学生時代を過ごした京都市内に、よく行っていたのにも関わらず場所をちゃんと記憶していない喫茶店があった。自宅アパートを出て自転車にまたがり、北白川通りに出てまっすぐ南へ下ると北大路通りに出る。

そこを西へと折れ、全国展開しているファミレスチェーン店を見つけたらその脇にある小道を北に上がり、なんとなく小さな橋を探す。その橋を渡れば喫茶店だ。店主は村上春樹をぼくが生まれるまえから好きだった。

そうしたあやふやな記憶をある程度信頼できてしまうじぶんを自覚するたびに、記憶の不確かさと同時にぼくよりもきちんと記憶していてくれるもののことをおもう。

ぼくよりもあの小さな橋のほうがずっと喫茶店のことを正しく憶えていてくれていて、こうしたひとでないものたちの記憶はそれがそこにある限り存続し続けるだろう確信がある。

その喫茶店がたとえなくなっても、ぼくはその橋をみれば、きっと喫茶店のことをおもいだす。記憶はひとの身体にのみでなくその外部にも埋め込まれ、分散化された記憶の綾なす環境のなかにぼくらの生活がある。

テジュ・コール『オープン・シティは、そんな時空を超えた群像により織りなされた思索と歴史の幾何学模様を描き出した小説だ。

街、散歩、そして埋没

2017年7月に発行された本書は第4回日本翻訳大賞の最終候補作に選出されたが惜しくも受賞を逃した。テジュ・コールは1975年アメリカ生まれで、ナイジェリアで育ち、かつて医学部に籍を置いていたが中退し、美術史を専攻して作家となる。

本作でもその生い立ち、経歴が強く反映された形跡がかんじられ、ひとやひとでないものとの出会いにより促される想起や思索で溢れている。

ニューヨーク市街を中心として各地を歩き回るこの小説にははじまりもおわりもなく、ずっと読み続けていたいという心地良さと忘れ去られようとしている暗い歴史が絶えず混交する不気味な牽引力により、読者は迷宮にも似た「街」へといざなわれていく。

時空を超えた数多くの人々の声を「」なしで語り手の認知・思考と不可分なものとして記述された文体は、文章を横にならべたのでなくパリンプセストという比喩で示されるように──あるいは建設と崩壊が繰り返される林立するビル群のように──むしろ縦に積み上げていくような立体的な感触がある。

あの場所で最初に消滅したのはツインタワーではない。ツインタワーが聳え立つよりも昔、あの一帯には賑やかな通りが入り組んでいた。ロビンソン通り、ローレンス通り、カレッジ・プレイス──すべて一九六〇年代に跡形もなく破壊され、ワールド・トレード・センターの建設地として場所を明け渡し、人々の記憶から消えたのだ。消滅したと言えば、古き良きワシントン市場も同じだ。人通りの多い桟橋が、魚を売る女たちが、十九世紀末に生まれたシリア人キリスト教信者のコミュニティが消えた。シリア人とレバノン人、そしてそれ以外のレバント地方からの移民は、イースト川の向こうのブルックリンに押しやられ、アトランティック街とブルックリン・ハイツに居を移した。ではそれより昔は? ツインタワーの瓦礫の下には、レナペ(デラウェア族)が歩いた道が埋まっているのだろうか? あの場所はパリンプセストだ。街がみなそうであるように、書かれ、消され、また書かれる。

テジュ・コール、『オープン・シティ(小磯洋光訳)』、新潮社

降り積もる想起と思考は記述された文章の外部にも息づいていて、しかしそれは文章が進み、小説の時間が進められることによって消え去るものなのだろうか。いや、そうではない。

忘却は埋没によりもたらされるものだとしたら、それは消え去りはせず、かならずどこかに──「街」に──存在し続けている。テジュ・コールがつくりだしたのはそういう空間だ。

「事実は小説より奇なり」という格言のはるか彼方の風景

断片的なエピソードの集積により構成されている本作が長編小説として結実しているのは、語り手である「私(=ナイジェリアにルーツを持つ精神科医ジュリアス)」によってのみもたらされているのではない。

いうまでもなく「私」によって緻密に構築された「街」の描像により、この小説は巨大さを獲得していて、そしてその「私」でさえもこの「街」の群像のひとりに過ぎないのだ。

固有名詞は「街」をつくる。物理的配置でなく、認識運動によりいくつもの時間が紙面に重ねられ、小説というとくべつな形式によってのみ立ち上がる固有の「街」だ。

本作の「フィクション」たる想像力はこの構築性にあり、「リアリズム」と相反することはない。リアリズムとは、事象の事実性のみを指すのではなく、思考や認識の正しさにより担保されるとするならば、そもそもすべての小説はリアリズムに他ならない。

強固なフィクション性とリアリズムを備えた小説は、「事実は小説より奇なり」ということばの射程にはない。というより、このことばじたいがそもそも非常に想像力を欠いているのではないか? とさえぼくはおもう。

現実と区別不能な想像力の世界がこの小説に実在し、ぼくら読者さえもこの街のなかのどこかに住んでいる。そのことを本作のページをめくるたびにおもいだすことができるだろう。

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