知らぬ間に失っていた想像力

「俺、日本語を勉強してるんだ」

2012年、オレゴン州の大学に留学した私は、軽犯罪者向けの刑務所で、そう話しかけられた。決して服役していたわけではない。所属していた太鼓クラブの活動で演奏をしにいったのだ。

日本語で話しかけてくれたのは、恐らく40歳前後、白人の囚人男性。別の言語を勉強するのって難しいけど面白いよねと会話が弾んだ記憶がある。

留学をしている間、人種や宗教、社会的な性的指向がどれだけ違っても、きっと共感し合えるはずだ、わかりあえるはずだと、無邪気に信じたくなる経験がいくつもあった。そして、同じようにそう信じ、日本人にも分け隔てなく接する友人に囲まれて過ごした。彼らの多様性を重んじる姿勢は、18年間ずっと日本で過ごしてきた私に、とても魅力的に映った。

しかし、帰国して数年、アメリカでは堂々と差別発言をする人物が大統領になり、人種や思想、社会階層による「分断」が問題視されるようになっていた。とくに、変化を愛するリベラルエリートと、安定を重んじる保守白人ワーキングクラスの間には、よりよい社会に向けた議論が不可能なほど、大きな隔たりがあることが明らかになっている。

わたしは、ごく一部の人が理想とする“多様性あるアメリカ”に憧れ、白人ワーキングクラスをネタにするコメディアンの動画で笑っていた。思想や価値観の異なる彼らなりの悩みや苦しみは想像すらせずに。

こうした分断を加速させた要素のひとつに、インターネットにおける「フィルターバブル現象」が挙げられる。SNSのタイムラインでは、アルゴリズムによって見たい情報だけが選別され、それ以外の情報からは気づかないうちに遮断されてしまう。

また、SNSでは良くも悪くも人の感情をインスタントに刺激するものがシェアされやすい。ジャーナリズムを専門とする林香里氏は著書『メディア不信――何が問われているのか』のなかで、次のような調査を紹介している。

科学的技術とメディアの相互作用を研究するパブロ・ボツコフスキは、ソーシャル・メディア上では、個人的関心や情緒的ストーリーが、時事的ニュースよりも優先される傾向があることを、若いユーザーたちへのインタビュー調査の結果から指摘している

手っ取り早く関心や感情を刺激してくれる「見たい」情報だけを摂取できる。そんな「おすすめ」タブの便利さと引き換えに、わたしたちは他者への想像力をちょっとずつ失ってしまったといえるのかもしれない。それは、決して米国だけで起きていることではないはずだ。

対話を生むオランダのオルタナティブメディア

インターネットやウェブメディアに携わる人間として、こうした状況を変えられないか、互いに想像力をもって歩み寄る手段がないか。フリーランスの編集者・ライターとして働き始めた一昨年ごろから、そうした課題意識を持つようになった。

その頃に出会ったのが、オランダのジャーナリストグループ『Bureau Boven』の主催するポップアップミュージアム『I’m So Angry』だ。

彼女らは冷戦下を生きた個人に取材をし、一人ひとり物語を上の写真のようなポップアップミュージアムに“展示”している。訪れた人が交流できるようなブースも用意し、思想や価値観の異なる人々同士の対話を促す。その取り組みに分断を救うヒントがあるような気がした。

去年の夏、オランダを訪れ、彼らに直接話を聞いた。そのとき、こんな話を教えてくれた。

Kollau氏「以前、日本でミュージアムを開催したとき、冷戦時代にチェコで共産党員だった男性の物語に、日本人の男性が強く共感していました。

そのチェコ人の男性は、元共産党員であった過去に対する社会の偏見を恐れ、周囲に打ち明けられないと記していた。それに対し、日本人の男性は、『弱さを見せられない日本の職場と同じだ』と話していたんです。個人の物語は、国や時代、思想を超えて思わぬつながりを生む。『I’m So Angry』を通してそんな瞬間をつくっていけたら嬉しいです」

ほかにも、オランダでは新たなメディアやジャーナリズムのあり方を探る試みが生まれている。

例えば、以前紹介した『De Correspondent』は、センセーショナルな情報を一方的に伝えるのではなく、一つのテーマについて深く掘り下げ、時には読者を巻き込みながら報道する。

「私たちはステレオタイプと偏見、恐怖による煽動と戦っていく」
「私たちは課題を報じるだけでなく、それに対して何ができるのか伝える」
「私たちはあなたたちのような知識溢れるメンバーたちと共に創っていく」

彼らの掲げるポリシーに私自身も強く共感する。と同時に、このような思想を持ったメディアが、1700万人前後の人口を抱えるオランダで、6万人を超える有料購読者を獲得していることに希望を感じる。

メディアにできることを探して

広告モデルからの脱却、速報ではなくin-depth(深く、時間をかけた)な報道、主観をあえて排除しないストーリーテリング、リアルな場づくり。オランダの事例からは、対話を生むメディアをつくるための手がかりが、いくつも浮かび上がってくる。

彼らの取り組みをより深く知ることで、きっと日本のメディアにも、何かしらのヒントを持ち帰ることができるはず。(あるいは、日本の取り組みのなかで、彼らにとってヒントになるものがあるかもしれない)そのために、オランダに長期滞在し、複数のメディアやジャーナリストを取材して回りたいと考えるようになった。

先日にはクラウドファンディングを行い、ありがたいことに、すでに多くの支援をいただいた。これだけ同じ課題意識を持つ人がいるのだという嬉しさと心強さを感じた。正直、とても不安だし、緊張もしている。

せっかくなら、私自身も、対話を生むような発信に挑戦していきたい。その一歩として、夏からの取材では、SNSなどでプロセスを共有し、読者のみなさんの意見も可能な範囲で取り入れつつ、発信していけたらと考えている。

来週には小規模なイベントも開催する予定だ。当日来られない人も「こういう話が気になっている」とか「ここが課題だと思う」といった意見があれば、ぜひ教えてほしい。

正しい答えを示すことはできないけれど、問いを深める材料や私なりの考えを共有することはできると思う。みなさんと一緒に考えていくなかで、人と人をつなぐメディアの形が見えてくるはず。そう、信じている。