「編集者は、他人と同じことをしても何の意味もない仕事」と言われることがあるが、なるべく足(とお金)を使って、世界の面白い都市や地域を訪ねるように務めている。

昨年末の旅行の目的地に選んだのが、アムステルダムだった。「アムステルダムは社会のOSが違う次元にあるような印象」と、世界のさまざまな都市についてリサーチを重ねる『WORKSIGHT』編集長の山下正太郎氏に言わしめるほどの魅力とは、一体どのようなものなのか。その都市がもつ秘密を少しでも解き明かそうと、現地のアートやデザイン、クラブカルチャーにまつわる場所を訪ね歩いた。

たとえば、メディアアーティストが運営する実験的なレストランや、ポスト・ヒューマンをテーマとした展示など、いくつか足を運んだ中で特に感銘を受けたのが、アムステルダムの外れにあるDe Schoolというクラブだった。

まちづくりの起点としての「クラブ」

De Schoolは、廃校になった小学校の建物をそのまま利用し、クラブ、レストラン、カフェ、そしてギャラリーを併設したスペースだ。アムステルダムの外れにある開発予定地区に2016年1月にオープンした。

De Schoolを手がけたチームは、これまでにもいくつかのクラブを手がけてきた。2005年から2008年までに旧郵便局ビルを利用した「Club 11」、2009年から2015年まで旧新聞社の建物を利用した「Trouw」などだ。一貫しているのは、開発途中のエリアにクラブをつくり、そこを地域活性の起点にしていること。

「TrouwのあったWibaustraat付近は、本当に何もなかったから、当初『そんなさびれた地区まで行かないとならないの??』なんて不満の声もあった。でもその後徐々にTrouwを核にして、6年後にはすっかり町ができあがっていた」

そう語るのは、De SchoolのファウンダーであるErnst Metens氏だ。彼は、あるインタビューでこのように語っていた。そして、次なるターゲットとしたのが、現在De SchoolがあるJan van Breemenstraatの地区になる。アムステルダムのナイトメイヤー(夜の市長)との交渉を進めつつ、24時間営業のライセンスを取得。行政を連携を取りながら、2016年1月にDe Schoolはスタートした。

小学校の建物をそのまま利用しつつ、レストランも併設している

空間をそのまま利用して、学校で行われるようなクラスを開講したこともあるという

「スノッブさ」が、そのクラブを特別な場所にする

ここまで説明すると、とても社会的意義の高そうなクラブだが、スノッブさも忘れてはいない。遊びに行く前にGoogleマップに記載されたクチコミ情報を見ると、どうやらその日に出演するアーティストに詳しくないと入り口にいるドアマンがクラブに入れてくれない、という出来事があったそうだ。

排他的なクラブと言えば、ベルリンのBerghainが思い浮かぶ。RedBullは「世界一入るのが難しい」と表現し、「Berghainへの入り方」なんて記事を掲載するほどにスノッブなクラブだ。しかも、入れるかどうかは「Berghainにふさわしいかどうか」という曖昧な基準によって判断されるのだから、本当に鼻持ちならないクラブだ。

だが、その排他性やエリート主義的な側面が、Berghainというクラブのブランドを形づくっている。そして、そこで生まれる熱狂が、ベルリンのクラブシーンを、ひいてはベルリンという都市そのものを魅力的な街に仕立てている側面も否定できない。Berghainがあることは、ベルリンに足を運ぶのに十分な理由になり得るからだ。

De Schoolも同じだ。クラブカルチャー好きにとって、独自のスタイルをもつDe Schoolの存在は、アムステルダムという都市を訪ねる理由になる。だから、適度なスノッブさも重要なのかもしれない(多様性を重んじるオランダという国において、De Schoolの排他性は批判されることがあるのもここに記しておく)。

さて、De Schoolの噂は本当なのか? もちろん、当日出演するアーティストの予習も忘れずに、足を運んでみた。ちなみにその日はシカゴ出身のテクノDJであるThe Black Madonnaを筆頭に、何名かの出演が予定されていた。

開場に着いた頃には、既に深夜1時をまわっていたが、そこからが長い。来場者にドアマンが質問をしたり、入念な荷物検査があったりと、一人が入場するのに掛かる時間がとても長い。冬の寒さのなかで当日券待ちの列に並ぶこと約1時間30分。女性のドアマンに「日本から来てクラブミュージックが好きなんだ」と伝えると、アリガトウと日本語で返答をもらいながら、入場に成功! 前に並んでいた人たちを見ていたが、入場拒否されていた人はほとんどいなかったように思える。


(1階にはアーチがひたすら続き、それらが断続的に光り続けるような空間も。割とトリップする)

クラブ内は撮影禁止のため(ここもベルクハインと共通しているところだ)、入り口でスマホのカメラにシールを貼り、いざ中へ。クロークに荷物を預け、地下のステージに足を運ぶ。とにかくスモークが焚かれていて前がほとんど見えない。DJステージも低い位置に設けられており、各々がフロアで自由に楽しんでいる。おそらく、DJとそこで踊る人々に上下関係をつくらず、フラットにするという意図だろう。

音楽キュレーションを担当するLuc Mastenbroek氏は「地下にあるクラブはとても暗いですし、華やかではありません。なのでひとりのアーティストを大きく取り上げたイベントをする場所というよりは、人が時間を気にせずに集う居心地の良い場所です」と、De Schoolのスタイルについて『QUOTATION』誌の取材にコメントしている。

念の為記載しておくと、入念な荷物チェックがあるため、クラブ内でマリファナを吸っているような人物はいない。とてもクリーンなハコである。なにせ行政と一緒にまちづくりをしているわけだから。

50年かけてクラブカルチャーが成熟した都市

De Schoolのスゴいところは、まちづくりの一環という名目がありつつも、かなりコアな音楽が日々そこで鳴っていることだ。Tom TragoやJob Jobseといったアムステルダム出身のアーティストをフックアップしつつ、世界で活躍するアクトの招致も忘れていない。

そんな一貫した思想を大切にするクラブは、オープンから約3年が経とうとしている。当初は5年契約ということだったが、その先がどうなるかはまだ未定らしい。「成し遂げたことのピークでドアを閉めて終わると、より永く影響力が続きますし新しいことを始められるチャンスも訪れる」と、『QUOTATION』誌のインタビューで、ファウンダーのErnst Mertens氏は語っている。

成果を測ることも重要だと思いつつ、「音楽はどう社会に関われるのか?」という問いに対してひとつのアプローチを試行錯誤していること自体が、とても魅力的に思えた。だって、日本では「廃校になった小学校をリノベしてクラブにする」ことも、「まちづくりの一環としてクラブをつくる」ことも、なかなか実現し得ないわけだから。

そんなクラブカルチャーのルーツを探ると、約50年前まで遡ることができると、『ベルリン・都市・未来』の著者でありメディア美学者の武邑光裕氏は語っている

「1967年、アムステルダムのヴレイエ・ゲメエンテ教会(Vrije Gemeente)を当時のヒッピーたちが占拠(スクワット)し、ボトムアップの音楽空間が誕生します。このクラブはParadiso(パラディソ)と呼ばれ、現在もライブハウスとして世界のミュージシャンを魅了する栄光の歴史の原点でした。」

原点がここにあるのならば、自分たちの手でボトムアップで街をつくっていく伝統が受け継がれているとも言えるだろう。前述のようにアムステルダムではナイトメイヤーのポジションが設けられていて、街の行政にナイトシーンを盛り上げようとする機運がある。やはり、クラブカルチャーの成熟具合には、驚かされる。

改めて、この問いに戻りたい。「音楽は社会にどう関われるのか?」。日本でも実践していけることがないか、そんな考えを持ち帰ることができたアムステルダム旅行だった。

img : De School