日本は過去を振り返るのが苦手な国ではなかろうか

デジタルアーカイブ学会長の吉見俊哉氏はこう語りかける。視聴者の目に映るスライドには「JAPAN as NO.1」、「失われた30年」、「公文書改竄」といったキーワードが並んだ。吉見氏は、これらの過去に学ぶ姿勢のないまま「ビッグデータ」や「Society5.0」という言葉に踊らされている日本に危機感を示していた。

過去に学べない、そのような国、組織、個人のありかたを振り返ったとき、なんらかの基盤の未整備が原因にあるのではないか。2022年8月3日に開催された第1回「デジタルアーカイブ憲章をみんなで創る円卓会議」は、日本経済および文化の憂慮から始まった。

円卓を囲むように集い、共に知恵を出し合う場

これから始まる議論は、「記憶する権利」を打ち立てるものだそうだ。記憶する権利、多くの読者にとって聞き慣れない言葉だろう。吉見氏は、マスメディア主導の時代から個人と公共の利益の観点でなされているプライバシーと情報公開の議論を取り上げ、それぞれに「忘れられる権利」と「記憶する権利」が必要だとする考えを示した。さらに、「これらの議論によって”開かれた公共”を打ち立てる」と宣言していたが、まさにこの会議がそれを体現しようとしていると感じた。

この円卓会議は、学会内に閉じることなく一般に開放され、参加者と登壇者ができるだけ対等な立場でコメントや質問ができるように設計されていた。会議の冒頭に、司会の数藤雅彦氏からシンポジウム改め「円卓会議」と呼ぶ意図が共有されたが、登壇者であるなしに関わらず、円卓を囲むように集い、共に知恵を出し合いたいのだという。互いを称賛する発言を促し、登壇者を「先生」ではなく「さん」付けで呼ぶことも、学術や政府、民間の垣根を越えようとする「開かれた公共」の一つの姿だったと思う。

このような学会の姿勢について、吉見氏はまず学会の4つの機能(ミッション)から説明した。学会の基本機能は「学会員の研究発表と交流を促すこと」、「学術理念に基づいて声明発表を行うこと」にあるという。さらに、発展機能として「議論すべきテーマを推進すること」、「社会的理念を提起すること」があるとした。デジタルアーカイブ憲章を打ち立てることは、学会が発展機能を果たそうとすることであり、人材育成および法整備のための政策提言を進めることだと、強い意志を明らかにした。

デジタルアーカイブ憲章に関する議論は、学会設立前に端を発した。学会内で議論を重ね、ようやく2022年の夏に憲章案という形で一般公開できるに至ったそうだ。デジタルアーカイブ憲章とは一体、どのようなものか。いよいよ、それを伝えるべく、弁護士の福井健策氏が全文を音読した。言葉を一つずつ味わうかのような豊かな時間が流れた。本記事の読者におかれてもその豊かな時間をぜひ体験いただきたいところだが、とりあえずは一部抜粋して記載することにしよう。

前文
「デジタルアーカイブとは、人びとのさまざまな情報資産をデジタル媒体で保存し、共有し、活用する仕組みの総体を指します。本憲章は、デジタルアーカイブが社会にもたらしつつある変革が何を可能にするのか、またそのリスクはどこにあるのかを認識し、21世紀のデジタルアーカイブが目指すべき理想の姿を提示した上で、その実現に向けてわたしたちデジタルアーカイブ関係者が行うべきことを宣言するものです。」

行動指針(オープンネス)
デジタルアーカイブが扱う情報資産の保存・公開・活用等の全ての計画・実施局面において、その提供者と活用者を含む幅広い主体の声を聞き、主体的な参加を促します。

確認・更新
3年に一度、本憲章を見直すとともに、時宜に適った政策提言を作成し、公開します。

デジタルアーカイブ憲章(案) 第1回「デジタルアーカイブ憲章をみんなで創る円卓会議」(2022年8月3日)版より

デジタルアーカイブは社会に豊かさをもたらすための希望

その後、ほか13名の登壇者によりデジタルアーカイブ憲章に対するコメントが述べられた。ここではその中の二つを紹介したい。

大西亘氏(神奈川県立生命の星・地球博物館 動物・植物グループ主任学芸員)の発言は、デジタルアーカイブの必要性を理解するのに役立った。大西氏の専門領域は植物の「押葉標本」というもので、博物館でも取り扱われず社会に知見を共有できない現状を嘆いた。続いて、土器の写真を見せつつ「私が気になるのは土器そのものではなく、ドングリが埋まっていた穴である」と土器の穴を指差し、アーカイブされたデータが複数の文脈から辿れることの必要性に言及した。さまざまな主体がデジタルアーカイブに携わることの重要性を説きながら、本取り組みを、社会に豊かさをもたらすための希望だと表した。

続いて、本会議でそのほかの登壇者も繰り返し言及した、ルドン・ジョゼフ氏(NPO法人ゲーム保存協会理事長)の発言を紹介しよう。
ルドン氏は、過去30年で10万点以上にものぼるゲーム作品をアーカイブする活動をしている。「文化を残すことが義務だと思う」と述べつつ、しかしながらいくつかの障壁により困難である現状について、施策を提案した。

ほかにも、教育、放送脚本、アニメ、音楽、ゲーム、図書館、美術館の識者など、さまざまな参加者からの発言があった。各領域の取り組みとその課題——たとえば、経年劣化や被災の脅威、著作権という(相対的に)強い権利など——が共有され、その中でのデジタルアーカイブの必要性と重要性が説かれた。

デジタルアーカイブ憲章は21世紀の憲法に相当する

ここでライトニングトークを終え、第一部が終了となる。第二部は再び、吉見氏による意思表明から始まった。筆者はこの意思表明に大きな感銘を受けた。

吉見氏は、デジタルアーカイブ憲章を創る活動は、21世紀の憲法を打ち立てることに相当すると考えているらしい。第二次世界大戦後に国際社会で議論が進められた概念に、人間が文化的環境で生きることを人権として認める「文化権(cultural right)」がある。憲法第25条の「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」という一文が文化に言及していることや、戦後ドイツの再出発において文化が大きな役割を果たしたことからも、文化の重要性は確認できる。しかしその一方で、文化に関する市民の権利ーー文化権ーーが保証されているとは言いがたい状況が続いてきた。こうした中で「記憶する権利」を打ち立てることは、文化権の確立に相当するという考えを示した。

筆者はこの意思表明に全面的に賛同する。なぜなら、インターネットの登場により人々の生活のあらゆることが半永久的に記憶されるようになったが、個人情報の削除請求権についてはいつまでたっても控えめにプライバシーポリシーに記述されているような状態が続いているからだ。人々の暮らしと尊厳は、文化を起点にさらに議論されなければならない。

さらに、吉見氏は、ルドン氏の発言にあった「文化の保存は義務ではないか」という声を取り上げ、賛同の意を表しながら、日本のありかたについて意見した。吉見氏いわく、明治時代初期の文明開花から一向に変わらない、外から訪れる価値を妄信する日本の体質に問題があるという。吉見氏は、「文明開花に代わる温故知新の精神を持ち、自分たちの内にある価値を再発見し、未来を創ろうではないか。そのためにデジタルアーカイブを作るのだ。」と語った。吉見氏の熱意を強く感じる場面であった。

記憶する権利と忘れられる権利の両立に向けて

その後も議論は多岐に渡った。今回の記事でそのすべてについて触れることは困難である。会の最後に、記憶する権利と忘れられる権利を両立させてコモンズ(開かれた社会)を作ろうというメッセージが残されたことに関して、筆者が専門とするプライバシーバイデザインの観点から補足したい。

本会議の冒頭で、記憶する権利よりも古くからプライバシーの議論があると紹介された。プライバシーが権利に値するものだと初めて主張されたのは1890年のこと。新聞・雑誌といったメディアが個人のプライバシーに立ち入ったイエロー・ジャーナリズムが問題となっていた。強者が弱者のプライバシーに立ち入る構造は、形を変えて現代も続いている。

インターネットが登場して以来、企業はデータプラットフォーマーになりたがる。できるだけ多くのデータを集め、できるだけ長く保存し、できるだけ消さない。個人の思考や行動は、カメラやパソコン、センサーによって気づかぬうちに収集され、半永久的に企業に記憶されていく。自らの意思でデータを入力し、提供していたはずの個人は、気づかないうちにデータ化される存在になった。誰もが平等に情報にアクセスできる開かれた場だったインターネットは、データを捕食する動物が潜む危険な森となった。

多くの企業が困惑しているだろう。データを取得するだけで、「プライバシーを侵害している」と後ろ指を刺されるようになった。預かったデータをなにに利用しているのか、利用目的に人々は同意しているのか、それは差別や偏見を助長していないか、不用意に他者と共有していないか。データを持つだけで批判されるのは不本意だろうが、データのライフサイクルについて説明責任を問われるのは、「開かれた公共」を目指す中での自然な流れである。

データを預かる側と渡す側の間には、さまざまな非対称性がある。「プライバシーは千差万別だから議論できない」「マイノリティに構っていられない」とするのはデータを預かる側の特権だ。人には他者の視線に晒されることのない自らの領域が必要だ。プライバシーがあるからこそ、他者を尊重する繊細で人間的なコミュニケーションが生まれる。テクノロジードリブンでサービスが生まれるなか、プライバシーの文化について議論を開いていくことは社会の要請である。

「デジタルアーカイブ憲章をみんなで創る円卓会議」は、一部の専門家に閉じず、各領域の識者、官民を巻き込んだ対話を基盤としている。プライバシーにおいても同じように、社会全体でバイデザインしていかなければならない。

デジタルアーカイブ学会は、公開型の会議開催を今後も予定しているようだ。会議の情報についてはこちらを参照されたい。