モリジュンヤ(@JUNYAmori

『未来をはじめる: 「人と一緒にいること」の政治学』/宇野重規

「政治とは何か」

この問いとともにある時間が増えた。きっと、それは僕だけに限らないのだろう。ずっと人々と共にあるはずなのに、どこか遠い存在になってしまっている。この本は、遠くに感じていた政治というものを、グッと引き寄せてくれる。東京大学社会科学研究所教授で政治思想史・政治哲学を専門とする著者によれば、政治とは「人と一緒にいるということ」なのだという。なるほど。人と一緒にいることが政治なのであれば、誰しも政治と無関係ではいられない。読みやすさもさることながら、複雑で難解だと思われたテーマを、実に親しみやすく紹介してくれた一冊だった。

山本郁也(@fumya

『抽象の力 (近代芸術の解析)』/ 岡崎乾二郎


芸術、文芸、建築、哲学、サイエンス、とにかくあらゆるジャンルを縦横無尽に高速で駆け回り、遠慮なく読者を置いていく。振り落とされないように必死でしがみついていたら、いつの間にか読み終えていた。浅田彰氏が「読み終えたとき、あなたと世界は完全に更新されているだろう。」と帯に寄せているが、その通りであった。「抽象の力」、まさにこの本が、夏目漱石のいう「F+f」そのものである。抽象とは何か、アートとは何か、目の覚めるような一撃を与えてくれる一冊。

小山和之(@kkzyk 

『バウハウスとはなにか』/阿部祐太

2019年、開校から100年を迎えるバウハウスをテーマに改めてその教育や思想を紐解いていった書籍。 デザインの価値が再度問われ、ビジネスとの接続が盛り上がる。その一方、ビジネスへの貢献という矮小化された価値が目的になり、本質を見失っているのではないかという危機感もある。100年前、社会におけるデザインの価値を大きく変容させ、現代に至るまでの大きな土台をつくったバウハウスはどのような価値を残したのか。 歴史から学ぶ一つの手立てとして、本書を是非手に取ってみて欲しい。

岡田弘太郎(@ktrokd 

『ツイッターと催涙ガス ネット時代の政治運動における強さと脆さ』/ ゼイナップ・トゥフェックチー


TwitterがSXSWでアワードを受賞したのが2007年、オバマが大統領選で勝利したのが2008年、アラブの春が起きたのが2011年。あえてその続きを書くとするならば、トランプが大統領選で勝利し、「ポスト・トゥルース」がオックスフォード英語辞典の「今年の言葉」に選ばれたのが2016年だった。

TwitterやFacebookといったソーシャルメディアは、誰もが自由に発信し、集団が組織化され、大きなムーブメントを起こせるという期待を背負ったツールだった。けれど今ではフェイクニュースやヘイトスピーチの温床となり、アテンションを集めたものが勝つ世界をエンパワーしている。「こんなはずではなかったのに…」と思う中で、そのツールを使う人間がどう変わる(変えられる)のか?を考えなければいけないフェーズに来ている。

今回選書した『ツイッターと催涙ガス』は、ソーシャルメディアを通じてネットワーク化された政治運動が、なぜ長続きしないのか?を考察した一冊だ。自身もアクティビストであり、テクノロジーが社会に与える影響を研究する著者のゼイナップ・トゥフェックチー氏は、アラブの春、オキュパイ・ウォールストリート、雨傘運動はソーシャルメディアがその革命に貢献した一方で、活動そのものが長続きしなかった理由を多角的に分液していく。

この本には、社会を変えるための「ソーシャルメディアのあるべき姿」が描かれているわけではない。だが、新しいテクノロジーとそれを使用する人間がどう振る舞っていけばいいのか、を考えるヒントや問いは提示される。ソーシャルメディアは、再び希望のツールになれるのだろうか?

まちゃひこ(@macha_hiko

『公園へ行かないか?火曜日に』/柴崎友香

柴崎友香がアイオワ大学のインターナショナル・ライティング・プログラム(IWP)への参加をきっかけに書かれたエッセイであり、小説。この本がとても印象深かったのは、語り手が作者自身でありながらみずからのアイデンティティではなく、ひとりの日本語を母国語とした人間として、さまざまな国籍の作家たちをはじめとするひとびとと交流するなかで浮かび上がる情景をフラットに描き出したことだ。いま、日本以外の国でも「オートフィクション」と呼ばれる作家自身を主人公に近い位置に配置した作品群が注目をあび、翻訳も盛んに行われているなかで、言語を軸として内でなく外に開かれた本作は軽々と言語の隔たりを超えることに成功している。どれだけが実話で、どれだけがフィクションなのか──そういうものは小説に関係ない。言語を介してだからこそ見える問いや情景が、小説をオリジナルにする。

向晴香(@m___hal

『少年が来る (新しい韓国の文学)』 / ハン・ガン


1980年5月、韓国では、学生や活動家、市民が民主化をもとめて蜂起し、軍と激しく衝突する“光州事件”が起こった。「少年が来る」は、この事件によって命を落とした人、生き残った人、残された家族、それぞれの怒りと悲しみ、慈しみの7つの語りから成る。

“ひどく冷たい引き金を思う。それを引いた温かい指を思う”

本書は生々しい暴力や死と、些細で愛しい日常を行き来する。引き金を引く人、放たれた銃弾に倒れる人、どちらも血の通った肉体を持っているのだと、いやになるほど実感させられる。

いかに目の前にいる人間の体温に想いを馳せられるか。いつの時代、どこの国でも、リアルの世界だろうとオンラインだろうと。人間が怒りや憎しみに支配されないために、権威の下で思考停止に陥らないために。その想像力だけは何としても守りつづけなければと改めて考えさせられる一冊でした。

イノウ・マサヒロ(@ino22u

『知ってるつもり:無知の科学』/スティーブン・スローマン、 フィリップ・ファーンバック

「無知の知」はソクラテスが残したあまりにも有名な言葉だが、果たして僕らはいったいどれほど「無知」であることを自覚して生きているのだろうか。フェイクニュースや宗教論争について、深く理解していないのに、賛否を主張できるのはなぜだろうか。人間は「無知」であればあるほど、その分野について「知っている」と思いこむ。本書は人間が「無知」とどう向きあうべきかを示した指南書である。この本の興味深い点は僕らが「無知」であることを頭ごなしに否定するのではなく、「無知」による錯覚があるからこそ人間は進歩し、「無知」だからこそ、知識のコミュニティを作り互いに助け合って生きるべきだと示している点だ。「無知」をさらけ出すことは勇気のいる行動かもしれないが、「無知」であると認知していることですら尊く、また「無知」であることを認知していないことも尊い。しかし、この記述ももしかしたら僕がこの本について「知っているつもり」になっているだけかもしれない。真実はぜひ、本書を読んで確かめていただきたい。

なかがわ あすか(@asupon0609

『幸福を見つめるコピー』/岩崎俊一

新卒で入った会社を3ヶ月で辞めた翌日、片道3時間かけて東京に住む姉に会いに行った。この本は、その時、姉から勧められた本だ。コピーライターの巨匠、岩崎俊一さんによる過去の作品集。「人は弱い生きものである」。その場で表紙をめくり、最初の一行でこの本の虜になった。人は幸福になることを目指して生きている。映画や音楽、本や詩歌、そしてコピーもまた、それらに出会った人の心に寄り添うために生まれてきたのだ——。ああ、なんて優しい言葉なんだろう。本を抱きしめたくなったのは、それが初めてのことだった。岩崎さんが紡ぎだす言葉は、魔法だと思う。私もこんな言葉を生みだせるようなライターになりたい。その一心で駆け抜けた年だった。

大藤ヨシヲ(@pndyk77

『不道徳お母さん講座: 私たちはなぜ母性と自己犠牲に感動するのか』 / 堀越英美


2018年、今年もジェンダーギャップ指数が世界110位となった日本。”女性が活躍する社会”を掲げながらも、女性の社会進出は停滞している。

そうした要因の一つにあるのが”育児・家事分担”の難しさだ。その背景にある母性神話は一体どこから来たのか、小説、雑誌さまざまな資料を基にライター堀越英美が紐解いていく。軽快な文体で読後にスカッとする一冊でした。

樋口恭介(@rrr_kgknk

『H・P・ラヴクラフト:世界と人生に抗って』/ミシェル・ウエルベック

本書はH.P.ラヴクラフトに関する評論として発表された。しかしおそらく――作家本人が序文において宣言してみせる通り――実態はそうではない。本書には副題がつけられ、そこには「世界と人生に抗って」とある。しかし、ここで世界と人生に抗っているのは誰なのか? 通常それはH.P.ラヴクラフトになるのだが、読み進めていくとどうやらそれだけではないことに気づく。 何かを語るということはつねにある種の二次創作なのであり、語る者と語られる者はつねに相互の影響関係にある。語られる者は語る者に語り方を教え、語る者は語られる者の教えによって語ることを通して、初めて自らの語り方を発見する。本書はミシェル・ウエルベックのデビュー評論であるが、それと同時に、本書は、ラヴクラフトに関する評論を試みた結果、ウエルベックが自身の創作スタイルを発見し、そのスタイルを検討しながら書くことによって、〈私的で固有の創作物=小説〉として完成された、ミシェル・ウエルベックの〈デビュー小説〉でもあるのだ。 人は小説を読むとき、小説を読んでいると同時に自分自身を読んでいる。小説を読むときの感覚というのは私秘的なものであり、それは完全には公にできず完全には他人と共有することができない。それはそのまま自分にとって特別なものになるということと一致する。人は人と決して分かり合うことはできないという事実、人の持つ原理的なその性質が、読書を特別な体験にする。ウエルベックはそう教える。人は小説の中で他者に出会い、他者の姿を借りた自分に出会う。そうしてウエルベックは、私的で内的な読書体験の中で、ラヴクラフトの顔にウエルベック自身の顔が映り込んでいるのを目撃した。 これは紛れもなくミシェル・ウエルベックの小説であり、ラヴクラフトを経由して語られたウエルベック自身の物語だ。そして、あなたがそれを読み、あなたがそれについて書くとき――それは、あなた自身の、あなたのための物語になるだろう。

ウメノナギサ(@NAGISAumeno

『断片的なものの社会学』/岸政彦

社会学者としての著者の仕事は、個人の生活史を聞き取り分析することで社会というものを考えることだ。しかしそこで語られた人生の記録を、それがそのままその人の人生だと、あるいは、それがそのままその人が属する集団の運命だと、一般化し全体化することは、ときに一つの“暴力”になるという。本書には、聞き取り調査のなかで著者がどうしても分析も解釈もできなかった出来事の断片が集められている。著者が出会った風俗嬢や部落出身者、あるいは“家のお隣さん” の語りに、読者は何とも言えない戸惑いを覚えるだろう。
社会を理解する手立ての一端を、人々のストーリーを通じて提示してくれる一冊だ。オムニバス映画のような美しい編集にも注目して読んでほしい。

ノグチミハル(@HaL_n1030

『ぼくたちは習慣で、できている。』/佐々木典士

転職・引越し・結婚。人生のターニングポイントで、新たな習慣が作られることは多い。私の場合は出産だった。2018年春、出産によって習慣が増えた。あぁまたやってしまった、と後悔するような習慣が。 ご褒美に毎晩食べるハーゲンダッツ。子どもが昼寝したすきに飲む甘いカフェラテ。授乳ついでのネットショッピング。体重は増え、家は不要なもので溢れたが、それらはすべて「育児のストレスだから仕方ない」と正当化された。しかし、自己肯定感は徐々に下がっていった。 そんなとき手にと他のが本書。悪習慣を断ち切らせてくれた感謝の一冊。習慣が作られる過程を紐解き、意志の力ではなくテクニックで習慣を断ち切り、習慣をつくる。年末に読んで2019年新しいスタートを切ってみてはどうだろう。


手に取りたくなる一冊はありましたか?もし見つかった方がいれば、この記事のシェアとともにご自身のおすすめの一冊も教えていただけたら嬉しいです。

来年も「UNLEASH」では、ジャンルを問わず書籍のレビューをお届けしていく予定なので、楽しみにしていてください。