「でも結局、作者の言葉じゃないんでしょ?」
と、これまでに何度も言われた。出版不況と呼ばれる昨今、文芸作品の初版のほとんどは1万部を超えることはなく、海外文学の読み手というのも決して多いとはいえない。
ぼくのまわりの話ではあるけれど、翻訳を通して読む海外の文芸作品に対して苦手意識を持っている友人は多い。「翻訳調」と呼ばれる独特の言い回しであったり、馴染みの薄い文化、憶えにくい登場人物の名前など、友人たちはその理由をたくさん挙げることができ、最終的にたどり着くのが冒頭に掲げたひとことだ。そこには原言語から日本語への翻訳というブラックボックス、あるいは翻訳者への文学的感覚についての不信感が読み取れる。そして海外文学が好きだといえば、このような質問がよく返ってくる。「それ、原文で読むの?」
さいわい、学生時代に英文を読む習慣がわずかばかり身についたこともあり、英語で書かれた小説に限ってであるが原文で読むこともある。そうした趣味がこうじて自身でも翻訳を試みるようになったのだが、手を動かせば動かすほどに「翻訳者の技術」に圧倒されるようになった。翻訳の技術とはなにか──それをこの記事の主題としたい。
現在、機械翻訳技術はニューラルネットワークの利用などを通して世界中で飛躍的な発展を遂げている。機械翻訳では大量の対訳データを用いることで「人間が手がけたような翻訳」を模倣することに成功しつつある。その用途は観光客やビジネスマンを対象とした迅速に意味理解をはかるものが主流であり、同時に「わざわざ人間が翻訳を行うこと」についての価値についての再考を促す。
無論、観光やビジネスシーンや文芸翻訳といったさまざまなかたちで必要とされる翻訳はその性質を異にしているため、この疑問というのはひとつの極論でしかない。しかし、現状の自然言語処理の現場における大きな課題である「機械は意味理解ができない」ということ、すなわち「文脈を把握できない」という問題を鑑みれば、人間と機械のそれぞれが「何を得意とし、何を苦手としているか」を改めて具体的に整理しておく必要性は否定できないだろう。つまるところ、ぼくたちはじぶんたちがおもっている以上に「言葉とはどういうものか」を把握できていないのかもしれない。
そうしたなか、2018年に全米図書賞翻訳文学部門を多和田葉子『献灯使(The Emissary)』が受賞したことは、極めて意味深いニュースだ。
デビューから一貫して言語と認識の関係にフォーカスし続けてきた多和田葉子の作品は、「翻訳」が持つ創造性について、大きな示唆を与えてくれる。
多和田葉子という多言語作家
(画像:Wikipedia「多和田葉子」より引用 )
翻訳というのが〈向こう岸に渡すこと〉なのだとすれば〈全体〉のことなんて忘れてこうやって作業を始めるのも悪くない。でもひょっとしたら翻訳とはそんなこととは全く別のことかもしれなかった。たとえば翻訳はメタモルフォーゼのようなものかもしれなかった。言葉が変身し新しい姿になる。そしてあたかも初めからそんな姿だったとでも言いたげな何気ない顔をして並ぶ。それができないわたしはやっぱり下手な翻訳家であるに違いなかった。わたしは言葉よりも先に自分が変身してしまいそうでそれが恐くてたまらなくなることがあった。
──多和田葉子『文字移植』
多和田葉子は1991年に『かかとを失くして』で第34回群像新人文学賞を受賞し日本の文学シーンに登場したが、小説家としての彼女のキャリアはそれ以前にドイツではじまっていた。
1985年、25歳のときにドイツの日本文学研究者ペーター・ペルトナーに出会い、多和田が日本語で書いた作品がかれの手によって翻訳されはじめる。また、同年に編集者クラウディア・ゲールテと知り合い、詩のドイツ語訳の出版企画が持ち上がった。その後、勤めていた輸出取次会社を退職し、ドイツをはじめ日本やヨーロッパ各地、アメリカなどで朗読会やパフォーマンスなど精力的に活動を続け、1988年にドイツ語ではじめて短編小説『Wo Europa anfängt(ヨーロッパの始まるところ)』を、翌年には日本語で書かれたものをドイツ語に翻訳した小説『Das Bad(風呂)』を発表した。
その後、日本では1993年に『犬婿入り』で芥川龍之介賞を、1996年にドイツで「ドイツ語を母国語としない作家」を対象とした『シャミッソー文学賞』など、両国で多数の文学賞を受賞した。2016年にはドイツで最も重要な賞ともいわれるクライスト賞を受賞し、日本ではめずらしい多言語作家としてめざましい活躍をみせている。
多和田葉子の創作は、常に日本語とドイツ語に見られるような言語的差異によって生じる想像力を原動力としている。上に引用した『文字移植』はそのタイトルから暗示されるように翻訳を主題とした小説だ。語り手はドイツ語の小説を翻訳しながら、言葉のかたちやアレンジメントの変化が否応なく生じてしまう翻訳行為に潜む「創意」についての思考を深めていく。
ただ、ここで思考の中心に置かれているのは、「作者の意図を読みとった正確な言語変換」ではなく、作者の手を離れた場所にある「言語変換が生得的に持ち得るメタモルフォーゼ(変身)」であり、物語の深部に入り込むにつれて思考は明瞭になるどころか手に負えないものへと変容していく。言葉の変化という外力が働くことにより、言葉に曝されるものの認識は、まさにカフカ的な不条理さを思わせる暴力的なかたちでの「変身」を余儀なくされる。原理的ともいえるこうした認識のありようについては、全米図書賞を受賞した『献灯使』でも作品の世界観の屋台骨として機能している。
『献灯使』を翻訳する難しさとは
受賞作『献灯使』は「日本語の変容」が作中で重要なモチーフとして扱われている。老作家である「義郎」と、かれの曾孫である「無名」が暮らす近未来の日本が作品の舞台となり、ふたりの生まれには100年の隔たりがある。かれらの住む日本はかつてなんらかの大災害に見舞われ、鎖国政策をとり、外国語の使用や学習が廃止されているという設定で、この社会変化がもたらした言語変化が、ふたりの100年という時間の差異となって現れる。
そのように用もないのに走ることを昔の人は「ジョギング」と呼んでいたが外来語が消えていく中でいつからか「駆け落ち」と呼ばれるようになってきた。「駆ければ血圧が落ちる」という意味で初めは冗談で使われていた流行(はやり)言葉がやがて定着したのだ。無名の世代は「駆け落ち」と恋愛の間に何か繋がりがあると思ってみたこともない。
──多和田葉子『献灯使』
このように、日本語の変化が多和田葉子らしい「言葉遊び」で描かれているが、これを英語に翻訳するとなれば表面上の意味だけでなく、語の成り立ちへの目配せが不可欠となる。翻訳者のマーガレット満谷による翻訳は以下である。
Long ago, this sort of purposeless running had been referred to as jogging, but with foreign words falling out of use, it was now called loping down, an expression that had started out as a joke meaning “if you lope your blood pressure goes down,” but everybody called it that these days. And kids Mumei’s age would never have dreamt that adding just an e in front of it the word lope could conjure up visions of a young woman climbing down a ladder in the middle of the night to run away with her lover.
──Yoko Tawada “The Emissary” (Margaret Mitsutani訳)
むかし、このように意味なく走ることはjoggingと呼ばれたのだが、外来語が使われなくなってからはloping downと呼ばれるようになった。これは「駆ければ血圧が落ちる」という冗談としてその当時に広く使われていたが、無名の世代の子どもたちにとって、lopeの頭にeをつけるだけで真夜中に若い女が梯子を降りて恋人と一緒に逃げる情景と重なるなんて、想像だにできなかった。
──(筆者翻訳)
英語で「駆け落ち」に相当する単語がelopeだが、これをjoggingの代替としてそのまま翻訳で使ってしまうと、「駆ければ血圧が落ちる」という新語の語源の描写ができなくなってしまう。そこで、言葉の移り変わりという事象を英文にも反映させるため、マーガレット満谷はlopeとelopeと用いた「英語版の言葉遊び」を新たに作り出し、訳文のなかに挿入することで原文で描かれたエピソードを再現してみせた。
無名は「トイレ」の「イレ」に、「入れ」を聞き取り、出す場所なのに入れるという言葉の矛盾を感じた。でも「トイレ」という単語は英語から来ていたらしいから、「イレ」は「入れ」とは関係ないのかもしれない。
──多和田葉子『献灯使』
Toilet sounded to Mimei like toil, but since it wasn’t a place where you went to work, he sensed a contradiction in the word. But then again, it had apparently come from English, so maybe toil and toilet had nothing to do with each other after all.
──Yoko Tawada “The Emissary” (Margaret Mitsutani訳)
無名には「toilet」が「toil」に聞こえたのだが、そこは「働く場所」ではないので言葉の矛盾を感じた。しかしよくよく考えてみると、表面上は英語から来ているのだけれど、実のところtoilとtoiletにはなんの関係もないのかもしれない。
──(筆者翻訳)
これは外来語をに日本語風に聞き間違えることで生じる言葉遊びで、やはり直訳では太刀打ちできない文章だ。翻訳において工夫されているのは、トイレをtoiletとrestroomの二重で捉え、toil(あくせく働く)とrestroom(休憩室)の対比で訳して見せたところに高い創造性が読み取れる。
しかし、これだけでは後半部分の意味が通らなくなる。「トイレ」と「入れ」は英語と日本語という差異があるから『「イレ」は「入れ」とは関係ないのかもしれない』という思考が導き出されるのに対し、toilとtoiletはともに英語である。なので「見た目はどっちも英語だが〜」といった文脈に差し替える必要性が生じる。
このように、言葉そのものが持つ文脈や歴史が考慮された使用法に対して、「表面上の意味」のみで翻訳を試みようとすると原文の表現から遠ざかってしまう可能性があり、時に「原文のエピソードや表面上の意味を差し替える」ことが、原文が想定した意味や効果を適確に翻訳しうるケースが存在する。
「言葉遊び」と「創造性」
「言葉遊び」は文芸作品にとって、読者を楽しませるユーモアである以上に、そこに作品にとって極めて切実な問題を託されるケースも少なくない。多和田葉子『献灯使』では上記のような「言葉遊び」を含む作品世界内のいまとむかしの言語変化をいくつも地層のように重ねていくことにより、曽祖父と曽孫のあいだに横たわる100年の時間に、歴史と呼びうる重みをもたらしている。
「言葉遊び」と「翻訳」という2つの問題において、特筆すべき作品がジョルジュ・ぺレック『煙滅』だろう。
言葉遊びを駆使することにより新しい文学の創出を試みた潜在的文学工房(ウリポ)のメンバーだったかれの代表作ともいわれるこの小説は、「e」を使わないフランス語で書かれていることで有名である。この原文のコンセプトは、塩塚秀一郎による日本語翻訳では「い段」を使わないという手法に変換されたが、当然のように前章の多和田葉子作品の翻訳で起こるような問題が多発した。
ロバート様はかつてワンダ・ランドフスカのレッスンを受けたことがあったので、クラヴサンを買ってサロンへ据えてたんだよ(ややくすんだ音が出ることもあったが、高さが狂うことはなかった。プーランクはこれを使って『田園のコンセール』を作ったそうだ)。
──ジョルジュ・ぺレック『煙滅』(塩塚秀一郎訳)
翻訳者のあとがきによれば、原文は、【実在のピアニストであるイタルビからレッスンを受けたことがあるロバートが、息子のためにグランドピアノを買ってやった。そのピアノはもともとブラームスのために作られたもので、これを使って「ピアノ即興曲第二十八番目」が作られた。】という内容だったというが、「い段」を使わないという制約ゆえに翻訳段階で大幅な差し替えが行われた。
まず、単純に「ピアノ」と「イタルビ」が使用できない。そのためピアノはクラヴサン(チェンバロ)に差し替えられ、「イタルビ」は単なるピアニストではなく「チェンバロの演奏でも有名だった実在のピアニスト」である「ワンダ・ランドフスカ」へと差し替えられる。そしてさらに最初の差し替えは連鎖し、い段抜きでも記述可能な「ブラームス」さえも変更が余儀なくされる。かれがチェンバロの曲を作曲したかが不明であるため、チェンバロの楽曲を作曲した「プーランク」へと差し替えられた。
言葉のかたちが変わることによって生じるこうした「メタモルフォーゼ」は、多和田葉子『文字移植』が主題としていたものに近い。言語をペンとして思考されたものは、そのペンの変容により筆跡さえも違うものになりうる。『献灯使』で義郎と無名のあいだに横たわる100年という言葉の時間もまた人間の思考や認知を新たなものに差し替えてしまいうるように、一見して些細な違いとしてしか見えないものであっても、それが致命的な変化になりえてしまう可能性がそこに潜んでいる。
翻訳の仕事はなくなるか?
以上、多和田葉子とジョルジュ・ぺレックを引用しながら、文芸翻訳における技巧の一部を紹介した。もちろん、今回取り上げたもは翻訳の仕事のなかでも特殊な例に当たるが、「言語が変わる」という事象において不可避的に生じる問題のただならなさを知る好例ではないかとおもう。いわゆるプロの翻訳家はその問題を極めて敏感に察知し、創意に満ちた文章を可能な文字列のなかから見事に発見してみせる。表面上の意味の再現ではなく、言語表現としての普遍性に対して極めて慎重に言葉を選んでいる。
冒頭でも述べたように、「翻訳の仕事」はなにも文芸翻訳だけではない。文芸翻訳は翻訳ビジネスにおいて極めて小規模なものであり、ぼくとしても文芸翻訳だけを切り取って「翻訳」のすべてについて言及する気はさらさらない。
最後にひとつ、興味深い調査を紹介したい。
多言語デジタルマーケティングに特化したローカリア(Locaria)は世界の翻訳者150名に対して機械翻訳に関する意識調査を行った。そのなかで「将来における翻訳に関わる新技術の導入に伴い、翻訳の仕事にどのような影響がもたらされると思うか」を尋ねた設問では、全体の約34%が「導入後も仕事量に変化はない」と回答し、また約20%が「仕事が増える」と回答した。
この背景には、翻訳業界での課題であった「プロ意識を持たない翻訳者による質の低い仕事」が関係しているという。機械翻訳の台頭によりこうした翻訳者が淘汰され、きちんとしたスキルを持った翻訳者はむしろ機械翻訳による下訳のチェックなどの需要が高まるだろうとの見解だ。
(参考:https://roboteer-tokyo.com/archives/12460)
翻訳をめぐる大小様々な問題について知るためには、まずはなんでもいいのでみずからの手を動かして翻訳をやってみるのがいいだろう。やってみると、文法や単語を単に知っているだけではどうもうまく訳せないことに気づく。
書かれている事柄についての文化的背景や時代の流れなど、翻訳には多くの知識、ときには「言語感覚」などという不確かなものさえ要求される。
「翻訳の仕事はなくなるのか?」という問いに対して、ぼくは「なくならない」と考えている。それも「機械翻訳の不得意分野を補完する」というかたちではなく、また翻訳が「単なる言語変換」という扱いとして存在するのではなく、翻訳という行為がもつ創造性がこれから今以上に重要になると思う。
多和田葉子やジョルジュ・ペレックのような小説は、その言葉遊びに法則性らしきものは文面に現れてはいるものの、それを別言語で再現するには抽象次元での解釈、そのモデルの別言語での再構築、単語ではないエピソードの等価変換など、読み手の解釈による影響が強く現れる手続きを経て翻訳される。すると翻訳された「結果」ではなく「なぜそう訳されたか」が、原文本来が持ち得ていた意味や文脈をさらに強調して読者に提示することになるだろう。なぜそう書かれうるのか──そこに翻訳のクリエイティビティが眠っているのだ。