他者からの意見が人生の選択に影響する

大学時代、演劇を専攻していた。

周りが就活をはじめても、就職には関心を持たず、卒業後はバイトしながら劇作家・演出家として活動するつもりだった。自身のやりたいことを実現するには、それが最善の選択だと思っていた。

「僕だったら大学院に進学して演劇の研究をしながら創作を続ける」

恩師に言われた言葉だ。悩みに悩んで最善を選んだつもりだったのに、恩師の一言で違う可能性を見つけた。僕は自分が思っている以上に、自分のことを知らないと痛感しつつ、自身のやりたいことと照らし合わせ、大学院への進学を決めた。

自分の状況を客観視できていなかった僕は、他者から意見をもらうことで、新しい選択肢を見つけた。しかし、意見をくれたのが恩師ではなく、赤の他人だとしたら。僕は、その意見に耳を傾けることはできなかっただろう。

自分の人生における重要な選択における意見を赤の他人からもらったとしても、当たり障りのない反応をして、受け流してしまう。少なくとも僕はそう考えていた、「タニモク」の存在を知るまでは。

パーソルキャリア株式会社が提供している「タニモク」は、利害関係の無いメンバーが集い、4人1組になって、参加者同士で目標をたてあうワークショップだ。

私は、他人に目標を立てもらうことに疑問を持ちながら、2019年1月17日に行われた「『タニモク』100人会」のイベントへと足を運んだ。

知らない相手だからこそ自己開示がしやすい

三石さん「日々生活をしていくなかで、多くの割合を占める仕事の時間をネガティブに捉えて生きるのは、もったいない。働くことをポジティブに捉えられる手段として、目標設定がひとつのポイントになると思いました」

“未来を変える”プロジェクトの編集長であり、「タニモク」考案者・プロジェクトリーダーの三石原士さんは、イベント開催にあたって「タニモク」を考案した理由をこう語った。

「自分のことは、自分だけで考えていても意外とわかりません。だから、他人の力を素直に借りてみよう。きっと新しい自分が見つかります」と、「タニモク」のHPには記されている。

目標設定をする上で、他人を巻き込むという発想はどう生まれたのだろう。

三石さん「編集者は、企画のアイデアが詰まったときに他の人に相談して、新しい切り口を見つけようとします。この方法を目標設定にも活用できるんじゃないか、そう考えました。目標設定も、自分だけではなく、他人の頭を借りて新しい切り口を見つければいい、と考案したプログラムが『タニモク』なんです」

自分だけで目標を考えると視野狭窄に陥りやすい。だから、「他人に考えてもらうというアプローチ」が有効なのは理解できる。ただ、”赤の他人”に立ててもらう必要はあるのだろうか。

三石さん「『タニモク』を職場の同僚や友人とやると、人はどうしても素直になれず『自己開示』しづらくなるんです。だから、利害関係の無い人とやることを推奨しています。知らない他人だと『自己開示』がしやすい。自己開示が目標設定を行うためには必要不可欠なんです」

ありのままに自分を伝えることで同僚や友人との関係性が変化してしまう可能性がある。だから、自身の状況を包み隠さず職場の同僚や友人に伝えるのは、人によっては心理的なハードルが高い。

知らないからこそ、胸襟を開いて話せることもある。「タニモク」がなぜ赤の他人と行われるのかが理解できた。

誰かの立場に立って、代わりに目標を考える

では、実際の「タニモク」はどのように進行するのだろうか。三石さんは「タニモク」の手順を会場に共有しながらワークショップを進行していく。

紹介された「タニモク」を進める手順は以下のような流れだ。

手順1:4人一組になる
手順2:A4で1枚の紙を使用し、それぞれ自分の「今の状況」を絵に起こす

「文字や言葉を使わず、できるだけ図や形、線で表しましょう。絵は話をするとき、質問するときの”きっかけ”なので上手い下手は関係ありません」と、三石さんは語る。状況を絵にしたら、次はグループでのワークに移る。

手順3:グループの中で目標を設定する人=主人公を決める
手順4:主人公が自分の状況を簡単に説明する
手順5:主人公が質疑応答を受ける

目標を設定する人を「主人公」と表現するのも面白い。ワークの中だけでもそう役割を付与することで、遠慮する気持ちが薄らいでいきそうだ。三石さんは、「主人公による自分の説明は、さらっと流し、その後の質疑応答に重点を置きましょう。また仕事の話だけではなく、プライベートの話もすると、目標設定の幅が広がります」と主人公の振る舞い方についても共有する。

手順6:他のメンバーが主人公の目標を考え、それぞれ1枚の紙に書く

主人公からの話を聞いた他のメンバーは、目標を考える。「今の状況」を絵にしたように、目標についても文章や数値にする必要はない。「他人の目標を考えるときは、定量的な指標に落とす必要はありません。ざっくりで大丈夫です」と三石さんは参加者に呼びかけていた。そして、考えた目標を主人公へと伝える。

手順7:その内容を主人公にプレゼンする

「主人公へプレゼンをするときには、私が『私が◯◯さんだったら』と枕詞をつけましょう」ーー三石さんがそう伝えると、グループのメンバーは自分の考えた主人公の目標をプレゼンしていった。ここまでが一人の主人公に関するワーク。あとはこれをグループのメンバー分繰り返す。

手順8:1-7の手順をグループ内のメンバー分繰り返す
手順9:今日聞いた話を参考に自分の目標を決め、発表する

グループのメンバー全員のワークを終えた後は、改めて自分の目標について考えてみる時間が用意された。三石さんは「ワークショップを通して起こった感情の高ぶりがあるうちに目標を考えてみましょう。目標の新しい切り口が見つかった人もいれば、もともと大切にしていたことの優先度がさらに上がった人もいるかもしれません」と会場に呼びかける。

手順10:それぞれ「今すぐ行動に移すこと、明日から行動に移すこと、半年後までに準備すること」を書き出す

目標を実現に向かわせるため、ワークショップの最後には具体的なアクションや計画まで合わせて考える。最後に、三石さんは目標をメンテナンスすることの重要性を伝え、「タニモク」を締めくくった。

三石さん「当たり前かもしれませんが、目標は立てるだけではなにも変わりません。行動した上で何ができて何ができてないのかを自覚しながら、繰り返し目標を更新していくことが大事です。

『一人だと振り返らないかもしれない』と思った方は、今日のグループメンバーで振り返り会を設定してみてはいかがでしょうか」

三石さんの言葉に触発されたのか、ワークショップ後の懇親会がはじまると、多くの参加者が同じグループのメンバーと連絡先を交換し、目標を振り返る会の日程を決めていた。

イベント終了後、三石さんに「タニモク」についてお聞きしてみた。

三石さん「『タニモク』は、社会の『仕事』に対するイメージをポジティブにしたいという気持ちから生まれました。僕には子どもが二人いて、子どもたちが社会に出るときに『働きたくない』という気持ちにさせたくない。

『タニモク』を体験した人は、自分の新しい可能性を発見して、わくわくする目標に向かっていける。そういう人たちが増えて、仕事を楽しめる場が増えると、まだ楽しめていない人たちにも選択肢を提供できると思うんです」

「『タニモク』を通して、仕事もプライベートも楽しめるきっかけを作り続けたいですね」と、三石さんは笑顔で話してくれる。誰かと一緒に目標を考えて仲間となり、達成に向けて挑戦していく。この活動が与える影響は仕事にとどまらない。ワクワクするような目標設定は、人生を豊かにしてくれる。

「演じる」を通して、他者との対話を重ね、自己を理解する

目標設定や自分のやりたいことをサポートする本やワークショップは多くある。「タニモク」の特徴は、他者の視点に立つ価値を体験する点だろう。「タニモク」には、他者を演じる行為が内包されている。

主人公の目標を同じグループのメンバーが「私が◯◯さんだったら〜」とプレゼンする行為は、他者の視点に立つ機会を自然と創出している。この行為は、役者が台本や戯曲に書かれた登場人物を演じる行為に似ている。

役者は、自身が演じる人物の情報を戯曲から読み取り、不足している情報を物語や社会の文脈から想像する。登場人物の輪郭を捉えたら、その人物の発言や行為がなぜ引き起こされるのかを検討。自身がどのような状態、あるいはどのような環境にいると、登場人物と同じような発言や行為が引き起こされるかを模索する。その過程で自分と登場人物の共通点や差異を自覚し、「私が登場人物だったら〜」を稽古場や舞台上で表現する。

「タニモク」の場合、主人公が書いた絵や説明から、背景を想像する。限られた情報から主人公の状況を把握する。自分がその状況に置かれたとき、どういった行動を起こすのかを検討。この過程で主人公と自分の差異や共通点を無意識に体感し、「私が◯◯さんだったら〜」とプレゼンする。

詳細は違えど、どちらも自分と他者(登場人物・主人公)の共通点や差異を知覚している。「自分ではないからわからない」と切り離すのではなく「私が◯◯だったら」と演じ、これまで持っていなかった視点で思考している。

もともとワークショップで最も歴史があるのは演劇の領域であり、昨今多方面で行われているワークショップの源流とも言える。そう考えると「タニモク」の内容に演劇的な手法が組み込まれているのは不思議ではない。

「タニモク」で得られるのは、自分の目標だけではない。演じるという行為を通して、他者との対話を重ね、自己を理解していく面白さを実感すること。多様な価値観が共に存在するために大切な”対話”の魅力を体感できる点が魅力だろう。

社会の価値観が多様化している今、「タニモク」のような機会は価値が高まっていくのではないだろうか。