去年の暮れにニューヨーク・ブルックリンの「パッケージ・フリー・ショップ(Package Free Shop) 」を訪れてから、日々使うもの、消費するものに対する姿勢が、ガラリと変わった。

「パッケージ・フリー・ショップ」は、ゴミを出さない「ゼロ・ウェイスト」と呼ばれる価値観やライフスタイルを広めるために生まれた、ポップアップショップだ。売られているのは、金属のストローや木製の歯ブラシなど、繰り返し使えてゴミになりにくい日用品。オイルなどの量り売りもあり、利用者はマイバックを持って買い物に来る。サステイナブル、というだけでなく、スマートでお洒落なデザインが、私の興味に火をつけた。

コンビニで買うペットボトル飲料水に、個別包装のお菓子やシャンプー、洗剤。日本はリサイクル大国と言われているけれど、私が日々使用し、最終的に捨てたものは、どこに行き、どう処理され、どう生まれ変わるのか。更には、私が消費するエネルギーや水や食べものはどこから来て、どれほど自然環境にインパクトを与えているのか。そんな疑問を頭の片隅に置きながら生活をするようになった。

先日、イタリア・ミラノを訪れる機会があった。今年のミラノ・トリエンナーレのテーマは、「Broken Nature: Design Takes on Human Survival(壊れた自然:デザインが人類の生き残りを担う)」だという。「ゼロ・ウェイスト」にハマりつつあった私は、早速訪れてみることにした。

壊れた自然を放置すれば、人類は生き残れない

ミラノ旧市街地に隣接する47ヘクタールのセンピオーネ公園。会場となるミラノ・トリエンナーレ美術館は、この公園内に位置する。館内に入ると、世界中から集まった多くの作品に圧倒され、結局およそ4時間をこの展示に費やすことになった。

「壊れた自然(Broken Nature)」展のコンセプトは、こう始まる。

Earth Overshoot Day(アース・オーバーシュート・デー)」の到来は、年々早まっている。

「Earth Overshoot Day(アース・オーバーシュート・デー)」は、1年間で地球が生産する資源を、365日のどの時点で人間が使い尽くしてしまうかを指す。2017年には、過去最低の8月2日がアース・オーバーシュート・デーとなった。半年と少しで、1年間に生産される資源を消費している計算になる。

政治的に正しいだけでは、デザイナーとして十分ではありません。オーガニック、グリーン、環境に優しい、サステイナブルなどのテーマは、ファッションや食産業も含め、デザインのバズワードや単なる流行として使われてきました。しかし、大量消費を止めない人間社会は、変わらず崩壊に向かいつつあるのが現実です。デザイナーは、流行に乗った形だけの「エコ」を反省し、人々の新しい言動を喚起するようなデザインを提案するべきです。

掲げられたテーマは、私たち人間に重たく響く。しかし、「人々の新しい言動を喚起する」前向きで未来志向な展示が揃っていた。

衣服、月経、そして“死”まで。人間のライフサイクルから、自然との共存を考える

まず目をひいたのは、ドミニク・チェン氏の開発した「ぬか床ロボットNukaBot」。ぬか床の状態を、音声で教えてくれるロボットである。

発酵が人類の生き残りをかけたデザインにどう関係するのか、なぜ、現代において発酵を考えることが大切か、という問いに、ドミニク・チェン氏はこう答えている

一方的に対象を制御しようとするのではなく、双方に実りのあるコミュニケーションを志向することが情報技術や経済の分野でも必要とされており、そのためには微生物の複雑なネットワークと向き合い続けてきた発酵食文化から学ぶことが多いのではないか

地球環境を一方的にコントロールしようとしても、人類は生き残れない。対話をしながら、双方が共存できる方法を探るべきだ。この壮大なテーマを、日本人にとって馴染み深い発酵食やぬか床と接続させ、実際にロボットとして形にしてしまう。領域を自由自在に横断する彼ならではの展示に感銘を受けた。

他にも、人間の日常生活やライフサイクルに関するデザインが印象的だった。とくに、大量生産・消費の時代に、買い換えや使い捨てを前提に設計されてきたプロダクトのあり方を見直す展示が目立つ。

Alexandra Fruhstorferm氏の『Transitory Yarn』は、人間の成長に合わせて何度も形態やサイズを変え、一生使える衣服の素材を提案する。

生理用品やおしめなどの展示もあった。女性が使用する市販のナプキンの多くは、原油系の人工化学素材が使われている。再利用可能な布ナプキンや、月経カップなど、未来のスタンダードになるべき新しいデザインが展示されていた。

欧州出身の友人の間で、月経カップを使用する人が最近増えてきた。私も影響されて布ナプキンに変更したが、こうした小さなアクションが、「人類の生き残りを担うデザイン」の一部なのかと思うと、少し嬉しい。

避けては通れない「死」というテーマも扱われていた。日本では火葬、西洋では棺桶に入れたうえでの土葬が一般的だ。しかし、火葬は二酸化炭素を多く排出し、土葬は遺体の消毒や防腐処理(エンバーミング)で地下水源を汚染してしまう。埋葬するスペースが大きいといった課題もある。人間が環境を汚染してしまうのは、生きている間だけではないのだ。

今回展示されていた『Capsula Mundi burial pod』は、木の根本の卵型カプセルに遺体を”植える”ことで、遺体から分解された養分で緑化再生を狙うもの。因みに、スウェーデンでは、遺体を急速凍結して細かく崩し、乾燥させて粉末にし、養分として大地にかえす「プロメッション」という埋葬方法が開発されている。多くのタブーに触れる「死」というテーマも、地球と人類の未来を考え、オープンに議論される時代だ。

Capsula Mundi burial pod

人類の生き残りをかけて

「一人ひとりにできることを」というのは簡単だ。お洒落かつエコなプロダクトも増えている。けれど、私たちには形だけのエコではなく、壊れた自然への反省を促し、地球と人間にとって実りあるコミュニケーションを図るデザインが必要だ。

「Broken Nature」展は、こう締めくくられる。

全世界の市民は、デザイナーと同様に責任がある。傷つけられたエコシステムを治すために、私たちは皆で知恵を寄せ集めなくてはならない。

イタリアから日本への帰りの飛行機のなかで、保存料と化学調味料たっぷりの機内食を、個別包装されたプラスチックのフォークで突きながら、次は機内にマイカップを持ち込もう、と心に誓った。幸い、こんな小さな誓いを手助けしてくれるデザインは、既にある。

それを使うか使わないかを選択するのは、私たちだ。

P.S.
もしゼロ・ウェイストなデザインに関心を持った人がいたら、以下のインスタグラムアカウントが良い入り口になってくれると思う。

ゼロウェイストを扱うオンラインストアのインスタグラム
ニューヨークのパッケージフリーショップ創始者のインスタグラム