今日もSNSでは誰かが怒っている。その怒りに誰かが反応し、また突発的な感情だけが拡散していく。

以前の私は、こうした怒りの表明こそが、社会の変化を促すと信じていた。1人の小さな声が大きな渦を生み、社会をよりよい方向に動かしていくのだと、目を輝かせてリツィートを押した。

しかし、怒りへの共感は、特定の個人や組織への攻撃に変わり、そのうち忘れられていった。何度やってもその繰り返しだった。

「これ、本当に意味があるのかな」ーーとあるポップアップミュージアムを訪れたのは、そんな違和感を抱き始めていた、昨年の冬のことだった。

“個人の物語”を展示するポップアップミュージアム

オランダのジャーナリストグループ『Bureau Boven』の主催するポップアップミュージアム『I’m So Angry』。展示の入り口に書かれた文章は、私が抱いていた違和感を代弁してくれている気がした。

「私たちは多くのことに反対しているが、それが“何のため”か理解しているのだろうか?そして、私たちは本当にそのために戦いたいと思っているのだろうか?この展覧会では、あなたにこう問いたい、あなたはいったい何のために異議を申し立てるのか?」

『I’m So Angry』は、冷戦下のヨーロッパにおいて、自由を求めて抗議運動に参加した個人の物語を紹介するポップアップミュージアムだ。展示されたパネルには性別や年齢、生まれた国も異なる人々の物語が綴られている。

1960年代のチェコスロバキアで、ソ連の占領に反対し、焼身自殺を図った兄とその妹。70年代のポーランドで市民権にまつわる出版禁止の印刷物を作っていた女性、80年代末期のエストニアで、禁じられていた祖国の歌を歌う「革命」に参加した家族。

彼ら、彼女らの物語だけでなく、登場する人々が身につけていた衣服や、抵抗運動の際に火を灯した柄杓なども展示されている。

一人の人間が何に不安を感じ、怒り、抵抗していたのか。目の前のテキスト、手で触れられる距離にある物体を介して、その人の想いがより身近に感じられる。スクリーンに映し出される100文字前後の文章を読むよりも、ゆっくりと時間が過ぎていった。

ソビエト時代に禁止されていた“自由や祖国をテーマにした歌”を歌う抗議イベントの音源を聴くことができた

『I’m So Angry』では、訪れた人が「何に怒っているのか」を示す“抗議のサイン”をつくり、その様子を撮影できる。撮影した画像は、他の国で展示を開催する際に、画面に表示されるのだという。

私が訪れた際も、世界中の人々が「何に抗議するか」を手書きのサインと共に表明する様子が、次々とスクリーンに映し出されていた。

自分は何に怒っているのかうまく表現できず、私はサインを書かなかった。何より、展示された“物語”と向き合う時間は、個人の感情が決して一言や二言で表現しきれないことを、教えてくれた気がした。

けれど、「わたしは何に怒っているのか」という問いは、その後もずっと頭の片隅に残っていた。

何が変わったのか。25年前を見つめ直す営み

どうして物語を展示するポップアップミュージアムが生まれたのか。そして、なぜ彼らは訪れた人にも意思を表明するよう促すのか。

そんな疑問を携え、私は『I’m So Angry』の企画から制作を担った『Bureau Boven』のEmmie Kollau氏とデザイナーのTijl Akkermans氏の元を訪れた。

『I’m So Angry』は、冷戦下の人々の物語をテキストや音声、動画で発信するプロジェクト『IRON CURTAIN PROJECT』の一環として、2014年に始まった。

ベルリンの壁崩壊からちょうど25年を迎え、社会を覆う空気が着実に変化を遂げている時期だった。

Kollau氏「25年前、私たちはもう境界はいらないのだと、平等で幸福な社会が実現されるのだと無邪気に信じていました。しかし、移民に対する反対運動を目にする機会が増え、右派の政党が力を持ち始めるにつれ、『私たちは“European”(ヨーロッパ人)だ』と胸を張って宣言できる時代は終わってしまいました。

今ならきっと『現実を知らないリベラルエリートの妄想だ』と笑われてしまうでしょう。その代わりに『私はナショナリストだ』と口にする人がいても誰も笑えなくなってしまった。いったいこの25年で何が変わってしまったのか。それを理解するために、壁が崩壊する前のヨーロッパで暮らしていた人々の姿を見つめ直したいと考えたんです」

真っ向から対立する代わりに過去を丁寧に見つめ直す。彼らの姿勢に共感すると同時に、この一見遠回りな手法自体に、“現実を知らないリベラルエリート”らしさを感じる人も沢山いるだろうと思った。

この途方もない「分断」の背景を紐解いていく試みは、どのように「ポップアップミュージアム」というアイディアへと、発展していったのだろうか。

ポップアップミュージアムは物語への多様な“入り口”

当初『IRON CURTAIN PROJECT』では、オランダやチェコ、ポーランドなど複数の国で、冷戦下を生きた人々を取材し、ウェブサイト上で記事を発信していたという。

Kollau氏「実際にその人の口から当時の話を聞くと、感情がよりダイレクトに伝わってくる。なかには、その時代に使っていた物を持ってきてくれる人もいました。するとその人の見ていた景色に一層近づけるような気がしました」

しかし、取材の一環として読者と話すイベントを開くうちに、オフラインの場でも物語を届けたいと考えるようになったという。

Kollau氏「自分の体験をより多くの人と共有したい。そう考え、ウェブサイトだけではなく、オフラインの場でも発信することにしました。移動式なら世界中を巡ることもできる。だったら、ポップアップミュージアムがいいのではと、アイディアを膨らませていったんです」

『I’m So Angry』のデザインを手がけたTlji氏は、オフラインならではの多様な“入り口”を用意しようと試みた。

Tijl氏「『25年前の冷戦下の物語』と聞いたら、『退屈そうだな』と感じる人が多いでしょう。だからこそ、物語にたどり着く『入り口』を用意したかったんです。テキストを読むのが苦手な人も、目の前に何かしら物が展示されていれば、あるいは音楽や動画があれば、そこに関連する誰かに興味が持てるかもしれませんよね」

参加型の展示から紡がれる“問い”と“対話”

冒頭で紹介した通り、『I’m So Angry』には訪れた人が自らサインを書き、展示に“参加”する仕掛けも用意されている。

私が「サインに何と書くべきかわからなかった」と話すと、Kollau氏は笑顔で、それが狙いなのだと答えてくれた。

Kollau氏「ジャーナリストの役目は、人の考えに変化を促すことだと思っています。訪れた人にサインを書いてもらうのは、それまで考えていなかった物事に想いを馳せてもらうため。『何に怒っているのか』を表明してもらう行為自体が目的ではありません。

何を書けばいいかわからず、家に帰ってからも考え続けてくれるほうが嬉しい。一切迷わず『みんなヴィーガンになるべきだ』と書いて帰っていく人もいますが、それはとても危うい考え方だと思うんです」

「怒りを表明しなくていい」という彼女の言葉にホッとする。

何を書けばいいかわからない自分と対峙し、ゆっくりと思考を巡らせる。これはきっと、反射的にリツィートを押していた過去の自分、あるいは同じような誰かが、気づかぬうちに失ってしまいがちな時間だ。

もう一つ、彼らが展示を訪れた人に参加を促す意図がある。それは、対話から新たな物語を掬い上げることだ。

Kollau氏「以前、ハンガリーでポップアップミュージアムを開催した際、過去の出来事にまつわる写真を用いて、簡単なアニメーションをつくれるブースを用意しました。

訪れた人に『3分でできるのでやってみませんか?』と声をかけると、『それくらいなら』と参加してくれる。そして集まった人同士が、自分自身や家族のことを話し始める。そのうち何となく打ち解けて、ふいに『ソ連が侵攻してきたときに…』と、その人が見てきた歴史が顔を出すんです」

誰も聞いてくれなかった個人の感情が伝わる瞬間

オフラインの“場”を用意し、そこに集まった人と言葉を交わしながら、次の取材相手を見つけていく。オランダの大手メディアでジャーナリストとして働いていたKollau氏にとって、『I’m So Angry』はそれまで体験した“取材”とはまったく異なるものだった。

Kollau氏「以前は特定のトピックを取材をするなら、どのメディアにも出ている専門家に取材を依頼するのが当たり前でした。今は私たちと同じ普通の人の、普通の物語と向き合っている。それはまったく違う体験です。

専門家ではない人に名前を出して政治にも関わる話を聞くことは責任も伴います。けれど、『誰もこんな話を聞こうとしてくれなかったから本当に嬉しい』という人もいました。専門家の話を取りにいって、文字制限内に収めようと苦労していた頃より、今の方がずっと社会を深く学んでいるような気がするんです」

Kollau氏らの紡ぐ“普通”の個人の物語は、国や立場、時代を超え、思いがけない共感を生むこともある。

Kollau氏「以前、日本でミュージアムを開催したとき、冷戦時代にチェコで共産党員だった男性の物語に、日本人の男性が強く共感していました。

そのチェコ人の男性は、元共産党員であった過去に対する社会の偏見を恐れ、周囲に打ち明けられないと記していた。それに対し、日本人の男性は、『弱さを見せられない日本の職場と同じだ』と話していたんです。個人の物語は、国や時代、思想を超えて思わぬつながりを生む。『I’m So Angry』を通してそんな瞬間をつくっていけたら嬉しいです」

「I’m So Angry」では、立場も時代も異なる個人の物語と対峙し、ゆっくりと「自分が何に怒っているのか」に想いを馳せる。その場に居合わせた人と言葉を交わし、他者の目に映る社会のあり様を知る。そして、無理に怒りを表明しなくてもいい。

そんな、答えの出ない地道なやりとりの集積こそ、怒りの拡散しやすい時代に、異なる意見を持つ人をつなぐ可能性を持っているのではないだろうか。