人を惹きつける世界観、ブランドはどのように作られるのだろう。
トップの強いこだわりや、独特の世界観、思い描く壮大なビジョンなど、アプローチは人それぞれぞれのはずだ。
東京・蔵前にのれんを掲げる文具店『カキモリ』も、その世界観が数多くの人を惹きつけるユニークな店舗の一つだ。店舗の内装から、取り扱い商品、オリジナルで展開する「手作りノート」や「インクスタンド」など、こだわりを詰め込んだ店舗は文具好きか否かを問わず多くのファンに愛されている。2010年にわずか13坪の店舗でオープンしたカキモリは、2017年11月にはリニューアルと同時に43坪へと増床。事業規模を拡大している。
カキモリのユニークさは、強い世界観でも、ビジョンでもない。コアなファンでない人こそが楽しめる、ストーリーのある体験だ。“文具店”という昔ながらのビジネスでありながら、同社はどのように価値を積み上げてきたのか。カキモリを運営する株式会社ほたか代表取締役 広瀬琢磨さんに話を伺った。
文具の価値が変化する姿を、目の当たりにした
広瀬さんは、祖父の代から続く文具屋に生まれた。戦後から始めた家業は、創業当初大きく伸びるものの、時代の変化と共に薄利多売な事業へと変化。父の代では苦戦する時期が続いたという。広瀬さんは、文具の価値が大きく変化するその姿を目の当たりにしながら、幼少期を過ごした。
広瀬さん「文具って昔は貴重なものだったんです。ですが、私が子どもの頃くらいから大量生産大量消費の時代に入り、文具の価値がどんどん下がっていった。私は様子を間近で見ていました。家業の文具屋も、店舗型から倉庫型へと変化し、一つひとつ丁寧に販売していた姿から、大量の在庫を目の前にする仕事に変化。私が大人になる頃にはペーパーレス、デジタル化も進み、その価値はより感じづらくなっていました」
「家業を継ぐことはないだろう」——学生時代の広瀬さんは当然のように、そう考えていたという。ただ、経営者家系で育った広瀬さんは、将来的には自分で事業を立ち上げたいという思いを胸に抱いていた。
その思いを実現するには経験も知見もない。商売のそもそもを知らねばと、広瀬さんは新卒で外資系メーカーに就職。営業として奔走し、仕事の基本を学んでいった。
ビジネスパーソンとしての経験を積み始めて数年が経った後、広瀬さんは突如、新たな人生の選択肢を提示される。
きっかけは、父が東京の文具屋を買収したことだ。現在、カキモリを運営する株式会社ほたかだ。「継ぐことはないだろう」と考えていた家業である文具の仕事が、選択肢の一つとして浮かび上がってきたのだ。
広瀬さん「26歳の時でした。突然、『東京の会社を買収するが、やってみないか?』と父に声をかけられたんです。兄弟のうち誰かを家業に入れたかったんでしょう。しかし自分の会社を継げとは言えない、そこできっかけになりそうな手を打ったのだと思います」
単に家業を継ぐのではなく、買収した会社の経営に挑戦する。突然舞い込んだ話は、自らビジネスを立ち上げたいと考えていた広瀬さんにとって魅力的に映った。
タイミングも良かった。広瀬さん自身の内側にも、ある変化が訪れていたからだ。社会人として数年働き、働くことの大変さをかみしめる中、文具店の変遷を斜に構えて見ていた自分に気づくと共に、家業を苦労して成長させてきた父の凄さを実感していた時期でもあった。
家業の捉え方への変化、そして自身でビジネスを手掛けたいという想いがそろったタイミングだった。広瀬さんは文具業界の門を叩く意志を固めた。
こだわりはあるが敷居は低いことの価値
2006年、広瀬さんはほたかへ入社。いち会社員から経営者へ。広瀬さんに求められる視座も、あり方も大きく変わることとなる。
当時、文具・事務用品はオンライン販売が広がりはじめていた。ほたかが取り組む事業も苦しい局面を迎えていた。大変なことは、入社前からわかってはいた。そのはずだが、広瀬さんの肩には何重もの負荷と責任がのしかかっていた。
広瀬さん「当時のほたかは、法人向けに文具を販売していましたが、売上は厳しい状況でした。文具・事務用品は早い段階でオンライン化が進み、衣料品などと比べても割合は高い。想定はしていましたが、決して楽ではない状況でした」
状況を打破すべく、広瀬さんは一般消費者向けに事業転換を考えた。しかし、消費者向けには大型チェーン店が拡大している。「今から多くの人にリーチできそうな市場を狙っても間に合わない」という直感はあった。
そこで、広瀬さんは他の小売業に解を求めた。その過程で、チェーン店がひしめく中、“こだわりを持つ店”を作り上げることで、成功している事例があることに気づく。
広瀬さん「たとえば、飲食や家具、アパレルなどでも、チェーン店は必要です。ですが、時にはこだわりのある店にも行きたくなる。本当に欲しいものがあれば、オーダーメイドしてでも自分に合うものを買う人もいます。文具も、同じことができるのではないかなと思ったんです」
メニューがなく、その日とれた食材にあわせて食事を提供する飲食店。職人が一つひとつ、使う人にあわせてサイズを調整する家具屋。材質、色味、形、ポケットのひとつに至るまで相談しながら作り上げる革小物店など。チェーンのように規格化して展開するのは難しいが、そこで作り出されるものや、作り手のこだわりに共感して足を運ぶお店がある人は少なくないはずだ。
ただし、広瀬さんが目指したのは、“コアなファン”のためのビジネスではない。大勢を狙うわけでもないが、コアなファン狙いでもない。その“間”を意識した。
当時の文具は多くの人が使える商品とファン向けの商品に市場が二極化していた。広瀬さんはその橋渡しをするような「店舗」を作ることを考えたという。空間に着目したのは一体どういった理由だったのだろう。
広瀬さん「専門店や他の文具店とぶつからない“こだわりはあるが敷居は低い”ポジションを取ろうと考えました。ただ、そのこだわりを表現するのが難しい。一歩間違えれば、コアなファン向けになってしまう。
そこで見つけたのが、ものや場の背景にある“ストーリー”を大切にすることでした。ストーリーがあれば、『購買行動』は目的にならず、ストーリーを知る『体験』が目的になる。店舗の目的を変化させることで、敷居とこだわりのバランスを取れると考えました」
では、そのストーリーを伝える上で何を用意するか。商品のストーリーを語るのはもちろんだが、カキモリはある軸を据えた。地域の職人が作った部材を用いて、その場で来店者が思い思いのアイテムを組み合わせて作る「オーダーノート」だ。表紙、紙、部材、留め具…何十種類もある部材を組み合わせ、自分だけのノートをその場で作る。部材一つひとつがストーリーを持つことはもちろん、その体験自体が価値になると考えた。
ストーリーのある文具店を、蔵前という職人の街に
すでに存在する文具店のあり方の間を縫い、「ストーリー」という価値を提供する。
そのストーリーを考える中で見つけたのが、「書く」行為自体と向き合うというメッセージだ。
広瀬さん「IT化によって、年々書く時間が減ってきています。つまり、書くことは“特別なこと”になっている。ですが、書いて頭を整理することや、手書きの温かさ・楽しみは残していくべきだと私は思うんです。カキモリでは、その特別な時間をもつきっかけを作りたい」
「たのしく、書く人。」
この言葉をコンセプトに、2010年カキモリは蔵前の地にのれんを掲げた。
蔵前という場所にもこだわりがあった。蔵前には、紙の加工や手帳づくりなどに携わる職人が集まっている。オーダーノートのように、「地域の産業を生かしたストーリーのある商品を作りたい」と考えていた広瀬さんにとって、魅力的な町だった。
広瀬さん「会社員時代、京都や滋賀など地方勤務を経験したことから、その地域でしか食べられないものや手にできないものに価値があることを感じていました。そこで、蔵前という地域を訪れるからこそ、買えるものを作ろうと考えました」
地域の人々の力を借りて作る商品はカキモリがテーマに据えたストーリーをわかりやすく表している。その地が持つ歴史と、地域に根付いた職人や作り手の想い。それらが詰まった商品には大量生産にない、いくつもの「物語」が積み重なっている。
紙や留め具、箔押しといった部材の調達では、かなりの時間をかけて職人の方々と関係性を築いていった。当初は、直接取引や小ロット納品、少量ずつ作業するイメージを掴んでもらうことに、難色を示されることもあったという。
広瀬さん「受けてもらうには、時間がかかりました。大手企業からの大量発注を請けてきた職人さんたちですから、『小ロットは避けたい』という心理が働くのは当然です。直接足を運んで声を聞いたり、空いた時間にオーダーノートの仕事をしてもらうなど提案し、徐々にお願いできるようになりました」
従来とは異なるアプローチである以上、理解してもらうには時間も関係も必要になる。広瀬さんはそれをじっくりと地道に築き上げていった。地域に根ざすという思いがあったからこそ、しっかりと関係を作れたのかもしれない。
また多くの人に届ける事業ではないからこそ、小さな関係性の輪を地道に広げていくという観点でも、地域に根ざすことは大きな意味を持っているだろう。
立地だけではなく、空間にもこだわった。ノート作りや、ストーリーの共有などをしていると、店舗に顧客が滞在する時間は必然的に長くなる。空間による体験価値の重要度は高い。その内装や作りには、広瀬さんのこだわりが詰め込まれた。
「内装にはかなりこだわりましたね。設計士とアートディレクターに入ってもらい、コンセプトを体現する空間を作り込んでもらいました。正直、当初の予算からは大幅にオーバーしてしまったのですが、そこでしっかりと世界観を構築できたことが後々お客様からも評価を頂けたポイントになったと思っています」
“顧客の声を聞く”、カキモリの文化づくり
これまでになかった顧客をターゲットに据え、店舗の軸にストーリーを置く。内装にも、商品にもその思想を詰め込んだ。後はその価値を適切な人に伝えていくのみ——。
ただ、そう簡単にはいかない。ここまでで用意できたのはあくまで“箱”でしかなかった。店舗でいかに体験をしてもらうか。本質的な価値を作るのに、広瀬さんの前には幾重もの苦労が待っていた。
広瀬さん「実は、オープンから間もない頃は、既存事業との板挟みの中でカキモリを見ていたんです。店に立つのは昼間の数時間だけ。店舗へもあまり意識を向けられていませんでした。ちゃんと用意したから大丈夫…と思っていたのですが、結果、オープン前に目指していた店舗のあり方はなかなか作り上げられませんでした」
既存事業との狭間で、広瀬さんは葛藤を繰り返した。「自分が前に立ち、自らお店の文化を作らなければいけない」——そう思い切れたのはオープンから半年が経ったころだった。既存事業をたたみ、一日中店舗に立ち、広瀬さんは店舗のあり方を常に考えるようになった。
まずは自分自身で、一連の業務全てを経験。カキモリらしい業務のあり方を自身の頭で一度考えた。ここでの広瀬さんの経験が、今のカキモリを形作る大きな軸になる。その軸は、「顧客の声を聞くこと」に尽きるという。
顧客の声を元に、当時から売上を牽引していたオーダーノートにより注力する意志決定をしていった。
広瀬さん「店舗でお客様の話を聞くと、オーダーノートに関して様々な声をいただけるんです。たとえば、表紙にもっとバリエーションがほしい。そこで、厚紙の表紙しかなかったところを革の表紙も導入、種類も倍に増強しました。同様に提供するまでお待たせしてしまうことも少なくなかったので、生産スピードをあげ、よりお店の機能をオーダーノートに集中していきました。これが結果的に多くの人がカキモリに関心を持ってくださるきっかけになったんです」
商品展開のみならず、スタッフのマインドセットや接客も、顧客を起点に再整備した。スタッフは実際に顧客と向き合う矢面に立つ立場。そこで得られる視点や意見は大きな資産だと広瀬さんは考えている。
広瀬さん「カキモリは蔵前という立地条件ゆえ、お客様に『わざわざ来ていただく』お店です。ですから、一歩でも二歩でも踏み込んだ接客をし、お客様の声と積極的に向き合っていかなければいけない。そのためにも、スタッフが受けたお客様からの意見や声は、なるべく拾い上げるよう、仕組みを作っていきました。スタッフが自ら言いづらいクレームも『失敗ではない』と伝え続け、安心して働き、お客様の声を引き上げられる環境づくりをすすめてきましたね」
オフィス内には、スタッフかが受けた顧客の意見を付箋に書いて貼るスペースを設けている。そこに貼られたものは朝礼で見返し、接客・デザイン・生産など、担当の部門に共有。改善に繋げる施策を検討することを日々の日課として取り入れている。
一人ひとりと向き合うから聞こえる“小さな声”
顧客の声を拾い上げるための仕組みと文化作り。小さな店舗であり、ニッチな市場を狙うからこそ、一人ひとりの声と向き合えることを広瀬さんは大切にした。結果、店舗は各方面のメディアから注目を集め、オーダーノートには顧客が列をなすようになる。
店舗の成長と共に事業規模も拡大。そのひとつが、2014年にオープンしたインクを配合してオリジナルインクを作ることができる店舗「インクスタンド」だ。インクの配合というと、一見コアなファンが買い求める“ニッチな商材”に見える。
しかし、これも顧客の声の中から見えたニーズだった。
広瀬さん「オリジナルのインクを販売する中で、『中間色がほしい』『インクを手作りするワークショップをやりたい』という声がお客様からあがってきたんです。つまり、“自分で作る”ことに関心のある人がいる。その要望になんとか応えられないかと考えたときに、店舗にしてしまおうと思ったんです」
当初、オリジナルインクはオフィスの一角を使い作っていた。ただ、スペース的にも狭さを感じていたのもあり、たとえオリジナルインクが売れなくとも、製造拠点として家賃を払っていると考えれば良いだろうと考え、店舗を立ち上げた。
広瀬さん「もちろん、爆発的に売れることはないんですよ(笑)。でも、『なんか綺麗だから作ってみたい』『作ったインクってどうするんですか?』っていう位、決して文具に強い関心がある訳ではない方もインクを作りに来てくれる。間口を広げたことが、私たちが目指すビジョンに近づける手段になるという確信を持つきっかけになりました」
「文具好き」ではなく「商売人」だから作れる“温度”
2017年には、店舗をより大きな物件へと移転。高まるニーズに対応するために、キャパシティをさらに広げた。
オープンから8年弱、業界内ではカキモリを意識し近しいコンセプトの店舗を展開する企業も現れ始めている。その中でも、カキモリが独自のポジションで支持される背景には、広瀬さん自身の文具との向き合い方における”温度感”がある。
広瀬さん「カキモリは、お客様のニーズを汲み、より良くしていく姿勢をとても大切にしています。それは、私自身が『文具好き』ではなく『商売人』の要素が強いから。いまだに私は文具に対して強い関心があるわけではない。”普通”なんですよ。カキモリは、“普通”の人であっても興味をもてる文具屋でありたい。だから、私自身この温度感はとても大切にしているんです」
今後は、海外進出も計画しているカキモリ。ここまで築いてきたカキモリの文化を理解してくれるパートナーと組み、現地の判断と合わせて展開をしていくという。
顧客の声と向き合い続け、ニーズを汲みながら変化していく柔軟性を持つカキモリ。
「たのしく、書く人。」というコンセプトを軸に据えつつも、今後も変化を続けていくことはほぼ間違いないだろう。蔵前の地に限らず多様な場所へと根を広げていく中で、彼らはどのような形へと姿を変えていくのだろう。
だれも想像のできない「カキモリ」と、数年後には出会えるかも知れない。