公共を問い直す – 公とは何で、誰が担うのか?

コロナ禍での一連のできごとは、現代社会の、日本の、あらゆる課題を浮き彫りにしたきっかけになりました。政府の意思決定や情報の不透明性、地方自治の対応、デジタル化の不整備、自粛警察にコロナ差別など、数え切れない問題が日々、メディアを賑わせています。

緊急時ほど、政府の対応に頼らなければ対処できないことは多々ある一方、今の政府には任せきれないというのが現実でしょう。とはいえ、こうした問題はコロナ以前からすでに存在しており、それをわたしたちが気に留めずに流してきたのだ、というのもまた事実です。

「公共」は本来みんなもの。しかし、近代社会では、政府が担うようになっている ※1

「公共」という言葉は、いつのまにか我が国では「お上」を意味する言葉に変容してしまいました。公は国家を意味するようになり、互いに助けあえる共同体は消えゆき、個人が直接、国家をたよるという図式になっています。つまり、みんなのものとしての公共は消失しているのです。

公共とはなんなのか?アーレントは、<わたし>と異なる他者とのあいだから立ち上がり、経験を共にすることが第一の公共的なものであると述べました。それは多様な価値観が混じりあうカオスな空間の中で、他者性と対峙しながら、複数の善さを保っていく。その過程で初めて公共を意識して「人間」になるのだ、と※2。

哲学者の東浩紀は、いまのわたしたちは「動物化」し、他者を必要としなくなったと指摘します※3。それはつまり他者との関係を求めず、みずからの消費的欲求を満たすためのふるまいや労働に尽きる存在です。そこでは、他者の存在は消え、<わたし>だけの領域にとどまっていればよいため、自分を超えた共同体へのコミットはなくなります。

そうした快楽の勝利と他者の消失の結果が、公共=お上という意味の変容にもつながっているのかもしれません。先のお上の問題にもどると、本来は自助=自分でできることは自分でやり、共助=他者の助けが必要なときには互いに手を差し伸べ合い、公助=それでも手の届かないときに政府に助けてもらうのです。 加えて、前述のようにパンデミックの渦中にて、お上を頼ろうにも人々の生活よりも消費回復のための施策が先行するなど、公助の役割を担えていない現状も浮き彫りになりました。

現代に適した公共性のありかたは大きな哲学的テーマであり、公というものを厳密に定義することは少々本メディアの手にあまります。ただ、大事にしたいこととしては、ひとりひとりが生活と周囲の小さな社会を担い、自治性などの回復が必要であり、同時に行政から手助け(公共サービスや政策)が公共善=みんなの善き生のためであることを担保する必要がある、ということです。この下と上、両軸のアプローチ。デザインはそれぞれにどういった貢献ができるのか、それぞれのあいだ=関係性をどう編み直せるのか、を念頭に置いておきたいと思います。

民とデザイン、公とデザイン

次に考えるべきはデザインの問題です。 本来、デザインは専門家としてのデザイナーの手の中に収まらない、人類総体の営みです。石包丁に時計、衣服など、日常生活をとりまく社会環境はデザインの歴史ともいえます。それはひとりひとりの生活者の生きる知恵の実践の歴史とも言いかえられます。しかし産業化に伴い、そうした生きることとデザインは専門性により分離しました。その結果、単純化して述べると、生活者は消費者になり、身の回りの人工物は職業デザイナーが担うようになり、より大きな社会秩序やシステムは行政が担うようになりました。

この分離構造は、先の動物化を推し進め、消費者は自律性を失います。また行政は生活と距離が遠すぎていて、ひとりひとりの生活とは乖離した施策にとどまっている。公共がみんなのものなら、この分離した関係性をつなぎ合わせる必要があるのです。

現在ではデザインと資本主義は切り離せない関係性にあります。市場原理の中でデザインというものが数字のための道具に成り下がっていることは多くの人が感じる状況でしょう。デザインが資本主義と適切に付き合っていく処方箋が必要です。そのひとつには倫理や道徳をインストールし、数字のためなら何でも行えるという支配からの脱却でしょう。二宮尊徳が言うように、”経済なき道徳は寝言であるけれど、道徳なき経済は犯罪”なのです。

もうひとつには、市場原理に則られない領域で、デザインの可能性を開いていくことです。本メディアで目指すのはこの可能性、くわしく言えば「公」に貢献するためのデザインとはどういうものなのかを考えることです。

市場原理では、<利益になる/ならない>というのが一般的な原理になり、ゆえにものづくりに関わる個々人に自らを律する技術がなければ、数字の支配に打ち負けます。その結果、より利益になる対象選択への圧がかかるのです。公共性と事業性を両立するビジネスを行う会社も存在しますが、資本主義の構造上それだけでは賄いきれなず、結果こぼれ落ちてしまう人が多くいるのです。

無論、分断が拡がる現代では公共の名の下でも、包摂に失敗していますが、デザインはそもそも今までそこに大した目も向けてきませんでした。

2007年にNYで開催された”Design for the other 90%: 残りの90%のためのデザイン”では、「世界のデザイナーの95%は、世界の10%を占めるにすぎない最も豊かな顧客向けの製品とサービスの開発に全力を注いでいる」という問題提起から始まった展覧会です※4。たとえば、日本では子どもの6人に1人は貧困に陥っています。コロナ禍でセックスワーカーの支援が一時除外されたのは記憶に新しいですが、母子世帯の貧困率は50%をゆうに超えます。

つまり、私たちは下記のような問いかけを投げかけられているのです。

市場で包摂できない<残り90%>の人々を、どう包摂していくのか?
デザインはそのために何ができるのか?
どのように民と公が手を取り合えるのか?

公共とデザインとは: 分類と事例

この問いかけに対応するものが、公共に対するデザインだと考えています。公共性とは本来、包摂的なものだからです。今回は、公に対するデザインの分類と、それぞれの関係性を整理しておきます。大きく分けると下記のような分類ができると考えています。

  1. 公共サービスのデザイン
  2. 市民性の涵養
  3. 共同体の機能
  4. 法律・政策の立案

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以下でくわしく見ていきます。

1. 公共サービスのためのデザイン

公共デザインという言葉でもっともイメージしやすいのが、この公共サービスのためのデザインではないでしょうか。私たち市民が税金を払って利用するものであり、公共への課題を身近に感じやすいところだと思います。

このレイヤーのデザインで重要とされるのは一言でいえば「利用者の体験」であり、またそれを実現する行政組織自体のデザインも付随してくると思います。

体験のデザイン

昨年終わりに閣議決定された「デジタル・ガバメント実行計画」では、「利用者中心の行政サービス改革」という記載がありました。

この「利用者中心」というところがデザインが得意とするところです。観察・インタビュー・参加デザインなどのリサーチに基づき、利用者の認知・利用・体験・利用後の連続したストーリー、サービスに関わる関係者を全体的な視点でマッピングし、それを元に利用者中心の考え方でサービス開発を行う。この一連のプロセスを「サービスデザイン」という名称で体系化されています。

医療では米国メイヨー・クリニック、教育ではペルーのイノーバ・スクール、電力では米国のE.ON、交通では英国TfLなどがデザインの考え方を取り入れ、サービス提供に活かしています。

行政組織のデザイン

体験づくりを担う、行政組織のデザインには「既存の行政職員の啓発・教育」「他組織とのコラボーレーション」「デザインのオープンソース化」「新しい人材の起用」などがあると思います。米国ではデジタルサービスプレイブック、英国ではサービスマニュアルとして、行政職員がサービス開発に臨む上で必要な姿勢が確認できるようになっています。デンマークのDanish Design Center、ニューヨークのサービスデザインスタジオのように政府がデザインの部門を持つ例も存在します。

内部のデザイン人材や専属のデザイン組織を持たなくても、英国のFuture Gov、米国のBITなど、公共領域のデザインに取り組んでいる団体も出てきており、外部団体との協働も一つの解決策でしょう。他にも、ニューヨークオーストラリアらがデザインシステムを公開しているように、デザインをオープンソース化することなどもデジタルサービスの質の向上・効率化を狙ったアプローチとして取り組まれています。東京都ではヤフー出身の宮坂副知事がICT人材の採用に意欲を見せていますし、組織にあたらしい血を入れることも有効そうです。

2. 市民性の涵養

公共は、つまるところは「わたしたち」のものであり、「わたし」の関心を「わたしたち」の関心ごとへと翻訳していくところに立ち現れます。そのためには、ひとりひとりの市民が自分がよければそれでよい、ではなく自治に参加することで、他者と関係をもち「わたしたち」のことを考えるようになる。直面する状況をなんとかしようと行動する。そうした過程を通じた市民性・行為主体性などを育むための補助線をひくデザインです。

参加のデザイン

1970年代に北欧では、参加型デザインという分野が勃興しました。民主的な哲学を重んじて、意思決定により影響をうける人々がプロセスに能動的に関わるかたちが見られます。プロセスを通じてユーザーや市民は、行為主体性やオーナーシップを獲得していくのです。

例えば、ヘルシンキでは参加型予算組(Participatory Budgeting)という市の予算の使いみちを市民がアイデアを出し、投票して決める取組を行っています。サービスデザイン会社がこれをサポートするために、カードゲームを作成して市民がアイデアを生むための足場かけを行うなどしています。

また、リビングラボという生活者の日常をラボに見立てた継続的な共創の仕組みも重要な方法論でしょう。数回で終えるワークショップから成るプロジェクトとは異なり、長期間の関わりによることで一層の「わたしたち」ごと化へつながります。スウェーデンのマルモなどを筆頭に北欧では多くの試みが見受けられ、日本でも、信州リビング・ラボや、高齢化社会を見据えた鎌倉リビングラボなどが存在します。

3. 共同体の機能

ひとりでは状況に対処できないこと、しかし行政からの支援は標準化されすぎ、各々と社会集団の状況に完全にフィットしません。ゆえに、共同体による相互扶助が必要なのです。そうした関係性の生じる足場をつくるためのデザインの可能性を考えます。ここでは、地域だけでなく多様なレイヤーでの共同体をふくみます。

オーストラリアでは山火事災害に対して、ワークショップでどこに助けを必要としている人がいるかを地図と小道具を使いながら対話と理解を促し、住民の相互扶助の関係を築くデザイン・リサーチが行われました。

また、ケアというのは高齢化社会において重要なテーマです。デジタルツールを介して公的医療への依存からともにケアする実践や関係を促すためのリサーチや、コミュニティデザインの代表的存在である山崎亮さんの病院のリデザインは、入院患者の生活をまちでの日常に近づけるだけでなく、医療職員という病院内の共同体がプロジェクト後も自律的に環境を改善し続けられる足場をつくりました。

4. 法律・政策の立案

上記2つの市民・共同体は、政府に依存してばかりではなく自ら主体性を持とう、という考えの公のデザインです。とはいっても、立法と政策立案は、表に出る公共サービスや人々の営みの「要件」や「ルール」となる部分であり、このプロセスは外せません。

法律・政策の役割は社会秩序を守る規制的なところもあれば、最近だとSociety5.0、GIGAスクール構想、スーパーシティ法案、グローバルではSDGsなど今後の発展や課題解決への戦略を表すものもあり、その後の施策に大きな影響を与えます。このレイヤーのデザインで重要とされるのは、例えば以下のようなものです。

立法・政策立案への参加をひらく

この分野は特にテクノロジーを使ったデザインが有効です。オンライン選挙などの政治参加のハードルを下げる取り組みや、台湾のvTaiwan、スペインのDecide Madrid、アイスランドのbetrireykjavik、エストニアのRAHVAKOGUのようなクラウドロー、米国のCountable、日本のPoliPoliのような政治家に意見を届けられるプラットフォームなどが挙げられるでしょうか。間接民主制の国では「政策立案に参加できること」「政治家を選ぶこと」。このデザインが重要だと考えて良さそうです。

政策や法のコミュニケーションデザイン

「つくられたルールが理解・利用しやすいかどうか」もデザインの考え方が役立ちます。スタンフォード大のリーガルデザインラボでは法制度にサービスデザインを応用する研究が行われています。慶應SFCのリーガルデザインラボでも法や法文書のユーザーインターフェイス・ユーザーエクスペリエンスの研究が行われているようです。

政策立案プロセスのデザイン

政策立案のプロセス自体ももっと早くつくり、早く学ぶべきではないか?という流れがあります。ここでは日本の事例を紹介しますが、滋賀県の職員有志によるPolicy Lab. Shigaではデザイン思考を政策立案に生かす取り組みをしていたり、国交相の若手による政策提言でも「後追いの政策から、アジャイル開発する政策へ」という内容が示されています。

おわりに -「Public & Design」ができること

 「公共に対してデザインは何ができるのか?」

この問いに対して、私たちは「民と分断されるのではなく、民と公の関係性を再編集すること」という一つの考えに辿り着きました。ゆえにこのマガジンでは、公共とデザインを取り巻く事例や考察などの情報を発信することで、

・「公」において市場原理に左右されずに人々のより善い生のために奉仕していく存在として「民」でふるまっていたデザイナーの活路を見出していきたい
・一方で、政府・自治体などの職員や政治家といった「公」を担ってきた人がどう「民」と協同していけるのか?を示していきたい

それらを通じて、関係を紡ぎ直すための取組みの手助けになればと考えています。

参照:
※1 21世紀の「公共」の設計図
※2 ハンナ・アーレント「人間の条件
※3 東浩紀「動物化するポストモダン
※4 シンシア・スミス「世界を変えるデザイン~ものづくりには夢がある


この記事は、「PUBLIC & DESIGN|公共とデザイン」からの転載です。