平川 美鶴(ひらかわ みつる)/ 植物民俗研究家・(一社)和ハーブ協会副理事長
日本各地の植物と人の繋がりを調査・研究。日本人らしい生き方や感性を探求し、風土と共にあった尊い知恵を今どう生かすか考え、未来へ届けるメッセンジャー。各種講座・講演、執筆、テレビ・ラジオ等メディア出演、自然観察ワークショップ、中山間地における地域創生プログラムなどに携わる。日本民俗学会所属。著書に最新刊『和ハーブのある暮らし』(エクスナレッジ) など。

和ハーブと植物民俗知

まず始めに、私の師匠とのエピソードをご紹介させてください。滋賀県と岐阜県の県境にあり、日本百名山にも選ばれている伊吹山の麓で暮らしている、小寺一郎さん。彼に話を聞くと、植物の知恵がたくさん出てくるんですね。例えば、「うつぼ草(ウツボグサ)はしょんべんがジャージャー出るんよ」と。うつぼ草は生薬名だと「夏枯草(カゴソウ)」とも呼ばれ、利尿作用がすごく強いことで知られています。

一郎さんにとってそうした薬草は特別な存在ではなく、家の周りや畑に咲いています。伊吹山の麓の暮らしの中において、薬草や薬木を活用することはごく普通に行われてきたんですね。背景には地域に薬局がなく、自分たちで体の状態を見る必要があるなど、まさに現代で言うところの予防医学的な視点が、昔から地元の人たちの中にはありました。

代々ご先祖から受け継いだ薬草の知恵が、一郎さんの人生には流れていたのだと感じます。残念ながら、一郎さんは数年前に他界されました。今目の前にある存在は、決して永遠ではありません。文化は人から人へと渡るものであると同時に、私たち自身が強い感性を持って文化を受け継いでいけるか、とても重要な時期に来ています。

私はそうした想いもあり、日本古来の身近にある有用植物の総称として「和ハーブ(※1)」と名付け、先人たちの文化や暮らしを支えてきた知恵や技術をお伝えする活動をしています。

(※1)一般社団法人和ハーブ協会では、「和ハーブ」を「在来種(日本原産)、あるいは江戸時代以前より日本に広く自生している有用植物」と定義している。

私がベースとしているもう一つの考え方が、植物民俗学という学問です。日本人は日本の風土の植物と共に生きてきました。先ほどのうつぼ草のように、昔からある知恵や技術は、決して古臭いものではありません。植物民俗学では人々が植物を生活の中でどのように活かしてきたのかを学び、現代と未来の暮らしにどう活かしていくかを考えています。

特に私たち日本人の命を支えてきたのは、食べ物です。その主成分は、植物によって成り立っています。お肉であっても、豚や牛は飼料や彼らの足元に生えている植物を食べて命を維持していますよね。「身土不二」や「三里四方に医者いらず」といった言葉がありますが、やはり生まれ育った風土の食材をいただくのが、体に馴染むという考え方がベースにあります。

ここからのトークでは、日本人らしい生き方を養ってきた植物について、お話できたらと思います。

気候・歴史・地形

まずは植物と人のつながりを見ていくときの3つの視点、「気候」「歴史」「地形」をご紹介します。1つ目は気候です。大きく分けると、日本には北方系と南方系の2つの植生があります。最初にご紹介した伊吹山は、この2つがちょうど交わる地域なので植生が豊富で、薬草を生業にする人たちが多かったと言われています。それほど、気候の影響は大きいんですね。

民族学には、照葉樹林文化圏という考え方があります。日本だけでなく中国のヒマラヤや東南アジア北部など、照葉樹林が生える地域では、ある程度似た植生になると。面白いのは、植生だけでなく、食文化や儀礼、神話や説話などにも共通点が見られることです。まさに、人類は共通して、足元にあるものを活かしてきたことの表れだと感じます。

照葉樹林文化圏共通の習俗として、焼畑があります。宮崎県の椎葉村(しいばそん)では縄文時代から焼畑を続けています。現地のおばあちゃんから、火を入れるときの唱え言を教えてもらいました。

このヤボに火を入れ申す
ヘビ ワクドウ ムシケラども
早々に立ち退きたまえ
山の神様 火の神様 お地蔵様
どうぞ火の余らぬよう また 焼き残りのないよう
お守りやってたもうれ

さらに、火入れ後にソバの種を撒くときにも、唱え言をするそうです。

これよりあきほうに
向かって撒く種は
根太く 葉太く
虫けらも食わんように
一粒万倍 千俵万俵
おおせつけやってたもうれ

2つ目の視点は、歴史です。足元の植物を採取した後、暮らしを豊かにするために、どのように利用するのか。その試行錯誤の積み重ねが歴史であり、植物民俗知でもあります。

例えば、伊吹山のおじいちゃんからは、「リョウブの葉は、牛の下痢止めじゃったよ」というお話を聞きました。リョウブは樹皮が鹿子模様(かのこもよう)で、夏には白い花を咲かせる落葉小高木です。

今ではトラクターなど機械で田んぼを耕すことができますが、昔は牛の力を借りて田んぼをかき混ぜていました。そうした仕事を頼むのに、牛が下痢をしている状態だと仕事にならないので、「朝にリョウブの葉を牛に食べさせておけば、昼ごろには治る」とお父さんに教えてもらったそうです。昔の人は植物の特徴をよく知っていたんですね。

実際、江戸時代中期の百科事典『和漢三才図会』には、「嫩葉(どんよう ※若葉)を摘み食又は飯に和す又は豆腐に和す、味甘し、よく瀉痢(しゃり ※下痢)を治し脾胃(ひい)を補ふ」、つまり下痢に効くと書かれてあります。暮らしの中で伝承されてきた知恵は、まさにリアルな植物民俗知だと感じます。

3つ目の視点は、地形です。植物と暮らすためには、「いつ、どこで、何を採取できるか」を知ることがとても重要です。それこそが、地域独自の植物民俗知につながります。私はよく地形や川の流域を調べます。他にも重要な手がかりとなるのが、言葉。地名や植物の名前には、先祖たちが特徴をわかりやすく伝えてくれています。

例えば、アイヌ語の地名。北海道の足寄町に「オンネトー」という湖沼があります。「オンネ」は年をとったという意味で、年をとっただけ「大きい」と捉えるそうです。そのため、「オンネ・トー」とは「大きな湖沼」を表します。アイヌの人々はその名前を聞けば、そこには大きな水辺があると想起することができます。その土地で何が取れるのか、呼び名を通じてわかることは、生き抜くために絶対的に必要だったからこそ、集団の中で知識として代々伝えられてきたのでしょう。

薬と毒

植物の体内は“精密な化学工場”とも言われ、様々な成分を作り出しています。先人たちは体験的に知り得たそうした成分が引き起こす特性を伝承し、暮らしに役立ててきました。その一つが、薬です。薬は漢字の通り、くさかんむり(=植物)で「楽」になるという捉え方もありますが、一方で毒にもなります。同じ植物が作り出す成分であっても、人間にとって都合がいい作用をする場合は「薬」、害となる場合は「毒」と呼び分けてきました。

先人たちが活用してきた主な植物成分は、「アルカロイド」「ポリフェノール類(タンニン類・フラボノイド類など)」「揮発性の精油成分」の3つ。それぞれ簡単にご紹介します。

まずは、アルカロイド。多くはアミノ酸を原料として作られる生物活性物質で、体内に入ると微量でも、生理活性を引き起こしやすい。味は苦みや辛みがあったり、ピリッとしたりします。唐辛子や山椒などに含まれていますね。

代表的な植物は、世界最強の猛毒植物であるトリカブト。キンポウゲ科の仲間で、毒性の強い植物が多いグループです。トリカブトは根茎部約0.2.gでも即死レベル。主成分をアコニチンといい、アルカロイド類に属します。

見たことがないと言う人も多いのですが、割と広く自生しています。例えば富士山の麓、駿河地方にはトリカブトが多く生息しています。駿河という名前の由来は、アイヌ語の「スㇽク」だと言われ、「トリカブトが多く生える土地」という意味です。時期になると紫色の花が咲くので、見つけやすいです。ただ、まだ芽が出始めたときは小さく、ヨモギやニリンソウなどの食べられる植物と見た目がよく似ていて間違えやすいので注意が必要です。

先人たちはトリカブトの毒を避けるのではなく、暮らしの中で上手に活用してきました。例えばアイヌでは、熊や鹿の猟に使う矢毒として重宝していました。伊吹山の山頂にはヤマトタケルノミコトが祀られていますが、地元の豪族にトリカブトの矢毒で殺されたのではないかと言われています。実際、伊吹山にはイブキトリカブトなど、トリカブトの仲間が群生しています。

2つ目の植物成分は、タンニン。ほとんどの植物に含まれていますね。ポリフェノールの一種で渋味があり、胃腸薬や皮膚薬として使われます。代表的な植物は、ゲンノショウコ。漢字では「現の証拠」と書きます。

地域によっては、「医者泣かせ」とも言われます。お医者さんがいなくても、ゲンノショウコの草一枚で元気になってしまう。それほど効果があると、信頼されていたんですね。野山に行けばたくさん生えていますが、現在は薬品の分類にあたり、認可された人以外は売買できないこともあり、街で見かけることは少なくなりました。裏を返せば、現代でもその効果が認められている証拠でもあります。売り買いはできないですが、例えば自分のお庭で育てて、家族だけで飲むのは大丈夫です。

3つ目が、揮発性の精油成分。植物自身の自己防衛や誘引作用として作り出されていて、薬にもなりやすい成分です。動物や人間にとって猛毒ガスになる場合もありますが、ちょうどいい濃度であれば、自律神経を整えてくれたり、皮膚の炎症を抑えてくれたりします。

代表的な植物は、イブキジャコウソウ。紫蘇の仲間ですね。ひょっとしたら、「和のタイム」と言った方がわかりやすいかもしれません。花や茎、葉がとても爽やかでいい香りがします。お茶やお風呂、食材として活用されてきました。

別名も素敵で、百里香(ひゃくりこう)と呼ばれます。伊吹山麓では6月から7月頃にカーペット状に薄紫色の花が咲き、花を手でふわっと撫でると辺り一帯が香りに包まれるんですね。不思議と、気持ちが穏やかになります。

揮発性のチモールやカルバクロールと呼ばれる成分には、強い抗菌・抗真菌作用があるので、蒸気吸引で使うことがあります。熱したお湯を洗面器に入れて、生あるいは乾燥したイブキジャコウソウの葉を浸けておくと、揮発成分が蒸気とともに立ち上り、香りがしてきます。それを粘膜で受け止めるようにして、ゆっくり口と鼻で深く息をします。すると、咳や喘息にすごく効きます。咳がちな人には、とてもおすすめですね。

イブキジャコウソウは漢字では「伊吹麝香“草”」と書きますが、分類としては木本類、つまり木の仲間になります。ただ、とても小さく、背丈が数cm程度なので「日本一小さな木」とも呼ばれます。どちらかといえば、地面に沿って這うようにして伸びる種。香りがとても爽やかで素晴らしいので、ぜひ本物のイブキジャコウソウに出会ってほしいですね。

栃の実から栃餅を作るまでの、丁寧な手作業

最後に、日本人の食における植物の役割を見ていきます。植物由来で摂取している主な栄養素として、「デンプン(糖質)」「ビタミンC」「食物繊維」「ファイトケミカル」の4つがあります。これらは日本古来の有用植物である和ハーブが、人の体内で作り出してきたもの。和ハーブが、私たちの生命を支えてきたとも言えます。

中でも、三大栄養素であるデンプン源はイネを始め、クリやワラビなど日本人にとっては馴染みのあるものばかりです。今回は山村の貴重なデンプン源である、「栃の実」をご紹介します。

そもそも栃の実とは、蒴果(さくか)が落下して中から現れる、クリによく似たトチノキの種子です。ただ大変あくが強く、虫がいることもあるので、生のままでは食べられません。人が何度も手を加えてようやく、栃餅や栃饅頭として食べられます。

鳥取県の三朝(みささ)という地域に、三徳山のお山の恵みを使った料理を提供している谷川天狗堂というお店があります。谷川さんが、「これは秘伝なんだけど…」と言いながら普通に教えてくださった、栃餅の作り方をご紹介します(笑)。

まず、栃の実を水に漬けて、1ヶ月ほど天日干し。カラカラと音が鳴るまで乾燥させると、実と皮が剥がれやすくなり、長期保存ができます。乾燥した栃の実を、さらに1週間から10日ほど水に浸けて、皮を剥きやすくします。すると、ようやくちょっとプヨプヨに。お湯で温め、トチへし機という殻割り機で一つずつ皮を剥いていきます。

この時点でも、まだあくがとても強く、口にすると舌がピリピリして大変なことになります…。そこで皮を剥いた栃の実を袋に入れ、近くの川に1週間浸し、あくをどんどん流していきます。その後、よく焼いた堅木の木灰を水に溶き、5〜6時間かけて煮詰め、川からあげた栃の実は別の鍋で3〜4時間煮ます。

気温やあくの状態を見ながら、栃の実を木の灰で作った水の中に入れます。このタイミングを間違えると実が溶けたり、風味の悪い栃餅になったりしてしまうため、長年の経験が必要だそうです。この状態で約1週間あくの中に漬けた栃の実を灰の中からすくい出し、もう一度新たなあくを煮て栃の実を入れます。これを合計2回やります。

4〜5日経過して、灰の中から取り出した栃の実をきれいに洗い上げれば、ようやく完成。もち米と蒸した栃の実を一緒についていくと、栃餅ができます。ちょっと気が遠くなるほどの、途方もない作業ですね…。これだけの手間隙をかけた栃餅を、谷川天狗堂さんでは美味しい温かいコーヒーと一緒にふるまってくださいます。

こうした手しごとを、谷川天狗堂さんは年中行っています。あるときお店に伺うと、「お山の恵みはありがたいことに次々にせまってくるので、次の仕込みをどんどんやらないと追いつかない。ふきのとうを仕込んだら、次はワサビを漬ける。山椒の味噌も漬けないと、すぐに実がついてしまう」と忙しそうでした。ある季節にだけ採れる食材で、お店で出す料理の一年分を賄う場合もあるので、とても大変。特に、春は植物の成長の勢いがすごいので、私も植物に急かされる気持ちになることもあります。

谷川天狗堂さんのみなさんは、そんな多忙な日々においても、続けていくことや伝えていくこと、そして丁寧な手作業を、いつも心の中で意識しているそうです。お父さんやお母さん、ご先祖から習ったことをそのまま続けていることもあれば、自分たちなりに改善をしていることもある。より美味しい物に仕上げることを、常に気を配りながらやっていると話してくれました。

“足元の宝物”である植物と、自分のつながりを感じながら生きる。そのつながりから、ご先祖たちがどんな世界観で暮らしていたのか、想いを馳せていく。そうした体験や経験を語り継いでいくことの尊さを、みなさんと少しでも分かちあえたなら嬉しいです。

執筆後記

2021年から長野県の安曇野に移住をしました。幸い小さな庭がついた家を借りることができたのですが、たくさんの植物たちが自然と生えています。

子どもと散策をしていると、ブルーベリーのような紫色の実をつけた植物が生えていました。案の定、子供はすぐに「これ食べてもいい?」と聞いてくるのですが、植物にさっぱりな私はテクノロジーに頼りまずは検索。すると、「ヨウシュヤマゴボウ」という、根や葉に毒を含む植物だとわかりました。毒草なんて身近にはないものだと思い込んでいた私には、とても驚いた体験として心に残っています。

一方、庭には有用植物も生えています。ある日幼稚園から帰ってきた子どもが、「ドクダミ〜ドクダミ〜」と意気揚々と庭を散策して、ドクダミを採取していました。

当時の私はドクダミすら知らなかったわけですが、調べたところ名前に「ドク」とありますが、無毒。ドクダミは古くから民間薬としても使用されており、平川さんのトークにも出てきたゲンノショウコとセンブリとともに、日本の三大民間薬の1つとされているそうです。

庭を観察してみると、確かにたくさん生えていました。子供は園の先生から、ドクダミ茶の作り方を習ったらしく、具合が悪くなると、ドクダミ茶を所望してくるようになりました(笑)。植物との暮らしは、意外にも近くにあるものだなと感じる日々です。

なお、本記事でご紹介したセッションを含めたJourney of Regeneration のアーカイブ映像はEcological Memes のオンラインショップより購入することができます。興味がある方はぜひチェックしてみてください。