人類学者の目を現場に埋め込む

メッシュワークは、人類学者によって創設された類を見ない企業だ。同社は、従来のビジネスでは身につかなかった「新たなものの見方の獲得」へとつながるよう、人類学的なアプローチを軸に個人や組織に伴走している。

比嘉氏「私たちがミッションとしているのは、『人類学者の目をインストールする』です。アプリのような話というよりは、OSのような話です。主体的に、主観的に対象深く向き合い、それによって自身の価値観が揺さぶられ、問いや認識が常にアップデートしていくようなプロセスを歩むこと。より多くの人々がこうしたものの見方を獲得し、最終的には現場で活用できるように支援をしています」

実際に、人類学的アプローチはどのような場面で活きているのだろうか。比嘉氏は、製品、サービス開発、組織・人材開発、地域理解など、様々な場面で活用できるという。人類学的なアプローチに基づく徹底的な参与観察によって、定量調査や既存のリサーチでは得られなかった新たなインサイトを獲得し、事前に想定していた仮説や枠組みの再構築を促しているそうだ。(メッシュワークのサイトには事例もまとまっている

人類学的なフィールドワークは重層的な取り組み

 

「人類学的なアプローチは時間がかかるのか?」

 

そんな質問が比嘉氏のところにもよく寄せられるという。実際にはどうなのだろうか。同氏は、『フィールドワーク2.0』でも記されている、古典的な人類学の考え方を引用しながら、マリノフスキーの模範型がどのようなものかを共有した。

これを参照すると、やはり人類学的なアプローチは時間のかかる取り組みのようにも感じられる。だが、「リサーチに対する時間は重要なポイントではあるが、長ければ長いほどいいかというと、そう単純でもないですよね」と比嘉氏は語る。

断続的なフィールドワーク

比嘉氏「こちらは私がフィールドであるトンガを訪れたタイミングと期間、そのときのテーマをプロットしたものです。通算10回、合計で約20ヶ月のフィールドワークということになります。実際には、反復的で断続的なフィールドワークなんですね。リサーチは一回ごとに区切られたプロジェクトというより、並行して複数のテーマを想定し、以前の内容のアップデートも行う、重層的で持続的な営みとして向き合うことに重要性があるのだと思います」

参与する主体であり、変容していかなければならない

人類学的なアプローチに対するよくある質問として、「エスノグラフィとの違い」もあるという。これに対して、人類学者 ティム・インゴルドは「エスノグラフィとは、対象の人々にとっての回顧的な記録である」と批判的に述べているという

比嘉氏「リサーチのテーマや対象を次々と変えたとしても、リサーチャー自体が経験から学び、変容(≒自分の認識をアップデート)していかなければ、気づきは得られません。リサーチの対象となる人々や社会が変化することに応答しながら、私たち自身も変わり続けていくこと」

比嘉氏はさらにインゴルドの言葉を引用した後、リサーチャーはどう在れるとよいと考えられるかについての持論を共有する。

「人間の生とは社会的なものである。それは、どのように生きるのかを理解することについての、けっして終わることのない、集合的なプロセスなのである。それゆえ、どのような生き方も、生きていく中でつくり上げるものなのだということになる。道が、まだ見ぬゴールにどうやってたどり着くかの答えではないように、生き方は、生についての問題に対する答えなのではない。そうではなく、人間の生とは、その問題に対する一つのアプローチなのである」

ティム・インゴルド『人類学とは何か』 pp.6-7

比嘉氏「インゴルドの言葉における生き方や人間の生をリサーチに置き換えてみてはどうでしょう。そうすると、全体的な視野でリサーチという営みを捉え直すことになります。個別のリサーチプロジェクト同士がどのように相互に関連しうるかを、定期的にメタな視点からリフレクションする。

そうすると、より本質的なテーマへと接近できるはずです。誰かから与えられた、漠然とした問いをリサーチするのではなく、自らの気づきや違和感から問いを立て、主体的にリサーチしていくことができるはずです」

セッション内で、「人類学者だけが『人類学する』主体ではない」と比嘉氏は語っていた。リサーチャーだけでなく、より広い人々が人類学的なアプローチに触れるようになれば、様々な気づきや問いが生まれるようになるだろう。