本記事は2月3日にEDIT TOKYOで開催された、「スーパースクールの20年 編集は教えられるか?」のイベントレポートです。

後藤茂雄さんは、アートブックや写真集の制作を中心に、商品開発・web開発・展覧会企画など、幅広く活動をされているベテラン編集者。ご自身が1997年に創設された編集学校「スーパースクール」は、今までに多くの編集者を輩出してきました。

後藤さんと一緒に登壇されたのは、同スクールの一期生である南風食堂の三原寛子さんと、四期生でブックコーディネーターとして活動されているnumabooksの内沼晋太郎さん。イベントのテーマは「編集は教えられるか?」。これまでの20年、後藤さんが伝えて来た「編集術」について、スクールの創設者とかつての生徒たちが対談しました。

叩き上げで育った編集者

−−日本を代表する編集者の後藤さんですが、実は出版社に所属して入る「編集者」ではないとのこと。どのような経緯で編集の仕事を始めたのでしょうか?

後藤さん:
20歳の大学生の時から編集の仕事をはじめて、今年で43年になります。写真集・アートブック、対談集など、様々なものの「編集」に携わってきました。

僕は出版社に新卒入社したわけではなく、学生の頃、京都の印刷会社でアルバイトしていたのがきっかけで、それ以来「叩き上げ」のような形で「編集者」として育って来ました。文芸春秋の編集者でもないし、講談社に所属しているわけでもありません。

当時は「編集者」のほとんどが出版社に所属していたので、僕の編集者としてのキャリアはある意味日陰者のような形で始まったけれど、志が高いからめげませんでした。「世界で上から数えて何番目だけど、日本では知られていない編集者になりたい」とぼんやりと思っていました。

スーパースクールは受講生が主人公

−−今年で20周年になる「スーパースクール」。後藤さんは立ち上げた経緯を振り返って、始めた理由をこう話します。

後藤さん:
もともと僕は、「編集術」を開発・拡張できないかと思っていたんです。僕が高校生の時は、三島由紀夫が「天人五衰」を新潮社から発売するような時代でしたから、戦中・戦後の文化人へのリスペクトが強力にあるんです。

でも、三島由紀夫のような素晴らしい先輩たちの「文章術」は聞いたことがあっても、「編集術」は聞いたことがない。例えば、初期の「暮らしの手帖」や「太陽」はほとんど見たことがなかった。

だから初めは、ゲストを呼んで、講義内で編集のノウハウをインタビューして受講生に伝える形で、スーパースクールは始まりました。

スーパースクールの主人公は僕ではなく、受講生たち。メソッドを学んだり、繋げたりするだけではなく、参加者が自ら実践することを通して「編集術」を開発していくものなんです。

−−続いて、料理ユニット「南風食堂」の三原さん(一期生)と、ブックコーディネーターの内沼さん(四期生)スーパースクールでの活動をこう振り返ります。

三原さん:
青山ブックセンターでチラシを拝見したことがきっかけで参加しました。当時のスーパースクールは、有名な写真家やデザイナーさんを招いてお話を聞くという形だったので、「これしかない!」と思って申し込みました。

スーパースクールでは、「ワンプレート・ギャザリング」といって月に一度、都内の公園へお料理を作って持っていき、知らない人たちも交えてみんなでご飯を食べるという企画をやっていました。事前に告知していた訳でもなく、どこからか人が集まって気持ちのいいところでご飯食べる。その場で新しいお仕事が生まれたり、結婚された人もいました。

内沼さん:
もともと雑誌が好きで、読んだ雑誌の一番最後にある広告をみたのがきっかけで、スーパースクールを知りました。当時は課題を出さないとスクールに入れなかったので、なんとか提出して受講しました。

−−後藤さんは、スクールでの活動を「新しい編集」へ役立てていくことについてこのように話しました。

後藤さん:
僕にとって、受講生の皆がサンプルであり、素材なんです。ファッションや表現など、様々なものは時代を反映して変わっていきますから、当然編集もだってそのはず。

内沼くんは当時一橋大学の学生で、せっかくいい大学行ってるのに、雑誌が好きでインディペンデントの編集者になろうとしていた。その人が現れているのは新しい時代の兆候ですから、来ている人を徹底的に調べながら、編集を開発していくというやり方をしています。

編集を出版外に持っていけるか

−−かつてのスクール生は、今どんなことをしているのでしょうか?まずは南風食堂の三原さんから。

三原さん:
私は今、ギブミーベジタブルっていう地方にまつわるイベントをやっています。入場料としてお客さんに野菜を持ってきてもらって、その場で料理人が料理して振るまうというもの。

都心からきた料理人と、地元の料理人が混ざって料理をするんですが、地元のおばさんの料理はおいしいし、量もパンチがあるんです。素材を活かすことに慣れていて、「こんなおいしい大学芋は食べたことない」と感想を寄せる参加者もたくさんいるほどです。

−−次に内沼さんも現在の活動について紹介しました

内沼さん:
青森県の八戸市で、「八戸ブックセンター」という本屋を去年つくりました。

自分は「本に育てられた」と言えるくらい本が好きなんですが、人文社会科学、自然科学、海外文学。芸術といった本が、今はどこの本屋にも置いてない。インターネットが普及して以降、本屋や図書館の在り方が変わっているので、今はどこの地方都市でもきちんとした品ぞろえのある書店を営むのが難しいんです。

「行政が書店をやる」ことに、一定の公共性があるだろうということで、2年くらいずっとお手伝いをさせていただいて、去年の11月オープンしました。八戸で作ることができたので、この事例がいろんな地域に新たな選択肢として採用されていくといいなと思っています。

−−内沼さんに対して、「編集のノウハウを応用することに関して、後藤さんは「小さくても強い場づくり」が重要だと主張します。

後藤さん:
「八戸ブックセンター」や「ギブミーベジタブル」のような、「土地が人を作る地財」はとても魅力があると思うんです。文章と同じで地域にも、「その土地にしか出せないような神通力」があって、文化が生き残っていくためには必要なものです。

ただ、独自性があるからこそなかなか応用できない。「儲かりそうなビジネス」は少し流行ると大手企業が真似して参入しようとするけれど、大抵うまくいかない。でも、ちっちゃなお店をやっても収入に限界がある。だからこそ、「規模は小さいけれど地域との結びつきは強い場所」と、編集が結びついて転用できるようになったら面白いと思います。

編集は場所を選ばない

−−海外によく行かれる後藤さんが「世界の編集」について、次のように語ります。

後藤さん:
最近面白いと思ったのは中国です。中国ではもともと、国が認めた出版社の本しか作れないという規制がありましたが、インターネットができてから出版コードがないアートブックの出版をやる人たちがいる。インターネット上で名前が売れてるから、自分の作品を海外へ持って行って、現地で売って交通費とか食事代にするんです。

中国は日本が10年かかってやっている若手の育成を、3年くらいでやる。国策的に35歳以下の若手を300人毎年選んで育成しているんですね。

そんなことをしていたら、僕たちは絶対勝てないと思いました(笑)敵にはしたくないから、もう友達になるしかないから、一緒にやろうよって声かけるんです。今のところ日本の方が少し進んでるから、尊敬してくれてるんですね。尊敬してくれている間に友達になろうと思っています。

−−続けて、韓国の本屋事情について内沼さんはこうコメントしました。

内沼さん:
本屋は、韓国が面白い。韓国では2年前まで価格が法律で厳守されていなくて、大きな書店やネット書店が値引きして競争優位を保っていました。でも、法律が厳しくなって、一律で10%オフまでしかできなくなり、ポイント還元も5%までと決まったんです。

急に価格競争が無くなったため、若い人が本屋をやるのがブームになりました。マンションの一室を借りてやったりとか、シンガーソングライターまで本屋をやってる。読み手も多くて、特に日本語の翻訳が盛り上がってるんです。韓国で出回る翻訳書のうち4割が日本語からのもので、日本で出版された本の20分の1は韓国でも流通しているんです。日本人の小説家の名前を日本人より知っていることもあって、現に一昨年のベストセラーNo.1は「嫌われる勇気」です。

編集者として常に”本気”でいるには

−−イベントもいよいよ終盤へ。「編集は教えられるか?」というテーマに対して、後藤さんはこのように答えました。

後藤さん:
「受講生をコーチングし、スターにしていく」というプロデュースのような過程を「編集を教える」ことだと思っています。だからまず、受講生は「なりたい自分」を頭の中に刷り込むことが必要で、スーパースクールでは初回で「今の自分」と「なりたい自分」をアンケートをとります。「なりたい自分」を明確にすると、3年後、5年後の「何のために、何をするべきか」を自分の頭で考えるようになる。それが、モチーフ(着想)とモチベーションに繋がっていくと思うんです。

最後に、編集に向き合う姿勢について後藤さんは以下のようにコメントしています。

後藤さん:
編集っていうのは現場の仕事だから、「知った気にならない」ことが大事だと思っています。例えば、料理があったらそれを食べてみるまではその真髄はわからない。それと同じで、まず布団から出る、人に会って確かめるという行動が大事です。

「しんどい」とか「辛い」とは絶対言わないようにしています。年配者と一緒に色んなところを回ってると、「後藤さん、こんなしんどいこと若い人に替わりましょうよ」っていうですが、「わかってない」といつも思っています。こんなに面白いことを、人に渡すなんておかしい。

63歳にもなると経験値が上がって、うんちくを言えるようになっちゃう。それでも周りを見渡すと、次々に「新しい編集」実験して、開発を辞めない人がたくさんいるから、そういう人たちを尊敬しています。だからこそ、若い人たちと交わって、彼らをなりたい自分になれるようにコーチングして、「才能を開発していきたい」という気持ちが高まっています。


書き手:奥岡けんと。93年生まれ。いろんな企業をいったりきたりしつつ、ライティング・編集を生業として活動しています。趣味で立教大学いってます。キャリア・採用に一抹の興味があります。

採用オウンドメディアはやるべき?メルカリのコンテンツプラットフォーム「mercan(メルカン)」運営の裏側