現在の「防災のあたりまえ」は適切か

富士通ゼネラルは防災の「あたりまえ」を変容させ、社会にインパクトを与える事業プランを導き出すアプローチとして、トランジションデザインのアプローチを活用。クリエイティブカンパニーであるロフトワークと共に、プロジェクトを進めてきた。

2024年1月19日に開催された「防災の『あたりまえ』をトランジションするためには?富士通ゼネラルと一緒に、新しい防災事業の共創関係を構想する」では、プロジェクトメンバーからトランジションデザインを活用した事業探索プロセスと、現段階での成果が共有された。本レポートでは、その詳細をお届けする。

ロフトワークに勤務しながら、武蔵野美術大学造形構想研究科博士後期課程に在籍し、トランジションデザインの手法について研究を重ねている谷氏は、トランジションデザインによる課題解決を4つのステップにわけてこう解説する。

谷氏「ステップ1では、トランジションさせるべき複雑な課題を可視化します。続くステップ2では、その課題がどのように複雑化してきたのか、過去に遡って分析。

その分析結果を踏まえた上で、ステップ3では、私たちにとって望ましい理想の未来を描きます。最後に、自分たちが描いた理想の未来から逆算し、具体的にどういった事業機会があるかを探索します。この4つのステップを通して、社会変革に挑むことがトランジションデザインのアプローチです」

そんなトランジションデザインによる社会変革に挑んでいるのが、富士通グループの一社であり、空調機・情報通信システム・電子デバイス事業を展開する富士通ゼネラルだ。

同社の情報通信システム事業は「安心・安全の未来を共につくる」ことをスローガンに掲げ、自治体が災害時に情報の伝達や収集を迅速に行うための通信ネットワークシステム「市町村防災行政無線システム」の開発・運用を手掛けている。

同社は新しい価値を創造し世の中に提供することを目指し、2016年に社長直轄の専任組織として「Being Innovative Group」を発足。メンバーは社内公募によって選出された。そして同グループは、2023年からロフトワークと共にランジションデザインの手法を取り入れ、防災の「あたりまえ」をトランジションするための探索活動を実施。その目的は、防災領域における新規ビジネスを創出し、さらなる社会貢献につなげることだったという。

谷氏は例を挙げながら、防災領域に潜む課題を指摘した。

谷氏「日頃から防災に取り組むことの大切さは理解しつつも、誰しも一度は『面倒だ』と感じたことがあると思います。また、現在は企業などが自主的に防災訓練を実施することが当たり前になっていますが、そのあり方のままで本当に良いのでしょうか。

さらに言えば、災害発生時に『自助・共助・公助』という言葉を耳にしますが、その中の『共助』とは、誰が誰と助け合うことなのか、不透明さが残ります。そういった防災領域の『あたりまえ』に潜むさまざまな課題の解決に向けて、トランジションデザインのアプローチを活用し、新たな事業機会を探索しました」

防災に潜む課題の背景にある「コミュニケーションの希薄化」

谷氏につづいて、富士通ゼネラル Being Innovative Groupの渡邉氏と中川原氏、菊地氏が登壇。防災の「あたりまえ」をトランジションするための4つのステップについて、その詳細を紹介した。

ステップ1では、既存の防災システムに関わるステークホルダーを可視化。自力で避難することが難しい子どもや障害者の他、言語の壁を抱える外国人や、避難所の場所を知らない観光客など、さまざまなステークホルダーがいることを発見した。そういった方々に対して、幅広い業種の企業や個人がソリューションの創出に挑んでいるのが現状だ。

そして、災害の発生前・発生中・発生後のフェーズごとに各ステークホルダーが抱える課題の因果関係を分析し、プロブレムマップにまとめた。複数の課題がいくつか見つかる中で、Being Innovative Groupは「人と人とのつながり」に着目した。

問題分析

渡邊氏「『災害発生時に助けを求めることが難しい』『他人を助ける余裕があるにもかかわらず積極的に動けない』といった課題を発見しました。また、災害発生後の避難所での生活においても『人はいるのに、協力し合えていない』場合が多いということも判明。そういった課題が生じている原因は、地域内でのコミュニケーションの希薄化です。

他にも『災害発生時に正しい情報が得られない』『連絡が取れなくて不安』といった住民の声がある一方で、自治体側からは『情報を発信をしても住民に届かない』『住民が避難したかどうか把握できない』といった声が聞かれました。これらの調査結果を元に、私たちは『地域内コミュニケーションの希薄化』『助け合いに対するハードルの高さ』『災害時に適切な情報取得が難しい』の3つを解くべき課題として設定しました」

「歴史」を紐解き、防災の「いま」を知る

ステップ2では、「人々がどのように防災と向き合ってきたのか」をリサーチ。江戸から令和に至るさまざまな時代における防災の「あたりまえ」を、解くべき3つの課題に即して「コミュニティ」「助け合い」「情報」の観点から紐解いていった。

歴史構造分析

渡邊氏「江戸時代は幕藩体制のもと、身分制度が機能していたことから、コミュニティが固定化されていました。連帯責任で年貢を納める「五人組」という制度が設けられたり、周囲の人々と共に飢饉の対策をしたりするなど、助け合いの文化が発達。情報伝達の仕組みも非常にアナログで、例えば川の氾濫があれば上流から下流へ、徒歩で情報を伝達していたといいます。

明治から昭和初期にかけては、自分の趣味や好きなことを語れる「倶楽部」が各地域に生まれ、新たなコミュニティとして機能するようになりました。鉄道の開通や通信網の確立によって、人々の行動範囲は広がり、情報伝達のスピードも向上。また、1923年(大正12年)に発生した関東大震災では、ボランティアによる支援も活発化し、張り紙やラジオによる安否確認も実施されていたことがわかりました。

高度経済成長期以降になると都市部に若者が集中し、地域に根ざしたコミュニティが失われていく一方、インターネットの普及により、オンラインコミュニティが活性化していきます」

阪神淡路大震災が発生した際には、家族や地域内での助け合いが活発に行われていたが、それまでにはなかったトラブルも起こったという。避難所において、日本人と外国籍の方々の「あたりまえ」の違いが問題になったのだ。避難所を設計するにあたって、外国籍の方々も巻き込むようになったのは、この時の出来事が影響している。

また、情報・コミュニケーションインフラも、さまざまな震災の教訓を生かし整備されていった。2004年(平成16年)に発生した新潟中越地震が契機となり防災行政無線の運用方法などの見直しが進み、月間ユーザー数9,500万人(2023年6月末時点)を越え、まさにインフラと言える存在になった『LINE』は、東日本大震災をきっかけに生み出されたサービスだ。このような歴史から、どのような示唆を得たのだろうか。

渡邊氏「交通網や通信網の発達によってコミュニケーションの自由度が高まっています。これ自体は喜ばしいことではあるものの、一方で近隣住民との関係は希薄化していきました。そこで、さまざまなプレイヤーの努力によって実現された便利な生活を損なうことなく、今の時代に適した地域内でのつながりや、近隣住民との付き合い方を生み出す必要があるのではないかという結論に至りました」

「未来の兆し」を掴み、理想の社会を構想する

ステップ3では、プロブレムマップや歴史構造分析を通して着目した「助け合い」「コミュニティ」「情報」に関連するサービスや事例をリサーチ。共通項があるサービスをグルーピングしていった結果、「他者への理解」「グループとして助ける・助かる」「一人ひとりにあわせる防災」という3つのトレンドがあることを掴んだ。

未来構想

トレンドの1つである「他者への理解」を掘り下げると、外国籍の方々や女性の視点が入ることで、避難所にも変化が生まれていることを発見した。

たとえば東日本大震災後の避難所生活において、『着替える場所』や『洗濯物を干す場所』に不安を感じた女性は少なくなかったという。しかし、多くの人が不便を強いられる避難生活の中で「自分だけが何かを要望してはいけないのでは」とその不安を口にできない方が多かったそうだ。

そんな教訓を生かし、避難所運営に女性の視点を取り入れる動きが活発になった。2016年に発生した熊本地震の際、大きな被害を受けた益城町では女性が避難所の運営メンバーとして活躍。きめ細かな“区画整備”によって、さまざまな問題を未然に防いだ事例がある。

中川原氏「『グループとして助ける・助かる』領域では、ユーザーの居住エリアの住人と情報交換ができる、ご近所SNS『マチマチ』を発見しましたが、残念ながらサービスの提供を終了しています。そこから感じたのは、地域コミュニティではない、新たなコミュニティが求められているのではないかということです。

他にも、ボタン一つで安否確認ができる『MAGOボタン』や、防災の情報リテラシーを高めるための『だいふく(だ:誰が言ったのか、い:いつ言ったのか、ふく:複数の情報を確かめたのか)』という言葉を発見。

もう一つのトレンドである『一人ひとりにあわせる防災』では、パーソナライズされた災害情報を知るところから、必要な防災グッズの購入までをワンストップで完結できるパーソナル防災サービス『pasobo』など、利用者避難情報を教えてくれる取り組みなどがすでに実施されていることを発見しました」

それらを踏まえて、Being Innovative Groupのプロジェクトメンバー3名が、理想の未来を構想していった。3名はいずれも「人と人が連絡を密に取り合い、つながりを取り戻している未来」を構想し、その未来を実現するためのストーリーを描くSFプロトタイピングも実施。イベントでは、2050年の新たな世界をイメージした動画も公開された。

中川原氏「理想の未来を実現するためには、『人々が協力し合うこと』『他者への理解』『安心感』が重要だと結論づけました。人々が相互理解を深め、共に助け合うことによって、全員が『ここにいれば大丈夫』と安心感を得る。それがポイントになるのではないかと考えています。

このことをまとめ、『それぞれの想いを形にし、コミュニケーションの力を最大化することで、すべての人が安心を感じられる社会を実現する』ことを通して、社会にインパクトを与えることを目標に設定しました」

相手を思いやる気持ちが、社会の「トランジション」につながる

ステップ4では、阪神淡路大震災によって大きな被害を受けた兵庫県神戸市に足を運び、フィールドリサーチを実施。NPO法人「阪神淡路大震災1.17希望の灯り」のメンバーや、神戸市役所など4名の方に話を伺った。

菊地氏「神戸ではさまざまな声を聞きました。たとえば、『災害支援に携わる人々にはそれぞれ原動力があり、人と人が連携するためにはお互いにそのことを理解しなければいけないことを(NPOでの活動を通して)学んだ』『遠くの親戚よりも、近くの他人をつくっていき、日常の登場人物を増やしていく活動が重要』『過去の災害の教訓を生かし、NPOや自治体、地域が一体となってコミュニティを立ち上げている』『迅速な対応を取るためには、国・自治体・被災者が密に連携しなければならない。一貫性を持ったシステムの運用やコミュニケーションが必要不可欠』といったものです。

これらの声はほんの一部でしかありません。大きな災害を経験し、防災に携わるさまざまな方の声をもとに、私たちは『人と人が協力し合うためには、相互理解を深め、互いに相手の気持ちを理解することが必要』という結論に至りました」

その後、施策が目的を達成するに至るまでの論理的な因果関係を明示するためのフレームワークである「ロジックモデル」を活用し、防災の新たな「あたりまえ」を生み出し、理想の社会を実現するための道筋を整理。社会をトランジションするためのアプローチに落とし込んでいった。

ロジックモデル

菊地氏「まずは、自分自身の価値観を明確にし、その上で他者に自己を投影する仕組みを構築することで、より多くの人が『他者に共感できる』状態を実現したいと思っています。中期的には、『一人ひとりが異なる価値観の存在に気が付き、それを尊重できる社会』を目指していきます。そのためには、他者の価値観を『見える化』し、利他性を高めるための仕組みが必要になるでしょう。

次のステップは、『他者から感謝されることが、自らにとってのインセンティブになることが広く認知され、すべての人が助け合う社会』の実現です。そういった社会を実現するためには、感謝の気持ちを受け取ることでより他者を支えようとする気持ちを育むと共に、その気持ちを自己成長にもつなげられるシステムを構築しなければならないと考えています」

「しかし、私たちの力だけで社会に変容をもたらすことは、そう簡単なことではない」と菊地氏は重ねる。

パーパスモデルを用いて共創への解像度をあげる

そこで本イベントでは、講演終了後に参加者を巻き込み、共創ワークショップを開催した。ゲストにお迎えしたのは、「パーパスモデル」の考案者である吉備友理恵氏。

パーパスモデルとは、「多様なステークホルダーがいかにプロジェクトに関わっていくのかを整理した設計図」だ。一社では解決できない大きな課題を解決するためのプロジェクトを、さまざまなステークホルダーと連携しながら進める際、パーパスモデルは有用だ。

さまざまな立場の人が参加するプロジェクトの場合、思っていることがあったとしても、腹を割ってその思いを語るのは簡単なことではない。そういった「尻込み」や「遠慮」が重なり、プロジェクトが思うように進まなくなってしまうことがある。

そんなとき、全員共通のパーパスと、ステークホルダーそれぞれの役割と目的を可視化するパーパスモデルがあれば、「この立場にいる私としては、こんな風に思う」とコミュニケーションを取るきっかけが生まれる。さらに、プロジェクトの変化を時系列で把握したり、プロジェクトの全容をメンバー以外に解説したりする際にも利用できる。

トランジションデザインプロセス

つまりパーパスモデルは、全員にとってのゴールとそれぞれの役割の可視化、そして目線合わせが大きな意味を持つ局面において、高い効果を発揮するのだ。

その効果を疑似体験してもらうために、パーパスモデルを利用した共創ワークショップを開催し、参加者と共に新しい防災システムの内容と、そのシステムが生み出す新たな社会的価値を構想していった。

新たな防災の「あたりまえ」と理想の社会を実現するための、探索活動はこれからも続く。トランジションデザインとこのアプローチを用いて創造されるさまざまな事業や取り組みは、私たちにどのような未来を見せてくれるのだろうか。