滋賀県北部に位置する長浜市、鍛冶屋町。荘厳な山々に囲まれ、近くを流れる川のせせらぎが耳に心地よい。自然豊かなこの土地には、昔ながらの木造家屋が立ち並ぶ。約束した場所へ歩を進めると、ひときわ趣のある古民家を見つけた。

入口は緑の植物に囲まれ、小さな庭先には名前の知らない花やハーブが育つ。添えられた木造の名札は、きっと手作りだろう。近くの倉庫にはたくさんの薪が積まれている。

地図アプリを開き、住所が間違っていないことを確認する。だが、外観を何度見ても、そこが目的地の「ヘアサロン」だとにわかには信じられなかった。実際、そのお店は佇まいから何までも、私が知る美容院のイメージとは大きくかけ離れていた。

「100%オーガニックは成立しない」と思われがちな美容業界で、それを体現する「pocapoca(ぽかぽか)」は、お店で使うもののほとんどを自分たちの手で作っている。

「あ、どうも。今日は、よろしくお願いします」

麦わら帽子に、ゆったりとしたオーバーオールがよく似合う。オーナーの藤岡建二さんは、柔らかな物腰で私たちを迎え入れてくれた。

必要なものを自分たちで作り出す経営スタイルは、一見非効率にも思えるが、紆余曲折を経た藤岡さんがやっとの思いでたどり着いた、心地よい生き方の体現でもある。

「もう稼ぐだけの仕事はしない。そう決めて、長浜に帰ってきたんです」

そう話す藤岡さんは、どんな生活を追い求めたのか? 過去のどんな経験から、自給自足のヘアサロンを立ち上げようと決めたのか? 今回の取材から浮き彫りになったのは、情報に溢れた世界で生きる私たちが、心豊かに、自分らしく生きるためのヒントだった。

必要なものは自分たちで作る、自然に即したヘアサロン

「ここ以上にたくさんの植物を育てている畑があるんです。見に行きますか?」

庭の植物について尋ねると、藤岡さんはそう提案してくれた。白いバンに乗り込み、狭い山道を走ること5分。視界がひらけた先に、その畑はあった。

近所の畑は、2019年から荒地だった場所を開懇し始めた

藤岡さんが地元の長浜市でpocapocaを開業したのは、2011年のこと。以来、奥さんの香里さんと、2名のスタッフと一緒にお店を回している。仕事の内容は、散髪や染髪などのサロンワークだけではない。お店で使用するシャンプーやリンス、染髪剤を一から作るため、週に一回はスタッフ総出で近所の畑に出かけ、原材料となる植物の世話もしている。

畑ではラベンダーやレモングラス、ゼラニウムなど、約80種類の植物を育成。世界三大医学の一つである「アーユルヴェーダ」に習い、すべての耕作工程を月の周期に合わせている。収穫したものは作業場へ持ち帰り、自分たちで加工や調合も行うそうだ。pocapocaの100%オーガニックは、そこで働く人たちの手作業によって、じっくりと育まれている。

「これ、何の植物か分かります? 一口食べてみてください。少し酸っぱいでしょ? ハイビスカスティーの原料になる、ハイビスカス・ローゼルです。こっちは、レモングラス。嗅いでみると、ほら、レモンの香りがする。これは月の暦に合わせ数種類のハーブと調合し、ワインに漬け込んだものを炊くと上質な香りが漂う、最高のアロマになるんです」

植物の話をする藤岡さんの表情は、生き生きと輝く。その様子は、あえて人の手が加わりすぎていない畑で伸びやかに育つ植物たちと重なって見えた。

上京したての頃、「生活」なんてしていなかった

今でこそ豊かな自然に囲まれ、自給自足のお店を営んでいる藤岡さんだが、15年以上前は奥さんと同じ東京のヘアサロンで忙しなく働いていた。当時を振り返り、藤岡さんは「生活と呼べるものはできていなかった」と明かす。

「上京したての頃は、東京の街に浮かれ、とにかく遊びに全力投球でした。仕事が終わって帰宅したら一日が終わる。それが惜しくて、仕事が終われば街へ遊びに出かける。家にも執着はなくて、ただ寝るためだけに帰る場所という感じで。そんな暮らしを続けていたら、今が朝なのか、夜なのか、その感覚すらマヒしていました」

pocapoca オーナー 藤岡建二さん

だが、それも一つの「生活」ではないだろうか? 素朴な疑問を投げかけると、藤岡さんは自身が考える「生活」の定義について教えてくれた。

「僕がイメージする『生活』は、生きることを自分で作っていくことです。自分が口にする食べ物や触れる物が、自分の手元に来るまでの文脈を知り、一日の時間をいかにそこに当てられるか。当時の僕は、スーパーやレストランで売っている食材やメニューが、どこで作られ、どう運ばれ、どう加工されているのかも知りませんでした。レストランやコンビニにあるものが完成形だと思い、そこに至るまでの過程を考えない。そういった意味で、生活できていませんでした」

子どもを授かってから、身の回りの“当たり前”を疑うように

今とは180度異なる暮らしぶりだったが、それが“当たり前”だった当時は、特に疑問を持つこともなかった。転機が訪れたのは、奥さんの妊娠が分かり、出産について調べるようになってからだ。

「出産の予定日が迫る中、『分娩台よ、さようなら』という本に出会いました。そこには分娩台の起源や目的が詳細に書かれており、読み進めるうちに、初めて知ることがたくさんあったんです。分娩台は赤ちゃんを産むためではなく、『赤ちゃんが産まれてくるところを見たい』という王様の願いを叶えるために作られた器具だったこと。重力に逆らう分娩台での出産は妊婦さんにとって負担が大きいこと。出産は命がけだから、本来は薄暗く、誰にも見られないような場所で産むのが動物の本能であること……。赤ちゃんは分娩台で産むもんやと思い込んでいたから、そこに書いてある内容が余計に衝撃的でした」

どうやら、自分には知っているようで、知らないことがたくさんあるらしい。その意識は子どもが生まれてから余計に高まり、身の回りの“当たり前”に引っかかる回数も増えていった。

「子どもに離乳食をあげ始めてから、食べ物に意識が向き、それまで見たこともなかった食品の裏表示を確認するようになったんです。そこには自分の知らない言葉がたくさん並んでいて、詳しく調べると、『これって本当に必要なんかな?』と思うような原料が含まれているものも多かった。周りの子どもが自然な流れで受けにいく予防接種も、複数の先生から話を聞くうちに『本当はいらないんじゃない?』と思ったり。自分の中に染み込んでた“当たり前”が、全然違うかもしれないと自覚するようになりました」

「生きることが仕事」になっていた、山での生活

身の回りの“当たり前”を一つずつ紐解き、自分たちの基準で必要なものを取捨選択する。そのスポットは、やがて「都会の暮らし」にも向けられた。

高層ビルや人混みに囲まれて過ごす毎日に息切れを覚えた藤岡さんは、自然を求めて郊外へ引っ越し、休みの日には家族で山にこもる生活をスタート。持ち物は、必要最低限のキャンプグッズのみ。飲み水や火を起こす材料、お米以外の食料などは現地で調達して過ごした。

インターネットもなければ、テレビや電子レンジ、洗濯機もない。今まで“当たり前”のようにあったものがない環境では、「生きることが仕事」になっていた。

「山にこもっているときは、生きることだけを考えるんですよ。水はどこで調達すればいいのか、火を起こすためには何が必要か、今日の夜ご飯はどこへ探しに行こうか。山にはコンビニもスーパーも、レストランも一切ないから、そこになければ自分たちで調達するか、一から作り出すしかない。そんな環境下では、生きるために絶対に必要なものが浮き彫りになりやすいし、それを得るためにどうすればいいかを真剣に考えられる。東京で暮らしているときは1mmも考えなかったことを、山では四六時中考えていました」

仕事がある日は、山から降りて街へ出かける。山と都会を往復する暮らしは3年間続き、自然に囲まれた生活を楽しむほど、両者の“生活の差”を感じるようになった。

「山では生きるためのことが生活になるし、街へ戻るとお金を稼ぐことが暮らしの中心になる。それが僕の中では違和感に変わっていきました。山にこもる生活を経て、僕にとって生きることは単にお金を稼ぐことではないと気づいたし、都会でヘアメイクの仕事を続ける意味も感じられなくなったんです」

悶々とした思いは募るばかり。仕事が忙しくなると、山へ行く機会はめっきり減った。「都会の暮らし」に対する違和感は、大きくなるばかりだった。

マルタ共和国への移住。「稼ぐだけの仕事はしない」と決めた

“違和感”は、日が経つに連れ“焦燥感”へと変わる。直感的に「このままでは良くない」と判断した藤岡さんは、奥さんと相談した結果、海外移住を決断する。明確なビジョンはなかったが、今の暮らしから抜け出すためには、何かを抜本的に変える必要を感じたのだ。

向かった先はイタリアの南側、地中海の真ん中に浮かぶ島国、マルタ共和国。気候が穏やかで自然豊か、治安も良く住みやすそうな印象から選んだ国だった。

「マルタでは、ホテルのパーティー向けにヘアメイクの仕事をしていました。右も左も分からない土地での暮らしは大変なこともありましたが、新鮮で楽しかったですよ。ただ、ビザの申請が上手くいかず、1年ほどで帰国を迫られることになりました。住みたいのに住めない。日本にいたときは感じたこともなかったけど、マルタに来て、ただ住めることの有り難さを痛感しましたね。そのまま他の国へ行って生活する選択肢もありましたが、そうすると同じことの繰り返しになりそうだったので、潔く日本へ戻ることに決めました」

とはいえ、帰国後の暮らしについて具体的なイメージが固まっているわけでもない。急いで日本へ帰る理由もなかった家族は、お金が許す限り、東南アジアを中心に旅を続けた。

最終的にたどり着いたのは、タイのとある田舎町。ここで目の当たりにした人々の生活は、藤岡さんに大きな確信をもたらしたという。

「その村にある散髪屋では、子どもが大人に混じってお客さんの髪の毛をクシでとかしたり、ヘアアイロンをかけたり、家族みんなで商売をしていたんですよね。子どもたちも『自分たちが食べていけるのは、この仕事をしているからだ』ってことを理解している。その様子から、家族みんなで生きている感じがすごく伝わってきたし、仕事も単なる『お金稼ぎ』ではなく、生活と同一線上にあるものとして捉えているようにも見えました。マルタ共和国にいた頃から『日本に戻ってもお金を稼ぐためだけの仕事はしたくない』と思っていたのが、タイに来て『生活に根ざした仕事をしよう』という確信へと変わったんです」

頭をよぎったのは、海外へ飛び出す前に経験した山での生活。必要なものを自分たちで作り出し生きる心地よさを思い出した藤岡さんは、自給自足のヘアサロンをオープンできないかと考えた。

財布の中はからっぽに等しい。それでも、不思議と心は満たされていた。

自給自足の生活が、物の価値を教えてくれた

帰国後、ほぼ無一文の状態で住む場所を探し始めた。選択肢はいくらでもあったが、マルタ共和国の一件から、見知った土地で暮らす安心感を優先。最終的に地元の長浜市に戻り、祖父が持っていた更地を借りて、自宅兼ヘアサロンを建てた。建物の骨組みだけは大工さんに作ってもらったが、あとはすべて自分たちで手作りしたという。

「お金もなかったので、必要なものはほとんど自分たちで作りましたね。家もそうだし、机や椅子を作るときは、材料を調達するために子どもたちと山まで出かけて、斧で木を切るところから始めてました。もちろん、ホームセンターで買うほうが何倍も楽なんですが、そうすると物がそこに来るまでの過程や苦労がまったく見えないから、きちんと上流まで遡って作ることを心がけていました」

必要なものは自分たちで作り出す。それが生活のベースになったとき、改めて大切にしたい価値観が見えてきた。

「自分たちで畑を耕して野菜を作ったり、生活雑貨を材料から集めて作る生活を続けていったら、初めて物の価値が分かるようになってきたんです。『これを作るのにはこれだけ大変だから、高い値段で売られているんだ』と納得する物もあれば、逆に『これだけ作るのが大変なのに、何でこんなに安い値段がついているんだろう』って疑問に思う物もありました。世の中で決められている数字を鵜呑みにするのではなく、自分たちの経験を基準に物の価値を判断する。この考えを大切にしようと思い始めました」

ほどなくして、藤岡さんは仕事に使う植物も自宅の庭で育て始める。その種類は増え続け、近所の荒地を開墾して畑の面積を広げた。今では奄美群島の一つである与論島で畑を借り、現地の温暖な気候を活かして、染料剤の原料になるヘナの栽培にも取り組んでいる。

自然に即し、人の美しさを内面から引き出す輪を広げる

必要なものを自分たちで作り始めたことにより、世の中に浸透する物の価値観に対して「?」が浮かぶことも増えた。お店やネットで売っているモノの値段は、その製造工程の大変さを知っている本人から言わせれば「ありえない」ものばかり。特に海外輸入のものは、驚くべき安さで売られているものが多かった。

「仕事で使うヘナという植物の値段は、インドから輸入されたものが基準になっているんですよ。それがすごく安い。安いから国内でも一人の髪を染めるために惜しみなくヘナを使うようになっていったんでしょうね。私たちも初めはその値段と使用量が普通だと思い込んでいましたが、自分たちでヘナを栽培するうちに疑問を抱くようになったんです」

「栽培の手間を考えたら、インドから輸入されている価格では絶対に卸せないし、従来の使用量では多かれ少なかれ施術を行うスタッフや受ける人の体に負担がかかる。ただ、今は従来の価格と使用量が美容業界のなかで“当たり前”になっているから、大量生産、大量消費のスタイルは変わらず、安価なヘナが数多く流通し、まだ使えるものも捨てられる。でも、多くの人はその事実を知らないと思います。悪循環が続く、大きな要因の一つです」

pocapocaでは、施術に使う植物がどのような過程で育ったのか、どのような効力を持つのかといった話もお客さんにする。世の中の当たり前に飲み込まれた“本来の価値”を自分たちで掘り起こし、広げていきたい。そんな想いが藤岡さんを突き動かし、経営の姿勢にも現れている。

一昨年には、自分たちの実践をもとに、環境や体に負担をかける薬剤を使わない美容法を広める「TSUKI ACADEMY」を開校した。ここでは1年をかけて、植物の育て方や抽出法、髪の草木染め、月との関係、食や心など、環境や自然に寄り添う美容法を学んでいく。

生徒さんの中には、カリキュラムが終了した後に、pocapocaと同じような自然に即したヘアサロンをオープンした人も。最初は小さな点だったものが、他の点を集め、線でつながり、輪を作る。

今は、その輪が広がる楽しさを心から感じている。

「ここ最近は、自分たちの活動を広げることに熱中しています。具体的には、植物を使って髪の毛を美しくすること。植物は髪の毛をきれいにする以前に、食べ物なんですよね。食べ物は人の体や心を作ってくれるし、何を食べるかによって人の体や心は変わる。自分たちで育てた植物を使って、髪の毛だけではなく、心や体、内面の美しさを引き出す方法を広めていきたいです」

世間の常識に捉われず、自分の経験を基準に物事の価値を判断し、そのうえで本当に必要なものを選択する——藤岡さんがpocapocaで体現していることは、生き方の多様性や選択肢が広がる今、心地よく日々を過ごす工夫でもあるように思う。

生き方に「正解」はない。だが、自分なりの「答え」を見つけることはできる。

西日に照らされ輝く藤岡さんの笑顔が、それを証明するようだった。