組織におけるウェルビーイングは「生産性向上のため」だった
これまで複数の企業で、新入社員の受け入れや社内のみならず、越境型などあらゆる学習プログラムを通じて人財開発に携わってきた沖氏。世界で新型コロナウイルスが流行り始めた2019年から現在までの約3年、リモートワーク中心の組織に向き合ってきた。
イベントでは、これまで実施した取り組みやそれに伴う組織の変化が語られた。
沖氏「2015年から16年の頃、ウェルビーイングはいくつかの切り口で語られはじめました。疾病や健康診断で測定可能な「肉体」の調子や、心理的な好不調など「メンタル」の調子、柔軟性やしなやかさなど、ものの見方、考えかたなど「マインドセット」のありよう、これらの観点から議論を重ねていました。
さらには「スピリッツ」という視点もありますが、その当時、わたしの周囲では「スピリッツ」の観点は深淵すぎてまだ議論する段階になく、主として「肉体」「メンタル」「マインドセット」に終始していたように思います」
当時からリモートワークの制度はあり、マインドフルネスの働きかけなどいろいろな施策はあったものの定着には至らなかった。また、当時は沖氏自身もどこか「むずむずした違和感」を抱えていたそうだ。
沖氏「組織は「ウェルビーイング」を掲げていましたが、あくまでそれは組織の成長のため、組織全体の「生産性向上」を第一に考えたものになります。
生産性は『生産量÷投下するリソース』という計算式で求めることができます。つまり生産性を向上するには、成果を大きくするか投下する時間やエネルギーを減らす、もしくはその二つを同時にやることが必要です。成果を大きくするためにはイノベーションやリスキリングなど抜本的な取り組みが求められることから、多くの組織では「いかに分母を少量にできるのか」に着手します。
いくら会社がウェルビーイングと謳っていても、私たちのエネルギーや時間が会社にコントロールされているだけのようで、当時の各種の施策は「人間 一人ひとり」よりも「組織」が優先されるものだと感じていました」
他にも、肉体・メンタルは「マッチョ」(= たくましくあること、筋肉体質的)であることが是とされ、ウェルビーイングは「ゆるい」「甘い」施策と見る人が少なからずいたことや、個人以外の「他者」や「コミュニティ」におけるウェルビーイングについて議論が上がらなかったことについて、沖氏は違和感を抱いていたと話した。
コロナ後の急速な変化。まずは個人の身体とメンタルに投資へ
ウェルビーイングが語られはじめてから4年後、変化は一気に訪れた。コロナ時代に突入し、リモートワークをせざるを得ない環境に。これまでなかなか定着しなかった働きかたも、一気に広がった。
コロナが始まってから現在まで、組織として取り組んできたことを三つのステージに分けて説明できると言う。まずはファーストステージについて説明した。
沖氏「まず会社でできることを極力自宅でもできるようにしました。ネット環境を整えたり、モニターや仕事用の椅子の購入を支援したり。いかに自宅での仕事環境を会社に近づけられるかというハード面での支援です。
またコロナで保育園・学校が封鎖され、仕事と子どもたちの学習や食事をケアすることになった人、デイサービスがクローズして仕事をしながら親御さんや祖父母を介護する人。これらの人たちのために就業時間内での育児、家族のケアが認められ、むしろ推奨されました」
「いかにコロナ前と変わらないくらいの成果を生み出せるのか」。それを第一に、会社は従業員が働きやすい環境を考え、試行錯誤した。
沖氏「ちょうどコロナが落ち着いてきて、ウェルビーイングという言葉が世に出始め、肉体やメンタルにおけるものが注目され始めた頃です。
セカンドステージとして、筋トレやヨガなどエクササイズをオンラインで提供したり、オンライン疲れを軽減するための働きかけや、雑談時間の推奨など、個人の孤立を防ぎ、肉体・メンタルの疲労を軽減することを目的としたプログラムがいくつも動き始めました。
通勤交通費、出張費、会食費などの経費は、「働く環境を整え、一人ひとりが身体やメンタルを整える」ために投下されました」
「セカンドステージまでは一気にシフトした」と補足した沖氏。では、最後のサードステージにはどのようなことに取り組みがあったのだろうか。
「裁量権を持つ」ことが、個人のウェルビーイングを実現する
Withコロナの生活が当たり前になってきたタイミングで、サードステージに突入。ファースト、セカンドステージとは違い、組織と個人の関係性が「明らかに変わった期間だった」と沖氏は語る。
沖氏「一年に一回だった部門間の異動を通年に変更。学習プログラムの組織が提供するものに加えて、個人での選択肢も格段に広がりました。
従業員は自らの働き方や場所を選択できるように。その結果、個人が持つ裁量権が大きくなりました。私自身は組織にコントロールされている感覚がなくなり、コロナ前に抱いていた『むずむずとした違和感』も消えました」
2020年にデロイトが発表した調査によると、組織内で「ウェルビーイング向上のためにどのように仕事のあり方を見直してきたか?」という設問に対し、「裁量権を与えている」との回答が45%で一位だったという。
個人の裁量権が大きくなるに連れて、経営学では「オートノミー」とも表現される「自律」や「自律性」、「自律型人間」という言葉も語られはじめた。自律型人間とは、指示を待つのではなく、自ら課題を設定し主体的に動きだせる人材のことを指す。
最後に「これまでさまざまな新しい施策を実施しているが、社内を説得するのは難しかったのではないか?」とのファシリテーターからの質問に、沖氏が自論を述べた。ここまで組織が変化し続けられた理由は「仲間の共感や同意」があったからという。
沖氏「コロナになってからは、常に『今やれることはなんだろう、やらなければならないことはなんだろう』と考え、ことあるごとに『こんなことをやってみたい』と周囲に共有していました。もちろん周囲の同意を得る努力もしましたが、最終的にそこで『やってみよう』と言ってくれる仲間がいたからこそ、なんとか進めてこられたのだと思います。
コロナのように誰しもがはじめて経験することは、正解を知る人は誰もいません。私が経験したことや紹介した取り組みも、ウェルビーイングにおけるあまたある施策の一部に過ぎず、環境が変わればその内容も変わってしかるべきです。
仲間と考え実践した取り組みの振り返りは欠かさず、今後も思考と実証を重ねていけたらと思います」
「裁量」は、組織と個人の関係性を新たに構築し、ウェルビーイングの実現に近づく重要な要素だ。沖氏は、「従業員一人ひとりと組織の両面からウェルビーイングを考え、実践する時代である」と語り、イベントを締めくくった。