きっかけは、「円と直線との交点を求める」という作業だった。
2次式で表される円と、1次式で表される直線を連立して、2次方程式を導き出す。そして、その2次方程式の解を求めることで、交点の座標が求まっていく。教科書に必ず載っているようなとても簡単な作業だ。
しかしそのときに私は大きな衝撃を受けた。黒板やノートの数式たちが、自由にキラキラと命を持って動き出したような感じがしたのだ。

「図形」である円や直線が「式」に姿を変え、さらには、xy座標平面上で「関数のグラフ」にまでも姿を変えてしまう。手品のように変幻自在だ。そして、式を連立させたら、2次方程式が、「初めまして!」と言いながら、ポンッと現れる。
まるで、絵本の中の新しい登場人物のようで、しかも、この新しい登場人物である「2次方程式」の「解を求める」となると、「2次関数とx軸との交点を求める」ということを考えることに繋がってくる。「2次関数」のグラフの形は、放物線。ボールを投げたときの軌跡。物理の力学における考察対象だ。

すごく簡単な内容だけれど、そこに展開される世界があまりにもダイナミックすぎた。私は数学の世界に引き込まれてしまった。
「図形・式・関数のグラフ」、「円・直線・放物線」、「数学の世界・物理の世界」……色んなものが、自分のノートの中で、とても自由に、しなやかに、姿を変え、繋がりながら息づいている。
まるで、さなぎが蝶になり、蕾から花が咲き、木の葉が色づくように。自然の中で関わり合いながら、のびのびと生きているように。

これが、私の「数学に初めて恋した瞬間」だ。
そして私は、大学と大学院で数学を専攻するほどに数学が大好きな人間になった。

しかしその一方で、私のような「数学が好きな人間」というのは世の中ではかなり少数派だ。その事実を認めなければならない出来事をこれまでに幾度となく経験してきた。
ある人は「試験で10点を取ったことがある」等のエピソードを披露し、またある人は「三角関数なんて役に立たない」と語り、さらには「数学アレルギー」という言葉まで飛び出してくることもあり、日々の生活では「数学嫌い」の大多数派に囲まれながら、ちょっと寂しい思いをしている……というのが正直なところだ。

だからそういう人にこそ、一度でいいから数学の世界を覗いてみてもらいたいと私は思う。
岩井圭也『永遠についての証明』はそんな数学の世界を、数学に恋をした個性豊かな登場人物のドラマを通して垣間見ることができる小説だ。

無限を相手にする未解決問題「コラッツ予想」

【コラッツ予想】
任意の正の整数nを選ぶ。nが偶数であれば2で割り、nが奇数であれば3を掛けて1を足す。この操作を繰り返すと、どのようなnから始めても有限回の操作のうちに1に到達する。

岩井圭也『永遠についての証明』は、「コラッツ予想」という実在する数学の未解決問題をテーマとした青春数学小説だ。
その物語は、小説の現在地である冒頭から時間を遡った地点、ある大学の数学科に特別推薦生として瞭司と熊沢と佐那の3人の優秀な学生が入学するところから始まる。中でも瞭司は凄まじい数学的才能の持ち主だった。その彼が中心となり3人で素晴らしい研究成果を上げていく。
しかし、瞭司の才能は周りの人間の気持ちや、関係性を、あらゆる形で振り回してしまい、結果的に瞭司は若くして幸せとは言い難い形で亡くなってしまう。
瞭司の死後、彼の親友であり、研究仲間であった熊沢は、瞭司の遺した研究ノートを入手する。難解かつ数百ページもあるノートには「以下にコラッツ予想の肯定的証明を示す」と記されていて、小説の幕開けには親友であった熊沢がそのノートの解読を決意するシーンが描かれている。

コラッツ予想を、数学的に正確な形で記述すると先に挙げたようになるが、こうした形では難しそうに感じるかもしれない。
でも、実は予想自体を理解することは容易だ。具体的な数で、試してみるとわかりやすい。

例えば、7からスタートしよう。7は奇数なので、3を掛けて1を足すと、22になる。22は偶数なので、2で割ると、11になる。11は奇数なので、3を掛けて1を足すと、34になる。34は偶数なので、2で割ると、17になる…といった具合に計算を繰り返していく。

すると、

7⇒22⇒11⇒34⇒17⇒52
⇒26⇒13⇒40⇒20⇒10⇒5
⇒16⇒8⇒4⇒2⇒1

となり、1に到達する。

コラッツ予想は「どんな数からスタートしても、この計算を繰り返していくと、必ず1に到達するのではないだろうか?」という問題なのだ。
この一見シンプルな問題は、約80年もの間、誰にも解かれていない。

小説の中では、コラッツ予想について、以下のように書かれている。

“現在までに、コンピュータで約7000兆の正の整数まで成り立つことが確認できている。しかしそれ以上の数で反例が存在しないとも限らない。つまり計算を繰り返すだけでは、証明までたどりつくことは永遠にできない。”
──岩井圭也『永遠についての証明』

たとえ、7000兆というものすごく大きな数であっても、結局は「有限」でしかない。まだまだ数は続く。コラッツ予想が相手にするのは、次の数、次の次の数、次の次の次の数…と永遠に続いていく「無限」なのだ。
ここに、数学の奥深さや魅力がある。一方で、底なし沼のような怖さもある。

そんな、数学の末恐ろしい魅力は、ある種の人たちを惹きつけてやまない。そして、引きずり込んで、離さない。

「自分よりも数学に愛されている誰か」に嫉妬する私たち

私が、この小説を最初に読んだときに抱いた感想は「悔しい」だった。
才能あふれる学生や数学者たちの姿を読み、「私だって、彼らのようになりたかった」と思った。フィクションだとわかっていても、彼らの才能に嫉妬した。
しかし、小説を読み進める中で、こんな気持ちになっているのは私だけではないことにも気づいた。小説の中の登場人物たちも、瞭司へ猛烈に嫉妬していたのだ。

“俺は瞭司がうらやましい。嫉妬してる。お前みたいな才能が手に入るんなら、なんだってする。その才能売ってくれるっていうんなら、百万でも一千万でも買う。一億だっていい。親に土下座してでも、借金してでも払う。寿命が十年や二十年、短くなったっていい。”

“教授になった時点で、第一線に立つのは諦めたつもりだった。でもな、瞭司たちがムーンシャインの一般化を完成させた時、俺は喜ぶより先にお前を妬んだよ。妬んで、後悔した。なんで俺はこんなに早く諦めてしまったんだって。”
──岩井圭也『永遠についての証明』

数学が大好きで、面白くて、楽しくて仕方ないはずなのに。無邪気に、まっすぐに数学を好きでいれば、それで良いはずなのに。切ないことに、それができない。
自分よりも、数学に愛されている瞭司に、登場人物たちは痛ましいほど嫉妬してしまう。

この「数学が好きで好きで仕方ないのに、時として、苦しく惨めな気持ちを抱えてしまう」という複雑で面倒くさい現象。
突然だが、この現象の正体に対して、一つの仮定をしてみたい。

仮定:
これは、恋である。私たちは、数学に恋をしている。

数学者たちの時空を超える「恋物語」

恋は、生きがいにしたっていいくらいに素晴らしくて、キラキラしたモノを、私たちに届けてくれる。でも、その一方で、嫉妬、憎しみ、別れ…というような、苦しいものたちと、いつも隣りあわせだ。
それは、相手が人間ではなく、数学であっても同じことなのだろう。
だから、自分以外の誰かに、数学が振り向いていて、さらに、その人が自分よりも上手に数学を愛しているのを目の前にしたら、みっともないくらいに嫉妬してしまう。

そして、さらに面倒くさいことに、恋する私たちはとにかく「恋バナ」がしたい。

定理がきれいで
公式が想像以上にシンプルで
理論が壮大で

そんな素敵な恋の体験があったら、「聞いてよ~~!」と言いながら、誰かに話したくなってしまう。

そう考えると、
「数学の文献たちって、恋バナ集なんじゃないか?」
なんて気持ちにもなってくる。
彼らが出会った素敵な数学についての、数学者たちの想いが詰まった恋バナ集。それは時空を越えて語られる恋物語だ。

数千年前の古代の人たちが、遠くの国で体験した恋バナが、2018年の現代に伝わってくる。
それは、「数学」という、最強にユニバーサルな言語で。
そして、過去から未来へ、継ぎ足しながら語り継いでいく。

小説の中では、「コラッツ予想の証明」という、瞭司の「どうしても聞いてほしい、前代未聞の超難解な恋バナ」が、熊沢に託される。瞭司は生前、大恋愛をしていたのだ。それは駆け落ち同然で、命が削れてしまうほどの大恋愛だ。
そして、その証明に、熊沢はとことん向き合っていく。数学の言葉で記された難解な恋バナを、必死に解読しようとしていく。そうやって、熊沢は、天才瞭司が真っ直ぐに落ちていった大恋愛を追体験しようとしていくのだ。

この「数学への恋物語」は、きっと読者の数学へのイメージを変える。
教科書があって、試験問題があって、塾や予備校に通って、点数や偏差値に一喜一憂して…というだけではない数学の世界がある。
「試験で良い点数をとる」とか「受験に受かる」とか、そんなことを越えちゃってる人たち。
「恋をして、振り回されて、ちょっとネジが外れている」という域に入ってる人たち。
時空を越えた「数学という恋バナ」を、過去から未来へと、継ぎ足しながら語り継いでいく人たち。

そんな「数学に恋する不思議な人たち」に、『永遠についての証明』を通じて、出会ってほしい。

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ライター:みほ

主婦。東京都出身。かつて、大学・大学院で数学を専攻していた。好きな定理は、クロネッカー・ウェーバーの定理など。ときどき施設や塾などで数学を教えている。ねこが好き。早大出身。