アクセシビリティという人権問題に挑む「LIFULLアクセシビリティガイドライン」

この現状を打破すべく、株式会社LIFULLは「LIFULLアクセシビリティガイドライン」を発表した。ガイドライン内の「はじめに」において

”LIFULLのプロダクトに関わる全ての人が対象です。ガイドラインを読み、背景を知り、自らの作業に取り入れていただくことを期待しています。”

とあるように、アクセシビリティに馴染みのない人でも実践しやすいような工夫が随所になされている。ガイドライン策定を率いたのは、LIFULLのフロントエンドエンジニアである嶌田喬行氏。今回は彼の話を聞くことができた。

LIFULLアクセシビリティガイドライン
https://lifull.github.io/accessibility-guidelines/

彼の姿勢は「LIFULLのすべてのプロダクトがアクセシブルになっている状態(デフォルト・アクセシブル)にしたい」という言葉が象徴している。アクセシビリティをユニバーサルデザインやインクルーシブデザインと並ぶ重要な概念として捉えており、アクセシビリティの取り組みは誰もが使いやすいプロダクトやサービスにつながると考えているようだ。これは、ソニーの製品開発における姿勢とも近い。

参考:ソニー、製品開発プロセスに障害者や高齢者らの参加を規則化。誰もが使いやすいデザインの実現を目指す

嶌田氏のアクセシビリティに対する真摯な姿勢は「ウェブサイトを作るとき、アクセシブルにしてくれというウェブの声が聞こえてくる気がするのです」(参考:フロントエンドエンジニアが組織横断のアクセシビリティ専門部署を立ち上げた)という言葉に表れている。その表現は「石の塊の内部に秘められた彫像を発見するのが彫刻家である」と言ったとされるミケランジェロや、「あの通りの眉や鼻が木の中に埋まっているのを、鑿と槌の力で掘り出すまでだ」と夏目漱石が『夢十夜』で描いた運慶を彷彿とさせる。

アクセシビリティを担う心

しかし、時代はノーコードにAI。彼のような気概を持たずとも、ChatGPTに「アクセシビリティに配慮したウェブサイトのコードを書いて」などと命令すれば十分なものができる時代も来るのかもしれない。

だが、これでアクセシビリティ対応をしたことになるのだろうか? 嶌田氏は、単にアクセシブルなコードが書ければ良いというわけではなく、「当事者に寄り添う姿勢が重要」と言う。彼がアクセシビリティガイドラインを通じて目指しているのは、プロダクトをアクセシビリティ対応させていくだけではなく、社内のプロダクトに関わるさまざまな人の姿勢を変えることでもあるようだ。

「当事者への理解やアクセシビリティへの理解は、依然として重要だと思う」と述べた。アクセシビリティは開発者としての誇りや心なのかもしれない。

ただし、この取り組みは一筋縄では行かないようだ。「『アクセシビリティは優先度が高くないから、初期リリースでは一旦据え置きにしましょう』と判断されると残念な気持ちになる。ただ、会社としてはKPIを追いかけなければならないし、やることの多さなどの大変さもある。だから、自分が手助けして、伴走することが必要。気合を入れなければいけないと実感する場面ではある」とも語っていた。

ウェブと建築のアナロジー

もちろん、現実を嘆いているだけではアクセシビリティ対応は進まない。実際にアクセシビリティをウェブ業界に普及させるにはどうすればいいのだろうか?

嶌田氏との対話は、「ウェブ業界は建築業界から学ぶことが多い」というキーワードのもと、話はウェブと建築を比較しながら進んでいく。この視点からは、建築基準法や景観保全条例など建物の安全性や意匠に関する決まりが国や地方自治体で定められているように、法律でアクセシビリティを義務化するアイデアも浮かぶ。建築士という有資格者が建築基準法を守りながらもクリエイティビティを発揮している点も参考になりそうだ。

また、建築業界は大学や企業での教育制度も充実しており、それに比べればウェブ業界は改善の余地があるのかもしれない。嶌田氏は社内の新人研修でアクセシビリティを伝えているが、社内への教育はこれからの課題だとも述べていた。歴史の長い建築業界と比べるとウェブ業界はまだ黎明期。どのように先人の知恵を後世に伝えていくのか、それを考えるのは今を生きる我々の役目。その責任は意外にも大きいのかもしれない。

ウェブのアクセシビリティ対応を進めるために必要なのは法規制か、教育制度か? それとも、技術革新が解決してしまうのか? 答えを出すのは簡単ではないが、「LIFULLアクセシビリティガイドライン」はそのヒントを与えてくれている。

受け継がれるアクセシビリティの思想

嶌田氏はインタビューの中で、自身のアクセシビリティへの意識について、以前所属していた会社での経験が大きかったと語っていた。その会社は、株式会社ツルカメ代表取締役でありデジタル庁にも所属する森田雄氏が代表を務めていた会社だ。森田氏は元ビジネス・アーキテクツのメンバーで、20年以上前よりアクセシビリティの重要性を説いてきた人物である。

ウェブは確かに歴史が浅い。建築のように教育も資格も法の仕組みも発達していない。だからこそ、仕組みが整うまで同じことを言い続けなければならない。それができなければ、大切な歴史や思想は失われてしまう。

だから森田氏は20年以上同じことを言い続けた。そして、それは嶌田氏に伝わり、LIFULLでの取り組みがはじまった。たとえなかなか日の当たらない活動であろうとも、森田氏の思想は四半世紀近い時を経て、確実に未来へと受け継がれている。

「琴には琴の歌を歌わせよ」

ところで、岡倉天心の『茶の本』では、道教に伝わる「琴ならし」という逸話が紹介されている。要約すると、琴の名手である伯牙(はくが)が、誰が演奏を試みても不調和な音しか出さない琴を見事に奏でたというものだ。

この逸話での「私は琴にその楽想を選ぶことを任せて、琴が伯牙か伯牙が琴か、ほんとうに自分にもわかりませんでした」という伯牙の言葉が、嶌田氏の「アクセシブルにしてくれというウェブの声が聞こえてくる」という言葉と共鳴するように感じる。

しかし、岡倉天心がこの逸話を引用しているのは、「楽器に身をゆだねよ」と演奏のコツを伝えたいからではない。むしろ、『茶の本』に「われわれは傑作によって存するごとく、傑作はわれわれによって存する」とあるように、芸術は作品を見る人の心があって初めて完成すると主張したいからなのだ。「心は心と語る」ともあり、芸術作品を通して芸術家と鑑賞者は心を通わせるのだから、傑作を傑作だと理解できる鑑賞者の審美眼も同じくらい重要だと説いている。

この考え方に倣うならば、ウェブデザイナーがアクセシビリティに配慮してデザインすること、そして同時に、彼らの取り組みを評価することも重要だと言えるだろう。ちなみに、取材後の雑談の中で「アクセシビリティガイドラインについて他に取材を受けたか?」と聞くと、「ない」との答えが返ってきた。彼のようなウェブの「名手」に光を当てることが我々の役目なのかもしれない。

「デフォルト・アクセシブル」な世界に向けて

嶌田氏の話を聞いてから、アクセシビリティの話題がこれまで以上に目に留まるようになった。先日はとあるニュースで、ChatGPTと画像認識を組み合わせてアクセシビリティを向上させる例を見かけた。スマートフォンのカメラで商品のラベルを読み取ると自動で記載事項を階層化して目次が作られ、目の不自由な方が原材料や賞味期限などの必要な情報に素早くアクセスできるようになるそうだ。

“ChatGPT”徹底解剖!AIと歩む未来を探る
https://www.nhk.jp/p/zero/ts/XK5VKV7V98/episode/te/QJML72VMP8/

高専発ベンチャー企業 TAKAO AI、OpenAI社/ChatGPTの技術を用いた「ドキュメントの視覚障害者対応」エンジンの試用サイトを公開
https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000002.000075218.html

アクセシビリティに取り組む人、その取り組みを評価する人。この両者が揃うことではじめて、すべてのウェブサービスがアクセシビリティに対応した未来——デフォルト・アクセシブルの世界——が実現していくのだろう。そのためにはまず、アクセシビリティを知ることからだ。知れば自然と目に入るようになってくる。嶌田氏の心とも言える「LIFULLアクセシビリティガイドライン」が広く評価される未来は、すぐそこにあると信じたい。