正しいビジネスとはなにか、戦略理論の変化の兆し

JFBSの会長、岡田正大氏(慶應義塾大学大学院・教授)の挨拶から研究会は始まった。今回のテーマであるJUST BUSINESSという言葉は、国連の人権理事会で2011年に認められた「ビジネスと人権に関する指導原則」の起草に携わった、ハーバード大学ケネディスクール教授のジョン・ラギー氏の著書に由来する。戦争も感染症も収束しない現状に触れ、「人と市場と社会」の関係性に意識を向けることへの社会的機運の高まりを、岡田氏は感じていた。本研究会を、活発な議論の場にしたいと述べ、早速、自身の専門である戦略理論について講演を始めた。

戦略理論は、経済価値中心の価値創出からステークホルダー中心の価値創出への転換期にある。そう話してすぐ、岡田氏は、戦略理論の有名な研究者にマイケル・ポーターの名をあげ、ポーターの次世代研究者であるバーニーに指導を仰いだ経歴に触れた。有名な名前が出ると、CSV(Creating Shared Value)やRBV(Resource Based View)など企業戦略の概念やフレームワークが思い浮かぶ。

話をもとに戻し、戦略理論の伝統的な考えが紹介された。戦略理論では経済価値、つまり、企業が生み出す株主資本価値をいかに高めるかがゴールだった。言い換えるならば、持続的競争優位、つまり、ある業界で、ある企業が、同業他社にはあげられない成果を出し続ける状態をつくることを目指してきた。この考え方を前提として、戦略理論の研究者は実証研究を重ねてきたと岡田氏は語った。

昨今の社会変化を受けて、戦略理論も変容しているという。バーニーがその変化に関する草稿を書き始めたのは2015年で、論文が世に出たのは2018年だ。戦略理論の変化はどこから生まれたのか。それは、経済価値の最大化というゴールのもと、ステークホルダー理論の重要性を踏まえて経営資源を最適配分する試みのなかで生まれたものだった。

ここで、伝統的な戦略理論とステークホルダー理論の違いが紹介された。わかりやすく図示されたスライドで、両者が目指すものにおける違いが強調されていた。

(岡田氏の発表用資料から)

伝統的な戦略理論では、企業は持続的競争優位、つまり、業界内で競合企業のあげられない利益を出し続ける状態を目指す。

ステークホルダー理論が目指すゴールは、株主の利益最大化も含むが、それに加えてコミュニティに対する貢献、地球環境に対する貢献もある。社員、サプライヤー、そのほかの利害関係者を複合的に捉え、全体の満足を目指していこうとする考えだ。

ここで、岡田氏は一つの問いを紹介した。そもそも、なぜ伝統的な戦略理論を企業社会の前提にしてきたのか。1962年に公開された「資本主義と自由」(フリードマン)によると、株主価値最優先の考えは東西冷戦を背景に主張されていたことがわかる。冷戦前、つまり1950年代には、企業が利害関係者にアプローチすることは十分認識され、企業経営の社会性を強調する会計分野の文献すら存在する。ステークホルダー経営は株主最優先主義に変わり、またその時代の振り子が戻ろうとしている。人類の歴史において、企業をめぐる価値観は時代とともに変遷することが確認できた。

伝統的な戦略理論の矛盾、新たな正義は価値分配の公正性

2018年に出した論文で、バーニーは価値創出と価値分配のあいだに矛盾を見出し、多様な利害関係者を考慮する視点の欠陥に問いを投げかけた。

「本当に、株主だけが資源提供者の中で最も大きなリスクを負い、それがゆえに唯一の残余請求者なのだろうか?」(Barney, 2018)

この問いを理解するには、固定請求権と残余請求権の理解が必要だ。

固定請求権とは、製品やサービスの供給によって将来生じうるすべての条件が、その条件の生じうる不確実性に基づいて記述されている契約取引が想定される。たとえば、自動車用の部品の納入量と納入期限、量に対する対価に加えて、納品遅延や不良品といった不確実性の補償と費用負担が事前に明記された契約(完備契約)のことだ。

残余請求権とは、将来に実現する経済的利益の有無や多寡によって対価が変動する取引が想定される。不確実性が高いときに適切で、固定請求権者への支払いを終えたあとの残余利益を分配して対価が払われる契約(不完備契約)になる。

バーニーの問いを解釈すると、次のようになる。

株主に対する価値分配は、常に業績に連動し、不確実性にさらされている。つまり、残余請求権による契約(不完備契約)が適切だ。加えて、これまでは固定請求権を行使していた社員やサプライヤーも、不確実性のもとで価値創出に貢献しているとも言える。つまり、あらゆるステークホルダーは残余請求権の行使者に該当するのではないか、と。この場合、価値分配の複雑性が増すことになるが、現実をよりよく反映しているのではないかという問いと言える。

(岡田氏の発表用資料から)

岡田氏はここで、ステークホルダー理論が想定する「正しいビジネス」を考えようと論を展開した。

フリーマンのステークホルダー理論(1984、1994)を読み解くと、彼が想定するビジネスの倫理、道徳、正義がなんの系譜を受け継いでいるかが整理できるようだ。岡田氏は、ロックやルソー、ホッブスといった17世紀から18世紀の社会契約説を基盤に、現代政治哲学の礎を築いたロールズ(1971、1993)の正義論に基づいているとする整理を紹介した。

これらを踏まえると、ステークホルダー理論の倫理性は、近代自由主義の系譜を継ぐ「自由権の平等な保障と分配の公正性という正義」に基づくことになる。つまり、すべての人に基本的人権(ファンダメンタルライツ)があり、もちろんそこには経済活動の自由が含まれている。そして、個人が自由を行使するために公正な分配が担保されるべきだとされる。

戦略理論の研究者にはさらなる研究が残されている。岡田氏はその一人として、ステークホルダーを考慮した公正な分配を目指し、ビジネスと倫理を別にしようとする考えからの脱却を試みていくことを表明した。

「公正な分配」のこれからの課題

岡田氏はここまで、バーニーのステークホルダー理論を支持してきたが、講演の終わりに、2018年のバーニーの著作の限界を示し、今後の研究課題を提示した。

バーニーによれば、

・ステークホルダー経営資源論は、経営行動の倫理的意義をその理論構造の中に持たない
・ステークホルダーの中に倫理や社会的責任に関心の高い者が偶然含まれている可能性はあるが、正反対の考えを持つステークホルダーが存在することもある
・ステークホルダー経営資源論は、経営行動の倫理性や社会的責任を全うするような意思決定を説明する理論ではない

しかしそこでバーニーが想定している「倫理」とは、神の世界から見た人間行動の規範のようなものであり、ステークホルダー理論が元来包含する「取引における公正性」が想定されていないようだ。伝統的な戦略理論は、ステークホルダー理論を導入したことで実は自然とそれらを受け継いでいるはずである。ステークホルダー理論には、ビジネスと倫理の言説は分離可能であるという「分離命題」を否定する課題がまだあるが、実はそれは解消する方向にあると結論づけた。

理論研究には実証研究も大切だ。岡田氏は、実証研究を通じて以下の問題を解決していく必要があると問題提起し、講演を終えた。

一.ステークホルダーの範囲を設定するための理論構築
直接的な取引だけでなく、地域社会、自然環境、各種政府、ロビイングを行う団体等を広くステークホルダーとして考察対象とし、包括性の高い枠組みをで理論を構築していく

二.ステークホルダーによる価値創出の貢献をどのように定量的に評価するか
価値分配の公正性を保証するために、各利害関係者の寄与度を測定する方法を確立し、共有していく

編集後記:ステークホルダーによる事業貢献をどう評価するか

岡田氏が最後に残した課題は、会社経営者が気になるものだ。特に二つ目は、社員の給料を算定したり、会社経営の施策を打つ際にも悩みの種となっているだろう。ここでは、ステークホルダーによる事業貢献の評価に関して、身近な例を用いて考察する。

貢献には、色々な種類がある。会社にとって一番分かりやすいのが、顧客への営業や投資家との交渉によって会社の金融資本を直接豊かにすることだ。そのわかりやすさ故に、プロフィットセンターは営業部門が真っ先に思い浮かび、続いてデジタルマーケティング部門、経営企画部門などが位置づけられる。

金融資本のほかにも、会社で豊かであることが歓迎される資本がある。まず、業界の環境変化や技術開発の最新の潮流を調査し、経営の意志決定の精度をあげるための知的資本。知的資本は、それ自体を商材にして売ることもできる。また、人とのつながり、いわゆる人脈を指し示す社会関係資本。これはどの領域の企業にも共通して大切だ。

社会では、金融資本と交換しやすいものが評価されやすく、交換しづらい資本は評価されてこなかった。しかし、不確実性が高まることで、その状況も変化するだろう。コストセンターに該当してきた法務部門は、新規事業の経営戦略に欠かせない。人事部門は、人的資本経営として経営戦略に位置づけられている。そして組織文化は、社員が長期にわたり会社に勤め、力を発揮するための大切な資本であり、経営者の器が現れるがゆえに経営テーマだ。

岡田氏は「定量的に評価する」ことに重きを置いていた。会社経営者が、日頃どのようにこれらを評価するかが問われてくる。引き続き、探究を進めていきたい。