100年後を考えるため、100年前を振り返る
気候変動、地球温暖化といった複雑で解決が難しい課題に直面している現代において、100年後はどのような世界なのだろうか。100年後の日本は、このままいくと平均気温が3度上昇し、人口も5,000万人を割り込むという予測もされている。とはいえ、今とはまったく違う社会環境を正確に予想することは困難だろう。人はどのように働いてるのか。100年後には、ロボットやAIが当たり前になる社会になっているのだろうか。それとも、まったく違う風景が広がっているのか。
未来を見通す一つのきっかけとして、今から100年前を振り返ってみたらどうだろうか。今から約100年前の1920年代を振り返ると、日本も含め世界は1918年に終結した第一次世界大戦直後の好景気が訪れていたものの、そこから一転、1920年3月に戦後恐慌が発生し、日本経済も慢性的な不況へと突入し、先行きが見えない状態に陥っていた。1920年代当時も、現代と同様に資本主義の瓦解や混乱が起きていると言われていた時代でもあったのだ。
一方、技術革新の分野を見ると、1920年にラジオ実験放送が始まり、1923年には人間の声が大西洋の横断送信を達成、1924年には写植機、無線写真電送が実現、1925年にはテレビ実験が行われ、その後の新聞やラジオ、テレビといったマスメディアの萌芽が広がる時代でもあった。
1925年には量子力学の研究が開始され、現在の量子コンピュータへとつながっている。つまり、100年単位で俯瞰すると斬新な研究や新技術が一般社会に浸透する時間軸と捉えることができるだろう。
とすると、今まさに我々が直面している様々な技術が、100年後には当たり前のものとして存在し、さらに新たな技術や価値観、可能性が広がることは間違いない。そうした時代において、働くことの意味や意義はどうなっていくのだろうか。
手触り感のあるものを求める時代がくる
農業スタートアップAGRIATの秦氏は「多くの人が農に携わる未来があるかもしれない」と話す。
人類が誕生してから今日まで続く農業。人の進化の過程において生み出した道具という技術と定住によって生まれた農耕という暮らし。これらが合わさった農業という営みは、何千年と続く普遍的な行為といえる。
農業の発展は人の営みを豊かにする歴史でもある。そして、今まさにAIやロボット、ドローンなどによって機械が一定程度の作業を代替し、大規模農業を可能にする時代へと突入している。
人が生命体として生き続ける限り必要な「食」を支える農業。機械やロボットに代替しても、なぜ人は農業に携わろうとするのか。そこには、手触り感や作るという行為の普遍性があると話す。
秦氏「AIやロボットが広がれば広がるほど、何のために働いているのか、働く実感を求める人が増えてくる。お金や職業にかかわらず、自分で何かを作る実感、自分で汗水流して作ったものを求める人が出てくるのではないでしょうか」
食料生産という業としての農ではなく、コミュニティや他者とのつながり、身体としての農。昨今では、都市型農園のような取り組みが欧州をはじめとして長らく取り組まれてきたものが日本でも注目されはじめている。生きるための農から、豊かな身体や他者との社交の場としての農という新たな姿が見えてくる。
美しさや楽しいという感情は普遍的
内科医の占部氏は100年後にも残るものとして「美への意識ではないだろうか」と問いかけた。
占部氏「美に関する研究が進んでいます。美しいと思うものは人それぞれであっても、頭のなかで興奮する部分は同じと言われています。そしてそれは正しい行いによって生まれる興奮と同じ場所とも言われています。論理的な正しさだけでなく”真善美”といったものは100年後も残るものではないでしょうか」
「真善美」とは、認識上の真、倫理上の善、審美上の美のことを指し、人間の理想としての普遍妥当な価値と言われている。人間が持つ感情や感覚という普遍性と今一度向き合うことの重要性を占部氏は説く。
登壇者の一人である久保田氏の研究分野の「ニュートリノ」は、1930年にオーストリアの物理学者ヴォルフガング・パウリによってその存在が提唱され、その後、1987年から「ニュートリノ天文学」という新しい学問が始まるなど、太陽や宇宙の謎に迫るものとして世界各国で研究が進んでいる。
久保田氏「研究とはこれまで理解していたものが当てはまらなかったり、それまでのモデルが壊れたりしたときに進歩が起きるもの。モデルはあくまで近似値であり、少しでも真理にたどり着きたいという気持ちや、新たな発見をした時に美しさを研究者は感じる。研究者はまさに美を探求し続ける存在なんだと思います」
人類がこれまで培ってきた長年の研究の礎によって新たな発見がなされ、そこから次の研究テーマへと広がっていく。研究の継承が人類を進歩させてきた歴史でもある。だからこそ「100年後も研究者は存在し続けるだろう」と久保田氏は話す。
久保田氏「研究者は知的好奇心を好きなだけ探求することが仕事であり、どんなにAIが発展しても、研究者の本質は問題の解決だけでなく問題自体を探し出すことでもあり、その点から問題の解決策を見つけ出すのは人間でしかなしえない行為だと考えています」
AIの学習とは、すでにある情報を分析し答えを導き出すことであり、それはつまり情報という過去から未来を予想することである。東浩紀氏が『訂正する力』で語っていたように、過去の再解釈を行うのが人間であるならば、過去から新たな未来を創造することこそ研究者を含めた私たち人間でしかなしえない行為であり、人間としての本質と言えるのかもしれない。
人間が人間らしい振る舞いに価値を見出す
現在進行形で発達しているAIが100年後どのようなものとなっているのか、誰も想像することは難しい。レイ・カーツワイルが言う「シンギュラリティ」がいずれ訪れる世界において、AIと私たちはどう共存共栄していくとよいのだろうか。
「もはやAIやテクノロジーが、自然資源と同じようなものになっているかもしれない」と秦氏は話す。たしかに、幼少期からタブレットを触っている世代がデジタルネイティブと呼ばれているが、我々がテレビのリモコンや携帯電話を当たり前の操作することなど、100年前の人類は想像していただろうか。それと同様に、周囲に存在するテクノロジーが所与のものとして存在する時代に生きる人類は、現在の我々が考える価値観とはまったく違ったものになっているはずだ。
そうした時代であっても、本セッションで議論が交わされたように人間本来が持つ感情や感覚は普遍的なものとして未来にも存在し続けること、人間が存在し続ける限り残るはずだ。モデレーターの坂本氏はコロナ禍をきっかけにホテルや様々なサービスや無人化・省人化になってきたことを例に、単純作業や簡易的な労働はAIやロボットに置き換わるものの、サービス体験や人と接することによる温かみといったある種の「感情労働」により高い価値が置かれてくるのでは、と話す。
坂本氏「AIやロボットを通じて効率性を高めたことで余暇が生まれ、よりクリエイティブな仕事に関わりたいと思う人は増えてくる。労働とは、効率性をとことん高めるものと、とことん非効率なものやエンタメのような楽しさ求めるという二極化になりそうですね」
AIの発展が、結果的に人間が人間らしい行為や振る舞いに価値を見出す未来に、私たちが向き合うべき課題はなんなのだろうか。
インフォーマルな経済圏で働くということ
人の普遍性や感情について議論がされる一方、100年後を考えると国や地域といった足元の問題は切っても切れないだろう。事実、日本では「人口消滅都市」という問題が指摘され、自治体そのものの存続も危ぶまれている。
内閣府や厚生労働省、国立社会保障・人口問題研究所などの推計によると、2026年には1億2,000万人を下回った後も減少を続け、2048年には1億人を割り込んで9,913万人、2060年には8,674万人、2070年には8,700万人程度になると予測されている。高齢化も進行し、65歳以上人口割合は2020年の28.6%から一貫して上昇し、2070年には38.7%へと増加するという。このままでは、人口は5,000万人を割り込むかもしれない。
住むところや国、自治体といったこれまで強固に存在していた存在そのものが揺らぎかねない時代に、働くという概念もどう変化するだろうか。
占部氏は、人類学者の小川さやか氏によるタンザニアでの調査を例にあげながら、1つの会社や組織に所属する時代ではなくなる未来があると指摘する。
占部氏「タンザニアでは、個人は何十もの職業を持っているため、1つや2つ仕事がなくなっても問題ない。フォーマルにとってかわられると考えられていたインフォーマルな経済がむしろ主流のまま多様化している。ある種の人間経済がもたらす安心の基盤は、人間らしい生活や働き方の1つの姿なのかもしれません」
また、占部氏はタンザニアのインフォーマル経済と、日本において最も自殺率が少ない徳島県南端の海部町(現海陽町)における姿を重ねあわせることができるという。岡壇氏の『生き心地の良い町 この自殺率の低さには理由(わけ)がある』や森川すいめい氏の『その島のひとたちは、ひとの話をきかない――精神科医、「自殺希少地域」を行く――』で分析されているように、海部町の互いにほどよい距離感で保たれながらも、共助によって繰り広げられるケア的振る舞いが、人間が人間らしい生活を営む可能性を示唆してくれる。
会社や組織といったものに強く依存することなく、インフォーマルな経済圏を保ちながらゆるやかな紐帯で結ばれた社会というあり方。がむしゃらに仕事をしつつ続けることだけではない、未来の働く姿がそこには見えてくる。
私たちは何を「稼ぐ」ようになるのか
AIなど技術の発展によって、生活を維持していく上で必要な最低限の食料生産をAIやロボットが担うかもしれない社会。ベーシックインカムのような生きていく上での最低限の保障をまかなうことができるかもしれない未来。仮にどのような状態になろうとも、人間が人間として生き、社会を構築していくかぎり、他者との関係性がなくなるわけではない。
これまでは、市場主導による貨幣経済によって、他者との交換が図られていた時代が長く続いてきた。資本主義が広がることにより「稼ぐ」という言葉が誕生し、同時に「稼ぐ」という言葉は”貨幣を得ること”とほぼ同義なものとして捉えられてきた。
しかし、あるかもしれない未来には「稼ぐ」という言葉の意味が多様化し、お金ではない、人との信頼やつながりを得ることも「稼ぐ」に含まれてくるかもしれない。それこそ、私たちが失いかけていた人間経済の復興だ。
もちろんそれは可能性としての未来であり、無数にある未来の1つでしかない。もしかしたら、100年後は今以上に働き続ける未来が待っているかもしれない。それは誰にも分からない。だからこそ、私たち自らがどのような未来を拓いていくのかを考え続け、実践していくしかないのだろう。
こうした対話が、より良い未来を考える1つのヒントにつながるかもしれない。