急激な労働人口の減少や雇用の流動化に伴い、人を雇うことは数年前に比べ格段に難しくなっている。有効求人倍率はすでにバブル期の水準を超えた。

雇用する側を取り巻く状況が厳しくなる一方で、期待を集めているのが「HR Tech」だ。HR Techは、AIやビッグデータ解析といった技術を駆使し、より効果的な人事業務を実現する新たなソリューションを指す。国内におけるHR Techの認知の高まりに並行して、HR Techの枠組みで語られる対象も広がっている。

拡大の最中にあるHR Techとは、一体どのように捉えられるのか、今後の人事には何が必要とされるのか。HR Techの全体像を把握し、人事のこれからを紐解くトークセッションが、株式会社SmartHR株式会社タレンティオ共同主催の「HR Tech Kaigi vol.2」において開催された。

「HR Techってそもそもなんだろう談義」と銘打たれた本セッション。トークを率いるのは採用管理システムの開発している株式会社タレンティオCEO佐野一機氏、株式会社ほぼ日取締役CFO 篠田真貴子氏だ。

HR Techの最先端で事業を展開する佐野氏、独自の成長を遂げる「ほぼ日」の組織を支えてきた篠田氏の二人の考える、現時点でのHR Techの定義とは、その未来はどこに向かっていくのか。

テクノロジーの発達からだけでなく、雇用の変化といった社会的視点や、人事戦略を含む経営的視点を踏まえて、HR Techについてそもそもの概念から意見を交わした。

経理分野の進化から見える、テクノロジー活用による恩恵

テクノロジーの発達によって特定の業務分野に変化が訪れること自体は、歴史上何度も繰り返されてきた。バックオフィス領域にもその変化の波は到来した。セッションではHRの話にはいる前に、まずテクノロジーと経理の関係について振り返った。

登壇者の篠田氏が新卒で銀行に入社した頃、経理部にはパソコンがなかったという。パソコンの導入、会計ソフトの進歩と低コスト化によって各従業員がソフトウェアを使って、膨大な業務を遂行できる環境が整った。

従来は人力で実施していた作業をソフトウェアが代替することによる恩恵は、人数や業務時間のスマート化、ヒューマンエラーの削減にとどまらない。中でも篠田氏はデータの蓄積の重要性を指摘する。

篠田「財務経理の分野においてデータが蓄積されると、具体的な数値に基づいて知識や洞察を得た上で、打ち手を考えられる。

例えば、以前ほぼ日で腹巻の売上が鈍化した時期がありました。するとデータを深く分析せずに『腹巻を購入したお客様のタンスが限界だから売上が伸びない』という声が上がってくる。

しかし、データを見れば7割のお客様の購入枚数が1、2枚程度であると容易に把握できました。タンスは決して溢れていないという前提を共有した上で戦略を練っていけるのです」

戦略を策定する上で前提となる現状把握。佐野氏はPwCの北崎氏が人材獲得に欠かせないステップを表した『人材データの活用成熟モデル』を挙げ、人事分野に欠けているプロセスについて指摘する。

佐野「人材領域だけではなく、データ活用にはいくつかの段階があります。まず現状の数値がきちんと整理されていること、そしてそれが継続していくことで経年での分析が可能になる。その先にベンチマークとの比較、要因特定を経て、将来の予測ができます。

業績に直結する経理やマーケティング分野に比べ、人事の領域ではデータの蓄積が十分でないケースが多い。一番初めの現状認識すら怪しいため、歪んだ認識の掛け算が正しい意思決定を妨げてしまう。

『テクノロジー』と括ると壮大なイノベーションが出てくると想像されやすいが、まずは現状認識と振り返りを可能にするデータの整備がHR Techには必要だと考えています」

人事分野におけるブレイクスルーの予兆

人事業務とテクノロジーの融合によって、まずはデータを蓄積するプロセスが必須。経理との関連から伺えるテクノロジーの捉え方とは別に、篠田氏は金融業界を例に挙げ、より広いレベルでテクノロジーが起こし得る変化について語ってくれた。

篠田「投資銀行が飛躍的に成長した背景にあるのは、1970年代に生まれた新たな金融理論の数々です。株の値動きとリスクの関係や事業価値を見積もる手法においてノーベル賞級の理論化がいくつも起きました。理論面でのブレイクスルーに、コンピューティングパワーの発達が掛け合わさった結果、金融分野は急速な変化を遂げたのです。

恐らく人事分野では同様のインパクトを与える動きはまだ起きていない。ただ行動心理学や脳を解析する最新技術の発展を見ていると、我々が現役で働いている間にイノベーションが生まれる水準に達するのではと期待しています」

HR Techの最新事例が集う米国のカンファレンスに参加した佐野氏は、すでに起きている新たな変化の兆しについて話す。

佐野「米国のカンファレンスでは、人間が生産的に働ける環境をデータ解析によって定量に測ろうとする機運が先行して育っている様子が伺えました。

そもそも米国では雇用の流動性が日本と比較して高く、働く側がパワーを持っている背景があります。また、ダイバーシティーに富む人々が最適に働ける環境作りが、定性ではなく定量的なデータに基づき進められている。

雇用の流動化は今後の日本においても起こりうる変化です。従来の終身雇用を前提とした画一的な採用、人事制度から脱し、人事のあり方を変えていかなければいけない」

HR Techの根本にある戦略、人事のあるべき姿

「みなさんにとってのHR Techは何ですか」

ここから佐野氏が会場に向かって質問を投げかけ、参加者も交えて議論していく。

参加者「現状ではAIとPeople Analytics(データ解析によって職場の生産性向上を目指すこと)に偏っているが、今後はVRやロボットにも拡大していくと考えています。例えば大規模な倉庫で働くロボット。従業員が集まらない職場で人間の代わりに働き、職場を維持するロボットもHR Techに分類されます」

「HRをよくする」という参加者の言葉について、佐野氏は二つのポイントを挙げながら、より具体的に解説していく。

佐野「ここで言う『HRをよくする』の根本は人事戦略。戦略に寄与するものがふさわしいはずです。ここでポイントとなるのは二つだと思っています。人事戦略の意思決定にどう貢献するのか、そして推進する上で人事の業務効率が高まっているのかという点です」

佐野氏が繰り返し述べた「人事戦略」というキーワード。より具体的に掘り下げるため、佐野氏は会場から株式会社サイバーエージェントで採用・育成を担当し、現在はリクルートとサイバーエージェントのジョイントベンチャー、ヒューマンキャピタルテクノロジー社で取締役を務める渡邊大介氏を指名。

渡邊氏はサイバーエージェント社における人事の役割を表す言葉としてコミュニケーションエンジンとパフォーマンスドライバーを挙げる。

渡邊「サイバーエージェント社内で人事の役割を表す上では、コミュニケーションエンジンとパフォーマンスドライバーという言葉を使っています。前者は『対話の風土、強い連帯感、協力し合う信頼関係』を生み出す基盤づくり、後者は『(会社が)業績を上げるために障害となっているものを取り除き、もっと成果が出るような環境や仕組みを生み出す」という人事の役割を指します」

経営戦略と密接に繋がる人事戦略という点について、篠田氏はほぼ日代表取締役糸井重里氏の言葉、「人を一人雇うのは工場を建てるのと同じ」を引用し、同社における人事戦略の位置づけについて語る。

篠田「例えば上場資金で人を採るというと、既存の部署における増員をイメージするかもしれません。しかし、ほぼ日の考える採用は、入社した人を中心に新規事業が生まれていく動きを作るための施策です。

ほぼ日に限らず『あの人が入ってムードが変わった、構想が実現した』という事例ってみなさんの職場にもあると思います。これをベストな成果であると仮定した場合、採用や社内文化の形成を担う人事は、経営戦略と一体化した位置付けになっていく」

人事戦略や経営戦略というゴールに向かって組織を導く立場としての人事。4人の議論から浮かび上がる「これからの人事のあり方」を踏まえると、HR Techのあるべき姿はどう定義できるのだろうか。

佐野「HR Techとは『経営戦略に紐付く人事戦略の遂行に寄与するテクノロジー』と言えるかもしれません。そのためには、人事戦略とは何かを人事が明確に言語化できる状況を作らなければいけない。テクノロジーというツールを活用するには戦略への深い理解が必須だからです」

ここ数年でいくつも登場した「◯◯ Tech」という概念は、時に曖昧かつ過度な期待と共に語られる。人事領域に関わるテクノロジーであれば何でもHR Techと一括りにしてしまう現状も、HR Techという新たに登場したソリューションへの過剰な期待を反映しているのかもしれない。

人事領域においてテクノロジーの活用を議論する上では、経営戦略から派生する人事戦略が起点となる。戦略を咀嚼した上で最適なテクノロジーを選び取るための物差しを持つことが、HR Tech時代の人事には求められている。