デザインをめぐる往復書簡 #7 「山本郁也 → 川地真史」

山本郁也から川地真史へ

川地真史様

長野に移住して、二度目の冬を迎えようとしています。花がなくなり、山の形がはっきりと見えるようになってきました。そんなこの季節の景色も嫌いではありません。
お忙しいようでしたが、体調など崩されていないでしょうか。

先日、東京国立博物館で開催されていた「正倉院の世界」という展示に行ってきたのですが、螺鈿紫檀五絃琵琶など、感動せずにはいられない宝物ばかりでした。本当に見ることができてよかったと思っています。しかし、そういったこの国の宝を見ていて思ったことがあります。日本人が余白を愛するというのは、本当なのだろうかということです。

日本美術では、日本人は余白を大切にするということをよく言うと思います。控えめな表現が生み出す優雅さこそが日本人の心なのだと。しかし、正倉院の宝物は、まったくそうでないものばかりです。琵琶に埋め込まれた多数の螺鈿、屏風に敷き詰められた動物の毛、絵の隅々まで描かれた線、そこに余白などはありませんでした。むしろその逆、究極までに詰め込まれたエネルギーこそが、日本人が真に憧れたものではないのだろうか、そう思ってしまうくらいでした。そう考えると、空間が情報で満たされた現代は日本人の隠れた憧れを反映している、そんな風にも言えるかもしれない。
もちろん、これは単なる妄想です。エビデンスもなく説得力もない、ぼくの独り言なので真に受けないでくださいね。

さて、本題ですが、いつの間にかこのやり取りもこれで九回目、初回から約一年が経過しました。時間が経つのは早いものです。そして、ここまでやり取りして気づいたことがあります。それはこの手紙の全体を「絶望」が貫いていたということです。
なぜなら、ぼくも川地くんも、とにかくデザインについて悩んでいる。そして、解決策もほとんど思い浮かんでいない。ぼくたちは、(いや、少なくともぼくは)とにかくいまの社会や世界に絶望している。

しかし川地くんからの手紙を読んでいると、ほんの少し希望を感じる瞬間もありました。たとえば、前回紹介してくれた「Future Design」、これは確かにとても良い話だと思いました。10万年とまでは言わなくても、7世代先を考えるとか、100年後を考えるとか、いや、まずは10年後でもいいかもしれない。とにかく、そういった「未来」の議論が日本の現場でもできるようになれば、まだ希望はあるかもしれませんね。

正直に言うと、ぼくはここ数年、この領域でぼくがやるべきことを見失っていました。デザインという領域で活動し続けることを、諦めそうにもなっていました。もちろんこれは、デザインが悪いわけではありません。単純にぼくの能力の問題です。
だからデザインを信じてフィンランドに行った川地くんをとても眩しく思っていましたし、羨ましくも思っていました。そして、川地くんから何度も「Future」という言葉を聞いて、勇気づけられもしました。

でも、それでも、ぼくはもう「デザイン」という言葉を使い続けることの意味を見出せなくなっています。だって、ぼくらの夢が叶うなら、手段は何でもいいはずです。デザインという言葉を使わなくても、目標を達成できるならそれでいい。もしくはもっと相応しい言葉があるかもしれない。
それなのになぜぼくたちはデザインという言葉を使ってしまうのか。なぜぼくたちはデザインという言葉を欲望してしまうのか。

ぼくはずっとこの呪いを解きたかったのです。川地くんの言うデザインの外側へと出たかったのです。
だからぼくはもうデザインという言葉にこだわることをやめようと思います。同時に、デザイナーを名乗ることもやめようと思います。ずっと悩んでいましたが、川地くんと対話をしていて、ようやく決心できました。
デザインという言葉を使わずに、そしてデザイナーと名乗らずに、それでもデザイナーでいること。それがぼくなりの、デザインの先へ進む方法です。

しかし、それはつまり、この手紙のやり取りを続けることができないことを意味します。デザインについて語るのをやめるのであれば、この手紙も終わりにしなければならない。

このやり取りをはじめて約一年、いろんな話ができました。デザインの神性、デザインと資本主義、ゲームと想像力、問題解決という問題、デザインの外側、ほかにもたくさん。デザインの世界が大きく変わろうとしているこの時代にこんな会話をできたことを、とてもうれしく思います。大変楽しい時間でした。

またいつかどこかで語り合えたらうれしいです。今度は、デザインのこともビジネスのこともぜんぶ忘れて、恋愛の話でもしましょう。(ふざけているわけではなく、ぼくは恋愛というものをとても大切に考えています)

最後に一つ、ぼくの好きな言葉をおくります。川地くんなら、たどり着けると思います。

“これを思いこれを思い、これを思って通ぜずんば、鬼神まさにこれを通ぜんとす”
– 荻生徂徠

約一年、本当に有難うございました。

山本 郁也