ざくっ。ざくっ。
足を止めると途端に、果てしない静寂がすっと広がる。心の水面まで静まっていくような、無音の世界だ。

鳥取は奥大山。小寒の夜明け前。大山に現存する唯一の宿坊を出ると、昨夜からしんしんと降っていた雪はもうおさまっていた。暗がりの中を大神山神社の奥宮へと向かう。

大山は、718年の大山寺の開山以来、約1300年にわたり修験の地として栄えてきた霊山だ。出雲風土記の国引き神話で「伯耆国(ほうきのくに)なる火神岳(ひのかみたけ)」として登場する、日本最古の神座す山でもある。かつては100を超える僧坊と3000人もの僧兵をかかえ、比叡山・高野山におとらないほど隆盛を極めたそうだ。

大神山神社奥宮は、大山寺のさらに奥にある。もともとは、修行僧のための遥拝所であったそうだが、明治初頭の神仏分離令により、大智明大権現の社殿を大山寺から分離し、現在の大神山神社奥宮となった。

足跡一つないまっさらな新雪の参道。一番乗りだ。こんな贅沢はない…と思ったら、にぎやかな先客がいた。

1,700mほどの標高で、周辺山系から孤立している大山には大型動物はほとんど入ってこない。小動物たちの小踊りが聞こえてきそうなアニマルトラッキングを堪能した。

こちらはおそらくキツネから逃げたであろう兎

そんなこんなで大神山神社奥宮に辿り着き、ご挨拶をする。境内裏にもまわろうとしたが雪深くて入り込めないので諦めて宿坊に戻ろうとしたその時、ふと何かの気配を感じた。
横をみると、脇道にキツネの足跡が続いている。

導かれるように後を追った。

ここはおそらく奥宮からの行者道だろう。雪に埋もれた樹々たちのあいだを、足跡が抜けていく。
何度か分かれ道があったが、足跡についてゆくことにした。吸い込まれてしまいそうな静けさと美しさに、なんだか背筋がぞくぞくした。

樹々は森の肺であり毛細血管だ。森という生き物の内臓に吸い込まれていくような感覚になる

1時間ほど歩いただろうか。

目の前の足跡がふと消えた。よく見ると足跡は急に道を逸れて斜面を駆け上がるように続いていた。なんだかキツネが後ろを振り返っている姿がみえるようだった。なぜだかわからないが、これ以上はついていってはいけない、と思った。
ふと顔をあげると樹々のあいまから暁の空がみえる。だいぶ明るくなってきた。もう少しで視界もひらけそうだ。キツネの足跡に手を合わせつつ別れを告げて、まっさらな雪の上をもう少し進んだ。

歩いていると、いきなり視界がひらけた。はっと息を呑んだ。一面の雪景色の中、ようやく大山さんが顔を出した。近くに立てられていた看板の地図を見ると、元谷というところまで辿り着いたようだ。

日本海をのぞむ方角にみえるのは、伯耆國鬼伝承で知られる孝霊天皇が暮らしたという孝霊山。その向こうには、出雲風土記の国引き神話において、水の主宰神オミズヌが能登から土地を引き寄せるために大山に杭をうち、引き綱とされた弓ヶ浜半島がある。そして、高志の都都岬(能登半島の珠洲岬)から土地を引いてきて縫い付けたのが三穂の埼(美穂関)、その国引きに使った綱が夜見島(弓ヶ浜)、綱をくくりつけた杭が火神岳(大山)だ。これが、航海安全や豊漁を願う、いわゆる「ミホススミ信仰」のはじまりである。

この国引き神話は、地殻変動に伴う島根半島のなりたちから大きくは外れていないのだという(岡本、 2022)。現在の島根半島がまだ島で、出雲大社のある杵築から美保関あたりまで通り抜けできる海峡だった頃、対馬海流に流されてきた渡来民や漂着民にとってこの波静かな入り海(現在の宍道湖や中海)は船休めであると同時に、出雲東部の境水道へと抜ける長大な水路=八束水であり、それこそが水神オミズヌの正体であったのだろう。国引き神話は、有史では到底扱うことのできない地殻変動の壮大な時間軸と記憶を後世に伝承するための、途方もない神語りだったのかもしれない。

日本海をのぞむと孝霊山が朝焼けに照らされていた

夜明けの空に夢うつつになりながら雪の上に倒れ込むと、そんな悠久の物語が身体に流れ込んでくるようだった。火照った身体が冷やされていく。最高に気持ちがいい。少しだけこの土地に——大山さんの懐に——つながれた気がした。

それにしても、あのキツネは一体なんだったのか。
いや、ただの足跡なのだが、妙に得体の知れない気配があった。気のせいではあるのだが、確かなことは、あの足跡がなければ、僕はここまで雪の大山さんに足を踏み入れることはなかっただろうし、導かれるようにこの景色を見ることはなかっただろう。

どこの場所でもそうなのだが、不思議なもので、誰かに案内してもらったり、みんなでわいわい一緒に歩いたりしている時はこういうことはあまり起こらない。一人になって、静けさの中で、時にはえも言われぬ畏れや不安を抱えながら、それでも何かにいざなわれるように目に見えない世界に吸い込まれていく。そんな風にその土地の風景に、その土地の根底に流れる何かに没入していった時にしか出会えないものが確かにあるのだということを強く感じる。これは、本連載「あわいと風土」のテーマでもある。

土地にはその土地固有の流れがある。だが、その地に根源的に流れる何かを自然界はやすやすとはみせてくれない。 気候風土に根ざしたそれは、世界の奥深くに隠されているか、あるいは、人がそのつながりを自ら忘却し、見えない流れを見る術を文明発展と共に失ってきてしまったか。 本連載「あわいと風土」では、筆者が各地をめぐりながら出会った世界とつながりなおす糸口や体験を、超私的エッセイとしてつづっていきたい。

そういえば、哲学者の内山節さんが、キツネにだまされるという話が1965年頃を境に急に発生しなくなったということを著書『日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか』で書かれていた。本の中では、死生観や自然観の変化、経済価値や近代合理性では捉えられないことを掴む力の弱体化、あるいは生息環境の劣化による野生のキツネ側の弱体化といったことが仮説群としてあげられていた。

森羅万象とのつながりが綻び、崩れかけていくこの世界で僕たちはこれからどう生きていくのか。どのように関係を結いなおし、生命の連環の中で生きる実感や社会の有り様を再生成していくことができるのだろうか。

この時は、あのキツネが、この土地が、そんな問いかけに呼応してくれるとは思ってもみなかった。

後編はこちら

参考文献:
・岡本雅享著『越境する出雲学』(筑摩書房、2022)
・内山節著『日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか』(講談社新書、2007)

大山の分厚いブナの腐植土や地下水脈を抜けてポンプのように山から湧き続ける天の真名井