「インパクト投資」「インパクトスタートアップ」を概観する
まず、マイクを握ったのはファシリテーターを務めた高塚氏。
同氏は、SBI新生銀行グループにおいてベンチャー投資担当、オフショア子会社取締役などを経て、邦銀系初のインパクト投資ファンド「子育て支援ファンド」および2号ファンド「はたらくFUND」を設立。その後、SBI新生銀行を退職後インパクト・キャピタル株式会社を創業し、現在は同社の代表取締役を務めている。
「投資家という立場から、メインストリームの金融機関や機関投資家のリスクマネーがが社会課題の解決に挑むスタートアップに意図して送り込まれるきっかけ・足場作りに一貫して取り組んできた」と語る高塚氏から、本セッションの目的が共有された。
高塚氏「ここ数年でインパクト投資、インパクトスタートアップという言葉がよく聞かれるようになりました。それに伴い、さまざまな情報が流通するようになりましたが、その多くがインパクト投資やインパクトスタートアップの一側面しか捉えられていないのではないかと感じることもあります。
このセッションには、実際にインパクトスタートアップを経営する事業家のお二方、インパクトスタートアップを支援する制度や枠組みを設計している方、そして投資家が揃いました。全体を整理しながら、多角的にインパクト投資やインパクトスタートアップの現在を見てきたいを思います」
「支援する側」の代表として登壇したのは、経済産業省大臣官房参事と独立行政法人中小企業基盤整備機構審議役を兼務する、石井芳明氏だ。
石井氏は政府が用意しているさまざまなスタートアップ支援策に触れた上で、「政府を挙げて、スタートアップ支援に取り組んでいる」と語る。では、政府においてはどのような企業を「スタートアップ」としているのだろうか。
石井氏によれば「新たなことにチャレンジをし、イノベーションを起こそうとしていること」「『成長』を志向していること」の2つが揃っていることが、「スタートアップ」の条件としているのだという。ただし、ここでいう「成長」は、決して経済的な成長、すなわち売上や利益額の向上のみを意味しない。「事業の拡大を通して、社会にインパクトを与えることも『成長』だと定義している」と重ねた。
政府を挙げてインパクトスタートアップを生み出し、育てる
そもそも、なぜ政府はスタートアップ支援に力を入れているのだろうか。石井氏はその理由として、「資本主義のアップデート」を挙げた。
石井氏「資本主義が行き過ぎてしまった結果、生み出された社会課題はたくさんありますよね。その課題を解決するためのアプローチは2つあると考えています。1つ目は、『既存のプレイヤーを変える』。つまり、これまでの社会を牽引してきた企業を変えるということですが、これはかなり難しいでしょう。
もう一つのアプローチは『新たなプレイヤーを生み出す』です。新たなプレイヤーを生み出すことによって、これまでの資本主義が生み出してしまった社会課題を解決していく。その『新たなプレイヤー』こそが、スタートアップです。だからこそ政府としても、社会課題の解決を目指すインパクトスタートアップを増やさなければならないと考えています」
政府が社会課題の解決を目指す企業の支援に力を入れだしたのは、約10年ほど前だったという。しかしこの10年間、政府として「どのような社会的企業を支援するか」といった具体的な方針は示せていなかったと石井氏。「インパクトスタートアップを後押しする」とは明言するものの、「インパクトスタートアップとはどのような企業か」が明確になっていなかったのだ。
そこで2023年10月、経済産業省はインパクトスタートアップ育成支援プログラム「J-Startup Impact」を設立し、ロールモデルとなることが期待される30社を選定した。「選定基準は3つある」と石井氏は言う。
石井氏「1つ目の基準は『インパクトをもたらそうとする意思があり、その意思を社会に対して示していること』です。2つ目は『具体的な課題を設定し、その課題を解決するためのロジックモデルを構築し、そのモデルを運用しているか。また、課題解決に向けた取り組みの効果を測定し、その効果を公表しているか』。同時に、社会課題の解決に向けた取り組みを実行するための組織、ガバナンス体制が整っているかも見させていただきました。
そして、3つ目が『ロールモデル性』です。『その企業に続こうとする企業が現れるか否か』にも注目。政府としてこの3つの基準を満たす30社を選定し、インパクトスタートアップのロールモデルとして支援する姿勢を示しています」
社会にインパクトを与えるための「チャレンジ」と「お金」
インパクトスタートアップを巡る動きを活発化させているのは「官」だけではない。社会課題の解決を志向する23社のスタートアップが集い、業界団体「インパクトスタートアップ協会」を立ち上げたのは2022年10月のことだ(同年12月に一般社団法人化)。
2024年3月時点で、正会員数は83社にまで増加。賛同会員である9社を加え、約100社が「『社会課題の解決』と『持続可能な成長』を両立し、ポジティブな影響を社会に与える」をパーパスに、学び合いの場の構築、政府・行政との協創など、さまざまな活動に取り組んでいる。
本セッションに事業者サイドの代表として登壇したお二方が率いる企業は、いずれもこのインパクトスタートアップ協会の正会員である。
秋本氏が代表取締役を務めるBlanketは、「全ての人が希望を語れる社会へ」をビジョンに掲げ、介護領域の課題解決に取り組んでいる。人手不足が深刻化し、2040年には69万人もの需給ギャップが生じると予測されている介護業界において、同社は「介護の人事部」として採用・組織コンサルティング事業などを展開。介護事業を展開する企業との直接的な取引のみならず、行政とも連携しながら、介護現場の人手不足の解消に向けた取り組みを実施している。
秋本氏「私たちの特徴としては、『人材不足を解決する』ことだけではなく、『介護に関わる人が幸せになれる社会』をどう作れるか?を考えて事業展開していることだと考えています。
そのため、採用・定着の支援だけではなく、介護に志を持つ人が集い学び合えるコミュニティの運営や、介護を個人の課題に閉じずに社会の話題へ転換することを目指す「OPEN CARE PROJECT」など、介護に関心を持つきっかけづくりや、より良い実践を広めるための取り組みをしています」
秋本氏がBlanketを設立したのは、2013年4月。11期目を終えようとしている同社のファイナンスについて、秋本氏は「これまで借入とクラウドファンディングでしか資金を調達しておらず、投資という形で資金を入れたことはない。そのような企業経営のあり方についてもお話出来れば」と語った。
そんな秋本氏からマイクを受け取ったのは、坂ノ途中代表取締役の小野氏。坂ノ途中はビジョンとして「100年先も続く、農業を。」を掲げ、環境への負荷が小さい農業に挑戦する人を増やすことを目指し、事業を展開している。
取引農家が生産する野菜の「定期便」を消費者に届けることが同社の主な事業だが、「最大の特徴は、取引農家さんの8割ほどが新規就農者であること」と小野氏は言う。有機農業が希求される昨今ではあるが、既存の農地のうち、有機農業が行われているのは0.6%ほどしかないそうだ。その理由は、小野氏いわく「既存農家さんが『これまでの農法』を変えるのはとても難しいことだから」。
一方、新たに農業にチャレンジする方の多くが、「せっかく農業をやるのであれば、有機農業にチャレンジしたい」という希望を持っているそうだ。つまり、「新規就農者を増やすことが、日本の農業をオーガニックでサスティナブルなものに変えるための現実的なシナリオ」だと小野氏。
しかし、新規就農者の多くが経営を軌道に乗せることができず、「貯金が尽きたら辞めていく」状況が続いているそうだ。そこで、坂ノ途中は新規就農者たちの経営を支援するために、バリューチェーンを再構築。経営的にもサスティナブルな農業の実現をサポートしている。
そんな坂ノ途中は、その成長の過程で大きな「方向転換」を経験した。
小野氏「2009年の創業以来、しばらくは『ローカルで、小さくて美しい事業』を目指して、自己資金のみで経営を進めていました。もちろんそういった事業も素晴らしいものだとは思うのですが、僕の場合は無力感を感じる場面が多かったんです。簡単に言ってしまえば、自然に広がってくれるだろうと思っていたビジネスモデルがなかなか広がらなかった。
そこで、企業としての成長速度を加速させるために、徐々に『スタートアップ』的な企業にシフトし、8期目に初の、VCからの資金調達を実施しました。それから2年おきに資金を調達し、さまざまな事業会社からも出資していただきながら、現在に至っています」
「志向するインパクト×ビジネスモデル×資金調達法」をリンクさせる
インパクトスタートアップを支援する立場にある石井氏と、同じくインパクトスタートアップの経営者ではあるものの、ファイナンスの面では異なる選択を下してきた秋本氏と小野氏。それぞれ、スタートアップ経営における「『経済性』と『社会性』の両立」というテーマを、どのように捉えているのだろうか。
高塚氏から「インパクト投資、あるいはインパクトスタートアップを取り巻く環境の変化や現状をどのように捉えているか」という質問が投げかけられた。
この問いに対して最初に回答した石井氏は「ここ10年でスタートアップへの投資額は10倍ほどの規模になり、大きな盛り上がりを見せているだけではなく、インパクトを志向するスタートアップも増えている」としたうえで、こう言葉を続けた。
石井氏「スタートアップの経営者の方々は、VCから資金を調達し、短期間で一気に成長するモデルを描くことが多いと思うのですが、ことインパクトを志向する場合、それだけが目指すべき成長モデルではないと思っているんです。
たとえば、補助金でまずは事業を回してみることも考えられるでしょうし、秋本さんがそうであったように、クラウドファウンディングを使うという方法もある。一口にデットと言っても、通常の融資とは異なるベンチャーデットも出てきましたし、エクイティもVCだけでなくエンジェル投資家や企業からの出資を受けるという選択肢もある。
重要なことは、『自社が目指す世界』と『ビジネスモデル』、そして『資金調達の手段』をしっかりとリンクさせることなのではないかと思っています」
石井氏の言葉を聞いて、8期目で「スタートアップ化」に舵を切った経験を持つ小野氏がこう続けた。
小野氏「『どういった社会変革シナリオを描くのか』が重要ですよね。僕らの場合は、地域の中で地域の方を支える仕組みをつくり、その仕組みが自然に広がっていくことを期待していたものの、なかなか期待通りにはならなかった。
加えて、僕らは流通業を営んでいるので『自社で動かせるお金』は、ほとんど『生産者に還元できるお金』と同義です。仲良くしていた農家さんの経営を支えきれず、その方が農業を辞めていくといった経験をしたこともあり、自社の力でしっかりとインパクトを生み出せるように生まれ変わりたいと思って、資金調達に動いたという背景があるんです。
どれくらいの時間をかけて、社会をどのように変えていくのか。そのシナリオを描いたうえで、そのシナリオに即した調達プランを立てるべきだと思います」
小野氏は続けて、スタートアップ経営の「定説」に疑問を投げかけた。
小野氏「僕は『速度至上主義』がよくないのではないかと思っています。速く成長すればいい、というわけではないと思うんですよね。『とにかく速く成長しよう』と焦ってしまうがあまり、解決したい社会課題に向き合い、どんな世界をつくるのかを考えるための時間が取れていないのではないかと。そこに危機感を持っていますね」
経済的な成長と社会的意義を両立させるためのファイナンスは、「『スタートアップ』の二項対立を乗り越える-ゼブラ流、パーパスドリブンなファイナンス戦略-」と題されたセッションでも触れられていたトピックだ。関心のある方は、ぜひ同セッションのレポートも併せて一読いただきたい。
「経済性」と「社会性」は表裏一体のもの
セッション終盤に設けられた質疑応答コーナーでは、会場に詰めかけた観客からさまざまな質問が寄せられた。自身も会社経営をしているという方から投げかけられたのは「事業の一つのゴールであるインパクトの測定法、つまり『社会にインパクトをもたらしているか否か』は、いかにして判断すべきか」。
秋本氏は「正直なところ、まだ答えはない」としつつ、次のように答えた。
秋本氏「私たちは介護現場の人材不足という顕在化している問題の解決だけではなく、これから生じうる更なる問題にも向き合っています。より深刻な人材不足を防ぐためには、未来の働き手を増やさなければいけません。
そのため、小学生向けに謎解きイベントなどを開催し、その中で介護の仕事に対する理解を深めてもらう取り組みもしているのですが、そういった取り組みの『答え合わせ』が出来るのは、10年以上先のことです。そういった意味で、私たちの取り組みが社会にどれだけのインパクトをもたらしているのかを測るのはとても難しい。
ただ、支援している介護施設に変化が生じたときは、インパクトをもたらしている実感があります。たとえば、私たちが支援する前はまったく採用がうまくいっていなかった企業が、自力でしっかりと採用できるようになり、経営者が社員の働き方にまで向き合うようになってくれることがある。その結果、みなさんがとてもいきいきと働くようになってくれたんです。
そういったプロセスを見ると、私たちの事業に価値があることを実感するのですが、事業が『どれだけのインパクトを与えたか』はなかなか難しい問題ですよね」
次の質問は、「インパクトとバリュエーション」に関するものだった。質問者は「近く、初めての資金調達を予定している」という経営者だ。いわく「すでに投資を受けている経営者の方々と話をすると、『投資はしてもらえるものの、インパクトに高いバリュエーションはつきづらい』と言う人が多い」。
インパクトスタートアップ経営者は「バリュエーション」といかに向き合うべきなのか。そして株式の引受先は、どのような基準で選択すべきか——そんな質問に回答したのは、投資家である高塚氏だ。
高塚氏「前提として、バリュエーションは投資家側の観点からつけられるものなので、経営者のみなさんはバリュエーションを始点として事業を構想する必要はありません。事業をどのように組み立てれば『事業成長』と『インパクト拡大』の両立を図れるのか、を是非中心に据えていただければと思います。その中で、私たちのような、機関投資家のお金をお預かりするインパクト投資ファンドの立場からすれば、『インパクト』と『事業性』は表裏一体の関係であってほしいと思っています。
たとえば、ある領域において、需要と供給の間に大きなギャップがあるために社会課題化していて、事業を通してそのギャップを埋めることが課題解決につながると考えられます。他方、そのギャップは底堅い需要に基づく売上の伸びしろでもあり、すなわち『マーケットポテンシャル』である。そういった意味で、インパクトと事業性は表裏一体の関係にあるはずなんです。
つまり、『インパクト』の整理を『事業成長』の整理と表裏一体で言語化できたとき、インパクトがあることが間接的にVCの高評価にもつながる。もちろん、これだけがインパクトスタートアップが高い評価を得る方法のすべてではありませんが、一つの考え方の例として挙げられるかと思います」
インパクトに高い経済的価値が見出される世の中を目指して
「インパクト」を「事業成長」で言い換える。そんな方法を実践していたのが、小野氏だ。「何度か資金調達を経験している中で、『社会にとって価値のあることをしているのだから、高いバリュエーションをつけてもらいたい』と言ったことはない」とし、こう続けた。
小野氏「『社会にとって価値がある』ということを、ファイナンスの世界の言葉で表現しなければなりません。このセッションのテーマは『経済性と社会性の両立』ですが、インパクトスタートアップの経営者としては、事業の経済性と社会性が、それぞれを高め合うビジネスモデルを組めることが望ましいと考えます。もちろん、それが難しい社会課題もたくさん存在しますが。
より実務的なアドバイスをするならば、とにかく満期までの期間が長いファンドを探すのがよいのではないでしょうか。僕自身、短期的に成果が出せるとは思っていなかったので、組成されたばかりの、満期まで丸々10年残っているようなファンドばかりを回っていました。満期までの期間が短いファンドが興味を持ってくださっても、『最終的にもめてしまう可能性があるから』と素直に伝えていましたね」
石井氏も、さまざまな企業のCFOにヒアリングした際、「『インパクト』そのものにバリュエーションがつくことはない」と答える方が多かったという。しかし、それはあくまでも「現段階」での話だ。
高塚氏「たしかに、現在のところインパクトに直接的に高い企業価値がついている例は確認できません。ですが、多くのインパクトスタートアップが成長し、社会にインパクトを与えると共に、事業的な成功を収める例が増えていけば、逆にそこに投資家が価値を見出しインパクトに企業価値評価が伴う世界がやってくるはずです。
10年後……いや、5年後にはそんな世界が待っているかもしれません。そんな世界をつくるためにも、私は投資家という立場からインパクトスタートアップの成長に伴走し、マーケットに好事例を打ち出していきたいと思っています」
日本におけるインパクト投資、インパクトスタートアップの歴史は始まったばかりだ。まだその存在感は絶大とはいえず、社会への影響力も限定的だろう。しかし、ここ数年で一気にそのプレゼンスを向上させたことも事実だ。
本セッションで登壇した4名のように、さまざまな立場の方々が、インパクトを志向するスタートアップを支援し、事業を展開している。「インパクトこそが企業の価値だ」と言われる未来は、すぐそこにまでやってきているのかもしれない。その未来において、「経済性」と「社会性」は、同一企業の中で両立され相乗効果を発揮していくだろう。