クリエイティブカンパニーCINRA, Inc.は、デザイン・エンジニアリング・編集などクリエイティブ領域の第一人者が集まり知識や知恵を共有するイベント「PORT!」を定期的に開催している。5月29日には、第7回目となる「手法に頼らないリアルなUXデザインの現場!」が開催された。

今回、イベントに登壇したのは、ソニー株式会社クリエイティブセンターのチーフアートディレクターとして、ソニー製品のUIデザインを取りまとめる入矢真一氏。株式会社リクルートライフスタイルのUXデザイングループでマネージャーを務め、飲食店や小売店向けのPOSレジアプリ「Airレジ」のUXデザインを手がける鹿毛雄一郎氏、同社でAirレジの海外展開を担い、UXデザイングループのマネージャーを務める”磯谷拓也氏の3名。

「ユーザーの体験」という目に見えない概念をいかにチームと共有し、実際のプロダクトやサービスに落とし込んでいるのか。そして、UXはこれからどこに向かっていくのか。イベントでは、現場での経験を踏まえて意見を交わし合った。

目に見えない“UX”の思想を浸透させる手法とは

入矢氏の所属するクリエイティブセンターがUXデザインを担当する領域は、テレビやカメラといったハードウェアのインターフェイスから、搭載されるアプリのようなソフトウェア、ソニーが提供するクラウドサービスまで多岐にわたる。

横断的にUXデザインに携わる組織が必要とされるほど、UXデザインはプロダクト開発において欠かせない要素に位置づけられている。ソニーの社内で、UXデザインは昔から意識してデザインされていたものの、急速に変化し始めたのはおよそ5年前だったという。

社内にUXデザインのあり方が変化するなか、入矢氏はUXに対する思想を写真やグラフィックによって世界観を伝えるコンセプトブックの様式で具現化し、チーム内でそのUXが実現された世界を一緒に見ることで共通認識を形成しようと試みた。

入矢「UXの要である”心地よさ”を具体的に伝えなければ、どこに”心地よさ”を持たせるのかについて共通の認識が持てないと考えました。知り合いのディレクターに協力を仰ぎ、写真や文章もゼロから作っていきました。

ビジネス側に対しては、プロダクトを作る際にプロトタイプを作り、「第三者からどう見えてほしいか」という視点から議論をするよう心がけています。プロダクトの先にあるUXの価値を目に見える形で伝えるべく、時には社内ウェブ上に疑似的なウェブサイトを構築して共有することもあります」

組織内でUXデザイナーが担う役割

第三者からどう見えるのかという視点から議論し、ユーザーの姿を具体化してプロダクト開発を行っていくことも重要だ。リクルート社でAirレジのUXデザインに携わる鹿毛氏は、UXデザインがリクルート社内に広がっていった時期に、ユーザーの視点を導入する必要性を強く感じていたという。

鹿毛「僕が入社した当時、社内ではビジネス視点での会話がほとんどで、このままではユーザーの姿が見えづらくなっていくのでは、と懸念していました。UI/UXチームが立ち上がったたのはちょうどその頃です。当初はUIデザインを得意とするメンバーが集まりチームを構成していました。徐々に領域も広がっていき、新規事業の立ち上げ時に主体となってプロジェクトを回すこともあります。Airレジのような業務支援領域に事業を広げていくタイミングで、より本格的にサービスデザインに取り組むことも増えてきました」

磯谷氏いわく、リクルート社内のプロジェクトチームにおいては、UXデザイナーがビジネス領域とエンジニア領域の間を行き来する役割を果たすことも多々あるという。

磯谷「リクルートは良い意味でボトムアップの組織なので、個々人の強みによって異なるアプローチのUXデザインが共存していると感じます。一言でUXデザインといってもビジネスに強いのか、技術に強いのかといった、個人の持つ強みによって、どの役割をUXデザイナーが担うかは様々です」

Airレジの海外展開を率いる磯谷氏自身は、どういったUXデザインのあり方を推進し、チーム内で共通の認識を育んでいったのだろうか。

磯谷「僕にとってのUXデザインは、使う人のためになる状態や環境を作り出すことです。例えば、ペルソナと言ったツールも使い方を誤れば、机上の言葉のやり取りで完結してしまい、実在するユーザーの姿が不明確になってしまうこともあり得ます。Airレジの海外展開にあたっては、プロジェクトの関係者全員を集めて、実際に導入してもらう店舗を訪問しました。いったい『誰が・どこで・どんな状態で』使うのか、情報を書き下してから、プロダクトに落とし込むようにファシリテートを行いました。今ではエンジニアの会話においても、ユーザーがこの機能をどういう用途で使っているのか、といった視点で自然に議論が生まれています」

ソフトウェアとハードウェア、境界を超えたUXをどう提供するか

ユーザーにどれだけ近づけるかを日々追求してサービスの改善を重ねている磯谷氏。同氏は、サービスが利用される場に足を運んでユーザーの声を集める過程で、ソフトウェアを超えたUXを提供する必要性を感じたと語る。

磯谷「実際の店舗を訪問しているなかで、ビールを運んだ後は手が濡れていて使いづらいというフィードバックをもらいました。ユーザーのフローにとことん向き合っていくと、ソフトウェアの外側にあるハードウェアも合わせて設計していきたいという考えに行き着きました。展開国の一つである中国の深センはハードのメッカなので、よりハードウェアの領域に関心が高まっています」

入矢「ソニーの場合はソフトウェアとハードウェアが両方揃ってプロダクトが成り立ちます。例えばカメラの場合も、メニュー機能の構造を決めるときにボタンの数がいくつになるかを決定していく。意思決定のプロセスにおいては、プロダクトデザインやコミュニケーションデザイン、UXデザインの専門家が一箇所に集まって議論をします。ちゃんとサービスとしてソフトウェアとハードウェアを繋ぎ、価値を提供していくことが不可欠です」

ハードウェアとソフトウェアが一体となったUXデザインが必要と語る入矢氏。もう一つソニーにおけるUXデザインの特徴として、テクノロジーが先行するという点を挙げる。

入矢「技術側の人たちから『こういうテクノロジーがあったらどんなUXが実現できますかね?』という問いが飛んでくることもあります。例えば、プロジェクターのスクリーンが四角い枠の外に出て、日常生活に浸透していく世界が来た時に、提供されるべきUIデザインはどういうものなのか。『こういうことが起きたらどうなる?』という問いをトリガーに新しいUXを創造できるのは、ソニーの強みだと感じます」

テクノロジーが新たなUXデザインを生み出す原動力となっているソニーに対して、リクルートでは社内にいる個人の自発的な動きから、新たなUXデザインが生まれるケースが多くあると磯谷氏は語る。

磯谷「元々リクルートは自分がやりたいことを抱えている人が多く、自発的に周囲を巻き込んで新規事業を生み出す土壌があります。誰かがどこかで新しい事業を企てている。Airレジ自体も誰かが「レジを作ってみたい」と言い出したのが出発点でした。リクルートには日本全国に課題発見のプロである営業がいて、以前は営業を起点に事業が生まれていました。ユーザーが何を考えてどう行動しているのかを突き詰めていく。彼らが実践していた営みは、今であればUXデザインと呼ばれていたと思います。最近は社内にもエンジニアが増えてきたこともあって、エンジニアが起点となって新たなプロダクトが生まれることも多くあります。ただ常に自発的な問いや思いが出発点となるところは変わらないですね」

変化するUXデザイン、現場で求められる人材とは?

UXデザインの領域が広がり、新たなUXデザインの出処も絶えず変化するなか、UXデザイナーに求められるのはどういった資質なのだろうか。鹿毛氏は、データ使ってユーザーに価値を提供できるかが鍵になると話す。

鹿毛「弊社がビジネスをする中で培ってきたデータを、ユーザーへの価値に結び付けられるかが重要ですね。例えばAirレジの会計データを分析にかけると、飲食店でどの商品がどの商品とセットで注文されるかを把握できます。

もつ鍋が注文されたら締めのメニューもおすすめしてくださいといったオペレーションに対しても提案が可能です。プロダクトの中だけではなくてAirレジを導入した前や後の機能体験まで、UXデザイナーが試行錯誤をしていきます。ユーザーに価値を提供するためにどれだけデータに向き合えるかが重要です」

もはや、UXデザインはプロダクト内で完結するものではなくなりつつある。入矢氏の考えるUXデザインに求められる人材の例からは、UXデザインへのアプローチにおいても従来の枠を超えた広がりが見える。

入矢「これまでUXデザインに携わるのは美術学校でデザインを学び技能を身につけた人材がほとんどでした。しかし、近年では情報工学やプログラミングを専門とする人、場の体験をデザインする手法を学んだ人、システムやアプリケーションのアーキテクチャを作る人もいます。どういったアプローチからデザインしていくのかに応じて、UXデザインに携わる人材も変化します。これまでは、ユーザーがキーボードなどの機器を用いて情報をインプットして、ディスプレイにアウトプットするまでの流れは、ほとんど固定化されていました。近年ではユーザーから情報を入力する方法は音声や動きの場合もある。アウトプット先もディスプレイの枠をはみ出しています。アウトプットする情報自体もよりユーザーに最適化したスマートな形に処理されていく必要があります。ユーザー体験が流動的になっている今、求められている人材も多様化していると感じます」

「UXデザイン」という言葉がカバーする領域はとどまることを知らない。ハードウェアの製造が事業の軸となってきたソニーと、メディア事業からウェブサービスを中心に事業を成長させてきたリクルートライフスタイル。両者のお話からは、従来のインターフェースからUXデザインを解放し、ユーザーの体験を最適化する新たな試みを日々積み重ねていることが伺えた。

未来のユーザー体験はハードウェアとソフトウェアと行った境界にとどまらず、リアルとバーチャルの境界をも超えていくだろう。そうした時にUXデザインはどんな価値をユーザーにもたらしてくれるのだろうか。

登壇者プロフィール

入矢真一(いりやしんいち)
ソニー株式会社 クリエイティブセンター チーフアートディレクター
VAIOやスマートフォンのアプリ、モバイルデバイスやカーナビなど数多くの商品のUIデザインを担当した後、2012年にインタラクションデザイン領域のチーフアートディレクターに就任。既存商品領域のみならず、研究開発領域のプロジェクトまで広くソニーのUXデザインに関わっている。

鹿毛雄一郎(かげゆういちろう)
株式会社リクルートライフスタイル Air事業ユニット UXデザイングループ グループマネージャー
1987年生まれ。慶応義塾大学大学院メディアデザイン研究科卒。2011年リクルート入社。EC系サービスや旅行系サービスなどのUIデザインや立ち上げを経験し、2014年よりPOSレジアプリAirレジのUXデザインを担当。現在はAirレジをはじめとする業務支援サービス全般のUXデザインにたずさわる。

磯谷拓也(いそがいたくや)
株式会社リクルートライフスタイル グローバルソリューション事業ユニット UXデザイングループ グループマネージャー
1987年生まれ。慶応義塾大学大学院メディアデザイン研究科卒。2012年リクルート入社。入社後エンジニア業務などを経てプロダクトオーナー/UXデザイナとして複数のサービス開発に携わる。現在はAirレジ海外版にてプロダクトマネージャー/UXデザイナーとして、調査からUX設計、開発チームのマネジメントまで幅広い領域を担当する。