デザインをめぐる往復書簡 #8

川地真史から山本郁也へ

山本郁也様

このやり取りも始まってから半年以上になりますね。なんだか大変遅れてしまいごめんなさい、と毎回言っているような気もします。夏休みは修士研究に大忙し、そして書き始めたら思いのほか、返信に苦労してしまいました。
そうこうしていたら、早いもので夏も過ぎ去ってしまいました。北欧の国々にとって夏の一月は、太陽の恩恵を全身で味わえる大切な季節なのです。

夏休み中に少しの間、一時帰国したのですが、日本の都市はやはりあふれる情報の量が桁違いですね。街中や電車の広告の量、人の量。思索する余白がすべてあらゆる情報で満たされてしまう、と感じてしまいました。

それはさておき、今までのやりとりで浮かび上がってきたのは、デザインの問題解決からの解放、そしてその一つの可能性として今必要なのはまだ見ぬ未来や次世代へコミットするための「ロマン・夢の復権」と「想像力」とまとめていただきました。率直に、もう大変にしびれる内容でした。

この暗黒的な閉塞感ただよう時代に夢を見る、ということは新たな希望を生み出すことに繋がります。夢を見て、希望を紡ぎ、小さい一歩でも前に進んでいく。結局いまできることはそれに尽きるのかもしれません。

以前、郁也さんがTwitterでこのようなことをお話していましたね。

ぼくたちは言語を通じて物事を認識し、共通の理解を生み出し、なんらかの実践をおこなっている。だとすると、言語はデザインの実践をある型にはめてしまう。その結果、今日のデザイナーの実践はちっぽけで未来の世代に無責任なものになり、「どうすれば戦争をなくせるのか?」というスケールから「どうすればアプリをまた起動してもらえるか?」という問いに置き換えられてしまいました。

「ロマンの復権」にまず必要なのは、クリッペンドルフも述べるようにデザインの実践に対して批評的になり、かつ多様なディスコース=言説を生み出すことが第一歩となるかと思います。この書簡のやりとり自体もそうした営みに位置づけられるでしょうか。しかし、日本ではこうした言説が異様なほどに少ないことは、やはりこちらに来て痛感するところです。

デザインに対する批評も可能性を投じる言説も、なぜか日本の業界からはおかしなほどに出てきません。この手のお話をしてもお金にはならないし、受けがよろしくないからでしょうか。またはデザインの意味を問い直す必要性に気づいていないかもしれない。ぼくが最初に日本から出て行きたいと感じたのも、そうしたことへの危機感がひとつの理由でした。

先日アールト大学の研究チーム主催のDesign for Sustainable Futuresというユートピアやサステナブルな未来をテーマにしたトークイベントに参加しました。あるフィンランドの参加者が「自分は1980年代の第三次世界大戦が起こるか不安で仕方がなかった、しかし昨今の環境問題はそれと同レベルの不安と危機感を感じている」と話していて、素直にこのレベルの危機意識を持っているのかと驚きました。

この発言から、未来へコミットするためには社会総体でこうした恐れを乗り越え、希望をどう培っていくか?デザインはそれに対して何が可能か?という大きな話題の対話に繋がったのです。こうした言説の周囲に共同体が築かれていき、新たな可能性やムーヴメントが現れてくるのだと感じた瞬間でした。このような言説と実践の往還、それを取り巻く共同体を多様化していくのがデザインの可能性を開いていくことにも必要なのでしょう。

とはいえ、先のイベントや言論はアカデミアに閉じずに公に開かれてはいるものの、ぼく自身が今はアカデミアというある種のバブルに身を置いていることは確かです。要はぼくがいるのは、既存のビジネスとは異なる論理で動く、未来へ投資できることが許容・推進されているシステムといえます。ただ、フィンランドでは行政、アカデミア、ビジネスの間で、知・実践が循環される仕組みが整っており、こうした言説もアカデミアに閉じず実践に接続できています。

日本の現状を考えた場合どうなのだろうと想像しました。そのような仕組みがないのは自明ですし、未来を向いた教育や研究ができているのかも疑問です。お金に還元できるものや即効性ある役立つこと以外はどうしても優先順位が下がる構造的な問題の中で、どのようにデザイナーがロマンを追求し実践できるのか、そうした言説を増やしていけるのか。正直どうすればいいのかはわかりません。

巨大で支配的なビジネスの論理に依存せず、適切な距離を保つ言論空間やシステムを作ることはできると思います。先に述べた言説の周囲につくられる共同体はまさにそのひとつである一方、分断的な問題は常につきまといます。例えばこの書簡が届いているのも一定の層に限られるかもしれない。とはいえ、それを理解しつつ小さな一歩を踏み出し続けるしかないのだとは思います。

そうした意味では、もう「デザイン」という言葉には頼らないというのはひとつの選択であり、理解がいきます。ビジネス文脈においても、ビジネス担当者と会話をするのにデザインという言葉を用いず翻訳するのは必要とされることです。

しかし、それ以上にぼくにとって意味をもつのは、今の日本を眺めていても“デザインの外”に出たほうがよっぽど未来へコミットする実践者が多いのでは、と感じることです。素晴らしいデザイナーがいることも確かですし、デザインの領域も発展していて、アカデミアでは持続可能な未来への社会の移行を目指すTransition Designや日本でも次世代を見据えたFuture Designなどの、デザインの理論や実践が生まれつつあります。

この流れは非常に好ましいと感じます。しかし、例えばTransition Designのような社会の移行は、専門家としての“デザイナー”のみが単一で背負えるような領域ではありませんし、バックミンスター・フラーの壮大なヴィジョンも“デザイン”として理解を得ることは難しいと認めざるを得ない。ここで、以前お話したデザインが閉じているという問題にまたぶつかります。多くの人々の間で、いや、デザイナーの間でさえ、デザインは近代的で直線的な問題解決という枠組みに閉じているためです。

一方で、ここ最近はフィンランドに来て生まれたご縁の中で、むしろデザインという言葉の“外側”でデザインの実践をされている方に出会います。デザインという言葉を意図して使ってない場合もあるでしょうし、意識すらしていないかもしれない。しかしぼくの実感として、日本のデザインのあり方に失望を感じていたところから、その事実にはこれからの希望を感じられたのです。なぜならデザイナーを名乗る多くの人よりも、夢あるデザインの実践を行っていると感じられたからです。

言説を生み出しデザインを問題解決の束縛からあらゆる可能性を開いていく傍らで、非デザイナーにデザインを開いていくのか、はたまたデザインの外に出るのか、そうした選択肢・可能性を考えさせられました。この書簡のテーマもデザインの問題なのではなくて、根本的には社会的な問題なのだと思います。それを踏まえてデザインを考えるには、デザイン以外のことー民主主義、政治、哲学などーに目を向ける必要があるのは不可欠です。

ぼくもフィンランドに来て、1年がたち、ぼんやりこの先をどうするか考え始めているところです。心持ちとしてはやはりDesign Futuristという姿勢を持ち続けたい。一方で、デザインに対するある種の自己依存を自覚し、そこから抜け出したいとも感じています。自分の中でもうまく言葉にできていない部分が多く、よくわからない文章になってしまい、なんだかごめんなさい。

こちらは朝方の気温が0℃近くなり、とても寒くなりつつあります。長野もお寒い時期だと思いますので、風邪にはお気をつけください。

川地真史