もいるという。
一人ひとり、ウェルビーイングの捉え方が異なる。キャリアやライフステージによってもウェルビーイングの定義は流動的に変わるのだろう。そう考えると、一人ひとりが定期的に自分のウェルビーイングはなんなのかを内省し、理解する必要がありそうだ。
周囲を巻き込み、ウェルビーイングの学びを深め続け、実践を繰り返し続けたい
日高氏はイベントの最後に、楽天が今後どのようにウェルビーイングに取り組んでいくのかを共有した。楽天のブランドコンセプトのひとつであり、楽天の事業推進する際の姿勢「GET THINGS DONE」(信念不抜)とウェルビーイングを繋いでいくため、試行錯誤していくという。
日高氏「冒頭にもあったように、社内外からの楽天の印象は『パフォーマンスドリブンな会社』であり、『GET THINGS DONE』に対するイメージもKPIの追求など定量的評価の意味合いが強いです。しかし私は、数値的な拡大だけではなく、質的に新しいものを作るのも『GET THINGS DONE』がいかされると考えています。
例えば、業務の効率性を追求したり、クリエイティビティを発揮できるようなプロセスを考え、業務の質を高めていくことも『GET THINGS DONE』の実現への一歩となります。
当たり前を疑い、改善していくために、他企業や大学生とコラボレーションしたり、国籍を問わない雇用を推進したりなどダイバーシティ&インクルージョンへの取り組みも積極的に実施していく。これらがひいてはウェルビーイングの実現に繋がると思っています」
研究所では引き続き、調査や分析を通して、ウェルビーイングに関する暗黙知を形式知にしていき、社会全体でウェルビーイングに取り組むムーブメントをつくっていきたいという。
日高氏「ガイドラインを出したことによって、いろんな企業が『楽天の研究所はウェルビーイングを大事にしてるんだな』と認識をしてくださり、以前より様々な情報が集まってくるようになりました。
引き続き、皆さんと連携し、実践を共有していきながら、ウェルビーイングに関する学びを深めていきたいと思っています。私たちの研究所がその“コミュニケーションのハブ”になれたら本望です」