文化財が日本の観光を変える?
日本には課題も多い。人口が減少する中で、どのように経済を成長させるかという議論が展開されることも多い。デービット・アトキンソン氏は著書『新・観光立国論』の中で、観光に可能性があると説いた。
日本で実現のハードルが高い移住者を増やすのに注力するのではなく、短期滞在者を増やす。日本の観光資源のポテンシャルを考えれば、十分に可能なはずだと同氏は語る。
中でも、ポイントになるのが「文化財」だ。寺院や美術館、城、民俗館など、日本には文化財が数多く存在している。文化を体験するために日本を訪れている人々にとって、こうした文化財も楽しみの1つだろう。
だが、実際に文化財を体験する際にはハードルもある。体験するにあたって前提となる知識が必要な文化財が多いにも関わらず、その知識を伝えるための環境は整備されていない。修繕も最低限になっており、期待以上の体験をすることも難しい。
これは日本の文化財が抱える課題だ。デービット・アトキンソン氏によれば、日本は国から文化財のために用意されている金額がヨーロッパなどの各国と比べて大幅に少ない。
国からお金が出ないのであれば民間でなんとかするしかないが、そこにも課題がある。各文化財は拝観料や入場料はとっているものの金額が安いため、設備投資に回すだけのお金が確保できない。
設備が保全され、体験価値を向上させるための投資ができなければ人は訪れない。価値が上がらない悪循環に陥ってしまっている。日本の文化財は、せっかくのポテンシャルを活かしきれていない。
多言語オーディオガイド「ON THE TRIP」が無料で文化財のガイドを制作
日本の文化財が抱える課題を解決するために動き出したスタートアップがいる。トラベルオーディオガイドアプリを開発するON THE TRIPだ。
世界の博物館や美術館などの文化財では、観光客向けに複数の言語で音声ガイドが提供されているケースが多い。この音声ガイドを使うことで、文化財に対する理解が大きく変わる。音声UXが注目される時代において、ON THE TRIPはその可能性を日本の観光スポットの魅力を最大化することに活用しようとチャレンジしている。
昨年は、「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ」の公式アプリとして、主なアート作品にまつわる物語を紹介したことでも話題になった。
彼らが新たにスタートしたのは、寺社や美術館などの文化財を対象に、施設側の負担は実質ゼロでオーディオトラベルガイドを開発・提供するという活動だ。オーディオガイドの制作のみならず、文化財に関わるポスターやウェブ、書籍の制作に加えて、デジタルマーケティングなどを、ON THE TRIPが行う。これらの活動にかかる費用もON THE TRIPが負担する。
では、どのようにこの活動を持続させ、広げていくのだろうか。新サービスのビジネスモデルは、文化財側とON THE TRIPが参拝者や来館者からの入場料をレベニューシェアする。制作にかかる費用をまかなうために入場料を値上げしなければならないが、ON THE TRIP代表の成瀬勇輝氏は現状の価格設定に疑問を投げかける。
成瀬氏「今の文化財の入場料の価格設定には明確な理由はありません。ですが、値上げの理由もない。オーディオガイドやその周辺のブランディング等に投資することを値上げの理由とし、体験価値を向上させることで参拝者や来館者が増えれば、文化財の収益は上がるはず。このモデルであれば、デービット・アトキンソンさんが指摘している文化財をより良くするためにお金が回らない状態を改善できるはずです」
文化財を楽しむためのガイドを整備すれば、日本人も日本の文化を知りやすくなる。成瀬氏は「将来的には、地元の人と海外の人とで値段を分けてもいいのではと考えています。値段がお得になっていると、地元のことを勉強しようとする気になるはず。そうすると、地元の文化財に誇りを持ちやすくなるんじゃないかと思うんです」と語る。
新しい活動を始めるにあたり、ON THE TRIPには、新たなメンバーがジョインした。D4V ファウンディングパートナー、CAMPFIRE 取締役会長である投資家の谷家衛氏と、シンクロ 代表取締役社長、オイシックス・ラ・大地 執行役員 兼 CMT、フロムスクラッチ CIOの西井敏恭氏の2人だ。経験抱負な2人がメンバーとして加わることはON THE TRIPの未来を明るくしてくれる。
メンバーとしてジョインするだけでなく、ON THE TRIPは谷家氏や西井氏から出資を受けている。だが、契約内容には「必ずしもイグジットを求めない」「投資家もイグジットを強要しない」という条文が加えられているという。イグジットを狙わないスタートアップというスタイルも興味深い(新メンバーの参加についてはON THE TRIPの記事をどうぞ)
バンで日本各地を旅するアート系スタートアップ
「僕たちはアート系スタートアップなんですよね」
そう成瀬氏は語る。イグジットを目的とせず、社会的なインパクトや文化的な価値を生むためにスタートアップのようにアプローチする企業のことをそう呼ぶようだ。
彼らは起業しているし、資金調達もしている。けれど、それはイグジットを目指すためではなく、日本の文化財の魅力を最大化し、サステナブルな状態を作るためだ。
ワークスタイル自体にもこだわりがある。彼らは全国各地のガイドを作るために、バンで移動する。拠点となるバスは、夜行バス「VIP ライナー」を運営する平成エンタープライズから、無償で譲り受け改造した。バスの中で仕事や生活ができるよう、DIYで太陽電池と蓄電システム、キッチン、オフィスデスク、ベッドなどが設置されている。
働き方はその会社のらしさを示す。旅好きなメンバーが集ったON THE TRIPの目指す先を考えれば、こうしたワークスタイルを選ぶほうが自然なのかもしれない。
彼らが作るオーディオガイドには「余白」がある。現代には情報が溢れ、日々アップデートされていく。だが、過去の情報はほとんど変わらない。過去の営みを現代的に解釈できるよう「物語」という形式でパッケージするON THE TRIPのコンテンツは、一方的に押し付けられるような体験にならない。
何から何まで、彼らの挑戦は新しい。きっと、大変なこともあるだろう。けれど、彼らは楽しそうに未来を語る。そんな彼らと一緒に、日本の文化を伝える仕事をしたいと思う人は、こちらから彼らの旅に合流してみてはどうだろうか。