遊びこそが「熟達」や「成長」の源泉
「遊びとはワクワク感だ」と語るのは、株式会社グルーヴノーツ取締役会長/創業者の佐々木久美子氏だ。
同氏は小学生がテクノロジーと遊んで学ぶアフタースクール「TECH PARK」を運営している。「TECH PARK」の構想の原点には、同氏が小学5年生の時、父親の会社で務めるエンジニアにプログラミングを教えてもらった経験があるのだという。
佐々木氏「(小学5年生の時に教えてもらっていた)当時は、遊び感覚でプログラミングをしていましたね。プログラミングそのものというよりも、最終的に何かが完成することにワクワク感を覚えていた記憶があります。だからこそ今の仕事もそうした感覚の延長で、ワクワクしてもらえるようなことをご提案するようにしています」
そうした遊びによるワクワク感は「学びや成長にとって重要だ」と佐々木氏は重ねる。
佐々木氏「例えば出張経費を精算する時、お客さんや地元の人に誘われた食事の代金の計上が認められなかったとします。コーポレート部門を信頼してそのまま会計処理は進めてもらいますが、同時に『いや、遊びではあるのだけど、仕事にとっても大事なのにな……』という気持ちも湧いてくるんです。そうした遊びが仕事に繋がることがあるのはもちろん、遊びがなくなると、会社やビジネスとして魅力がなくなると思います」
続いて自己紹介をしたのは、裏千家茶道准教授・松村宗亮氏だ。同氏は茶の湯の基本を守りつつ、現代に合わせた創意工夫を凝らしたスタイルを構築して活躍。茶の湯のありうる姿を探求するアート集団・The TEA-ROOMのメンバーであり、へうげもの筆頭茶頭や茶道教室SHUHALLYの代表も務めている。
村松氏「お茶の世界はごっこ遊びに近いんです。庭に出たら亭主がやってきて無言で挨拶し、亭主は先に茶室に入る。お客さんは後を追って身を清め、にじり口をくぐったら別世界に入っていく。身分の差を超えて、美しいものを取り囲んでコミュニケーションをとる。そうして4時間程の異世界を楽しんで、また日常に帰っていく……大人たちが400年も前から集まって、こんな壮大なごっこ遊びを行っていたことに興奮を覚えます」
とりわけ村松氏は、そうした壮大な「ごっこ遊び」のフォーマットに沿って、いかに演出するのかを悩んでいる準備期間にワクワクするという。
村松氏「お茶会を開催する時、半年前や三ヶ月前には、お客さんに案内状を出しておきます。そうすると当日を迎えるまでの期間、『このお客さんが来たらどんな軸を掛けようかな』『花はどれがいいかな』『料理はどうしようかな』『このお茶椀を出したら喜ぶかな』と、ワクワクしながらたくさん考えることができるんです。
さらに当日は狙い通りのリアクションだったり、予想もしなかったリアクションが返ってきたり……全て楽しくて、ワクワクを超過した感覚があります」
遊びのワクワク感の中でも、とりわけ小さい頃は「自分の成長」がもたらす喜びが大きかったと語るのは、ヤマハ発動機株式会社の福田晋平氏だ。
福田氏「出身地の北海道でたくさん滑ったスキーや学生時代の部活を振り返ってみると、幼少期の遊びの中には、成長する喜びがあったように思います。できなかったことが、できるようになる喜びがあった。大人に憧れ、追い抜きたいと思う気持ちから遊んでいたように思うんです」
しかし、大人になってからは「仲間への共感」が遊びになってきているという。
福田氏「最近は『仲間を増やしていくこと』が遊びになってきているのかもしれません。例えば、人と一緒に料理をつくったり、お酒を飲んだりしながら話すことを大切にしています。そうすることで愚痴っぽくならず、建設的でポジティブな会話ができますから」
福田氏の発言を受けて、株式会社Zebras and Companyの田淵良敬氏は、為末大『熟達論――人はいつまでも学び、成長できる』(新潮社,2023)を引用しながら「遊ぶ」ことの意義を語った。
田淵氏「この本には物事の熟達には五段階あると書かれていて、最後の段階ではオリンピック選手くらいのレベルになるのですが、その最初のステップが遊びなんです。遊び心のような余裕を持っていないと、どこかで心が折れてしまったり、続けることが難しくなったりと、限界に直面してしまう。ですから、まずは目的を考えずに、やっていることを楽しむことや遊ぶことが大切です」
福田氏「狩猟採集を行っていた時代には、大人は当然うまく弓を打ったり、槍を投げることができたはずです。そして子供はきっと大人の姿を見て、狩猟ごっこや木の実取りごっこのように遊んでいたと思うんです。それにより、弓を打てるようになったり、木登りができるようになったりした。
つまり、人は遊びを通して学んでいたのだと思います。本来遊びは生活の一部で、大人への入口でもあったはずです。かつては生活の場で仕事と遊びが混ざり合っていたものを、近年では無理やり線引きしようしているような気がします」
遊びの進化が、人間の可能性を広げる
それぞれの観点から「遊び」をどのように捉えているかを紹介された後、「遊び」は私たちの未来にとっていかなる処方箋となるのかが議論された。
佐々木氏は自身が運営する「TECH PARK」にて開催するマインクラフト(3Dブロックで構成された仮想空間の中で、ものづくりや冒険が楽しめるビデオゲーム)を扱うクラスの様子を見て、「将来的に新しい建築の設計手法を生み出すだろう」と感じたという。
佐々木氏「『学校やお城をつくる』というテーマを小学生に与えて構造物をつくってもらうと、つくり方が大人とは全く違うんです。私たちは正面や上から見た構造物のイメージを持って、土台からつくり始めることが多いと思います。
しかし、子どもたちは空間認識能力が圧倒的に高いので、真ん中からつくり始める。例えば、3Dの球体である花火も軸からつくり始めて、どこから見ても同じ形になるように立体的に制作することができるんです」
重ねて福田氏は「遊びの進化によって、人間の可能性が広がっていくだろう」と語った。ヤマハ発動機株式会社では、2030年を見据えた長期ビジョンとしてスローガン–––ART for Human Possibilities–––を策定した。「楽しさ」の追求と社会課題の解決により「人間の可能性を拡げる」ことを目指しているのだという。
福田氏「弊社の長期ビジョンにおいても、人間の可能性を広げるために『楽しさ』を大事にしていますが、マインクラフトの事例のように、遊びの中で人間の可能性は広がると思います。人々の可能性を広げるためには、遊びを進化させることが重要だと思うんです」
福田氏の発言を受けて、田淵氏は「ユニバーサル・ベーシック・インカム(全ての国民に一定の金額を無条件で給付する制度)の導入は、人々の可能性を広げる点でポジティブな選択肢かもしれない」と語った。
田淵氏「ユニバーサル・ベーシック・インカムで目指していることは、AIが対応できるような『やらなければならない仕事』から人間を開放することだと思います。つまり、創造的な仕事が増えるということ。現時点ではベーシックインカムは一部でしか導入されていませんが、世界的に実装されることになったら面白そうだし、未来はそうして創造的な世界になっていくと思います」
一方で、村松氏は「バーチャル世界での遊びが進化することで、現実世界での遊びの選択肢も広がっていく」と語った。
村松氏「茶室が誕生すると、同時代の茶人たちは創意工夫を凝らした新しい茶室をつくり、その茶室に合う道具のプロデュースも手がけていました。現代でも『自分がつくったものを見せたい』『自分がつくった建物に人を招きたい』という根源的な遊び心や、リアルで人に会うことの喜びは変わらないように思います。マインクラフトでつくった建物を現実世界に建ててみる、そこに人を呼んでみんなでお茶会をやってみる……そうした新しい遊び方がもっとできるだろうなと思いました」
ヒエラルキーからの解放。「遊び」に溢れた世界を実現するために
トークセッションの終盤では、これから「遊び」に溢れた世界にしていくための道筋について議論が展開した。まず「お金」という観点から今後の展望を語ったのは福田氏だ。
福田氏「これからの遊びとお金の関係性は、『ゲームを買います』というような、モノへの対価だけではないと思っています。地球にどんな影響があるんですか?地域課題に対してどうなんですか?……と関係する要素が複数あるはずです。お金のための遊び、遊びのためのお金など一対一の関係ではなく、周りに関係する要素について考えていかなければなりません」
続けて、「ヒエラルキーから自由になり、個人特有の美意識や価値観が反映されたお茶会を増やしたい」と展望を語った村松氏。お茶の世界には家元制というヒエラルキーがあり、現代まで引き継がれているが、最近はそういった価値観の崩壊を感じるという。
松村氏「お金を持っていれば良い道具は買えるかもしれませんが、それだけで良い茶人になれるわけではない……といった考えが浸透してきているように思います。
昔の茶人は、流派がない中で自分のお茶を表現していました。現代にたとえるなら、『自分が好きなチョコレートをお客さんに食べさせたい』『海外で買ったこの器の良さを人と共有したい』といった気持ちさえあれば、本来のお茶のマインドに近いと思っています。そうした美意識や価値観が反映されるお茶会が増えれば、より一層多様性のあるお茶が生まれ、もっと遊べる世の中になるんじゃないかと思います」
そして佐々木氏は「遊びは悪ではない、という文化を育てなければならない」と語り、トークセッションを締めくくった。
佐々木氏「遊びを良いことだと思う文化を育てる必要があると思います。そうでなければ、新しい手法や思考方法に繋がる世界にはならない。『遊ぼう』と言う人、それに対して『いいよ』と言える意識が、もっと広がったらいいなと思います」