「人生がときめく片づけの魔法」の著者、近藤麻理恵(こんまり)の片付け手法が昨今アメリカで大人気だ。CNNやWashington Postといった大手メディアや、「The Late Show with Stephen Colbert」など国民的人気を誇るテレビ番組に、こんまりが大々的に取り上げられる。日本で話題になった以上に、異国のアメリカでなぜここまでバズったのだろうかと不思議に思っていた。

そんな折、欧州出身のあるデザイナーユニットが、京都で「日本の掃除文化」についてリサーチを行なっていることを知った。京都のゲーテ・ インスティトゥート・ ヴィラ鴨川レジデンスプログラムにて、日本に数ヶ月滞在しているという。

それまで私は、掃除という行為は人類共通で普遍的なものだと思っていた。なぜ日本の掃除文化が、わざわざ海外から注目を集めるのだろうか?ベルリンベースのデザイナー、ビルギット・ゼヴェリン&ギヨーム・ノイ=リナウドに聞いてみた。

「掃除」という行為のもつさまざまな様相

ビルギット・ゼヴェリンは、オランダのマーストリヒト大学で哲学と認知神経科学を、アイントホーフェン・デザインアカデミーで、コンテクスチュアルデザインを学んだ。認知神経科学からデザイン界への転身はなかなか聞かないが、デザインがいかに個人のアイデンティティや文化と関連しているかに気づき、デザイナーを目指し始めたという。

パートナーであるギヨーム・ノイ=リナウドは、フランスのナント・デザインスクールでプロダクトデザインを、オランダのアイントホーフェン・デザインアカデミーでソーシャルデザインを学んだ。ふたりは現在、ベルリンを起点にデザイン活動を行なっている。

「数年前、旅行で初めて日本を訪れたとき、日本の街が非常に綺麗に整えられていることに、まず興味を持ちました。そして、箒やタワシなど、ヨーロッパとは異なる掃除道具の美しさにも目を奪われました」と彼らはリサーチの背景を振り返る。

京都の無鄰菴で掃除を体験するビルギット・ゼヴェリン。

同じく無鄰菴で掃除を体験するギヨーム・ノイ=リナウド。

ヴィラ鴨川滞在中は、伝統的な箒などの道具やその製作過程についてリサーチし、日本の職人と共に新しいデザインを制作することを目指した。その過程で、日本の掃除文化全般に関わる歴史や伝統、精神的な意味を深く探求することになったという。

「掃除という行為は人間の生活にとって非常に重要な意味を持ちます。忙しい現代人では、掃除は汚いものを効率的に綺麗にするという単なる義務になってしまいがちです。しかし、自身の環境との関わりのなかで行われる掃除という行為には、それ以上の意味があると気づいたのです」

と彼らは語る。

吉田神社にて節分の日に燃やされる古い御守りなどの山。

日本の掃除の歴史を辿っていくと、仏教、神道などの宗教にルーツがあることに気が付いた。

「神道は『清め』に密接に関わっています。神社に入る前に手を洗ったり、お清めの一環として火を焚いたりしますよね。仏教では、掃除は一種の瞑想としても説かれています。宗派を超えた共通の美意識があり、それが現代の日本人の生活のなかにもある程度染み込んでいるのでは、と気づきました。お風呂に毎日入る、という文化も日本ならではですよね」

一口に「掃除」と言えども、それは衛生感覚や、片付け・整理整頓、清めの概念などと深く関わっている。寺院では「体を洗い清める」という大切な業の一つとして、浴堂が備えられるようになり、ここからお風呂に入るという習慣が始まったとされている。江戸時代には公衆浴場の銭湯ができ、一般人も頻繁に身体を洗うようになった。現代でも日本人はほぼ毎日お風呂に入るとされており、これは世界的にみても珍しい。

「日本で知り合った女性に、娘が健やかに育つようにトイレをきちんと掃除することで祈りを捧げている人がいました。ある伝統では、豊作を祈るためにトイレを掃除するという風習もあるようです。『トイレの神様』がヒットしたのも面白い兆候ですよね」

日本の「掃除」は共同体のなかでの社会的行為である

「掃除には、衛生面上の義務としてだけではなく、教育や共同体としてのルール作り、個人と環境との関わりなど、様々な側面があります」と彼らは説明する。特に、掃除の「共同体的な活動」としての側面が、日本で重要であることにふたりは気が付いた。

「例えば、子ども達が学校で掃除をする、ということはドイツではまず考えられません。欧米の学校では、掃除は管理人がするもの、とされているからです。この掃除という行為を通して、日本の子供達はルールにしたがったり、管理能力をつけたり、共同体のなかで他者と一緒に生きることを学びます。自分の周りにあるものへ感謝をし、大切にものを扱う、という精神も学ぶのです」

町内会での街の掃除や、企業内の掃除文化も同様だ。組織やコミュニティ内で分担して掃除を行うことで、共同体のなかで「共に生きる」ための習慣を人々は営んでいる。

一方でヨーロッパでは、掃除は行政が行うものだと考える「責任の放棄」が一般的だという。彼らが暮らすベルリンの地区では、ゴミの放置やぽい捨てが多く、片付られることもなく無法状態になりやすい、と彼らは語る。

「中心地や富裕層の住む地域は綺麗に整えられている一方で、他の地区ではゴミがずっと回収されない、なんてこともあります。住民も、自分たちが住んでいる場所にあまり誇りを持っていないことも原因のひとつです。都市の政治だけでなく、共同体のあり方が浮き彫りになるのも、ゴミや掃除のあり方の面白いところだなと思います」

一方で、掃除は公共空間だけでなく、個人のプライベート空間でも行われるものだ。

「共同体のなかではしっかりしていても、個人のプライベート空間は散らかっている、ということも日本では多々あり面白いと思いました。公共空間の掃除は他人との関係性のなかで行われますが、家の中のプライベートの空間は”自分だけ”のことが多いので、心の状態や性格が反映されるんでしょうね」

そういえばこんまりも、「散らかる部屋は自分の反映」と言っていた。掃除が共同体のなかで他者との関係性のなかで行われるものだとすれば、益々個人主義化が進む日本社会で、片付け難民が出るのも頷ける気がする。


日本の掃除文化はなんて素晴らしいんだ、とここまで聞くと思ってしまうだろうが、ポジティブなことだけでもない。日本人の完璧なまでの綺麗好きさは、時には過剰にもなりうる。例えば日本では、野菜がひとつひとつプラスチックに包まれて売られているのも、日本人の特有な衛生感覚によるものかもしれない、とふたりは分析する。リサイクルに関する努力に反比例した日本の過剰包装文化は、批判的に分析されるべきようにも思う。

デザインとの交差点

こうした日本特有の掃除精神をリサーチしたうえで、彼らはそれを新しいデザインに落とす方法を模索中だ。日本の職人とのコラボレーションも目標にしつつ、まずは箒をデザインしているという。日本の掃除や清潔さに関しての考察は、今までもあったかもしれない。けれど、掃除文化の根源までを追求して、デザインとの繋がりを見出そうというリサーチは、あまり見たことがない。

ビルギットとギヨームは、デザインそのものに、あらかじめ「掃除しやすさ」が組み込まれているのも日本の文化の特徴だと語る。

「例えば日本のトイレは、掃除がしやすいように意図的にデザインされています。谷崎潤一郎の陰翳礼賛では、トイレに関する考察で一章まるまる割かれていますよね。古来から日本では、トイレは綺麗で心が落ち着くリラクゼーションの場であるべきと考えられていました。日本のトイレは世界でも有名ですが、それはトイレのデザインが、こうした美意識に呼応して発達したからではないでしょうか」

日本ならではの掃除のツール達。

デザインとは、周囲の環境と私たちの関係性のなかで生まれる、と彼らは語る。ふたりは、今回日本で掃除をすることで、自身を取り巻く環境についてもより深く考えるようになったという。

「今では座禅瞑想を毎朝行い、その後に掃除をすることを日課にするようにしています。ここで相手の気持ちや考えなどを話し合って、心を整えます。自分の番、あなたの番、というのではなく、一緒に掃除する、という時間が良いなと思います」

プロダクトデザインだけでなく、ソーシャルデザインという観点から、「掃除という行為」を広めるための活動も現在ベルリンで展開中だ。ヨーロッパにも日本の掃除の考え方を持っていき、義務としてではなく共同体のなかで掃除をする掃除文化を、瞑想なども交えながら広めていく。

なんでこんまりが海外で熱狂的に騒がれているのか。なぜ日本のトイレは世界的に有名なのか。こうした疑問に、すっと回答がでた気がする。今、義務としてなんとなく掃除をしている人は、これを気に、誇りを持ってその時間を楽しんでみてはどうか。普段使う掃除道具も、今一度見直してみてはどうか。

隣人やパートナーと誘い合って掃除の時間を持つのも良い。美意識の延長線上として、また共同体や周囲の環境との関わりのなかで掃除ができたら、私たちの日常は、もっと気持ちの良いものになるはずだ。


プロフィール(ゲーテ・インスティチュートより抜粋)

ビルギット・ゼヴェリン(1982年生まれ)は、オランダのマーストリヒト大学で哲学と認知神経科学を、アイントホーフェン・デザインアカデミーで、コンテクスチュアルデザインを学んだ。2013年に、「Studio B Severin」(ベルリン)を設立。韓国とヨーロッパのデザイン交流を促進する組織OCS Berlinの共同設立者。2015年よりベルリン技術経済大学で講師を務める。

ギヨーム・ノイ=リナウドは、フランスのナント・デザインスクールでプロダクトデザインを、オランダのアイントホーフェン・デザインアカデミーでソーシャルデザインを学んだ。2013年よりフリーランスのプロダクトデザイナーとして、ベルリンで活動している。デザインブランド「Proof of Guilt」の共同設立者(2015年)。