唐紙を現代でも愛してもらえるように
唐紙は、文様の彫られた板木により和紙に写し取られた美しい装飾紙のこと。寛永元年(1624年)に京都で創業した約400年続く日本唯一の唐紙屋、雲母唐長(きらからちょう)を継ぐ唐紙師がトトアキヒコ氏だ。
時代の変化に伴って衰退の兆しが見えていた唐紙。その世界とは縁遠かった人生を歩んできたからこそか、トト氏は客観的な視点から唐紙の課題を見つめ、斬新なアイデアで唐紙の新しい道を開拓していった。15年前の話だ。
「より多くの人に唐紙を愛してもらえる環境をどう作るべきか?僕が導きだした答えは、唐紙から和室と襖の枠(制限)を取っ払うことでした。元来、和室がメイン舞台だった唐紙を”現代の美(アート)”に昇華することで、和室の有無や国籍に関係なく、あらゆる人に暮らしを彩る芸術の一つとして受け入れてもらえたらと思ったんです。文様を写し取るものも、和紙に限定しなくてもいい。唐紙の大事な要素である文様は単なる装飾ではなく、一つひとつに物語が宿っています。そんな文様をもっと身近に取り入れれば、より人々の暮らしを豊かにできるのではと考えました」
伝統的な襖や壁紙、寺社仏閣の文化財の修復など、代々続いてきた唐紙屋の仕事を守り続ける、“古”き良き伝統の世界。唐紙をアートに昇華し、現代に愛される唐紙をつくる、“今”の世の新しき美の世界。雲母唐長が受け継いできた文様を用いて、和紙以外の異素材や異業種とのものづくりを進める、“異”なるものとの融合する世界。
古、今、異。3つの世界観を軸に、雲母唐長では幅広い取り組みを行っている。
過去の祈りに向き合って、見えてくるもの
「新たな種を創出したり、異なるものと融合したりすることで、昔ながらの唐紙にも光が当たるように。古きと新しきの融合により上昇気流を巻き起こすイメージで仕事をしています」
雲母唐長の取り組みの根底にある思いを、トト氏はこう語る。唐紙を後世へ遺すための挑戦に奔走しつつ、400年も継承されてきた唐紙の歴史へのリスペクトを忘れない。未来へ祈りをつなぐためには、過去の祈りにも向き合う姿勢が大切だという。
「代々受け継がれた板木を使うときは、お香を焚き、数珠をつけてお話をするんです。『残ってくれてありがとう』と。厳しい世でも命懸けで板木を守り抜いた人たちがいたことを、忘れないために。懸命に守られ回ってきたバトンに自分なりの力を加えることで、未来につながっていく。過去、現在、未来の時間軸で考えて初めて、見えることがあるはずです」
唐紙の過去と向き合い、未来を見据えたトト氏に見えてきたのは、文様が持つ力だった。漢字研究家である白川静氏の「文字には呪能(※)がある」という言葉と出会い、文様の見方が変化したそうだ。
「『文様にも呪能が宿るのでは』と直感的に感じたんです。昔の人が文字に意味や物語を込めたように、文様にも昔の人の願いや祈りが込められている。そう考えるようになってから、単に『縁起がいい』『美しい』だけではない、文様の物語をお客様にも語るようになりました」
※ 白川静氏による造語。呪いに限らず、お祝いなども含めて何事かを実現する不思議な力。
例えば、雲の文様にはどんな意味が込められているのか? 「雲は雨を降らすから、実りと豊穣をもたらす。雨が降ると人の足が留まるため、そこに人が集まりやすい」という意味が込められてるのではと、トト氏は推測する。
そうした物語を語るようになってから、お客様も文様の見た目だけでなく、文様に込められた物語も含めてより愛着を持って接してくれるようになったそうだ。
祈りを込めた種は、未来世代に信じて託す
八代先の子孫を意味する言葉に「雲孫」がある。江戸時代から伝わる板木に雲をモチーフにした天平大雲という今や唐長を代表する文様があるのだが、トト氏はそれを独自に再解釈して、雲孫の意味を加えることにより、新しい文様を生み出した。
八つの陰日向の雲が織りなす同文様の名前は、「雲孫令和」。「八代後に思いを馳せ、唐紙を通じて人々のしあわせと世界平和を祈りこの文様を生み出した人間が存在したことを伝える徴になれば」という願いが込められている。
過去に八代先の子孫を思って祈りを文様に込めてくれた人がいたように、トト氏もまた未来に文様という種を遺すため、新しい挑戦を始めた。「平成-令和の百文様」プロジェクトだ。
「先祖代々守り伝えた600枚を超える板木に、新たな100の板木を加え、100年後の未来にも唐紙の文化を継承しようという試みです。現代の祈りや願いが込められた文様を、現代に生きる人々ともコラボレーションしながら生み出しています。現在、50近くの文様が新たに作られ、100枚の内、60%以上がコラボレーションによって、10%は公募から誕生することになります」
フランス・パリの老舗パティスリーと共作した薔薇と菊の文様。大丸京都店のスタッフ100名によるアイデアから選抜された、「大」の字をモチーフにした文様。ダイヤモンドの一大産業地でもあるベルギーの企業と生み出した、ダイヤモンドの結晶をモチーフにした文様。
そのどれもが、現代を生きる人ならではの祈りを静かに宿している。
ここで、参加者からこんな疑問が浮かび上がった。「自分たちの祈りが未来にちゃんと届くのか、込めた願いが正確に伝わるかは分からない。そこにどう向き合えばいいのだろうか」と。
「だからこそ、文様は未来に遺す“種”だと思っている」のだと、トト氏は言葉を続けた。
「どう育つかどうか分からないのが、種。さっさと育つ種もあれば、ゆっくりと芽を出す種もある。何十年も見つけられず、50年後に花を咲かす種もあるかもしれない。未来世代に必要とされるか、活かされるかは100%コントロールできませんから。種に込めた祈りや願いも、時代ごとの解釈があっていい。それを受け止める寛容さが大事なんやと思います。種を遺すことを決して諦めず、遺したあとは未来の人に信じて委ねるのはどうでしょう」
その軽やかな提案に、参加者の間で安堵が広がるのを感じた。種の行く末を案じすぎるより、まずは自分なりの祈りや願いを種に込め、遺す姿勢が大事なのだと。未来に種を遺すための心持ちを学んだ初日。トト氏の話を振り返りながら、こんな問いが湧き上がる。
わたしにとっての種は何だろう。どんな祈りや願いを未来に遺したいのだろうか?
100年後の未来につなぐ文様を考える
翌日、「平成-令和の百文様」に加わることを想定した、100年後の未来につなぐ文様を考えるワークショップが開催された。
具体的な文様を考える前に、まずは「わたしたちは今どんな時代を生き、何を感じているのか?」を整理する時間が設けられた。考えやすくするために用意されたのは、架空の設定。
その時代を生きる人たちのリアルな目線で時代を記録する「時代ミュージアム」には、「時代年表」が展示されることに。自分がその作成メンバーに選ばれたと仮定して、令和の時代を俯瞰的に捉えたり、自分の感情に見つめたりして思い浮かんだことを付箋で書き出してみた。
「令和の時代に起きた印象的な出来事」や「社会的に問題になっているトピック」、「今だからこそ見えている景色」など、現代を客観的に見つめる項目は迷わず書けるものの、「この時代を生きるわたしたちの希望や願い」「未来にどうなってほしいか」という自分の祈りに向き合う項目は、どこか記入が鈍る様子の参加者たち。
「平和」や「国力回復」など、筆者も思いつく単語を書き出してはみたが、本当の祈りは別にあるような、真の祈りは見つけられていないような、もどかしい心地がした。
だが、次の瞑想ワークで心境は大きく一変する。
「あなたが未来にどうなってほしいと祈るのか、何を種として遺すのか、自分の内側から湧き上がってくるものを大切に見つめていきたいと思います」
そう前置きされたのち、参加者は目を瞑り、深呼吸をして次の物語に耳を傾けた。
あなたにとって身近な小さな子どものことを思い描いてみてください。彼らがあなたに親しみと温かい気持ちを抱かせる要素の一つを考えてみてください。笑顔かもしれないし、彼らとの思い出かもしれません。握った手かもしれません。
それではちょっと時間を進めて今、思い起こしていただいたお子さんの40年後を想像してみてください。彼らは今何歳でしょうか? 親しみや温かい気持ちを抱かせる要素は、40年後どうなっているでしょうか? 残っているでしょうか? あなたと関わったことのある子であれば、その子とあなたとの関わりの時間は彼らの中に何を残しているでしょうか?
さらに時間を進めて彼らの100年後を想像してみてください。あなたの中に親しみや温かい気持ちを抱かせる要素はそのとき、どのようにして彼らの中に存在しているでしょうか? 彼らはどんな風貌をしているでしょうか? 彼らが生きている時代はどんな時代になっているでしょうか? 世界はどんな景色でしょうか?
その人が100年後の今「時代ミュージアム」にやってきました。その人は誰かと一緒に来ています。誰と一緒に来ているでしょうか? その人はにっこりと笑ってあなたの写真を見つめ、一緒に来た人に何やら話をしています。
あなたはこの年表を作成した後、未来を望む姿にしていきたいと祈り行動したおかげで、確実に世界があなたの望む方向に近づいた。そのことにすごく感謝を抱いているのです。あなたの望んだ世界で彼らは生きています。
彼らは何についてあなたに感謝をしているのでしょうか? あなたは未来何を望み、どんな種を残そうとしたのでしょうか? あなたが未来に残した遺産と繋がりましょう。
筆者の脳裏に浮かんだのは、100歳になった息子とその家族だった。息子は小さい頃から「どんなあなたでも素敵だからね」と声をかけられ育った影響で、家族にも同じ言葉をかけ、家族みんながお互いの個性を尊重しあえている。自分の「好き」を誰にも否定されない環境のおかげで、生き生きと笑っているみんな。「多様性が受け入れられる未来」を望んでくれた自分に感謝してくれていた。
人とのつながりを忘れない未来、世間の当たり前に縛られない未来……「ああ、自分は心の奥底でこんな未来を願っていたのか」と、筆者も含め、瞑想を通じて多くの参加者が「潜在的な祈り」に気づいた様子だった。
最後にワークで出てきた要素をもとに、グループごとに文様を考えてみることに。筆者が参加したグループでは、「人とのつながり」「多様性を包み込む」「循環する」といった言葉から連想して「つなぐ手」が有力案としてあがった。
「コロナ禍」や「微生物によるいのちの循環」から着想して「蕨(わらび)」や「菌」というアイデアがあがっていたグループも。初日は「唐紙や文様のことは何も知らない」と話していた参加者の多くが、真剣に文様のデザインを考え、文様が持つ力に惹かれ始めている様子が何よりも印象的な時間だった。
あらゆるアイデアが机の上に出そろったところで、「これをどうまとめるか。シンプルにしたほうが、デザインとしては綺麗なのか?」という疑問が投げかけられる。文様の講評にかけつけてくれたトト氏は、少し考えた後にこう答えてくれた。
「唐紙は“不揃いの美”なんですよ。和紙も一つとして同じものはないし、絵の具の調合も刷るたびに絶妙に変わる。古くなった板木が欠けることもありますが、そうした不揃いさも含めて美しいんやと思います。それに、“わたしたちのいろんな祈りが混ざっている文様”は、『Weのがっこう』という名前とも合っていると感じます。令和にこんなに多くのことを祈ってくれた人たちがいたのかと、そう気づいてもらえたらいいですよね」
こうして2日間にわたる「わたしと未来・子どもたち」のモジュールは幕を閉じた。この場で考えられた文様は、デザイナーさんの協力のもとで、後日完成したものが披露される予定だ。
今日はどんな希望を未来に託そうか
「伝統工芸師でもなければ、総理大臣でもない。そんな自分が未来に祈りを、種を遺すために日々の暮らしの中でできることはあるのでしょうか?」
初日、トト氏の話を聴き終えたあとに、そんな問いを投げかけた。自分の祈りを何に込めて未来に託せばいいのか、どうしても思いつかなかったのだ。トト氏は少し考えたあとに、「種は人に宿すこともできると思うんですよ」と語ってくれた。
「朝起きて、子どもと一緒に空を見上げる。『今日はいい天気やね』『雲が綺麗やね』と、その日の空を記憶し続けると、1年で365、10年で3650の同じ記憶を子どもと共有することになります。忙しない日々の中でできることは限られるかもしれませんが、どんなに些細なことも共有し、積み重ねた先には何かしら実になるものがあると、僕はそう信じているんです」
もしかしたら、自分は「未来に種を遺す」ことを壮大に捉えすぎていたのかもしれない。トト氏の言葉を聴いて、肩の力が抜けていくのを感じた。例えば、子の成長を喜び日記をつけたり、何気ない日常を写した写真を残したり、身近に遺せる種はたくさんあるのかもしれない。
土曜の昼下がり、息子は公園を散策している。足元に咲くのは、たんぽぽの綿毛。ふいに、息子が手を伸ばし触れると、綿毛は散り散りに舞い上がった。種はどこまで飛んでいくのか、行先で花を咲かせられるだろうか。その行方は、種のみぞ知る。
「種は希望そのものやから」
息子の小さな手を握りながら、トト氏の言葉を思い出す。
さあ、今日はどんな希望をこの子に託そうか。