プライバシーを“手放しやすい”デザインへの批判

あなたの友人がマッチングアプリで出会った相手に顔写真、あるいはセクシーな写真を送ったとする。その写真がネット上に流出して困っていると相談を受けたら、どう感じるだろう。「見知らぬ相手に写真を送るなんて不用心だ」と、思う人が多数派かもしれない。

しかし、ニューヨーク大学・ロー・スクールのAri Ezra Waldman教授は、LGBTQ向けのマッチングアプリを例に、送信ボタン一つで、ユーザーがプライバシーを簡単に手放せる仕組み、それを許している法律に課題があると指摘している

彼の指摘する通り、私たちは長々としたプライバシーポリシーを読まずとも、「承認」ボタン一つで個人データをプラットフォームに手渡せる。筆者もいちユーザーとして、その手軽さにすっかり慣れてしまっている。

しかし、欧米ではこうしたデザインを規制する動きが始まっている。ヨーロッパのGDPRはもちろんのこと、米国では2019年4月、プライバシーにまつわるユーザーの意思決定を妨げるようなアプリの設計を禁止する『Deceptive Experiences To Online Users Reduction(DETOUR)Act』が提出された

参考記事:企業でも国家でもない。EUは「市民」にデータの主権があるインターネットを目指す

プライバシーをめぐるデザインの現在地

プラットフォームには、ユーザーがプライバシーを諦めるのではなく、尊重するための仕組みが求められている。しかし、それは一体どのように実現できるのだろうか。

MITメディアラボ研究者兼デザイナーとして、プライバシーデザインを専門に研究してきたグエン氏が、すでに実装されている事例を紹介する。

グウェン氏「例えば、Pinterestの利用規則では、各項目ごとに簡単な要約を掲載し、ユーザーの理解を手助けしています。他にもアイコンを用いて理解しやすくした事例もあります。ユーザー理解を促すためには、99ページに渡るプライバシーポリシーを見直さなければいけない」

「More simply put(よりシンプルに言うと)」と書かれた青い文字が要約文

理解を促すだけでなく、ユーザーがデータを提供するか否かを「選択できる」仕組みも欠かせない。あらかじめ同意を得た上で個人情報を利用する「オプトイン」から一歩進み、より多くの選択肢をユーザーに委ねる仕組みが登場している。

例えば、コロラド大学ボルダー校の研究では、ユーザーが自らの顔を「どのようにアルゴリズムに認識させたいのか」を選択できるアプリケーションを開発した

グウェン氏が「とくにお気に入りの事例」と語る『LOOMIA TILE』は、購入した洋服の着用データをユーザー自ら売買できるデバイスだ。売買を通して独自の仮想通貨を得ることができるという。

最もクリティカルなプライバシーを見極める

プライバシーにまつわる意思決定をユーザーに委ねる仕組みが増えているのは良いことだ。しかし、選択肢が与えられたからといって、ユーザーが面倒な設定を行うのか疑問が残る。

グウェン氏いわく、多くのデザイナーは「選択肢は多いが複雑でわかりづらい」仕組みと、「選択肢は少ないがシンプルでわかりやすい」仕組みの間で、どのようにバランスを取るのか、日々悩まされているという。

しかし、グウェン氏は「選択肢を増やすか減らすか」といった、二元法的な考え方は適切ではないと考えている。なぜなら、個人が尊重したいプライバシーの種類は、想像以上に多様だからだ。

グウェン氏「例えば、身体情報、所属している組織、銀行口座、行動履歴、インターネットの閲覧履歴など、プライバシーには複数の種類があり、それらが漏洩したときのインパクトも異なります。また、ユーザーがどのプライバシーを最も気にしているのかも人によって違います。

デザイナーは、ただ選べるオプションを増やす、といった単一のソリューションではなく、多様なプライバシーから最もクリティカルなものを見極め、対処する必要があるでしょう」

グウェン氏は、2019年3月にFacebookがリリースしたプライバシーにまつわるマニフェストに対しても、プライバシーの多様性が想定されていないと指摘していた

プライバシーの定義は複数の要素によって変化します。あるユーザーにとっては、データを勝手に取得され、お金儲けに使われることのない状態、それを選ぶ自由を指すかもしれない。別のユーザーにとっては、ただ匿名性が保たれることを指すかもしれません。一人ひとりがそれぞれ異なるプライバシーを気にしているのです

プライバシーの形は、コンテキストや文化、時間、場所によって変化する。デザイナーには、ユーザーの意思に沿って、どのプライバシーを尊重するか、優先順位をつける必要がある。

グウェン氏はその重要性を、アルゼンチン出身の作家、ホルヘ・ルイス・ボルヘスの作品『Everything and Nothing』を引用して強調し、講演を締めくくった。

グウェン氏「同作品の登場人物の男は、自らを何者でもないと思っていました。彼は、他人を演じることで、多くの人間の集合となり、空虚さを埋めます。しかし、彼自身が何者でもないという事実は変わらない。

今の社会にとって、プライバシーはこの男のような状態になっています。あらゆるものがプライバシーのようで、実際にそれが何を意味するのか、中身は誰もわかっていない。

デザイナーは多様なプライバシーの形を一つずつ解きほぐしていかなければいけない。そうしなければ、これからもプライバシーは“Everything”であり、“Nothing”であり続けるからです」