週末に新海誠監督の最新作『天気の子』を観た。前作『君の名は。』から3年ぶり。予告編等もほとんど観ることなく、上映へと足を運んだ。

作品の内容は、予想外だった。僕にとっては良い意味で。世界で注目される「気候危機」へのメッセージを込めているように受け取ったからだ。

ボーイミーツガール的な話や新海誠作品としてのレビューは色々と出ているので、僕は軸を変えて『天気の子』の感想を書いてみたいと思う。

なお、ここからはネタバレを含むので、作品をすでに観た人だけが読むことをおすすめする。

現実から目を背ける大人たちへの批判

新海誠作品は共通して大人への批判がある。大人という存在を社外や権力と結びつけながら描いている。

RADWIMPSが歌う本作の主題歌である「愛にできることはまだあるかい」では、以下のようなフレーズが登場する。

諦めた者と 賢い者だけが
勝者の時代に どこで息を吸う

支配者も神も どこか他人顔
だけど本当は 分かっているはず

勇気や希望や 絆とかの魔法
使い道もなく オトナは眼を背ける

オトナは勇気や希望から目を背ける。都合悪い事象からも目をそらす。晴れを呼び続けると消えてしまうのではないかということがわかったときの、大人の反応はこうだ。

「1人が犠牲になることで変わるのなら、そのほうがいい」

帆高の面倒を見ていた須賀圭介は、家族を理由にそうもらす。須賀の姿は、帆高のあり得た成長した姿だ。

守るべきものが増え、自分を納得させることがうまくなり、現実から目を背けながら生きる。須賀は大人の弱さを象徴している。

大人たちは、自分や身近な人を大切にしたいからこそ、特別な存在である巫女の犠牲を仕方ないと思っていた。だが、少年少女も人間だ。当人たちも、自分や大切な人のための決断をしても仕方ない。

作中で決断への批判はないが、現代社会の自分にできない決断を能力や立場のある人には求めていく風潮への批判も垣間見える。

神秘の時代の終焉

『天気の子』では、空から魚のようなものが降ってくる。空から未確認の物体が落ちてくる現象といえば、天空の城ラピュタが原因という説もある「ファフロツキーズ現象」が有名だ。空には龍や魚に見える生き物のような存在がいて、雨と共に地上に降りてきている。作中において、空は神秘に満ちていて、現代でもその神秘が残っている。

鳥居に願いを捧げ「天気の巫女」となった陽菜は、「100%の晴れ女」として晴れを求める人達の願いを叶えていく。だが、晴れにする行為と引き換えに、自分の存在が消失に近づいていってしまう。

古来から存在したという「天気の巫女」は、天候を安定させるという人々の願いを叶えていった結果、存在が空へと消えていったという。これは言うまでもなく、1人が犠牲になることで全体が助かる、生贄の文化、人身御供であり、神秘の時代の代物だ。

2ヶ月以上雨が降り続いていた東京は、巫女の消失と引き換えに晴れ間が戻る。天気の巫女の犠牲によって通常通りの天候が戻ってくるが、帆高はその現実を拒絶する。世界よりも、目の前の少女の存在を選んだ。人柱の否定であり、神秘の時代からの脱却を意味する。

古来より神秘性と権威は結びついてきた。神秘の否定という場面は、劇中で度々描かれてきた大人や警察、児童相談所など権威を象徴する存在に対する否定ともとれる。

彼らは明確に神秘を、権威を否定し、自分たちの道を歩み始める。空を神秘と捉え、人柱という神秘によって安定させるのではなく、神秘ではないものとして向き合っていくことになる。

人新世と起こりうる未来

少年少女の選択の結果、再度雨は降り続くことになった。3年に渡って降り続いた雨は、東京の一部を海に沈める。作品の最後では海に沈む東京が描かれる。

「自分たちが決定的に世界の仕組みを変えてしまったんじゃないか?」そう悩む帆高に対して、大人たちは言う。「もともと世界は狂っていた」「200年前までは海だった場所が、また海に戻っただけ」だと。

ここでも現実から目をそらす大人たちが描かれる。天気の巫女の犠牲による天候の安定(=神秘)と、現実を見ない大人(=権威)を否定した帆高たちは、現実に向き合う。

帆高が終盤のシーンで「アントロポセン(人新世)」をテーマにした記事を読んでいることからも、現実に目を向けている様子が見て取れる。

アントロポセンとは、人類の時代という意味の新たな地質年代の名だ。人類の活動が、地質学的な変化を地球に刻み込んでいることを表わす。

地球が神秘に満ちていた時代は終わり、現実では人間の活動が地球環境の運行に影響を及ぼすまでになっている。これは、僕たちが生きる現実世界でも言われている話だ。

「あの日私たちは世界の形を決定的に変えてしまったんだ」

アントロポセンについて触れた後では、作品を象徴するこのセリフの受け取り方が変わってくる。世界の形を決定的に変えてしまった私たちとは、僕らも含むのではないか、と。

目を背ける大人を否定し、神秘の時代から脱却した僕たちは現実に向き合う。僕たちが、地球の運行に影響を与えているという現実だ。本作では、異常気象が続いた結果、東京は海に沈む。これは、僕たちの現実でも起こり得る未来だ。

小説版「天気の子」の最後で、現実を見つめて帆高はこう語る。

「世界は最初から狂っていたわけじゃない。僕たちが変えたんだ」

アントロポセンは人類が、僕たちがもたらした変化だ。

僕たちにできることはまだある

では、彼らは、僕たちはどう生きるのか。そこに対して作品内では直接示唆されていない。神秘がなくなったとしても、変わらず晴れになることを祈っている陽菜と帆高が再会して物語は終わる。

アントロポセンの時代、一人ひとりではどうしようもなさそうな現実を前にして、僕たちはどう生きれば良いのだろうか。

僕は、「愛にできることはまだあるかい」で歌われたフレーズが、不安へのアンサーだと受け取った。

「僕にできることはまだあるかい?」
「僕にできることはまだあるよ」