パンデミック下で感じた3つの感情

山崎氏は、華道家として「IKERU」を主宰。いけばなの叡智を経営や人材開発にいかす活動をしている。また、ハーバード・ビジネス・スクールに10年間勤めていた実績を活かし、ハーバード・ビジネス・レビュー 特任編集委員を務めながら、ウェルビーイング経営の研究をしているひとりだ。

今回のイベントでは、ハーバード・ビジネス・レビューの記事や論文を参考にしながら、パンデミック下での人々の心理状態、それをうけて企業や従業員に経営学にはどのような示唆があったかをこれまでの記事や論文を参考に“特殊な”2年間を振り返った。

山崎氏「2020年から2022年の現在まで、人々の心理状況は大きく三段階にわけられます。2020年2月から3月までの第一段階が『Grief(喪失)』、2020年4月から2021年12月までが第二段階で『Languishing(虚脱感)』、2022年1月から現在までが『Liminal(境界の曖昧さ)』です。

まず第一段階の『Grief(喪失)』。2019年12月に、中国湖北省武漢市で病因不明の肺炎が集団発生。感染防止対策として世界で同時ロックダウンが起きました。人々はこの緊急事態に対して、『なんとか頑張って乗り切る』とアドレナリンが出ている状態でした。そのなかで人々は『Grief(喪失)』の感情を抱きます。文字通り、身近な存在である家族や友人が亡くなったり、今までのやり方では通用しないことが増えてきたりしたんです」

この喪失感を感じるまで、様々な感情の移り変わりを人々は経験したと山崎氏は振り返ります。まず「パンデミックなんて起きていない」という否定。「なぜこんなことになっているのか」という怒り。「いや、数週間我慢すれば、大丈夫だ」と自分の考えを打ち消すかのような感情の駆け引き。

それらの感情が一巡した後に、「結局これは終わらないんだ」と寂しさを感じ、今の状況を受容するようになる。受容したからといって、感情の揺れ動きはおさまらず、怒りや寂しさを再度感じる“揺り戻し”が起こったそうだ。一部の人だけでなく、世界中の人々が『Grief(喪失)』を感じている状況が大変ユニークであるとハーバードビジネスレビューでは考察していたという。

山崎氏「『Grief(喪失)』の次に、多くの人が抱いた感情は『Languishing(虚脱感)』でした。これは物事に対して喜びを感じられない状態を指します。鬱やバーンアウトとは異なり、『やろうと思えばやれるけど、やる気がでない』といった人が多く出てきたんです。この状況に対して、心理学者のアダム・グラントは自分にとって大切だったり、楽しかったりすることに集中する時間を作ることを提案。これが多くの人々の心を救いました。

そして収束の兆しが見えてきたときに『Liminal』な経験が起こります。これは文化人類学で用いられる言葉です。通常のあり方や、やり方から強制的に一定期間切り離された結果、自分のいる環境が以前と似ているように思えるけど、確実に何かが違うと感じる。これは大きな混乱を引き起こしました。

しかし、『Liminal』な経験は破壊的であると同時に、自らを振り返り、発見し、再発明する機会でもあります。この経験と向き合うためには、現状からゆっくり、徐々に立ち上がることが大切です。時間をかけて、立ち戻っていく。そして、維持すべきものは残し、新しいやり方を取り込み、合わないものは捨てていきます」

人々の価値観が変化し、大退職時代が到来

パンデミック下で起こったのは、人々の感情の揺れ動きだけではない。度重なるロックダウンなど行動の制限により、働き方にも大きな変化があった。突然のリモートワークに切り替わり、慣れない働き方に戸惑った方も多いのではないだろうか。対面しない状況下、人との繋がりを維持しながらどのように生産性を維持していくかが、企業や従業員の目下の課題となった。

感染状況が落ち着いてきた頃には、出社かリモートワークは個人の裁量に任されることも増えた。ハイブリットワークが進んだことにより、ある問題が起きたと山崎氏は指摘をする。

山崎氏「出社している人だけで物事の意思決定がされる場合が生まれたんです。全員がリモートワークだった頃は、作業環境はある意味平等だった。しかし、『出社する人』と『出社しない人』がでてきた。リモートワークを好む好まないにかかわらず、子育て世代は出社しづらい方もいました。ハイブリッドワークの難しさを感じた企業や従業員は多かったと思います」

状況によって、暮らし方や働き方がめまぐるしく変わっていく。その変化の流れをつかもうと、考えをめぐらしていた人も多いのではないだろうか。パンデミック初期は、経済的な不確実性の高まりに不安を感じた人々は、仕事を辞めたくても辞めない、いわゆる“辞め控え”をしていた。

しかし今は、「大規模な退職時代」といわれるほどに、人々が転職したり、転職を考えていると山崎氏はいう。なんとアメリカでは毎月400万以上の人が自発的に退職をしているらしい。なぜ退職する人が増えているのかを山崎氏が語った。

山崎氏「ドナルド・サルとチャーリー・サルの親子の論文によると、辞める最大の理由は『有毒な企業文化』であるといわれています。『給料』を理由に辞める人を1としたとき、その10倍以上の人が企業文化を指摘しました。

この結果からわかることは、人々の価値観が変わりつつあるということです。今までは、メンバー間の雰囲気がギスギスしていたり、嫌な上司がいたりしていても『お金をもらっているからしょうがない』と諦めていました。けれど、人々は環境に対する不満をいだくようになった。

別の研究者によると、人々がコロナ禍に様々な感情の揺れを経験したことが大きく作用しているといいます。自分の人生や仕事について『Rethink(再考)』する人が増えたのです。『自社の仕事が本当に好きか』『自分が公平に扱われてるか』『何のために働き、生きているんだろうか』と自分のウェルビーイングを考え直した結果、退職が起こっている。そのため、退職はあくまでも現象であり、重要なのは“人々の価値観の変化”なのです」

自分のこれまでを振り返り、未来にどんな可能性があるのか考え直すことを、「EXploration(探索)」と表現した研究者もいたという。人々はパンデミックを機に、自分の今までを振り返り、今後の生き方や働き方など未来に考えながら、様々な可能性を探索している。

ウェルビーイングは基本的人権である

では、この大退職時代に企業は一体どのように従業員と接すればよいのだろうか。山崎氏は、企業が退職者の多さにとらわれすぎないこと、人々の価値観の変化に気づき、「Exploration(探索)」をサポートする必要があると示唆する。

山崎氏「従業員が次々と辞めた際に、企業は採用を急務と考えます。これはもちろん大切なことですが、一度立ち止まって考えてほしいのです。人々は『Exploration(探索)』できる環境を求めている。

人々が本気で自分の人生や仕事を考え直しているのであれば、企業側は“良い機会”と肯定的に捉え、求職者や従業員に共感し、サポートしていくのはいかがでしょうか。『この会社で働きたい、働いていたい』という人がきっと増えてくるはずです。働く人だけでなく、企業側も自社の価値や文化を振り返る。すると、組織がより良い場になり、競争力が高まっていくと考えています」

仕事より人生、ウェルビーイングを優先するという人が圧倒的に増えてきていることもデータで示されているそうだ。MicrosoftやSlack、LinkedInがコンソーシアムを組んで、実施したリサーチによると、47%の人は仕事より家族と個人の人生を、53%が健康とウェルビーイングを優先すると答えたという。

「ウェルビーイング」という言葉は、世界保健機関(WHO)設立の際に考案された憲章をきっかけに使われるようになった。憲章前文には「健康とは、病気ではないとか、弱っていないということではなく、肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも、すべてが満たされた状態(well-being)にあることをいいます(日本WHO協会:訳)」と記されている。

ウェルビーイングを達成していくために、企業は何に取り組むべきなのだろうか。山崎氏は、ギャラップ社による調査を引用し、下記5つの要素が必要であるといった。

山崎氏「上記の要素がお互いに関連し合いながら、ウェルビーイングを作っていきます。そのなかでも特に重要なのが『キャリアのウェルビーイング』。これが崩れると、他のものともバランスが取れなくなっていきます。そのため、職場において、働いてる人たちのウェルビーイングがケアされ、実現してる状態がとても大切なんです。ウェルビーイングに関する人々の価値観は『nice to have(あったらいいな)』から『must have(絶対に必要である)』に変化しています」

ウェルビーイングを作る、すなわち福利厚生を充実させると考える企業も少なくないが、これは効果がないと研究でわかっているらしい。ウェルビーイングの満足度が高い人ほど、福利厚生を積極的に使い、低い人は利用せずに終わってしまっているのだそうだ。

企業はウェルネスプログラムや専用施設をつくるのではなく、信頼や敬意あふれる企業文化の醸成をぜひ推進していってほしいと山崎氏は語る。

山崎氏「部門のリーダーや意思決定者が、リスペクトや思いやりを持って仕事をしたり、従業員の自主性を尊重し、裁量を持てるような仕事環境をつくっていったりすることこそが、従業員のウェルビーイングに直結していきます。

また組織として、パーパスを明確にしておくことも大切です。自分たちの存在意義を示し、経営戦略に反映していく。ここで重要なのは、パーパスだけにならないことです。財務面をおざなりにしない。財務とパーパスをどちらも追いかけながら経営をする。すなわち、“真摯に経営に向き合う”。当たり前のことを言っていますが、これがなかなか難しい。妥協や言い訳をせずに経営していただきたいと思います」

業績が悪化してしまったとき、パーパスの追求を一旦脇に置き、コストカットに踏み切る企業もあるだろう。痛みが伴うかもしれないが、いざというときも財務とパーパスの両立に心血を注ぐことが重要なのかもしれない。

イベントの最後に山崎氏は「ウェルビーイングは基本的人権である」と言い切った。企業にWinがあるからではなく、当然のものとして、ウェルビーイングの実現に取り組んでいかなければならないと。そして自身の活動について「人々が息をしやすい、より良い社会の実現にむけて、ビジネスの中にウェルビーイングを浸透させていく小さな波を作っていきたい」と語り、イベントを締めくくった。