街の心音が聞こえなくなったロックダウン

——2020年3月に、オランダで最初のロックダウンが始まって、Vers Betonはどんな状況でしたか?

エディターたちは使命に燃えていました。新型コロナウィルス感染症がロッテルダムにどんな影響を与えるのか、私たちが伝えなければいけないから、と。

たとえば、家がない人はどう「ステイホーム」するのか、子どもたちの自宅学習はどうするのか、教師の仕事はどのように変わるのか、生徒はどのように変化したのか、ローカルビジネスをどのようにサポートできるか。インスピレーションが次々と湧いて、尽きることがありませんでした。

ただ、2、3ヶ月経って、急にアイデアが枯渇してしまったんです。ミーティングの場で「今、街で何が起きているの?」とたずねても、エディターからあまりアイデアが出てこない。

——それはどうして?

街で人と会って雑談をしていないから。ジャーナリストは街を歩いて、人と話して得た情報から、インスピレーションやアイデアを得るのが仕事なのだと思います。その機会が減ってしまったんです。

最近、徐々にオフラインの取材やイベントの機会が戻ってきて、やっと街の「ハートビート(心音、鼓動)」を再び感じられるようになりました。

もう“笑えなくなった”ジェントリフィケーション

——街のハートビートを再び感じるなか、気づいた変化などはありますか?

もう何年も前から起きている変化だけれど、街の中心をよりナイスな“ラウンジエリア”にしようとする動きが続いていますね。『De Coolsingel(ロッテルダム中心部にあるストリート)』のリノベーションなど都市開発プロジェクトが進んでいる。国中が不動産ブームです。

それに伴い、安価な住宅を見つけるのは本当に難しくなっています。ロッテルダムではより深刻。街の南部にある公営住宅を壊し、高所得者向けの物件に建て替える動きも進んでいます。

——2021年9月にはアムステルダム、10月にはロッテルダムで、家賃の高騰に抗議するデモが起きていましたよね。

そう、国とロッテルダムの政策、両方が状況を悪化させていると思う。

Vers Betonは、2015年に『Help we zijn populair(助けて!私たちは人気者だ)』という書籍を作りました。2011年以降、なぜロッテルダムが観光地として人気を集めたのか、それに対し、住民が何を感じているのかを伝えたもの。地元経済へのポジティブな影響を取り上げるだけでなく、あえて批判的な市民の声も取り上げました。

書籍の名前はちょっとしたジョークも交えて決めたんです。それまで「ugly town(醜い街)」とみなされてきたロッテルダムが急に人気になってしまったぞ!って。

でも、今では鬱々とした気持ちになるタイトルだなと思います。実際に私の友人でもロッテルダムを去り、家賃の安い地域に引っ越すしかなかった人がいるから。街が人気になって、高価になって、実際に困っている人が沢山いるから。

どのような街に向けてハードシンキングするのか

——Vers Betonの新たなマニフェスト​も、そうした街の変化やそれに対する感情を反映したものなのでしょうか?ぜひ意味を知りたいです。

「Wij maken journalistiek voor een eerlijk en eigenzinnig Rotterdam」は、英語に直訳するなら「We make journalism for an honest and quirky Rotterdam(ロッテルダムのために誠実で風変わりなジャーナリズムをつくる)」という意味です。でも「eerlijk en eigenzinnig」は少し翻訳するのが難しいんですよね……。

——「誠実で風変わり」は、少しニュアンスが違う?

オーセンティックに自分らしい道を進む、自分の考えや思いに従う、といったニュアンスを込めているんです。

ジェントリフィケーションが起きて、どこにでもあるような姿になりつつある街とは正反対の、ユニークなロッテルダム。市民が自分らしいストーリーを、自分らしいビートを生きる街。そのためのジャーナリズムを作りたいという願いを込めました。

——どうして今、新しいマニフェストを掲げようと決めたのですか?

もともと私たちは、街の方向性を議論する場が必要だと考え、「ハードシンキングするロッテルダム市民」を掲げるメディアを始めました。

けれど、私たちがどのようなロッテルダムを目指して議論をしたいのか、とくに明らかにしてはいなかったんです。エディターとして特定のトピックを選んで、誰のどのような声を増幅して届けるのか、何かしらの基準に沿って選んでいるにも関わらずです。

Vers Betonは、民主主義は危機にさらされていて守らなければいけないと思っている。インクルーシブな社会を理想とし、レイシズムやセクシズムは許容しない。ロマンチックな過去にすがりつきたくはないし、社会の正義や環境運動にコミットしたい。

それなら「議論が必要!それによって街はより良くなる」だけでなく「どのように良くなるのか」を掲げる必要があると感じました。エディトリアルな選択を通して、どのような理想を重んじ、どのような社会を目指すのか、読者に対して「Starting Point(原点)」を明らかにしたかった。だから新しいマニフェストを作ったんです。

——なぜ、自分が誰であり、どこを目指すのかを明らかにする必要があると感じたのでしょうか?

記事を作るとき、私たちは色んな選択をしていますよね。どのトピックを取り上げるのか、どういう記事を作るのか。こうしたエディトリアルな意思決定は、真空で起きるわけではありません。何かしらの影響は受けているはず。そこに内省的かつ自己批判的であり、透明性高く共有することが、私が実践したいジャーナリズムの出発点です。

もちろん、自らの立場を明らかにすることと、ファクトを重んじないことは別の話。客観的な事実をもとにストーリーを組み立て、なぜそのストーリーを報じるのか、透明性高く共有する必要があります。ただそれは私たちが完全に中立であることは意味しない。

伝統的なマスメディアのなかには「status quo(現状)」に従い、批判を避けることが“中立的で、客観的な選択”と勘違いしてる人たちもいると感じます。ですが、実際にはミドルクラスの視点に立っていると気づけていないことも多いのは、大きな問題だと思います。

調査報道を広く、街に届けるための未来予想図

——新しくなったマニフェストも踏まえて、Vers Betonの今後の展望を教えてください。

まずは2021年11月に導入したペイウォールを成功させること。個人の読者はもちろん、ローカルビジネスや組織に購読してもらい、読者の輪を大きくしていきたい。

あとは調査報道のチームを続けていきたいです。今は寄付のおかげもあって、3年にわたって特定のテーマの調査を継続できています。調査報道が必要なテーマは無限にありますし、読者からの反応も良いんです。

——調査報道の記事は読まれづらいのかなと思っていたけれど、そうではない?

いえ、長文の調査報道記事も多くの人に読まれていますし、滞在している時間も長いんです。記事を作るのは大変だけれど、丁寧にリサーチされた質の高い記事は、読者から支持される実感がありますね。もちろんVers Betonがニュースに興味のあるニッチな読者向けのメディアであることも、理由の一つだとは思いますけどね。

また、私たちはロッテルダムの公共放送局『Open Rotterdam​​』ともパートナーシップを結んでいます。彼らは調査報道記事をわかりやすいビデオに編集し直して届けてくれる。Vers Betonだけでは出会えない人たちに、Instagramなどを通して出会えているのを実感します。

——ローカルなNPOとの連携によってリーチが広がっているんですね。

今後もローカルビジネスとの関係は、深めていきたいですね。より長期的な展望だと、ローカルなカフェやバーで、Vers Betonを無料で読めるようにしたい。店舗が購読していれば、お客さんがWiFiに接続して、読めるような仕組みをベルギーのメディアが実装しているって聞いて、いつかやってみたいと思っています。お金を払えない人にも読んでもらいたいし、ローカルな店舗のウィンドウに、Vers Betonのステッカーが貼られていたら、きっと嬉しいだろうなって。

——ロッテルダムのカフェでVers Betonを読む日が今から楽しみです。

ロックダウンで街の心音が消え、ジェントリフィケーションは、もはや笑えなくなった。一見ネガティブな変化のなかで、Vers Betonは「自分たちが何を理想とするのか」を表明し、前に進もうとしていた。「自分らしい道を進み、自分らしいビートを生きる街」を、Vers Betonというチーム自体が体現しているかのようだと感じた。

とある調査によると、オランダでは2013年から2020年の間に新聞社の傘下に属さないオンラインのローカルメディアの数が増加しているそうだ。ロッテルダム以外にも独自のビートを求める市民が動き始めているのかもしれない。