小学生だったころ、アルファベットが26文字であることを知って驚愕した。その時の気持ちを今の体を借りて言えば、「なんてコスパがいいのだろう」。目の前にあった未記入の漢字練習帳をうらめしく見つめた。日本語に所属する文字たちは、複雑で、多様だ。しかし、言うまでもなく、私たちはそれらを日常として受け入れている。そんな当たり前で異様な文字が様々な時代や場所で生成し、発展する様子を12編の短編として描いたのが、円城塔氏の最新小説集『文字渦』(新潮社)だ。

円城塔氏は2007年、『Self-Reference ENGINE』(早川書房)でデビュー。2012年には「道化師の蝶」で第146回芥川賞を受賞した。また、英訳された『Self-Reference ENGINE』で2014年にフィリップ ・K・ ディック賞特別賞を受賞するなど、国内外で高い支持を得ている。

最新作『文字渦』では、表題作「文字渦」にて、選考委員満場一致で川端康成文学賞を受賞。また収録作「誤字」における怒涛のルビ語りは、SNSでも話題を呼んだ。


円城塔「誤字」、『文字渦』p192-193

始皇帝や天武天皇の命で新たに作られたり、はたまた近未来のフレキシブルディスプレイの上を動き回ったり…、過去や未来、紙の上やデータの中を文字が行き来する、架空の「文字」歴史小説とも言えよう。

そんな今作を起点としたトークイベントが、8月18日、大阪の書店、心斎橋アセンスで開催された。対談の相手として円城氏が指名したのは、作家の酉島伝法氏だ。

円城「今回のイベントの話をいただいて、対談相手は誰にお願いしようかと悩んだとき、「文字渦」を書くきっかけの一つになった酉島さんの「皆勤の徒」が思い浮かびました」

酉島氏は「皆勤の徒」で2011年、第2回創元SF短編賞を受賞。2013年には、同作を表題作とした短編集『皆勤の徒』(創元SF文庫)で第34回日本SF大賞を受賞した。
主人公は、巨大な鉄柱によって支えられる甲板の上に立つ“会社”に勤める従業者、グョヴレウウンン。日々“人間”と呼ばれる不定形の大型生物に怯えながらも仕事にはげむ従業者の姿からは哀愁が漂っている。そんな従業者の仕事は異形の有機生命体を素材とした商品を手作りすること。

酉島伝法「皆勤の徒」、『皆勤の徒』Kindleの位置No.221-232

酉島氏自らが手がける挿絵と独特の漢字遣いによって、視覚イメージを喚起することで、圧倒的に異質な世界が巧みに描き出されている。

既存の用法にとらわれず文字を操ることで、新しい表現の可能性を読者に突きつけた両者の対談のテーマは、「文字」の可能性。イベントでは、参加者たちがあらかじめ質問を書き付けた紙が登壇者の二人に手渡され、参加者たちの疑問も交えながら、二人による小説、文学にまつわるトークが繰り広げられた。

作為的に作られた文字の持つ違和感、Unicode表の中で遊ぶ面白さ

ある者は、甲骨文字が金文を経たのち、秦に入って大篆、小篆と整備されてくる過程における文字の渾沌状態を示す資料だと考えたし、またある者は、漢字を超える筆記体系の試みがなされたのではないかと期待を込めた。両者の説が説得力に欠けていたのは、この竹簡に記された文字は、整然として手慣れた形の小篆の枠内にあったからである。甲骨文や金文の持つ野性や野蛮さ放縦さ、実直にして素朴な力がそこには欠けていた。
円城塔「文字渦」、『文字渦』p14

1974年、紀元前200年末に秦の始皇帝が自分のために作った陵墓とその周りを囲むように収められた陶俑(兵馬俑)が発見された。そして、無数の俑の中の一体、陶工を模した俑の足元から竹簡が発掘される。竹簡には未知の漢字を多く含んだ3万字にわたる文字のリストが記されていた。この竹簡は一体どんな目的で、誰が作ったのか?
表題作「文字渦」では、その謎の答えを探るように、約2000年の時を遡り、始皇帝、嬴(えい)と陶工、俑の交流が描かれる。

人間は誰もが多面性をもち、捉えどころがない。俑は嬴の姿を後世に残そうと、個々人を同一の人間として成立させるものはなんなのか、を模索していく。
「文字渦」は、こうした難しい問いに対し、文字をトリック的に利用することで答えた円城氏らしい作品だ。

「文字渦」だけでなく、今作では、新たな文字が作られる様が頻繁に描かれている。一方、作中に円城氏が新たに作った文字はほとんどないそうだ。そこで、二人が“新たに文字を作る難しさ”について語ってくれた。

円城「『皆勤の徒』を書く中であそこまで漢字を使うなら作ってみよう、とはならなかったんですか?」

酉島「作ってみたいとも思ったんですけど、作った漢字ってどこか作為的ないやらしさが出てしまうでしょ」

円城「ありますね。『文字渦』に入ってる漢字の中でも漢字として結構変だなと思うものがあるのですが、調べてみると南の方、ベトナムとの境目ぐらいの漢字だったりする。どうしてもちょっと慣れていない感じがでちゃうんですよね。
よく『文字渦』に出てくる漢字、作ったんでしょ?とか言われるんですけど、ほとんど作っていないんです。変な漢字でもUnicodeのどっかにはある。Unicodeに支配されるのは嫌だ。 江戸の頃は、版画でやっていたんだから、そういう自由度を取り戻すのだ!と始めた連載なんですけども結局Unicodeから出ることはできませんでした。(笑)」

酉島「最初、新しい字を作ろうと思ってるって言うてましたもんね」

円城「白川漢字学(※1)ってあるじゃないですか。とても偉大な仕事だと思うんですけど、どう考えても漢字の成り立ちのエピソードには、ファンタジーがはいっている。もちろん白川静先生に伺えばちゃんとした論拠はあると思うんですけれど。
でも、そういうファンタジーがあるなら別のファンタジーを考えてもいいんじゃないか、というのが、「文字渦」を書こうと思った最初の動機です。はじめは漢字の編纂の歴史をかけるといいな、とも思ったのですが、結局は、Unicode表から適当に漢字をピックアップすると老子の一説が書けるんじゃないかみたいな発想に行き着いた。でも、それはUnicodeの中でやるから面白いのであって、作っちゃうとそうでもないんじゃないかなと」

酉島「老子の一節はインベーダーゲームのところですね。あれは笑いました。
僕も「皆勤の徒」で、皿菅(けっかんもどき)という漢字を出したんですけど、こういうのは読者の前提知識に依っているわけで、いちから作ってしまうと面白くないんですよね」

※1 漢文学者、白川静による、黎明期の漢字の成り立ちについて、宗教的、呪術的なものが背景にあると主張した学説。

変形する漢字、に垣間見る『文字渦』の遊び心

収録作「闘字」では、文字を闘わせる架空の遊戯、闘字がえがかれる。主人公は希少言語、阿語の調査のため世界各地を旅する最中、たまたま立ち寄った街で生きた闘字を知る老婆、艾(がい)や闘字の歴史を語る石(せき)と出会い、摩訶不思議な闘字の世界へと引き込まれていく。

謎々が面白いのは、答えを知らないからである。
円城塔「闘字」、『文字渦』p68

異国にて、不思議な老婆に導かれるように戦いの世界へと没入していく。ストーリーを見るとまさに王道のファンタジーバトル小説だが、難しい漢字が並ぶとどうしても背筋が伸びてしまう。そんな読者の伸びた背筋を解きほぐすように円城、酉島両氏の話題は一見難解にみえる『文字渦』に詰め込まれた遊び心についてへと広がっていった。

さらに、口頭では説明が難しい漢字たちを語るべく、酉島氏は、『文字渦』に含まれる漢字をあらかじめ紙に拡大印刷してくれていた。

円城「『文字渦』を書くにあたって、いろんな漢字を見たのですが、ありそうだな、と思う漢字が案外なかったりして面白かったです。例えば一つの漢字が部首の位置で違う漢字に変わるというようなものは意外に少なくて、漢字ってすぐ飽和しちゃうんです」

酉島「部首だけで強くなっていく漢字ってなかなかないんですね」

円城「そうそう。ピカチュウ、ピチューみたいな進化は少ない。実は「闘字」は、ほぼポケモンバトルみたいなものなんですが。(笑)」

石は再び筆を持ち上げ、垂直におろす形で墨池の表面に触れた。墨堂へ素早く「乒」と記し、瞬間、動きを止めてから点を打ち、文字の形を「乓」へと変えた。目をこすって身を乗り出したわたしの前で、「乓」はまた「乒」に変じ──、と瞬きしたところで、墨たちは力を抜いて墨池へと速やかに引き上げてしまい、墨の尾を引いた文字は跡形もなくなっている。
円城塔「闘字」、『文字渦』p77

酉島「『闘字』を読む中で印象に残っている漢字は、 兵の字の点がコサックダンスみたいに動くやつ」

円城「ピンポンですかね。乒乓と書く」

酉島「それですね。この乒乓に関して最近教えてもらったのが、CHEN LI(チェン・リー)さんの「A War Symphony,」というビジュアル詩。乒や乓は、片腕や片脚になった兵隊に見えるのと同時に、ピンポンという音で銃声を表してもいて、最終的にみんな死んでしまって丘のみが墓として残るというような意味らしいです」

円城「なるほど。やっぱり似たようなことを考える人はいるんですね」

そう言う石は、つと腕を伸ばすと、墨堂にまた小さく「骨」の一字を書いた。黒を背景とした漆黒の「骨」字の輪郭は急速にぼやけ、しかしわたしの目か記憶の中に、「骨」としての姿を残し、そうして不意に、「骨」の字が「⻣」へと変貌する。
円城塔「闘字」、『文字渦』p77

酉島「あと、骨が目をキョロキョロ動かしていてザクにしか見えない」

円城Unicodeは漢字の細かいところまで指定する規格じゃないから、「骨」の目の部分の向きとかは本来、フォントの方に任されているところなんですよね。
の前知ったんですが、中国で「⻣」を使うのは、簡体字にするときに、一画減らすためだとか。こんな風な大胆な変形も漢字にはある。だから時代によって結構変わっていくんです。漢字って」

文字を作ることは国を滅ぼすこと?

文字を書くとは、国を建てることである。
円城塔「新字」、『文字渦』p129

西暦666年、遣唐使として唐に渡った境部石積が唐の日本侵攻を食い止めるため、文字を用いた国家転覆をはかるという史実と奇想が混じりあった収録作「新字」。さらに、石積の突飛な発想のきっかけとなったのが、作家、中島敦が言葉にまつわる思索と災厄をえがいた作品「文字禍」に登場するアッシリア帝国のナブ・アヘ・エリバが記した楔形文字の書物、『ウトナピシュティムの書』だというから痛快だ。

知性と教養を認められた石積が、論理的に政治的策略を練った結果、文字の新設に行き着く様は、滑稽でありながらも、文字の持つ力の強さを感じさせる。
そんな「新字」は酉島氏もお気に入りの短編だそう。

酉島「征服するものによって書体が変わっていく、という話はすごく面白かったですね。楷書の完成を伴って達成される唐の世界支配を、遣唐使の境部石積が食い止めようと四苦八苦するという」

円城「「新字」ですね。楷書というのは、筆の動きとしてはすごく不自然なんですよね。まっすぐ引け、縦と横は直角に、“はね”や“とめ”は守ってなどたくさんのルールがある。人間に無理をさせても字を正しく書く、という字の方が優位な書体です。
また、コミュニケーション重視な書体であるから、ゴールは誰でも読めることにある。」

酉島「楷書の無特徴な要素を突き詰めると楔形文字になりますね。「新字」も最後、楔形文字に行き着いて「文字禍」につながるのがすごく面白かったです。」

そして、この「新字」について、参加者からはこんな質問が寄せられた。

──文字を書くことが国を作ることならば、文字を作ることは国を滅ぼすことですか?

円城「僕はもともとこの発想がなかったんです。この作品は、エトガル・ケレットというイスラエルの作家と対談したことがきっかけでできました。ヘブライ語について話したのですが、ヘブライ語は一度失った言葉を作り直してるんです。そこで、彼になぜ誰も喋っていなかったのにわざわざ音を当て直したりしてもう一回作ったの?と聞いてみると『やっぱり言葉を作るというのは国を作ることなんだ』と答えてくれた。その発想はなかった、と衝撃でした」

酉島「「新字」では、則天文字(※2)がウイルス的に働きますよね」

円城「そうです。則天文字がウイルス的に働いて、文字の秩序が変わる。文字の秩序が変わって殺される、というのは文字禍なので、中島敦の「文字禍」に繋がっていくんです。勝手に文字を作った人って、大抵、悲惨な運命になるんです」

酉島「そういった意味では、僕たちは新しい字を作らなくてよかったわけですね。(笑)」

円城「そうなんですよね」

※2 7世紀末、中国・武周の女帝、武則天が制定した漢字

100年後、日本文化として残るもの

翻訳が難航したという『皆勤の徒』(英訳『Sisyphean』ダニエル・ハドルストン訳)、翻訳不可能なのでは?とも噂される『文字渦』。作者の二人に参加者からこんな質問が飛び出した。

──日本の文化の中で過ごしてきたことと日本人であることが書くものに影響していますか?

円城「僕はこれについて最近意識していて、これまでの作品は、西洋を舞台にしたものが多かった。しかしもうちょっと日本のことをちゃんと考えようと思って書いたのが『文字渦』なんです。これは世界文学とは何かという話にもつながるのですが、日本文学の代表って、紫式部と村上春樹なんです。その間には1000年の開きがある」

酉島「ちょっと間が空きすぎでしょ」

円城「あと出てくるのは、川端康成、谷崎潤一郎、三島由紀夫。安部公房とかはもうあまり読まれていないんです。安部公房ぐらいユニバーサルになってしまうと、他の国でも書けてしまう。相手が全世界になると、母集団が大きくなって、当然戦う相手も増える。そのときになんで英語で書いていないのか?という話になってしまう。
なんでも簡単に調べられる時代に、西洋文化や思想について日本にいる僕が日本語で書く意味とは何なのか、と考えたとき、それなら日本人がアクセスしやすい日本語で、西洋と大体同じようなことを言っている文献を調べて小説を書こうと思いました。
酉島さんは小説を書くときに、日本語を意識しますか?」

酉島「それは意識しますね。漢字の物質感、手触りみたいなものがなかったら『皆勤の徒』は書けなかった。漢字はテキストとイメージの繋ぎ目になってくれる。
物語に詰まったときに、よい造語ができると進みだす、ということが多いんです。自分にとって造語は、映画美術のセットや小道具みたいなものですね。英語圏で生まれ育っていたら、ジェイムズ・ジョイスの混成語みたいに単語を切り貼りしていたかもしれませんが、『皆勤の徒』とは違うものになっていた気がします。」

円城「なるほど。僕はグローバルで書くということは、英語で書くとかそういう話ではないと思うんです。すごく局所的でコアなものを書いた時に、それでも繋がれる、というのが本当のグローバル。
今、日本文学といったときにでてくるのは、盆栽とかでしょう。外国人が書いた川端康成作品の感想とか見ると必ず盆栽が出てくる。」

酉島「しまった、まだ小説に盆栽を出したことがない! 本当のグローバルになれない」

円城「そういう掴みやすい日本っぽさって意外と必要なんだなと。しかし、そういうのはどんどん失われてきている。100年後、日本文化って何が残るんだ、と考えたとき、多分マリオとかキティちゃんしか残らない。だから、日本の中で新しいものを出して行くように頑張るしかないんだと思います」

円城氏が語る、“局所的でありながらも世界と繋がりうるもの”としての文字の可能性の片鱗が、作中でも見られた。

一見、無特徴ともいえる楷書はしかし、それゆえに人間の秩序とは関係のない文字そのものの生々しさとでもいうものを感じさせる。人間のものではない秩序がそこに現れているように見えるのである。それは不思議と、十二年前、阿羅本に見せられた『ウトナピシュティムの書』を思い出させた。字形は全く異なるのに、みつめるうちに自分が何をみているのか、その背後にいるはずの書き手の筆の動きをこえて、文字がただの線の集まりでしかなくなってくるところが似ている。
円城塔「新字」、『文字渦』p125

 

遠い異国の誰かと繋がる時、本当に大事なのは同じ言葉を話せるかどうかではない。互いが今生きる環境、社会の中で大切にしている文化を共感し合うことで、本当に繋がることができるのではないだろうか?

日常で出会う「文字」と小説を通して向き合うことは、私たちが大切にするべきものについて考える良い機会になるだろう。

 

円城塔
1972(昭和47)年北海道生れ。東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。2007(平成19)年「オブ・ザ・ベースボール」で文學界新人賞受賞。2010年『烏有此譚』で野間文芸新人賞、2011年早稲田大学坪内逍遙大賞奨励賞、2012年『道化師の蝶』で芥川賞、『屍者の帝国』(伊藤計劃との共著)で日本SF大賞特別賞、2017年「文字渦」で川端康成文学賞を受賞した。他の作品に『Self-Reference ENGINE』『これはペンです』『プロローグ』『エピローグ』などがある。(新潮社HPより)

酉島伝法
1970年大阪府生まれ。絵も描く小説家。2011年、「皆勤の徒」で第2回創元SF短編賞を受賞。13年刊行の第1作品集『皆勤の徒』は『SFが読みたい! 2014年版』の国内篇で第1位となり、さらに第34回日本SF大賞を受賞。2015年には『本の雑誌』の「21世紀のSFベスト100」で1位に選ばれる。2018年にHaikasoruから英訳版”Sisyphean”も刊行された。

心斎橋アセンス、アウラの部屋
大阪心斎橋に位置する書店「心斎橋アセンス」3階に併設された、多目的スペース。「アウラ」は物体から放散する発散物、発気、雰囲気、気配を意味する言葉だ。人がそれぞれ持つ独特の空気感そのままを、この空間に、という思いが込められている。
作品展示・ワークショップ・トークイベントなど、様々な用途で利用可能。