トランジションデザインはビジョン主導で社会システムに変革を起こす

そもそも「トランジションデザイン」とは、どのようなアプローチなのか。イベントでは、トランジションデザインとデザイン学の専門家であるキャメロン・トンキンワイズ氏が、その定義や重要な視点を共有してくれた。

トンキンワイズ氏は、カーネギーメロン大学のデザイン学部助教授のテリー・アーウィン氏やギデオン・コソフ氏と共に「デザイナーが社会をより偏りのない持続可能な未来へと移行させるための手法」として「トランジションデザイン」を提唱している。

同大学のThe Transition Design Seminarではトランジション・デザインについて「21世紀の社会が直面する気候変動、強制移民、政治・社会の分断、パンデミック、安価な住宅/医療/教育へのアクセス不足など多くの『難解な、やっかいな(wicked)』問題に取り組むことを目的とした学際的なアプローチ」と書かれている。

キャメロン氏「デザイナーには限られた力しかありませんが、変化への転機に身を置いています。トランジションデザインは、その変化を捉え、ビジョン主導でシステムに変革を起こすプロセスです。

トランジションデザインでは、まず現実の生活や仕事のやり方を改善するだけではなく、それらを根本的に変えるような、望ましい未来を思い描きます。次に、現在のシステムを変える力となり得るイニシアチブを評価する。最後に、段階ごとの変化をマッピングし、それぞれのデザインに優先順位をつける。思い描いた未来から現在の変化を逆算するのです。

そのプロセスでは、異なる『デザイン』が行われます。望ましい未来の視覚的なデザイン、既存の生活や仕事を閉ざしている物質的なデザインの認識・分析、新しい形の社会、生活、仕事を生み出すための計画のデザインです。

このようにトランジションデザインでは、積極的に変化を起こすと同時に、現在どのような変化が現実的であるかも考えます。デザイナーが変化への転機にいるという立場を利用し、結果的に大規模なシステムの変革をもたらすような小規模な介入を行っていきます」

企業はいかに“変容”を共創できるのか?

トランジションデザインの基本的な考え方を踏まえ、キャメロン氏はビジネスにおいて実践するための補助線として、「なぜビジネスイノベーションを持続可能な社会のための変化と結びつける必要があるのか」という論点に触れる。

キャメロン氏は、企業の直面する二つの大きな変化として「気候変動とエネルギーシステムの脱炭素化」を挙げる。「人類が初めて経験する気候」の到来によって、企業はエネルギーシステムの根本的な変化を求められているという。

キャメロン氏「企業は変革やイノベーションを起こす方法を探索してきましたが、その多くが、あくまで既存の主要技術や生産プロセスを使った機能追加や新製品開発であったり、新サービスへのピボットに過ぎません。ですが、気候変動に直面したときに求められるのは、組織としての根本的な方向転換です。

たとえば、私の関わる家庭用天然ガスの供給会社では、メインの事業が立ち行かなくなりつつある。あらゆるものの“電化”を促す動きもありますし、オーストラリアの首都では将来的な開発でガスの使用を禁じています。

この企業はどう対応すればいいでしょうか?グリーン水素の普及を願って、違った種類のガスをパイプに送り込み、これまでと同じ事業を続けるのでしょうか?

あるいは、顧客がガスの使用を卒業できるようにサポートするサービスを展開するという道もあります。この先、数年間にわたって重宝される専門分野でしょう。これはまさに『トランジションサービス』と言えます」

このように、自分たちの既存の技術やビジネスにとらわれず、顧客中心主義に徹すること。それも単に顧客が現在持っている欲求を満たすのではなく、新たな欲求へと「リード(導くこと)」が必要だとキャメロン氏は述べる。そして顧客と“共に”未来へ移行していく必要があるのだ、と。

たとえば、環境に優しい製品や事業を求める顧客は一定数いても、環境問題の解決のために生活を根本から変えたいと考える顧客は少ないだろう。そこで企業にできることは、顧客の今のニーズを満たしつつ、根本的な変化を共に生み出す仕組みをつくることだとキャメロン氏は言う。

キャメロン氏「より安価で、より環境に優しいエネルギーを求めている顧客がいるとき。システムを完全に自動化することもできますが、人々がエネルギーについての理解を深められるようデザインする道もあります。ただの消費者ではなく、電気を貯めたり配ったりする人として、そのネットワークの一部になれるよう設計するのです。

ソーラーパネルのような再生可能エネルギーのためのキットを提供する側も、ただ製品を売るのではなく、起業家的な精神を持ち、顧客が単なるエネルギーの消費者にとどまらないようなサービスを提供する必要があります。人のあり方の変容そのものを支援するのです」

最後にキャメロン氏は「ビジョン」の重要性を強調した。混乱に溢れる社会においても「望ましい未来のためのビジョンを、企業とイノベーションの担い手と共に構想すること」によって、「企業や政府は現在のニーズや課題に応えながら、変化のためのプラットフォームを構築し、持続可能な社会のための手段をアップデートできるのです」と締め括った。

組織のなかで未来を構想するデザインフューチャリストの仕事

望ましい未来への根本的な変化を促す「トランジションデザイン」の考え方、ビジネスが実践する上で鍵となる企業と顧客の共創的な関係など、キャメロン氏によってトランジションデザインの輪郭が見えてきた。

では具体的に組織のなかでトランジションデザインを実践し得るのか。JPモルガン・チェース銀行デザイン・フューチャリストの岩渕正樹氏が登壇し、自らの経験を交えながら語った。

初めに、岩渕氏が自身のポジションである「デザイン・フューチャリスト」がどのようなものかについて説明する。

岩渕氏「決まった定義のない段階ですが、私自身は未来を予測ではなく想像・妄想によって思い描く役割であると捉えています。

具体的に何を考えるのか。たとえば私は銀行に所属していますから、銀行の未来について考えなければいけません。

それには大きく二つのやり方があるでしょう。一つは、テクノロジーの未来と関連付けて考える方法です。『メタバースは銀行にどう影響を与えるのか?メタバース内にATMができたら誰がどう使う可能性があるか?』『ビットコインやトークンなどが既存の銀行や地域のコミュニティをどう変えるのか?』『NFTアートなどによる新しい稼ぎ方が生まれる中で、どのように銀行は新しいニーズに答えなければならないのか?』などと思考を巡らせていきます。

もう一つは、より長期の人々の行動形式や社会の価値観の変化に目を向ける方法です。気候変動やノマドワーカーの増加によって、お金を稼ぐ、貯蓄するといった行為はどう変わるのか。あらゆるものごとをシェアし、一切所有しない経済が普及したとき人々のコミュニケーションはどう変わるのか。あるいは、国内・国際の政治動向や政策が市民に与える変化など、様々な外部環境をとらえて、人々の意識や行動の変化を描きます」

そのプロセスにおいては、統計データを読み解いていくだけではなく、実際にプロトタイプを作り、議論・共有ができる形にしながら未来を可視化していく。

岩渕氏「たとえば、平均気温が数度上がった世界、昆虫食が常食になった世界など、さまざまな変化が起きた未来において、人々はどのような道具を使い、どのような体験をしているのか。ときには紙製のラフなプロトタイプ、あるいは映像作品などを作り、皆が同じイメージを共有できているのか、また異なる未来像なのかを関係者と共に議論していきます。

デザイン・フューチャリストは、このように未来へのさまざまな妄想、想像をデザインによって可視化し、皆が同じビジョンを描けるように伝えていく仕事と捉えています」

大規模な組織における実践の壁、乗り越え方

こうした未来を構想する営みを大規模な企業組織において実践するのは容易ではないと岩渕氏は語る。

岩渕氏「未来から現在に遡る思考法はバックキャスティングと呼ばれたりもしますが、私一人が『こんな未来になるから、こんなプロダクトやサービスを作ったほうが良い』と発信しても説得力はありません。100人いたら、100通りの未来があるものですから、周囲の人々を巻き込んで『こんな未来もありえるよね』『こんな未来がいいよね』と、一緒に未来を考えて収束させていく必要がある。そうした様々な職能の人を巻き込んでいくプロセスにおいては、ワークショップやファシリテーションといった職能も求められる仕事であると感じます。

何より重要なのは、それをやり続ける、ということです。3ヶ月のプロジェクトでプロトタイピングをして、何か1つの未来像を作り上げて完成、ではなく、時が進めばまた未来に対する想像も変わるので、常に人々を鼓舞する未来を示し続けることが重要だと思っているんです」

JPモルガン・チェース銀行では、会議室の一室を『LIVING ROOM OF THE FUTURE』と改修し、未来の世界をミュージアム形式で展示している。

岩渕氏「ミュージアムに入ると、そこは2040年の世界。気候変動よってに平均気温が上がった世界や、ドローン配達などの新たなインフラが普及した世界など、複数の社会像やそこで必要とされるリビングルームの道具のプロトタイプを提示しています。その“リビングルーム”では今と何が違うのか。たとえば家具や家電にはどのような新たなニーズに応えていて、さらに銀行はどのように未来の消費者に介入しているのかといったことを提示している試みです。

それにより社員が気軽にこの部屋に入ってきて、未来への想像を膨らませたり、新しいビジネスについての議論が自然に発生するようなことが起きています。社員ごと未来へトランジションさせていく試みです。トランジションデザインに、こうしなければならないというやり方に決まりはありません。もっと人々が未来に目を向け、議論を発散させるためにはどうしたらよいか、私自身も探究しているところです」

岩渕氏は、未来へのビジョンを思い描く営みは、決して一度やって終わりではなく、日々実験し、ピボットし続けるものだと考えている。だからこそ、組織の中で実践し続ける必要があり、かつその担い手を増やしていくことが大切だ。

岩渕氏「トランジションデザインの理論にも登場する、ソーシャルイノベーションの第一人者・エツィオ・マンズィーニの著書『日々の政治』のなかに『君のいる場所から世界を変えろ』という私の好きな一節があります。大きな変化をトップダウンでどかんと起こすのではなく、現場の一人ひとりが『こっちに行きたいな』と思える小さな未来を妄想し、共有し、それに向かって行動できるようになる。経営者やビジネスリーダーだけが責任を持つのではなくて、組織において一人ひとりがよりよい世界への変革に貢献する。私が現在の組織で実践しているのはそうしたトランジションデザインの側面です。そのためにこれからも試行錯誤していきます」

本イベントの録画映像は下記のイベントページからアクセスできます。より詳しく内容を知りたい方は、以下のページからぜひチェックしてみてください。
https://loftwork.com/jp/event/20221205_transition-design_archive