鼎談者プロフィール:


樋口恭介
SF作家、会社員(外資コンサル会社のマネージャー)。単著に長篇『構造素子』 (早川書房)、評論集『すべて名もなき未来』(晶文社)。その他文芸誌等で短編小説・批評・エッセイの執筆。アノン株式会社ではCSFO(Chief-Sci-Fi Officer)を務めている。

森竜太郎
アノン株式会社代表取締役。UCLA卒業後、インターネットメディアやサービスのデザイン及びグロースに従事。その後、培養肉開発を進めるインテグリカルチャー(株)の創業CFO/CMOを経験。上場企業複数社との提携を推進し、官民から3億円を調達。並行して空飛ぶ車を開発する CARTIVATORの事業責任者を兼務。トヨタ系15社などからの協賛金獲得に貢献。

モリジュンヤ
株式会社インクワイア代表取締役 / UNLEASH編集長。1987年岐阜県生まれ。2010年より『greenz.jp』にて編集を務める。2011年からフリーランスとして独立後、『THE BRIDGE』などの編集を経験。2015年にinquireを創業。NPO法人soar副代表 / IDENTITY共同創業者など。

SFプロトタイピングとの出会い

樋口:今回の座談会は、SF作家のぼくと起業家の森竜太郎さん、同じく起業家であり編集者でもあるモリジュンヤさんとで、SFプロトタイピングの可能性について語り合おうというものです。はじめに、それぞれの自己紹介とSFプロトタイピングとの出会いについて話したいと思います。まず、森さんお願いします。

森:ぼくはアノンという会社の代表を務めています。アノンはSFプロトタイピングを使って企業の未来ビジョンや戦略づくりをお手伝いする、ちょっと変わったコンサルティング会社です。

もともとは空飛ぶ車を開発するCARTIVATORの事業責任者をやったり、牛の筋肉細胞から培養食肉をつくるベンチャーをやったりしていました。そのときに、SFからインスパイアを受け、科学者や投資家とともにそのビジョンの実現を目指すということがたびたびありました。そこでSFを活かしたプロセスを形式化する方法はないかと調べていたとき、インテルのブライアン・ディビッド・ジョンソンがSFプロトタイピングという手法を使っているという話を知ったのです。ジョンソンはいわゆるフューチャリストで、半導体をつくるときに10年後の未来から逆算する必要があるということを言っていました。

さらに調べていくと、SciFuturesという会社がSF作家の人と一緒に企業のコンセプトデザインを支援するという事業をやっていることを知って、自分もやってみたいと思うようになりました。日本のSF作家でこういうことに興味を持っている人はいないかと思ったら、樋口さんがnoteにSFプロトタイピングについての記事を書いていらしたので、すぐに声をかけました。Chief Science Fiction Officerに就任していただいて、一緒に仕事をしています。

樋口:そうですね。ぼくがSFプロトタイピングに興味を持ったのは、コンサルタントとしてテクノロジーを用いて未来を描くことと、SF作家として作品をつくることとはどのような関係にあるのだろうかと考えたことがきっかけです。それでクリティカルデザインやスペキュラティブデザインといった未来志向型のデザイン手法について知り、SFプロトタイピングについても考えるようになりました。それをnoteに書いてはいたものの、自分で事業化することは考えていませんでした。そんなスキルもありませんからね。そこに起業家として森さんが現れたというわけです。

モリジュンヤさんとは、UNLEASHにエッセイやコラムを寄稿させていただいているという関係ですね。UNLEASHは未来の複数性や社会の多様性を大事にしているなと思って、今回の座談会企画を持ちかけました。

モリ:ありがとうございます。まさにやりたいことを言ってもらった感じがします。これまでぼくが編集者として経験してきたメディアは、デザインならデザイン、テクノロジーならテクノロジー、ソーシャルセクターならソーシャルセクターといったかたちで、それぞれの領域を専門的に扱ってきました。それに対して、UNLEASHではそれらを横断して取り上げるようにしています。いろいろなジャンルを束ねて文脈を可視化することで、初めて10年後の未来が見えてくると考えているからです。

そういうわけですから、ぼく自身はSFプロトタイピングの専門家ではありません。しかし、未来を実験的に想像するための方法のひとつとしてSFプロトタイピングに期待できるのではないかと考え、今回の座談会企画を引き受けました。

「隠れた未来」を発見する方法

モリ:SFプロトタイピングに取り組むおふたりに聞いてみたいと思っていたことがあります。オランダのジャーナリスト、ルトガー・ブレグマンが著書『隷属なき道』のなかで投げかけている「経済的な豊かさによって中世的なユートピアは本当に実現するだろうか?」という問いについてです。

ぼくはこの問いにポジティブに答えることは難しいと考えています。かつてであればカリフォルニアン・イデオロギーのように、テクノロジーの発達によって未来が豊かになるという希望を託す思想がありました。しかし、いまは楽観的に未来を考えることは難しい。現代はいきすぎた資本主義と、それと相性の良いアーキテクチャやナッジに囲われています。このままでは、人間が人間らしく生きられる世界には到達できません。SFプロトタイピングは、こうした状況に介入することができるでしょうか。

樋口:重要な問題提起だと思います。まず、SFプロトタイピングという言葉にそれほど囚われないほうがいいかもしれません。先ほど森さんが紹介してくれたジョンソンが書いた『インテルの製品開発を支えるSFプロトタイピング』を読むと、かなり技術中心主義的で、カリフォルニア・イデオロギーに毒されているところがあります。SF作家としては、彼が目指しているSFが19世紀後半から20世紀前半のものばかりだということが気になります。この頃のSF作家が考えていた未来は、ロボットによる仕事の自動化とか、人類がみんなネットワークでつながって集合知的に発展していって差別がなくなるとか、そういったものが多い。でもそういうのって、今では現実になりつつあるので、わざわざ今さらぶち上げるようなものでもない。SFプロトタイピングは、こういうものを目指してはいけないと思います。

SF作家のウィリアム・ギブスンは「未来はすでにここにある。ただ、行きわたっていないだけだ」という有名な言葉を残しています。ぼくもこれに共感します。いま見えているものではなくて、隠れているものが未来だと思うのです。たとえば、いまは男性中心主義社会だから男性はこうすべきだ、女性はこうすべきだという規範意識がありますよね。こういった現在明らかになっている固定化された社会階層や構造はいっぱいあります。ジョンソンのような技術中心主義/限定的な合理主義では、これらを強化することになってしまいます。社会的な役割分担から一度離れ、隠れた未来を追い求める手法として使うことができれば、SFプロトタイピングには可能性があると考えています。

森:ぼくが日本企業の新規事業企画室に対してコンサルティングをしていたときに、まさに樋口さんの言うように、既存のものをどのように改善するかしか考えられない状況を目の当たりにしました。

ですから、私がやっているSFプロトタイピングの手法は、SFを書いていくプロセスのなかで、クライアントに自身のタガを外してあげることを大切にしています。それによって、会社や社会のオルタナティブな未来をつくることがゴールです。そのためには、樋口さんのようなぶっ飛んだお話をされるSF作家の方を、必ずプロセスのなかに入れることが必要だと考えています。どういう方法論であっても、頭の硬い人たちばかりでやっていては意味がありませんから。

メソドロジーに囚われず、組織を変える

樋口:企業人であっても、自分なりに勉強している人であれば、ティール組織のようなチームのつくり方や、アジャイルな仕事の進め方を知っているでしょう。しかし、現実的にそういう人はごく一握りですし、そういった方法を広めようとしても、組織の力によって、あっという間に形骸化してしまいます。いま菅政権がガバメント・アズ・ア・スタートアップと言っていますが、これも本当に実現するか疑問です。組織を変えられなければ、難しいでしょう。

重要なのは、個別の方法論に囚われず、組織や社会を改変可能なものとして扱うという考え方を人々の間にセットアップすることです。ただ、そんなことを万人ができるわけではない、そこでフィクションの力を借りてはどうか? SFプロトタイピングという言葉にぼくが込めているのは、そういった思いです。

モリ:デザイン思考のような方法論も、本来はそういった思想に基づいたものですよね。しかし、流行するにつれて、本質的な部分への理解が薄れ、ブレストのやり方みたいな形式論になってしまう。

樋口:共感します。IDEOがもともと言っていたデザイン思考では、子どもが砂場で遊んでなにかをつくるとか、なんとなくつくってみたいから原始的なプロダクトをつくってみるとか、そういった話が重要だとされています。しかし、モリさんがおっしゃるように、流行るとその部分が消えてしまって、単なるメソッドになるわけです。

SFプロトタイピングも同じことになってしまうかもしれませんから、あんまりこの概念やメソドロジーにこだわりすぎないことが重要だと思います。具体的に言えば、この言葉に飛びついてきただけで、組織や社会を変えたいと真剣に考えていないお客さんは断らないといけないなと思います。そういう会社の場合、やったはいいものの問題提起に終わってしまったり、こういう新しい手法に挑戦していますよという先進的なイメージを喚起するための、単なる広告や広報のツールになってしまったりします。組織の文化や階層構造を根本的に変えたいと願う企業のためのツールになることが重要です。

モリ:SFプロトタイピングは事業として成立しなければ広まらないけれども、逆にビジネスとして実装できるのであればそれはSFというより単なるビジネスになってしまうかもしれない。このジレンマを乗り越えるために「組織を変える」ということが鍵になってくるわけですね。

樋口:そうですね。大きく古い会社を変えることは難しいかもしれませんが、新しく生まれる小さな会社にSFプロトタイピングのような機能があらかじめバンドルされている状態をつくることはできるのではないでしょうか。モリさんがやられているUNLEASHのようなメディアには、そういったことを促す機能があると思います。

モリ:そうですね。ただ、いまのメディアは答えが出ていない、まだこれからどうなるかわからないような話はあまりしないんですよね。瞬間的に、人々が理解でき、反応できる話題ばかりを取り上げる傾向があります。その原因は、樋口さんがおっしゃったような古い組織にウケなければメディアビジネスが成り立たない状態になってしまっているからです。ぼくはこういう状況に抗いつつ、会社を成長させていきたいと思っています。

樋口:自分が会社で働いているなかでも、スライドのなかでWIREDのような尖ったことをやっているメディアが引用されることはほとんどありません。50年、100年と続いている会社のウェブサイトで、この記事のURLが引用されるような世界になるといいのですが(笑)。

森:SFプロトタイピングが機能するような新しい組織をつくるために、ぼくは会社に投資家を入れないようにしています。利益を求める投資家が入ると、既存の株式市場のゲームに参入しなければなりません。自分が100%オーナーになることで、不可能を否定しない人たちが集まる場をつくりたいと思っています。これまでベンチャー企業をやってきた人間だからこそ、子どもを見るような目でSF的なプロダクトをつくってきた人たちが、投資家に社外取締役を送られて一気につまらなくなる例をたくさん見てきました。自分はそうなりたくありません。

モリ:インクワイアも、自分が100%オーナーですね。事業成長は悪いことではなく、重要なことですが、たしかにいまの株式市場のルールに合わせるやり方では、想像力を喪わずに成長するのは難しいですね。イーロン・マスクくらいの規模になれば別かもしれませんが。経済的なルールも変わってくと思うので、既存のスタートアップのルールに囚われず、新しいやり方を探りたいですね。

社会運動としてのSFプロトタイピング

樋口:話を飛ばしてしまいますが、ぼくの実家は岐阜にあるのですが、最近父に教えてもらったところによれば、そこに林野を持っているらしいんですね。僕は見たこともないし、利益を生んでいるわけでもないのですが、枝が伸びてくるとよくないので、ときどき切っているらしい(笑)。この林を使ってなにかできないか、SFプロトタイピング的な発想で考えられないかなとか思ったりもします。

モリ:おもしろいですね。ヒントになるかわかりませんが、最近友人や知人でも田舎に土地を買おうとする人が出てきています。数百万円で土地と家が買えてしまう。彼らは、自分たちのつくりたい空間や村をつくろうとしています。人気があるエリア、地価が高いところではできない実践が、地方ではできるわけです。

森:トヨタが静岡でやろうとしている新しいスマートシティ構想「ウーヴンシティ」もそうですが、意志のある経営者が地方を変えていくのはおもしろいですよね。
海外に目を向けると、ぼくがアメリカのバークレーに住んでいたとき、地域のなかにコープ(生活協同組合、生協)が大量にありました。住人たちが入り乱れていてカオスなんだけれども、彼らなりのルールがある。カオスとルールの間で楽しんでいる姿が印象的で、日本の組織や社会にもそういった新しい秩序が生まれてくると面白いなと思いました。

モリ:日本では生協が形骸化してしまっている面もあると考えています。最近、『WORKSIGHT』編集長の山下さんから、「手触り感のある仕事」についての話を伺いました。自分の仕事は何につながっているのか、誰を喜ばせるものなのか。今の仕事は、そういった手触りがなくなってしまっている。デイヴィッド・グレーバーの言う「ブルシットジョブ」のようなものから離れること。生協のような協同組合モデルは、こういった仕事に対する手触りを生み出す仕組みなはずなんです。

私は、こういった新しい協同組合のあり方や社会的連帯経済、プラットフォーム・コーポラティズムのような発想はおもしろいと思っています。こうした仕組みは、ティール組織のような人の自律性を求める、参加型の新しい組織のあり方にも通じる部分があります。組織のあり方、会社のあり方を妄想するしていく上で、そもそも株式会社の枠組みから離れて実験をしたほうが楽しいのではないかと。

森:共産主義だって、一回しか実験していないわけですからね。共産主義に限る必要はありませんが、新しい技術的な条件のなかで、古い発想であってもまた試してみるという実験精神が重要だと思います。そのためには、もっと想像力が拡張される必要があるでしょう。

樋口:うちの林野の未来も明るくなってきました(笑)。最後に、モリさんが冒頭でお話していたルトガー・ブレグマンの『隷属なき道』に戻ってみたいと思います。ブレグマンはユートピアを考えることの難しさについて考えていましたよね。

これに対してWIREDの創刊編集長であるケヴィン・ケリーは、完全なるユートピアを構想することは不可能だと言っています。未来を固定化されたものと捉える時点で発想が貧困で、むしろディストピア的だというのです。森さんのおっしゃったこととも似ていますが、ユートピアへの意志をもって実験を進める「プロトピア」こそが重要なのだというわけです。そして僕はSFプロトタイピングを、プロトピアに向かうための実験として使っていきたいと思っています。